Ailes Grises | ナノ

12話


「アレルヤ、ちょっと」

刹那の話の後、少し静寂が訪れた。
小さな灰翅たちが増えて、その手間も大きくなると思われたが、冬至祭の間は灰翅は刹那を除く全員がいる状態で、実際には人手が増えたことでロックオンに対する負担自体は普段より大分軽減されていた。
そのさなかにアレルヤが呼び出される。
クリスに少し出る、と伝え、アレルヤもまたそれに続いた。

「歩きながら話していいか」

子供たちの集まるリビングを出て、廊下を少し進んだところでロックオンは言葉を投げた。
歩調はゆっくりとなっているのが見て取れる。
それにアレルヤが頷いたのを確認してから、ロックオンはぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。

「隠そうとして、話さなかった訳じゃなかったんだ」

ごめんな、とまずロックオンが謝る。

「まあ、嘘吐いたのは……許してほしいんんだけど。
 本当は、どう言えばいいのか、凄く悩んだ」
「……刹那の事を……?」

嘘、嘘とは。怪訝な視線を向けながらも、マリナの、ともその両方をアレルヤは言わなかった。
無意識に自分が傷付く答えが返ってくる質問を避ける。
刹那の事を隠そうとしていたのは、初めて彼の名前を聞いた時の彼の反応で明瞭であった。

「それもあるけど。」

いつまでも曖昧なままにしておけるほどアレルヤはロックオンに対して無関心では無かったが、彼は曖昧にして誤魔化すことでアレルヤの注意を引いていた。
隠そうと思って、語らなかったわけではない。思っていること考えていること、……病のことも、全てアレルヤが繭の中で眠っている時に語っていたのだ。

「全部話してたから。話してた、つもりになってた。
 だから、アレルヤが全部受け入れてくれてるって思い込んでた」
「………………」

アレルヤは返事をしなかった。受け入れるしかなかった。
受け入れる事で、痛みを誤魔化すしかなかった。
ロックオンが誰を好きでも、誰がロックオンを好きでも。
今目の前にいる彼が微笑んでくれるだけで。それだけで許されているように思えていたから。
なのに、何故、今こうして思わせぶりな事を言ってくるのか。

「おいで」

ロックオンはアレルヤの手を引く。
連れて来られた所は、倉庫になっている部屋だったと記憶している。
地図にそう書かれているだけで、ここにはまだアレルヤは訪れた事が無かった。
ロックオンが扉を押すと、明るく綺麗に整頓された部屋が見えた。
倉庫、というには清潔感のある部屋だった。
その部屋の中央に大きな繭が天井から床へとその絹糸を垂らしている。
天窓から陽射しが差し込んでいて、他の部屋に比べ暖かい印象がある。
背の高い箪笥がいくつか置いてあるが、繭はゆったりと育ち、既に羽化したのか大きな穴があいているのが解った。

「これがアレルヤの、繭だよ」

前に見に行こうって言ったよな、とロックオンはアレルヤの背を押す。
ふらりと縺れる足で進み、その繭に触れた。
とうに温かさを失くしていたが、天窓から差し込む穏やかな光と、そばにあるチェストの上に小さな花が活けられている。

「ここで、ぼくが、うまれたの?」
「忙しくて、なかなか連れて来られなかった」

どうしても、俺が連れて来たかったんだ、とロックオンが零した。

「何故?言ってくれれば、一人でも……」
「俺だけの秘密の場所にしたかったんだよ」

少し照れたように、ロックオンは指先で頬を掻く。

「俺の……これから誕まれる、俺だけの灰翅の為に」

ロックオンがアレルヤの繭を見付けた時、部屋は暗く、天窓はすすに汚れ、ほんとうに倉庫と行った様子だった。
誕まれてくる灰翅の為に天窓を磨き、家具の置き場所を変えて、フローリングにブラシをかけて。
揺り籠にうたう子守唄のように、大きく育っていくのを毎日の楽しみのようにしていた。初めて見付けた繭を。

「どんな子だろう。優しい子だといい。素直に育ってくれればいい。そう思って、毎日毎日、いろんな話をしたんだ」

ほんとうは皆に伝えて、誕生までみんなで繭のお世話をする。
しかしロックオンは誰にも語らず、誕生の瞬間まで誰にも話はしなかった。

「俺は、一人っきりで誕まれたんだ。……アレルヤより、もっと子供だった。暗い部屋で埃に塗れて、刻印の痛みの叫び声で、やっと気付いてもらえた。」

誰にも繭を見付けて貰えず、一人で刻印の痛みに耐えた。温かだった筈の羊水に体温を奪われて行く感覚を今でも思い出せる。彼の大切な人は、いなかった。

「……嘘、の話だけど」

切り出されて、アレルヤの肩がびくりと揺れる。過剰なまでに反応してしまった自分をロックオンは見て、ほんの少し微笑んだ。
どういう意味の笑みか、アレルヤは理解が及ばない。

「ごめん。アレルヤを通じて刹那にバレるのが怖かった」
「な……なにを」

恐れていたのに、反射的に尋ねてしまう。一体何が、嘘で、何故、ばれると困るのか。
ロックオンはふぅ、と細い息を吐いて、そして大きく吸い込んだ。

「マリナは。人間なんだ」

驚愕がアレルヤを襲った。


****

工場の灰翅たちが帰省してくる数日前に話は遡る。
フェルトがあまりにもその黄色い実を大事そうに持っているので、アレルヤはあの黄色い実が一体なんなのか、ホームに帰ってからクリスに尋ねた。
冬至祭に贈る実にはそれぞれの色に意味があり、贈る相手に合わせて色を変えるという。赤の実は感謝を、緑の実は祝福を、茶の実は謝罪の意味を持つ。
黄色には一体なんの意味があるのだろう。

「普通は『私がバカでした』っていう……なんていうんだろ?
 謝罪とは違うんだけど。でもこういう渡し方はしないかな。
 『好きです』って意味で渡すのよ」

クリスの言葉に、合点が行った。告白の時に使う、特別な意味を持つ黄色い実。
フェルトが購入したとなれば、渡す相手は容易に想像できた。
子供たちと一緒に冬至祭の飾り付けを行う彼の姿を後ろから眺める少女の横顔をアレルヤは真っ直ぐに見ることが出来ず、居心地の悪さばかり感じてしまっていた。
自然と二人を――否、ロックオンを避けるように行動してしまう。
元々彼から遠ざかる為に始めたアルバイトであったのだが、冬至祭からはそれもめっきり無くなってしまった。
本当はあるにはあるのだが、祭りが始まると教会への礼拝などで忙しくなるとのことで休むように言われた。子供たちを引き連れて、滝の向こうにある教会へと向かう。
今日は一晩この教会で祈りを捧げる、というのは建前でわずかながらのごちそうをみんなで食べて、歌をうたって眠りについた。



夜。聖堂には冷たい空気が満ちている。長椅子でアレルヤは一人、その冷たい空気を吸い込む。
皆が横になる部屋には居られなかった。
寂しさで心が押し潰されそうになるのは、他がたくさんの気持ちで圧迫されているから。
一人が落ち着くと思うようになったのはいつからだっただろうか。

「やあ、アレルヤ」

どこからともなく声が聞こえて、長椅子に横たえていた身体が過剰に跳ねる。
辺りを見回すと、神父が傍らに立っていた。
白い髪の神父は燭台を携えて、以前会った時のようなおどけた様子は無かった。

「神父さま? どうして、こんなところに」
「私が私の棲家にいては駄目かな。君こそこんな時間に、一人っきりでいるんだい?」

視線が合った。いつも斜に構えている印象の神父であったが、この夜ははっきりとその金色の瞳と視線が交わる。──どこか見覚えのある、色だった。

「日中は殆ど見えないんだけど……夜目がきいてね。
 君の瞳の色はようく解るよ」

見透かしたように神父は話す。

「……そういえば、この間初めて会ったときに、名乗らなかったね。私の名は……俺は。ヒクサー。君と同じ灰翅だ」

金色、と思った瞳は燭台の明かりが近寄ると青みが掛かった瞳に色が変貌した。見間違いだったのか、とアレルヤは瞼を擦る。

「灰翅……?」
「ああ。もう随分昔になるが、神職になってね。ロックオンには無理をさせている……マリナにも」
「あ……」

ここが宗教的な組織でない事はアレルヤにも分かっていた。しかしその中で「神父」と分かり易い名称で呼ばれる彼は不思議な存在だった。灰翅連盟の本部との仲介人であることはロックオンより説明を受けていたが、どうにもロックオンもそれ以上の事は知らないようだった。
しかし今灰翅であると聞いて、アレルヤには合点がいく。

「マリナは近くの幼稚園で保母をしていてね。とてもよくできた人だった。当時成人していた灰翅が少ない事を懸念して私が推薦したんだ」

ロックオンからは聞けない話だ。つい食い入るようにアレルヤはその話に耳を傾ける。
神父……ヒクサーもそれを分かって、話を続ける。

「ラッセやリーサを戻しても良かったんだけどね。彼らはどうにもそういう事に向いていないようだったから」

バー・スメラギの女主人の名があがる。

「リヒテンダールはクリスと同期だけど、まだ配達業についてすぐだったから……人間に世話を頼む、という事に大分反対されたよ」
「……人間?」
「ああ。マリナは人間だよ。彼女は罪を持っていない。……俺たちのように」
「罪……」

ヒクサーの言葉にアレルヤは眉を顰めた。
心当たりが無かった訳では無い。自分の病はそれに由来するのだと、本能的にアレルヤは受け取っていた。夢に魘される──ロックオンも、夢に囚われて、そしてそれを絵に向けているようだったから。
しかしヒクサーの表現は。

「ヒクサー」

闇の奥から声がする。背の高い男性のシルエットが見えた。髪の長い……それだけでロックオンではないとアレルヤは察知して、身構えた体から力を抜く。

「ああ、もうこんな時間だ。ここは寒い。さあ、お帰りなさい。きっともう皆眠っているよ」



聖堂まで神父と共に戻り、寝所として宛がわれている大部屋へと戻る。暖炉の火が、まだ燃え盛っていた。フェルトが薪をくべていたのだった。

「アレルヤ、どこにいってたの?」
「どこに……って…………」

すぐに答える余裕は無かった。
フェルトもそれを見越して、追及はしなかった。

「あのね、アレルヤにプレゼントがあるの」

はい、と渡されたのはあの黄色い実だった。
そしてモスグリーンの手袋。フェルトが編んでいたのはよく覚えている。意図が分からず、アレルヤの疑問の声が漏れた。

「えっ……?」
「――手袋を、贈りたいと思ったの」

フェルトが語りだす。視線は既にアレルヤから暖炉に戻っていた。

「どうしてそう思ったのか分からない。だけど、私の夢……みたいに、ロックオンが消えたら、嫌だと思った」

アレルヤはフェルトの夢の由来を思い出す。

「私、多分、巣立つんだと思う。でも、私はまだ""全てよし""って思ってないから」

パチパチと暖炉の中で木くずが撥ねる。オレンジ色の炎に照らされながら、フェルトは微笑んだ。少し恥ずかしそうに、困ったように。
少女の満面の笑みだ。

「アレルヤが来てくれて、私うれしい。ロックオンの色んな表情が見れた。慌てて焦った顔、恥ずかしがってる顔、……ちょっと泣きそうな顔。私、アレルヤの事もだいすき。ホームにいるみんながだいすき。だから、今度こそ……ロックオンの幸せそうな顔を、見たいの」

だから、この黄色い実、アレルヤが使ってね。


*****


驚いたのは、それを嘘として突き通そうとした彼自身にだ。
刹那に伝わるのを恐れたという理由も。

「……多分ソランの方が理解してる。マリナの墓も何度も行ってるし……。
 あんまり、驚かないのな」
「あ、ええ……お墓があるのに少し違和感があったので。あと、神父さまにも教えてもらってて」
「あーヒクサーさん? しまった、釘差しときゃよかったな」

ロックオンは苦虫を噛んだような渋い顔をする。もしかしたら真実は闇の中にされてしまう所では無かったのかとアレルヤは内心でぞっとした。

「人間だから、悲しいんだ。大切な人だったから……悲しいんだ」

慰めるために描いた肖像画であったが、傷付いた刹那にはまだ時期尚早であった。
まだソランの事すら受け入れられていない時期の死だった。

「おれが思うにだけど。ソランを見付けてマリナ、喜んだんだよ」
「喜んだ……?」
「ほら刹那って、あんなんだろ。無口だし、不愛想だし、何を考えてるのかわからん」

まあガキの頃のおれもそうだったんだろうけどさ、とロックオンは自嘲するが、アレルヤには少し想像が付かなかった。

「ソランが刹那の理解者になるって思ったんだろうなあ」
「……ロックオンが、じゃなくて?」

アレルヤが尋ねた後、ロックオンは寂し気に微笑む。

「おれは罪憑きだ」

どういう意味の言葉か、アレルヤには理解しあぐねた。
否、街で何度も話は聞いた。
灰翅は何処から来て、何処へ行くのか誰も知らない。
だけど罪憑きの灰翅だけは、皆が口を揃えて言った。
『壁沿いの暗い森を獣のように徘徊し、気が狂い、そしてやがて死ぬ』
そして自分もそうだと、アレルヤは気付いていた。
≪彼≫は誕まれた時から、病に侵されていた。

アレルヤの手の内にある黄色い果実は、実を結ぶのか。
このまま枯れて種にも生らず、砂に消えてしまうのかもしれない。


2014〜2021

エッ…!?

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