04.垣間見たもの
「エフィアさんっ!?ちょっ!?……やめてくださいっ!」

エフィアに隣の部屋に連行された伊吹は、彼女の手によって無理矢理服を脱がされようとしていた。

エフィアの手には、どう見ても高そうな、水色のパーティードレスが握られていた。

しかもシルクの。

「いいえ!やめません!イヴ様は私達の手で着替えさせると決めていたんですから!」

「だから大人しく脱がされてください!」

伊吹を拘束していたメイドもエフィアに賛同する。

(そうは言っても)

伊吹は一般庶民だ。こんな貴族の様な真似は恥ずかし過ぎる。

しかし、伊吹よりエフィア達メイドの意志の方が強かった。

(結局……断れなかった……)

あの後数分間必死に反抗した伊吹だったが、抵抗も虚しく結局着替えさせられてしまった。

「よくお似合いですよ。イヴ様」

項垂れる伊吹とは対象的に、エフィアはかつてない程嬉しそうだった。
耳を澄ませば、「うっとり」という効果音が聞こえて来そうな程に。

「これならアダム様もお喜びになりますね。」

「……アダム様?」

イヴはエフィアの横に控えていたメイドの一人の発したアダム様というワードに、疑問を覚えた。

(アダム……?誰?……まさかまた変な人じゃないでしょうね……)

想像して自分でも空笑いしてしまう。
恐らく今までのパターンからして、この予想は当たるだろう。

(エフィアさんも……なんだか危ないし……)

いい人だと思う。だが伊吹を見る目が危ないのだ。

「そういえば、アダム様についてまだ説明していませんでしたか?」

エフィアの言葉に、伊吹は素直に頷いた。

「ええ……誰なの?」

「アダム様はこの楽園の実質上の統率者です。ユウ様はこう言っては悪いですが……サボり魔といいますか……」

「ああ、なんとなく納得」

確かに、ユウがこの場所を統治しているとは思えなかった。
統治者とは、そう簡単にうろうろとほっつき歩いていいものではない。

「アダム様はとってもお優しい方なんですよ!」

そう言って、メイドの一人はうっとりした様子でぽんと手を叩いた。

「そうなんですよ!素っ気なさそうに見えて紳士的な方なんですから!!」

もう一人のメイドも、きゃーと甲高い声を上げながら頬をおさえだした。

二人の様子には微塵の嘘も感じなかった。

どうやら本当に人望熱く、紳士的な人らしい。

伊吹はようやくまともな人に会えると、ホッとため息をついた。

「一時間後、呼びに来ますので、それまで城内を好きに散策なさってくださいね。」

そう言うと、エフィアとメイド達は部屋を出ていった。

(好きにしていいって言っても、どうすればいいの?)

なにをしていいか解らない伊吹は、徐に部屋の窓を開けた。
眼下には、美しい庭園が見える。

(暇だし……下の庭でも見てこようかな……)

なにもしないで待っているのは、伊吹の性にあっていなかった。

伊吹は決意を固めるとゆっくりと部屋のドアを開けた。

(唯一心配なのは……部屋に戻って来られないかもしれないってことなのよね……)

やっぱりやめて置いた方が自分の身の為かもしれない。

どうせ夢なのだから、好きに行動すればいいのかもしれないが、ネガティブな伊吹には、そんな大胆な行動は出来なかった。

(別にそこまでして庭が見たい訳じゃないし)

その内エフィアさんにでも案内してもらえばいい。
伊吹がそう思った時だった。

「あれ、イヴ?」

(一番会いたくない人に会ってしまった)

廊下の奥から歩いてきたのは、伊吹に最低のファーストキスを味あわせた男だった。
思わず眉間に皺のよる伊吹。
だが、レボルトはニコニコと笑って伊吹に近付いて来た。

「なにか用でもあるの?」

「いや?特にはないけど……似合ってるね、そのドレス」

レボルトに褒められた所で全く嬉しくなかった。
むしろ嫌味に聞こえる。

伊吹が適当に軽くあしらうと、「酷いなぁ」とわざとらしい嘆きの声が聞こえて来た。

「俺は本心で言ってるんだけど」

「信憑性に欠けるわね」

おどけたように肩を竦める男からは、微塵の誠意も感じられない。

「前から思ってたんだけど、君、俺に冷たいんじゃない?」

「どの口が言うのかしら?」

自分のファーストキスを最悪な状況で奪ったこの男が、伊吹は憎くて憎くて堪らなかった。
唇を噛んでやったのに、それでも伊吹に近づいてくるなどよっぽどの馬鹿なのだろうか。
それとも、そんな暴挙をされてもまだ伊吹に近付きたい理由でもあるのだろうか。

(どのみち、こいつが厚顔ってことに変わりはないわ)

伊吹はレボルトの右頬に思いっきりビンタをしようと右手を振り上げた。

しかし、以外にも俊敏なレボルトの動きにより、伊吹の細やかな反撃は見事に防御された。

そのまま手首を捕まれ、たった今開けようとしていたドアに強く押し付けられる。

必然的にレボルトと向き合う事になった伊吹は、最後の抵抗とばかりにレボルトを睨み付けた。

「暴力は駄目だと思うよ?」

心底楽しそうに笑っているレボルト、だが目はまったく笑っていなかった。

「貴方が今私にしていることは、暴力じゃないの?」

力で捩じ伏せようとしてるじゃない。

伊吹は正当な事を言ったと思っている。
だが、レボルトの纏う空気が明らかに変わった。

「力で捩じ伏せられるものなら、とっくにしているよ。でも、出来ないから困っている」

「ちょっ……待っ!!」

ゆっくりと近付いてくる唇を、伊吹は拒む事が出来なかった。
理性はレボルトを拒めと言っているのに、心のどこかでは彼を受け入れてしまっている。

『愛していますよ、イヴ様。俺だけのお姫様』

頭の中で誰かの声が聞こえた気がした。

『貴女には、長い髪がよく似合う。勿体ないので切らないでくださいね』

笑いながらそう言ってくれた人は誰だったのか、伊吹には解らなかった。
解っているのは、今自分の頭の中を占めるのは、目の前にいる最低な男だということだけ。

「ファーストキスの事、そんなに気にしてるの?」

キスの合間にレボルトが、口を開いた。

「あ……当たり前でしょ!」

(むしろ気にしない人の方が少ないんじゃないかしら)

大抵の女性にとって、なにかの初めてというのは、大切だと思う。
それがファーストキスなどの恋愛沙汰なら尚更。

「初めてが問題あるなら、何度でもすればいいだけの話だ。君に俺の香りが染み込むまで何度でも」

「っ……!!なんでそういう話にっ!!」

いい加減にしろ

そう言おうとした口はレボルトのものにより再び塞がれてしまった。

深く貪る様な口付け。

クラクラと目眩がする。

酸欠で苦しくなってきた。

これは流石に

「……っ……しつこいのよ!!」

そう叫んで、伊吹は思いっきり、なんの躊躇いもなくレボルトの足を踏みつけた。

あまりの痛みにレボルトは悶絶しているようだった。

(ざまあみろ)

「ほんと君は……遠慮ないね……」

口元にうっすらと笑みを浮かべながら、レボルトはそう言葉を零した。
こんな事をされて笑っていられるその神経を疑う。
お前はドMか。

「嫌がる女の子に無理強いしてくるあんたのほうが悪い」

「ははは、嫌がる君を無理矢理っていうのもなかなか燃えると思わない?」

前言撤回。
こいつはドMなんかじゃない。
間違いなくサディストだ。
しかも陰湿ときている。

「燃えるか」

面倒くさい奴にあたってしまった。
伊吹は呆れがちに静かに溜息を吐いた。

そんな伊吹を見て、レボルトは愉快そうに笑っていた。
それが尚伊吹を苛立たせた。

「……で、なんでさっきから、ドアの前でうろちょろしてたの?」

「は……?」

唐突な話題の転換に驚く。

あんたの中で私はその程度の存在なのね。

無性にそう罵ってやりたい気分になった。

いくら夢だとしても、あまり良く知らない好きでもない男に、ファーストキスまででなくセカンドまで奪われたのだ。

正直泣きたい気分だったが、レボルトに泣き顔を見られるのは癪に障るので、歯をくいしばって我慢する。

「貴方なんて嫌いよ」

「嫌いで結構、ジワジワと落としてあげるから。……で?質問の答えは?」

(誰が好きになるか。死ね)

そう思いながらも、律儀にレボルトの質問に答える。

「暇だから下の庭園を見ようと思ってたの。でもやめておくわ」

「どうして?」

「城内で迷いそうだからよ。部屋でじっとしてるわ」

とっとと帰れという思いを込めて、伊吹にとっての絶対零度の顔でレボルトを睨み付けるも、あまり効果はなかった。

「ふーん、じゃあ俺が案内してあげるよ」

「はっ!?冗談じゃなっ――!?」

何故悩みの元凶と一緒に散歩しなければならないのか。
気分転換どころか余計に気分が悪化しそうだ。

だが時既に遅し。

伊吹はレボルトに強制連行されていた。

それもお姫様抱っこという最悪の体制で。

そのままスタスタと歩みを始めるレボルトの腕の中で、伊吹は最後の抵抗とばかりにレボルトの胸を叩きまくった。

「降ろしなさいよっ!?このセクハラ男!!」

「セクハラはひどいんじゃない?」

「うるさい!とにかく降ろして!」

「丁重にお断りさせてもらうよ。それに、地面を歩いたらドレスが汚れるんじゃない?
そういえばこのドレス、オーダーメイドだし結構値段張るんだよね」

そう言われてしまうと、地面を歩けなくなる。

あくまでこのドレスは借り物。汚す訳にはいかない。
仕方なく大人しくレボルトの胸の中で縮こまることにひた。

「あれ、急に大人しくなったね」

「仕方なく、よ」

(汚したらエフィアさんに悪いじゃない)

「なんだな面白くないなー。君が大人しくしててくれるのが、たかがそんなドレスの為だなんて」

レボルトのはどうも不服そうだった。
だがそんなこと知ったことではない。

伊吹は無視を決め込むと、ふいとそっぽを向いた。

廊下を歩いている途中、何人かの使用人達とすれ違った。

その度に『あのお二人、お似合いじゃありませんか?』
という言葉が聞こえた気がしたが、気のせいだと信じたい。

(気のせい……よね?)

だが頭上を見上げれば、先程とは違い明らかに機嫌の良さそうな笑顔があった。

「なに?」

「なんでもない」

伊吹はハァと小さく溜め息を吐いた。

「心配しなくても、庭園の事は俺が一番詳しいよ?庭の植物の管理は全て俺がやっているから」

溜め息の理由を勘違いしたのか、検討違いの発言をするレボルト。

(そうじゃないんだけど)

ここの人達は人の話を聞かない人が多い。
突っ込んでも無駄な気がするので、伊吹はレボルトの話に乗った。

「ガーデニングが好きなの?」

上空から見ただけだが城の庭園といい、初めてレボルトと出会ったあの薔薇園といい、素晴らしい出来だ。

ガーデニングとは案外精神力と体力がいるものだ。

好きでなければ仕事にならないだろう。

「好きというか、俺の大切な人は花が好きだったんだよ」

好きだった。
過去形だ。

「今は……嫌いなの?」

あまり踏み込んではいけないのかもしれない、だが気になった。

「……なんで、君がそれを聞くのかな」

先ほどまでどこか空虚さを抱いていたレボルトの眼差しが一気に変わった。
泣きそうな、愛しいものをみるようなそんな複雑な目で見られて、伊吹は息を呑んだ。

「……ご……ごめんなさい!……変なことを聞いて」

「……気にしなくていいよ。もう、昔の話だから」

そう言うレボルトは、仮面を張り付けた様な笑顔だった。

「過去は悔やんでも変わりはしない」

今更悔やむなんて愚かな事だと、そう言いながら、レボルトは伊吹の髪を軽く撫でた。

胸が、苦しかった。

どうして、どうして、この人は、私をそんな目で見るのか。

(悔やむって……)

貴方は何を後悔しているの。

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