05.赤い残像
払われないもやもやした疑念を抱いきながら、二人は庭園へと辿り着いた。

「さあ、着いたよ」

「……すごい」

到着した庭園は、本当に見事なものだった。

様々な花が咲き乱れ、ありとあらゆる果実の木が植えられていた。

その中には当然白薔薇もあるわけで。

(トラウマになりそう)

「……そろそろ降ろしてくれないかしら?」

「えー?」

「いいから降ろして、じっくり庭を見たいの」

伊吹がそう言うと、レボルトは不服そうに伊吹を地面に降ろした。
伊吹は汚れない様にドレスの裾を持ち上げながら、ほっと溜め息を吐いた。

本音を言うと、レボルトから離れられるなら何でも良かった。

だがそれを言うとなにをされるか解らないので、必死に口を噤む。
ゆっくりと伊吹が前に足を進めると、後ろからレボルトが付いてくるのが解った。

しばらく無言だった二人。

(居心地が悪い……)

こんなのはまるで

「まるで付き合い始めの恋人みたいだね」

「ばっ……!」

心を読んだのかと言いたくなるようなナイスタイミングのレボルトの発言に驚く。
赤くなって振り替えれば、ニヤニヤ笑っているレボルトが、伊吹のすぐ後ろに立っていた。
抱き締められそうになるのを、間一髪でよける。
そのまま伊吹は顔を真っ赤にしながら、逃げる様にして庭園の奥に逃げ込んだ。

一人取り残されたレボルトは、穏やかな笑顔で少女の走り去って行く背中を見送った。

「素直じゃないねぇ」

レボルトは、クスリと目を細めてると、ゆっくりと歩みを再開した。

(なんなのよ!そんなに人をからかって楽しいわけ!?)

伊吹は顔を茹で蛸の様にしながら、庭園を走っていた。
頭の中はレボルトへの怒りで一杯だ。
レボルトの事だ。伊吹のことを必ず追いかけてくるはず。

絶対にレボルトに会いたくない伊吹は、庭園の一番奥にある植物で出来た迷路に足を踏み入れた。

(これで暫くは時間が稼げるはず……)

伊吹は迷路の中心に向かって歩みをを進めた。この時、ここはレボルトか管理している庭園ということは伊吹の頭の中からはすっぽり抜けていた。

レボルトは伊吹が迷路の中に入るのを見て、一人ほくそ笑んでいた。

頭の中に迷路の全ルートはインプット済み。
そもそも設計者なので、覚えるまでもなく頭に入っている。

そんな事は知らない伊吹は安心しきって迷路をどんでん奥に進んでいった。
やがて一番奥に着くという時に、伊吹は一つの人影を発見した。
どうやら人影は男の様で、レボルトより少しばかり年齢が上に見えた。

男は、迷路の壁にもたれ掛かって寝ている様だった。
綺麗な赤毛が風にそよそよと揺れている。
その姿ががあまりに絵になっていたから、伊吹は、思わず男に声を掛けてしまった。

「あの……」

「……何だ」

それがパンドラの箱を開けてしまう行為だとは知らずに。

開かれた男の目の色は、血の様な赤い色。
その刹那、記憶の中で、眼前の赤髪の男が伊吹を射殺す様な目で見ていた。

血に濡れた矛先は誰に向けられたものなのか定かではなかったが、確かにその目は狂気を抱えていた。

真っ赤な血の様な目。

ゾワリと伊吹の背筋が震えた。

(逃げないと……!)

逃げなければ殺される。

そう思った時には自然と身体が動いていた。

「おい!待て!」

男の制止する声が聞こえたが、それを振り切って走る。
ギンギンと耳鳴りがやまない。
視界がぐらつく。

伊吹はとにかく走って走って走った。

後ろを振り返ると、赤髪の男が追い掛けて来ていた。

「おい!何故逃げる!?」

「いや!来ないでっ!!」

恐いこわいコワイ恐いコワイ

追いかけている男の目には欠片の悪意も感じられなかったし、武器も持っていなかった。
浮かぶのはただただ困惑の様相だけ。

だが伊吹の本能が叫んでいるのだ。この男は危険だと。

「イヴ……?」

伊吹が逃げた方向の曲がり角から、抜群のタイミングでレボルトが飛び出してきた。
そのままレボルトに助けを求めるように飛び付く。

「……なにかあった?」

明らかに様子が違う伊吹に戸惑いを隠しきれていない伊吹に、レボルトは瞠目しているようだった。

少し背を撫でられていると、震えが収まってきた。

「落ち着いて、大丈夫だから」

「……別に俺はなにもしていないのだがな」

男の登場に、再び伊吹がカタカタと震えだす。
ギュッとレボルトの服を握る力が強くなった。

「その仏頂面のせいじゃないんですか?アダム様」

「今更治せるか」

(アダム……様……?)

ということは、彼がユウが会わせたいと言っていた人物なのだろうか。
メイドは確か、優しく紳士的な人と言っていた気がする。
だが目の前にいる男は、とてもじゃないが優しい人には見えなかった。
そんな伊吹の心情を知らないアダムは、震える伊吹をじっと観察するように眺めた。

(もういやっ……!)

この夢を見てから嫌な事ばかり起こる。
今だって実際は見えていないのだが、頭の中には血の赤がこびりついて取れない。

「イヴ、この人がユウ様が会わせたいと言っていた方なんだけど、大丈夫?」

「……大丈夫……じゃない」

アダムの側にいると、伊吹は壮絶な吐き気に襲われた。

更に血の幻覚まで見える。
伊吹の心は今すぐにでもアダムの側を離れたい気持ちでいっぱいだった。

「アダム様、彼女かなり気が動転している様なので、部屋で休ませてきてもよろしいですか?」

見るに見かねたレボルトが、伊吹に助け船を出した。

「早く行け」

無表情で頷いたアダム。
その表情が伊吹の恐怖心を更に煽った。

(もう……疲れた)

レボルトは倒れそうになる伊吹を抱えた。
そのまま城に向かって歩いて行く。

伊吹は目を開けていることすら億劫に感じゆっくりと目蓋を閉じていった。
不思議とレボルトなら、今は身を委ねてもいいと思った。

出合いがしらに無理矢理ファーストキスを奪った様な最低の男なのに、この人は危害を加えては来ないと認識していた。

(今だって……心配してくれているじゃない)

レボルトが良い人か。
そう言われれば間違いなくノーと答える。
それでも、今は
大丈夫だと思えた。

徐々に身体の力が抜けていく。

最後に伊吹が見たのは心配そうに自分の名を呼ぶレボルトの顔だった。

*  *  *

「やあ、アダム。イヴに嫌われちゃったみたいだね。可哀想に」

声を聞きアダムが頭上を見上げると、迷路の塀の上にユウが腰かけていた。
にこりと笑い、頬杖をつくユウからは、欠片の同情も感じられなかった。
むしろ楽しんでいそうなその顔に、アダムは吐き気を覚えた。

ギロリとユウを睨み付け威嚇する。

「何しに来た……」

「うーわ怖い怖い。……そんなんだから嫌われちゃうんじゃないの?君」

「……いいから質問に答えろ」

「はいはい。……今回は、ただからかいにきただけだ。本当にそれだけだよ?」

ユウはよっと言いながら塀を飛び降りアダムの目の前に着地した。

「初めは僕が君達を引き合わせる予定だったのに……手間が省けて良かったよ」

「余計な世話だ」

アダムはユウを威嚇するようにあしらうと、ユウの横を通り過ぎて庭の迷路から出て行った。

「詰まんないの」

ユウは徐に近くにあった白い薔薇を手折り、手の中で握りつぶした。

もっと派手に!豪華に!色鮮やかに!

ユウはにぃっと悪魔のような笑みを浮かべると、現れた時と同じく一瞬でその場から姿を消した。

その場には、ただぐしゃくしゃになった薔薇の花弁だけが残されていた。

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