Ailes Grises | ナノ

2:街と壁 羽化 灰羽の巣


張り詰めた空気で部屋中が凍る。
ただ子供らの無言の笑顔がこちらに向けられるだけで、僕…アレルヤはどうする事もできなかった。
年も人種も性別も異なる人々が血の繋がり無しに一つ屋根の下にいる。
ここは孤児院なのだろうか。それとも修道院なのだろうか。
押し寄せる疑問の渦の中、アレルヤの猜疑心を掻き消したのは一人の少女の声だった。

「ようこそオールドホームへ、アレルヤ!」

シン、とした空気を一転させたのは、茶色い髪を後ろでひとつに纏めた女性だ。
彼女の声を聞いて、子供たちからクスクスと声が洩れ始める。
それは彼女を笑う声ではなく、恐らくアレルヤの横で椅子に腰掛ける男性に向けてのものだろうか。

「クリスは元気だなあ…」

せっかくカッコ良く決めたのに、と、彼はまいってしまったかのように彼女よりも幾分明るい茶髪を掻き上げた。
先程までの神妙な面持ちは消え、人の良さそうな穏やかな笑みへと変わる。

「なーにが女神に見捨てられた天使だ、よ!買い被りすぎじゃない」
「下げて、上げるっていう作戦?」
「意味が伝わらなきゃ意味ないと思うわ、それ……」

親しいもの同士の会話が始まったのか、クリスと呼ばれる女性に一通りのツッコミをいれられている。
クリスには頭が上がらないのか、彼は肩を縮ませ小さくなった。

「なんとか命名式も終わった事だし……ひと安心、ってとこ?」
「まあ、そうだけどさ」
「普段からちゃんと見回りしてないからでしょ?こんなに焦って羽化の用意したの、初めてよ…」
「……羽化……?」
「ああ、俺たちはな、繭から生まれるんだ。蝶みたいに」

耳慣れない言葉をアレルヤが鸚鵡返しにすると、当たり前のように彼は言った。
蝶のように。では自身が目覚める前に見た夢は、胎児の見た夢なのだろうか。
後で自分の生まれた繭を見に行こうか、と言われ、アレルヤは素直には首を縦に振れなかった。

「しかも久しぶりの男子!しかもどう見ても年長組!!!」
「クリス、テンション上がり過ぎ」
「このホームで男って、一人しかいないじゃない…!貴重な男手よ!?ねえフェルト!!」
「……男の人の手が必要な事ってあったっけ…?」
「〜〜……大きな家具を運ぶ時とか……?」

だってロックオンだけじゃ頼りないんだもの!、とクリスは叫ぶ。
フェルト、と呼ばれたピンク色の髪の少女が高揚するクリスをどうどうと宥めた。
この時初めて、僕をアレルヤと名付けた男性の名前を知る。
ロックオン。
不思議な音の名前だと思った。そんな彼に名付けられた「アレルヤ」という名も。
たよりない、と意気揚々としたクリスに言われたロックオンは、アレルヤの目からはとてもそうには見えなかった。
確かに力持ちのようには見えないが、そんなに頼り無さそうには思えない。
飄々とどこか掴み所の無い感じではあるが、薄情そうにも見えず、むしろ人情味溢れる人にも取れた。

「ひでえ言いようだな、おい」
「じゃあ今度引っ越しの時、ロックオンだけでベッドとか運んで貰うよ?」
「ちょっ…無理だろ!ってかお前さんは引っ越しのし過ぎだ!少しは落ち着け!」
「だって今の部屋、陽当たりあんまり良く無いんだもん」
「あ〜も〜……」
「さっ!という事で解散解散!」

クリスは話は終わりとぱちんと手を叩いて、まるで逃げるかのように解散の合図をした。
蜘蛛の子を散らすようにまわりの子供たちが部屋を出て行く。
じゃあね、アレルヤ、ばいばい、と小さな紅葉のような手が此方へ振られる。
どうやらもう子供たちの中で僕という人間は「アレルヤ」で決まりなのだろう。
ロックオンの足元でうろうろとしていた一番幼い子供をクリスは抱き上げて部屋を出て行こうとする。
にぃ、と猫のような声でロックオンへと腕を伸ばすが、ロックオンは穏やかに手を振り返すだけだった。
そんなロックオンの様子にクリスは扉を引きながら最後に言葉を掛けた。

「そうだロックオン、久しぶりの男の子なんだから、今晩手伝ってあげなよね〜?」
「え、俺がやるの?」
「そりゃそうよ、あんなチビっ子たちには荷が重過ぎるし……」
「クリスがやってくれよ」

どうやらロックオンは何かの役を押し付けられたのか、自らを指差してクリスに尋ね返した。
それは子供では出来ない事なのか、少し面倒くさげにロックオンは役を頼む。

「やだ、年頃の女の子に年頃の男子の裸を見ろっていうの?」
「はいはい……俺がやりますよ、っと」

よく分からないまま結局その重役はロックオンが担うことになったらしい。
久しぶりの男の子、というのは多分自分のことだろうとアレルヤは思うが、何を手伝うというのだろう。






「どう?動けるか?」
「いえ…まだ、手足が痺れてて……」
「生まれたばかりはそんなもんだよ」

暫くアレルヤが思考に耽り、無言が流れた。
ロックオンはアレルヤの様子を伺うようにして声を掛ける。
生まれたばかり、というのは繭から、という事なのだろうか。
まだ指先にも足先にも感覚が行き渡っていないように思えた。

「生まれたばかりって、僕もう……あれ?」
「歳も忘れちまったんだろう?」
「嘘……」
「全部全部、無くなっちまったんだよ」

繭から生まれる前の事は。
仕方の無いことだ、とロックオンは少しあきらめた様に笑う。

「……窓の外、見えるか?」

横たわったアレルヤの背中に腕を差し入れ、ロックオンは窓の外が見えるように状態を起こさせた。
窓の外を見るとどうやらこの建物は小高い丘の上に建っているのか、賑わう街の様子が見えた。
活気溢れるとまではいかないが、既に季節を過ぎた麦畑などの姿もあり、穏やかで気候のよい街であるのだろう。

「壁が見えるだろう?……この街はな、あの壁に囲まれてる」
「……街が壁に囲まれてる……?」

たしかに、街の遠くに壁があった。
あまりにも遠くにありすぎて、それが何で出来ているかは分からない。
壁の手前は多くが森になっていて、街の様子と比べるとどこか薄暗く感じる。

「あそこに見えるのは時計塔。トレミーの街で一番ののっぽだが、あそこの屋根の上からでも壁の外は見えないという」
「トレミーの街?」
「そう。正しくはプトレマイオスって名前の街だけど、長いからトレミーって呼ばれてる」

あそこは学校、あそこは町役場、あそこはパン屋。あそこは……
街の地図を取り出したロックオンは、細やかに街の説明をしてくれた。

「――そしてここがオールドホーム。昔教会だった所に俺たち灰羽は住んでる」
「灰羽…?」
「全てを無くし、母親からでは無く繭から、そして赤子では無く生まれた者。」
「灰羽は、生まれて一日で背中に刻印が刻まれる」
「一晩かけてじっくり、灼かれるんだ」

そしてロックオンは着ていたシャツの襟から背中を見せてくれた。
焦げ付いたようなそれは六枚の羽を形作り、癒えることの無い傷跡としてそこに存在を主張していた。

「痛みが訪れるまで、横になっているといい。刻印が浮かんで来たら、数日は仰向けでは眠れないだろうから」






――その夜。
背中じゅうに焼け付くような痛みを感じた。
最初は針を刺すような瞬間的な痛みが、徐々に持続し、まさしく刻み込まれていると気付いた。

「あ…あ…!」

横になっているのも苦しく、肌に纏わりつく衣さえも刺激となり、夢の中と同じようにして蹲る他無かった。
昼間腰掛けていた椅子で眠っていたロックオンはアレルヤの異常に気付いたのか、飛び起きて蹲るアレルヤの背中を弓なりにさせる。
ベッドサイドのチェストに置いてあった鋏でロックオンはアレルヤの服を切り裂く。
背中が露わになると、窓の外から差し込む月の光を浴びて痛みはさらに激しさを増した。

「ああああああああッ!熱い…!痛い…!」
「丸まったら余計痛い、背骨に意識を集中させろ……!」

枕を抱え込ませられ膝立ちになるが、掴む所の無い簡素なこのベッドでは上手く背をしならせた状態を維持出来なかった。
ベッドの上にロックオンは片足を乗せ僕が呼吸を続けられるように首と顎に手を添えるが、アレルヤは唇を噛み締めたまま呼吸が定まらない。
涙が顎を伝った、と思ったが、まだアレルヤの涙は目じりに溜まったままで、顎を伝ったのは薄い唇の皮が破けて出た血だった。
驚いたロックオンはアレルヤの月の光で灼け付く背中には触れぬよう抱き寄せ、腰を据えさせる。

「アレルヤっ血が、唇噛むな!!」

名前を呼ばれ、アレルヤははっとした。
ぽろりと涙が一筋頬を伝う。

「ロック、オン…?」

何故か、それが本当に自分を呼ばれたように感じた。
自分の名前も年齢も、家族も、過去も、何もかも忘れてしまったというのに、今この瞬間で自分が「アレルヤ」だと思ってしまったのだ。
初めて彼に名を呼ばれた。

「ほら、アレルヤ、痛いだろ」

切れた唇から流れた血をロックオンの指先で拭われる。
よしよしと頭を撫でられて、一瞬だけ痛みから逃れられた。

「いたいよ、ロックオン……」

涙が止まらない。
どうしてだろう。
手繰り寄せるように腕を彼に回す。
ぎゅ、と彼の服を掴んで、痛みからもっと逃れようと爪を立てた。

「いいよ、もっとひっぱってくれても。でももう唇は噛むなよ、噛むなら違うとこにな?」

伸びた服の襟ぐりから覗く首を噛めばいいとロックオンは言った。
もう服が伸びてしまうとか、彼を怪我させてしまうとか、考える余裕も無いほどの激痛が襲ってくる。

「――……ッ」

叫び声は消えた。


12.12.18


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