Ailes Grises | ナノ

5:アトリエの瞳 薬と… 冒険



朝目が覚めるたび、冬の香りが近づいて来る。
パチパチと暖炉の薪が燃える音がついに今日は聞こえた。
カーテン越しの楽しげな声。
そろそろこのリビングに併設された仮住まいから引っ越さなければ、と思いつつも、未だ迷路のようなホームの間取り図を覚えられていない自分がいる。
ごわついた毛布が自分の手足の動きに合わせて擦れ合う。この温かさからは暫く出られる気がしない。
「おはよう」
立て具のカーテンからフェルトが顔を覗かせた。あの自転車の件から皆との距離がぐっと近付いた気がする。
フェルトの横から子供たちが笑顔を向けて、おはようとこの仮のベッドによじ登ってきた。
ああこれじゃあゆっくりと微睡んでなんかいられない。
ゆっくりとこのソファのようなベッドから上体を起こして挨拶を交わす。
「おはよう、……あれ?ロックオンは?」
立て具の向こうにも年少組の姿がちらほらと見えた。ほぼ全員が集まっている状態だ。
しかし肝心の皆を纏めるリーダー的存在の彼が見当たらない。
「久々のねぼすけ発動中」
どう答えようかとフェルトが苦い顔をしていると、呆れ切ったような声でクリスがキッチンから溜息のように言った。
けらけらと子供たちは笑う。
ねぼすけと言われる彼がそんなに面白いらしい。
「私ら手が離せないから、アレルヤが起こしに行ってくれない?」
「え?僕?」
「……部屋に人入れるの嫌いみたいなんだよね。アレルヤなら男同士許してくれるでしょ?」
早く来てくれないとキッチンがままならないわ、とクリスが忙しなく動き回る。
それについて回る子供たちをフェルトがたしなめて、やっと成立している状態だ。
フェルトからホームの地図を渡されて、それを元にロックオンの部屋へと向かった。

古ぼけた教会を中心に、このホームには様々な建物が連結して複雑に構成されている。
かつては教会として、病院や孤児院として使われていたらしいが、今はそのどれもが新しい建物へと移り変わり、灰羽の住処となっている。
どうやらロックオンの部屋は一番遠くにあるらしい。歩いているうちにキッチンから漂っていたコーヒーの匂いがどんどんと遠ざかって行った。
子供たちの部屋が比較的新しい棟に集まっているのだが、ロックオンの部屋があるこの離れた棟はすこし……というか、かなり、古い。
廊下は薄暗く不気味な隙間風がするし、歩けばミシミシと今にも床が抜けていましそうな程の悲鳴を上げた。
「ロックオン?朝だよ?」
『立入厳禁』の張り紙がされている部屋の入り口がロックオンの部屋だ。
木製の扉に軽くコンコンとノックをしてみる。
返事は無い。仕方無く立ち入り禁止が掲げられている扉を押してみると、ゆっくりとドアノブを回した筈の扉がぎぃぎぃと結構な大きさで鳴り響いてしまった。
立て付けが悪かったのか、それとも金具が錆び付いているのか、ロックオンの棲家である棟がどうにも古過ぎてわからない。
「……ロックオン?」
部屋に彼の姿は見えなかった。部屋にあるベッドからは温もりは感じられず、昨日洗濯して張り替えたシーツがきっちりとベッドメイクをしたままで横たわった形跡の皺一つない。
清潔な部屋だ。整理整頓が行き届いている、というよりか、廊下の不気味な程のおんぼろさとはうってかわって、きちんと壁紙も貼ってあるし床穴も無い。隙間風も吹かない。
この部屋にいないなら、どこへ行ったのだろう……と地図を見てみる。
どうやら隣にも部屋があるようだが、廊下からの扉は壊れていて人が入れるようにはなっていなかった。地図上ではロックオンの自室から横入りする扉が取り付けられたようで、後から扉のマークが書き込まれている。事実、地図と同じ壁の場所には新しい扉がつけられていた。
ロックオンはその部屋をアトリエとして使っていると誰からか聞いた。
絵を描くらしい。そのような趣味があるように見えない……とは口が裂けても言えない。時々人が変わったかのようにそれに没頭してしまうから、ここ数年は自重していると聞いた。
アトリエに子供たちが入って遊ぶから、ホームの主要部分から離れたこの薄暗く不気味な棟に部屋を構えているのだろうか。それとも、一人しかいない成人男性だから遠慮しているのだろうか。それなら自分もこちらに引っ越した方が、年頃の少女たちの精神衛生上いいのかもしれない。
そんな事を考えながらふと部屋の一番奥にある窓を見るとロックオンの部屋からは街の壁がよりいっそう近く見えるように感じた。
この窓からは寂寞とした森しか見えなくて、道も無くただ森と壁だけが窓枠という額に飾れたように映った。
ロックオンが絵を描いているところは、アレルヤはまだ見た事は無い。
どんな絵を書くのだろうか。この部屋ように殺風景なものなんて描いて欲しくないな、とアレルヤはぼうっと考えた。
「……アレルヤ、か?」
突然の声にびくっとアレルヤの体が跳ね上がる。
ロックオンの声だ。あ、とアレルヤは勝手に部屋へと入ってしまった事を考えた。
しかし振り返って謝ろうとしたが謝罪の言葉より先に、ロックオンの姿に対する言葉が出てしまう。
「どうしたの、絵の具まみれじゃないか!」
ロックオンは絵筆を握ったまま、隣の部屋から出て来たのだ。服装は昨日のままで、赤青黄色、様々な色の絵の具があちこちに染み付いていて、既に乾いていた所もある。
憔悴したロックオンの表情に徹夜で筆を握っていた事はアレルヤにでも分かった。
「……いや〜久々に熱が入っちゃって、気付いたら朝だったんだよ」
心配げなアレルヤをよそにロックオンはあっけらかんとして笑った。
ロックオンは部屋の侵入者をアレルヤと確認してはっとしたのか、先程までの憔悴した様子とは大きく異なる様子を見せる。
その異様な程すっきりしたロックオンの表情にアレルヤは戸惑いを隠せなかった。
「あ、ごめんな。変なもの見せて」
アレルヤの戸惑いをとっさに感じたのか、ロックオンは慌てて扉を閉める。
閉ざされていくアトリエの扉の向こうにアレルヤは視線を感じた。
ロックオンはその視線の主を見られたくないから、部屋に人を入れるのを嫌がるのだろうか。
ロックオンの描いた絵の正体は分からなかったが、ただその絵を描いた後のロックオンが、あまりも窶れていたのをアレルヤは忘れられなかった。





妙な空気を引き連れて、二人はキッチンへと戻る。
ロックオンは絵の具で汚れた服から着替えたのだが、手や爪の間に残るそれを見てクリスはため息を吐いた。
「また一晩篭ってたのね」
「いやぁ……」
「もう心配してくれる人もいないんだから。描くなとは言わないけど、次の日の事くらい考えたら?」
「フェルトこんなバカのこと心配しなくていいんだからねっ!?アレルヤも、ロックオンの自業自得なんだから!」
クリスにこっぴどく叱られ、ロックオンは肩をすくめる。
そんなロックオンを見て年少組の子達が笑うものだから、横で朝食を食べていたアレルヤも思わずぷっと吹き出してしまう。
「あっアレルヤお前笑ったな?!」
「ご、ごめんなさい…まさかこんなに叱られてるとか思わなくて……ふふっ」
聞いてはいたが、たしかにこれでは少し頼りない。
普段はとても冷静な判断が出来る大人だと思っていた。子供相手になら、常に笑顔を絶やさない温かい人と。
そんなロックオンが一晩かけて描きあげたあの絵が少し気になる。
視線しか解らなかったがあの暗いアトリエの奥からでも感じた鋭い眼光。
緑色の、鋭い瞳。
疲れ果てた表情のロックオンを。
あの瞳の持ち主はいったいどんな顔をしているのだろう。ロックオンのように優しい表情なら、いい。

「………………あ、薬、切れそう」
「くすり?」
アレルヤがロックオンの絵に思いを馳せていると、ロックオンはいつの間にか朝食をたいらげていた。
キッチンの食器棚から何か怪しげな液体の入った瓶を揺らしながらこっちに戻ってくる。
クリスによるお説教は気付けば終わっていたらしく、食後のお茶でもしようとロックオンはその瓶を取り出したのだが、ちゃぷちゃぷと揺れる液体はもう残りが少なくなっている。
「俺がいつも飲んでるハーブティーなんだけど……今日の分で終わりそう」
「材料は?いつも予備置いてあるよね」
少しクリスが慌てる。そんなに必要なものなのだろうか。
あまり薬を飲んでいるロックオンのイメージがアレルヤには無い。
まあハーブティーと言っているから、日常的に生活の一部として馴染んでいるものなのだろう。
「…………俺常々思ってたんだけどさぁ、そろそろソランにおつかいやらせてもいいと思うんだよな」
「はい?」
突拍子の無いロックオンの発言に、クリスの声が裏返る。
呼んだ?とソランが意気揚々と、どこか自慢げにテーブルの下から登場した。
よじよじと椅子に座ったロックオンの膝を登る。
「おつかい?」
「そうそう、おつかい。ソランーどうだ?おつかいできるか?」
「……できる」
他の子供たちより一回り小さいソランがロックオンに抱っこされるとより小さく感じる。
三年前繭から産まれた時はほぼ赤子同然で、今は寡黙なだけだが、片言でしか言葉を話すことが出来なかった。
灰羽に年齢はあまり関係無いが、恐らく同年代の子達より小さく、周りがかしましくおしゃべりな事がコンプレックスなのだろう。
いつもロックオンの足にしがみついてるのはソランだ。
「俺がいつも飲んでるお茶の材料。わかるよな?」
「……ニンジンでしょ、はちみつでしょ、よもぎ草でしょ、いいにおいのする葉っぱでしょ、、あとえーっと」
「あとは『いつものください』でいいよ」
「わかった」
「じゃあソラン、アレルヤと一緒に行ってくれるか?」
「えっ?」
「だって年長組の誰かが居なきゃ薬買えないだろ?」
手帳は年長組しか持ってないんだから、と言うと、ソランは不服そうにほっぺたを膨らませる。
話を振られて、アレルヤはじいっとソランを見た。ソランもアレルヤをみつめる。
ぷうっとふくれた頬は今にも破裂しそうだったが、ロックオンが親指と人差し指でつまんで空気は桜色をした唇から抜けて行く。ふにふにと柔らかそうで、アレルヤもつまんでみたくなった。
「なーにぶーたれてんだ?」
「……にぃ、ひとりでいい」
「お前がアレルヤを連れて行って、何買うか教えてやんねーといけないんだぞ?」
「う……わかった……」
「よしっじゃあ決まりだ!今日はソランとアレルヤの初めてのおつかいだ!」
ロックオンは刹那を抱き上げて、お出かけの準備だーっとキッチンを出て行った。
「…………僕が?」
突然決まってしまった本日の予定に、アレルヤは目をまんまると開いて、クリスとフェルトに確認を仰いだ。


13.04.09


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