Ailes Grises | ナノ

幕間【あの夏のころ】


たとえば子供の頃に読んだ絵本のように
竜の姫君と騎士や、心を持った人形
魔女の子孫たちが
今はもうぼくの心に残らないように
ただあの頃の君が、たどたどしく微笑んでくれたことしか
もうおぼえていないんだ
それすら
わすれてしまうのだろうか


それは初夏だった。
夏の日差しが、その日は厚い雲に覆われていたのをよく覚えている。
ラジオから流れる歌はホームにあるレコードには無い曲ばかりだった。
さああ、と窓ガラスに水しぶきがぶつかる。
とても寒い日だった。暦の上ではもう夏だというのに、なかなか熱に熟れた風は吹かず、茅がただ冷たい風に揺れるだけの初夏だった。
自分は……彼は、雨漏りを気にしてしまって。
久しく雨など降っていなかった。ましてや丘の上のこのホームでは、風が居住街より酷く感じる。
大雨とまではいかなかったが、びゅうびゅうと風に揺れるこの家は古い。
雨がきつくなってからでは遅い、と季節ものを仕舞っている倉庫部屋などを点検して回ろうとした。
ぎしぎしと音を立てる廊下は、彼以外歩く者の姿は見えない。
小さな子供たちは昼寝の時間であったし、本来なら彼も湯呑みでも片手に本でも読んで休んでいる時間だ。
気後れしながらも、次第に雨足の……というよりは、隙間風が酷くなるのを怪訝に思い思い腰を上げたのがいけなかった。
可哀想なくらい、その部屋は隙間風が吹き込む荒れた部屋だった。
天井すら修繕されていない所があるとは、それなりにここに永く住んでいるものとしても彼もびっくりしたのだ。
誰にも気付かれないまま、天使の和毛は繭へと育っていた。
雨に打たれた繭玉は微かに濡れそぼり、既に大きな影を作っていた。
ああ、大人だ。
直感でそう思った。
子供の姿のまま羽化するのが多いのに、この子は産まれてくる前に、大人になってしまったのだろう。
大人のまま、何かを抱えて産まれてくるのだろう。
一人きりで羽化を、孤独のままに刻印を刻まれた過去を思い出す。
誰にも見付けて貰えなかった。
一人きりで、一人きりのままで、みなの大切な人を、永遠に失わせてしまった。
あの時から、自分の姿は変わっていない。大人になるのをやめてしまったかのように、或いはこれ以上前に進めないような……。
この子の、せめて掛け替えのない大切な人になりたいと、その時初めて思った。彼には無かった存在に。
古い家具が押し込められたその部屋の、天井の穴を閉じる。生まれて来る前に、綺麗にしてあげよう。
何日もかけて埃を掃いて、床を磨いて、いつでも迎え入れてあげられるように。
しかし日が経つにつれ、なかなか生まれて来なかった。
直感的に大人だ、と思ったのはその繭の大きさというのもあったが、基本的に、ここに住まう大人は女性が多い。今は成人が少ない環境であったが、歴代として大人はほぼ女性ばかりといっていい程だった。
彼は彼自身が稀な存在であったことは分かっていたし、その上で勝手な思い込みで、女性だと……あの子などといった言い方などして、先入観で語っていた。
しかし言葉を掛けるのはやめなかった。
揺り籠にうたう子守唄のように、大きく育っていくのを毎日の楽しみのようにしていた。
初めて見付けた繭を。
どんな子だろう。優しい子だといい。素直に育ってくれればいい。そうしたら、きっと自分がいなくなってもここはやっていける。気後れなどせず、後ろ髪を引かれることなく、自らを殺せると当時の彼は思った。


でもその二色の輝きと見詰めあったとき、或いは。病に倒れた虚ろな影をアレルヤに見付けたとき、死ねない、と、漠然と思った。
あんなにも死に焦がれていたというのに、やっと解り合える者が現れたのだと歓喜した。
羊水に濡れる髪を撫でる。
深い深い、深緑の黒髪だった。
柔らかに伸びる髪の隙間から光が射し込む。
本当は気付いていたのかもしれない。
長い髪の間から見える二色の瞳の色に震えた。
すぐにその瞳は髪と同じいろに睫毛に縁取られた瞼で綴じ隠されてしまった。



本当は、どう言えばいいのか、彼は凄く悩んでいた。
いつまでも曖昧なままにしておけるほどアレルヤはロックオンに対して無関心では無かったが、彼は曖昧にして誤魔化すことでアレルヤの注意を引いていた。
しかし隠そうと思って、語らなかったわけではない。
思っていること考えていること、……病のことも、全てアレルヤが繭の中で眠っている時に語っていたのだ。
だからだろうか。アレルヤが繭から生まれ出た時から、もう既に心は開いていた。アレルヤに飛び込んで来て欲しかったというのに、アレルヤも刹那やティエリアと同じ野良猫気質のようで、最初こそ頼られたりひな鳥のように後ろをついて歩いたりされたが精神的に大人としての自覚はあるからなのかすぐにそれは無くなってしまう。
彼は、また拠り所を失ってしまった。
""また""というのはおかしいかもしれない、とロックオンは考える。
自分は最初から誰も当てになどしていなかったし、マリナでさえ自らの病に手を焼いていたから。
この病は、不治だ。
病自体は灰羽に稀にあることで、秘薬が今も受け継がれている。
アレルヤが倒れたあと、どんな病気かと聞かれた。
答えられなかった。
治療方法が無いなんて。この病になったかつての灰羽たちは、やがて痛みや衝動を抑えきれなくなり苦痛に苛まれながら森を彷徨う亡者となったという。
自分が辿り着くのは其処だとおもっていた。
死という概念の無い灰羽たちの、病に侵された後の末路。
アレルヤも同じ病だとわかり、ほっとしたような自分がいた。
心の底から安堵した。
このような苦痛を強いられるのは自分だけではないという安心感。
それに、絶望した。
こんなにも自分が穢れているのだと初めてわかった。

(罪憑きなんてよく言ったもんだな)

灰羽は穢れを嫌う。その穢れを生まれてして持って生まれたのが、彼の病の象徴だ。
病んだ灰羽は巣立ちの日を向かれられずに森で死ぬという。
己の罪は、一体何なのだろうか。
理由も原因も分からぬ罪を償う為に今こうして自分は生きているというのだろうか。

(墜ちるならとことん墜ちてやる)

彼の大切な人は、いなかった。
誰にも繭を見付けて貰えず、一人で刻印の痛みに耐えた。
温かだった筈の羊水に体温を奪われて行く感覚を今でも思い出せる。
辛いだけの日々だった。
心温まる日々がやっと訪れた頃の、マリナの巣立ちだった。刹那との離別だった。
年々薬の量が多くなって行く。
熱と痛みで眠れない夜を何度過ごしただろう。
絵を描くことで忘れられた。


**20140528**


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