Ailes Grises | ナノ

3:お出かけ 自転車 パンケーキ


あの激痛の翌朝は、甘い、いいにおいで目覚めた。
はちみつの匂いだろうか。カチャカチャと金属のぶつかる音も聞こえた。

「……?」
「アレルヤおはよー。昨日は背中痛かったでしょ?大丈夫?」

ゆっくりと目蓋を開くと、昨日のようにまたピリピリと膜が破ける感覚がした。
視界にはキッチンでパンケーキを焼くクリスの姿が見えたかと思えば、クリスはニコニコとベッドに近寄ってアレルヤの顔を心配そうに覗き込む。
どうやらアレルヤが寝かせつけられていた部屋は半分がリビングのようになっていて、キッチンまでもが付いているらしい。
そういえば新生子用の仮のベッドとロックオンが言っていたような気がする。

「お、おはようございます、クリス…さん」
「やだクリスでいいよ。顔色は悪くないねっ……ていうか、私も手伝ったほうが良かったかもね」

ね、ロックオン、たよりないでしょ、と隣で眠りこけるロックオンをクリスはフライ返しで指差した。
どうやらロックオンもあの後眠ってしまったのか、狭いベッドで二人で眠っている様子をクリスに見られてしまいアレルヤはロックオンの胸の内から慌てて飛び起きた。
別にやましい事は無いが彼の立場上このままではいけないような気もして、アレルヤは気後れしながらも判断を仰いだ。

「あの、僕はどうすれば」
「そのバカはほっといていいから、取り合えず服着てもらえる?ここ女の子が多いから」
「あー…えーと、こんな格好ですみません……」
「いいよ、事情は分かってるし」

既にチェストの上に新しいシャツを用意していたクリスはそのままリビングに置いてある大きなダイニングテーブルをセッティングしに戻ってしまった。
アレルヤに下敷きにされながらも依然眠りこけるロックオンを見る。
昨晩、痛みを耐えるようにして噛み付いた自らの歯形が、彼の首筋の羽の刻印に被さって赤く滲んでいた。

「ええと…ロックオン?起きて下さい…」

右腕で上半身を支えながら、左手で横たわったままのロックオンの体を揺すってみる。

「う、うぅ」
「あーもー!子供たち先に起こしちゃうよ?またねぼすけロックオンって笑われちゃうよ?」

唸ってまだ眠りたいと頭を抱えるロックオンに痺れを切らしたクリスは、手にしていたフライパンとおたまでガンガンと音を立てた。
どうやらロックオンは朝が弱いのか、耳を塞ぎ眉を顰める。

「それだけは、ヤメろ……」
「お・き・ろー!アレルヤが潰されちゃってるじゃない!」
「起き、起きるよ!……って、アレルヤ?」

アレルヤ、という声を聞いてぎゅっと瞑られていたロックオンの目蓋が開く。
するとまだロックオンという重石が半分乗ったままのアレルヤは、しっかりとその翡翠色の瞳と視線が合ってしまった。
なんだか少し気恥ずかしい。だけど視線を外してはいけないような気がして、アレルヤはおずおずと朝の挨拶をした。

「おはようございます……」
「お、おはよ…ってうわーごめん!狭かったよな!?」
「全然大丈夫です!それよりもロックオンこそ腕とか…その、肩とか大丈夫ですか?」
「へーき平気、こんなの湿布貼っときゃすぐ治る」

アレルヤの上から飛び退くようにしてロックオンはベッドから降りた。
眼鏡を掛けたまま眠ってしまったのか、頭からズレたそれをロックオンは探した。
細い銀縁のそれが歪んでしまっていないか確認して、しっかりと耳にかける。
心配などいらないと言ったものの、アレルヤの下敷きになっていた腕は少し痺れていたが、ロックオンはそのまま黙っていた。

「ふーん、ロックオンはもう「さん付き」じゃないんだあ」
「えっ?」
「歳も近いし、同性だし……打ち解けるのも早いか」

どこか安心したようなクリスの声が上がった。
そういえば、昨日この部屋に集まっていた子供たちは殆どが女の子たちだったのを思い出す。
ロックオンを除いて、妙齢…というにはなまめかしいが、ある程度自立出来るほどの年齢であろう子は、女の子しか居なかった。
男の子はまだ未就学児前後の幼い子供らばかりで、特に幼い子供はまだよちよち歩きの乳児であったのを思い出す。

「ほら早く、シャツ着て、みんな起こしてくるからさ」

そう言われ、アレルヤは慌てて白いシャツに腕を通す。
焼け焦げた痕がチリチリと、まだ熱を持っていた。




子供たちが既に焼き終えたパンケーキを頬張っている横で、働きに出ている年長組以外はコーヒーを啜っていた。
太陽は既に昇りきり気温は上昇したが、屋内は少し肌寒い。
暦の上では冬に入る頃だ、とロックオンがアレルヤに教えてくれた。
そんな折、クリスがロックオンを呼ぶ。

「ねえロックオン、今日はアレルヤの服買ってあげたらどう?」
「ん…ああ、ずっと俺の服着せてたしなあ」
「えっこれロックオンの服だったんですか!?」
「そんなに驚く事か?嫌だった?」
「あ、いや…全然知らなかったので、」

思わず着ていた服を掴んでアレルヤは声を大きくする。
では昨日自分が着ていた服は…とアレルヤは尋ねようとしたが、どのように返事がされても、自分の発する言葉はロックオンを嫌な気分にさせてしまうような気がして口篭ってしまう。

「一緒に買い物行って来なよー。灰羽連盟からの新生子通知も来てたし、ついでに行ってくれば?」
「逆だろ、連盟に報告行って、ついでに買い物」
「どっちでも変わらないって」
「はいはい、…じゃあ、アレルヤ、今日は出掛けるか」

子供たちはクリスに任せて、とロックオンは笑った。
気にしてなどいないのだろう、この人は。ほんの少しだけアレルヤは安堵して、笑みを返す。
それはとてもぎこちない微笑であった。

出掛ける用意を済ませて、二人は枯れかけのすすき野の丘を下りて行く。
人一人通れるくらいの小さな道だ。
丘を下りれば、駆り終えた後の田んぼのあぜ道を通って、森へとロックオンは足を進ませた。
どうやらそちらの方が灰羽連盟と呼ばれる所への道らしい。
そもそも、ホームを出るのが今日が初めてなアレルヤはただロックオンの後を追うしか出来なかった。

「灰羽連盟…って、なんなんですか?」
「ようは俺らの保護とか、生活を保障してくれる慈善団体だよ」

灰羽は親がいないから、必然的にそういった後ろ盾が必要になるんだ。
ロックオンはアレルヤの質問に丁寧に返した。
繭から生まれる灰羽と呼ばれる人間には、親も兄弟も無いと言っていた。
それどころか生まれるのは赤ん坊ではなく、このアレルヤのように、大人も生まれるのだから……。
自分はこの世界の何もかも知らないんだな、とアレルヤはぼうと考えた。
大人、と言ったが、体ばかりが大きく、中身は何にも無い。
なんとなく、大人だった気がする。
もしかしたら繭から生まれる前の自分は、本当に中身の無い人間だったのかもしれない。
だからこんなにも自分は……

「その代わり決まりごとが付属して来るけどな」
「決まりごと?」

アレルヤの質問に言葉を続けるロックオンの声で、アレルヤの思考は引き戻された。
内心で、今自分はおかしな事を考えていたのでは無いかと自分自身を勘繰る。
大人しく、教えられる物事を享受しよう…アレルヤは、鸚鵡返しを始めた。

「【灰羽は金を持っちゃいけない。】
【新品のものを扱っちゃいけない。】
【年長者になると仕事に従事する。】
【従事した仕事を覚えてマエストロになる。】…こんな感じかな」
「お金を持っちゃいけないのに、買い物?」
「灰羽は連盟から貰った灰羽手帳がお金代わりなんだ。そこに買うものと値段を書いて、物品と交換する。代金は後で連盟が支払ってくれるんだが、新品を買うと後々面倒な事になるらしいから、中古品とかしか買えないけど」

今日は新しく生まれた灰羽ですーって自己紹介に行って、名札と手帳を貰うんだ。
そう言って、ロックオンは自分の手帳を見せてくれた。
手のひらサイズであろうそれは、大きな手のロックオンが見ると少し小さく見える。
手帳には持ち主の名前と写真と住所が記載されていて、ノートの何枚かは千切られていた。

「マエストロになる、っていうのは?」
「手に職をつけろ、って事」
「オールドホームを出て生活する灰羽も居ない訳じゃないし。別に働かなくても灰羽は生きていける制度があるけど、それじゃあ他の人たちに申し訳がたたない」
「そんなわけで、俺らは中古品で慎ましやかに生きて、勉強よりも仕事、って感じ」
「なるほど。だから小さい子たちは学校には行ってないんだね」
「その点については改善の案が出されてるみたいだけどなあ。灰羽にも人権がどうのこうの…」

ため息交じりにロックオンは言う。
灰羽の決まりごとや人間の決まりごと。
ややこしい問題が山積みであることは、内容は分からずとも、ロックオンの声を聞くだけでアレルヤにも理解できた。

「働いて稼げる訳じゃないけど手に職つけて、それを他の人間に伝承していく…ってのが、俺らの役割でもあるんだって」
「……ロックオンは何を仕事にしているんだい?」
「それ、聞くかぁ?」
「え、でも、ロックオンも働いて…………え?」

自然に返してしまった返事に、ロックオンは困ったような表情をした。
聞いてはいけない事だったのだろうか、しかし大人の灰羽は仕事に従事すると先程ロックオンが言ったばかりなので、アレルヤは戸惑いを隠せない。

「チビたちの面倒を見る保育士だよもう俺は……」
「あ、ああ…」
「……俺が居なくなったら、誰がチビたちに勉強教えるんだろうなあ……」

昼飯は誰が用意するんだ。ケンカしないようにおやつを分けて、散歩に出して……。
落胆したような、あきれたような。ロックオンは肩を落とし自称した。
だけどどこかうれしそうな、幸せそうな表情でロックオンが言うものだから、アレルヤは小さく笑ってしまう。

「ロックオン、頼りにされてるんだね」
「クリスには頼りない頼りないって言われるけどな」
「ふふ、それとはきっと違うことだよ」

違うこと。よく解らなかったが、なんとなくそう思った。
彼は周りの人を喜ばせようとしている。楽しませようとしている。
まだ出会って一日しか経っていないけれど、そんな風に感じた。
そんな事を話しているうちに、沢を越えて、滝の近くにある岩肌の聖堂へと辿り着いた。
どうやらここが灰羽連盟と呼ばれる団体の本部のようで、ロックオンは静かにその荘厳な扉を押し開いていく。

「やあ、ロックオン」
「こんにちは神父様。こっちが昨日生まれた新生子のアレルヤです」

まるで二人が訪れる事を知っていたかのように、聖堂の中には神父が一人佇んでいた。
天窓から差し込む光を跳ね返すステンドグラスに眩暈を起こす。
夢の中でそれと重ね合わせてみるが、洞窟に造られたこの聖堂は、天井に作られた天窓から僅かな光が差し込むだけで、夢の中とはその輝かしさは異なった。
刻まれている模様は、抽象的ではあるものの灰羽の背に刻まれた六枚の羽と酷似していた。

「うん、うん。とても純粋な視線だね。キラキラ輝いている。
……ロックオン、どんな瞳の色か教えてくれるかな」
「はい、神父様」

僕がステンドグラスに気を取られていると、微笑む神父の言葉を聞いて僕の顔を覗き込んだ。
(どうかした?具合でも悪いのか)
小声で耳打ちされる。
どうやら神父は目が見えないのか、ただ穏やかにそこで微笑んでいるだけだった。
(いえ、大丈夫です。……夢の中で見たものに、似ている気がして……)
頬にロックオンの指先が触れる。
つい視線を逸らし、俯いてしまった。
(そういえば、お前さんの夢も聖堂だったよな。……どうだ?一緒だった?)
(いえ、全然……)
「あっ」

似ても似つかなかった、と顔を上げる。
するとロックオンの指がさらりとアレルヤの前髪に触れ、頬を包み込む。

「え?」
「アレルヤ、お前……」
「どうかしたのかな、ロックオン」
「いえ、とっても綺麗な色ですよ。神父様の言うとおり、きらきら、かがやいてる」
「……やっぱりそうかい!いやー、私もまだまだ老いてないねえ!」

どこかうれしそうに神父は声を上げる。
頬の紅潮した神父から、名札と手帳と、御言葉を授けられた。

「……神は確かにいないかもしれない。だが人はこうして教会に集まり、祈りを捧げる。
信じなさい。己の近くにいる者を。頼りなさい。己の隣にいる者を。【主よ、みことばを以て我らを守り賜え】」




「どうだった?悪い人じゃないだろう?」
「ええ……。あのロックオン、さっきはどうして、」
「……もしかして、気付いてない?」
「何をですか?」

聖堂を出てすぐにある滝を横切るつり橋の上でロックオンは立ち止まった。
連盟の聖堂にいたときのように、そっとロックオンの大きな手がアレルヤの髪を掻き分けて頬に触れる。
親指の腹で下目蓋をすっと横に撫で、アレルヤの両の目を覗き込んだ。
飛散する滝の水しぶきが両頬を濡らす。

「俺もさっき気付いたけど……お前、左右で眼の色が違うんだよ。金いろと銀いろ」

まじまじと見詰められ、頬が熱くなるのをアレルヤは感じた。
今まで特に何も思っていなかったが、ロックオンはとても整った顔立ちをしているのだ。
これだけ接近するまで気付かなかったのは、彼の飄々とした立ち方のせいか、それとも少し抜けた性格のせいなのだろうか。
クリスに頼りない頼りないと言われ、ふにゃっと笑う顔が印象的だったのだ。
柔らか過ぎる日常の物腰のせいで、目覚めてすぐ眼にした真剣な表情を忘れていた。

「おかしい…ですか…?」

あの時はすぐに微笑んでくれた。だけど今はまじまじと見られて、恥ずかしい。
もっともっと水しぶきを浴びせて欲しい。
視線を逸らしてしまいたいが、ロックオンの両手が頬に触れているからそれは叶わない。

「いや、珍しいかもしれないが……さっきも言ったろ。綺麗な色だって」

こつん、とロックオンの額がアレルヤの額に軽く当てられる。
そうして至近距離でロックオンが微笑むのだから、アレルヤは今にもこの滝に流されてしまいたいほど、顔が熱くて熱くて堪らなかった。







おもはゆい表情のまま、アレルヤはロックオンの後を追い森を抜けた。
しばらく歩いて、街へ向かう道へと出る。
するとそこには、朝食のパンケーキを食べた後すぐに仕事へと向かったはずのフェルトがいた。
禿げた麦畑の中に、ピンク色の髪はとても目立つのでアレルヤにもすぐ彼女であることが解った。
フェルトはどうやら錆び付いた大きな荷物を引きずるようにして、ホームへと帰っているようだ。

「フェルト、こんなところでどうしたんだ?」
「……ロックオン……それに、アレルヤも」
「それ、自転車?」
「うん……」

駆け寄って、声を掛けた。
錆び付いたものは自転車のようで、アレルヤはしゃがみこんでじっくりとそれを眺める。
金属の部分はどこもかしこも錆びて、車輪部分の細い部分は何本かがひしゃげて取れようとしていた。
細かな部品には、自転車以外のゴミが絡み付いて上手く車輪が回っていない。
前輪のタイヤはパンクしていて、使えように無い有様の自転車を、フェルトは引きずっていた。

「どこから貰って来たんだ?」
「……………………」
「?フェルト?」
「……ッ」
「あっおい!フェルト?!」

フェルトの顔を覗き込むようにしてロックオンが尋ねても、フェルトは口を噤んだ。
ふらつく自転車を支えようとアレルヤは手を伸ばすと、何か糸が切れたかのようにフェルトは引っ張ってきた自転車を投げ捨てるようにしてホームの方向へと走っていく。

「行っちゃった……」
「まさか、盗ん……いやいやいや、フェルトに限って、そんな」

声に出しながら、ロックオンは狼狽する。
灰羽は、新品は扱えない。
それにこれはどうみてもゴミだろう。
フェルトは自転車が欲しかったのだろうか。
動揺するロックオンの心情は計り知れなかった。

「…………とりあえず、街まで自転車持って行くか」
「追い掛けなくていいの?」

何かを決意したかのように、ロックオンはフェルトが置き去りにした自転車を起こす。
むしろ心配げだったのはアレルヤの方で、狼狽えるロックオンを初めて目にしたが、あまりにも立ち直りが早い。
一瞬にしてマイナスの思考をプラスに転換したのだ。
ロックオンを置いてフェルトを追おうとも思ったが、彼を置いていくのも気が引ける。
そんな風に考えているうちにロックオンが思考を正したので、追い掛けなくていいのかと尋ねた。

「大丈夫、あっちの方角に走ってったから、ホームに戻ったって事だろうし……」

何かを考えているのか、ロックオンは含み笑いをアレルヤに向けた。

「悪いな、今日はちょっと付き合ってもらうかも」



12.12.22

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