02.白薔薇の庭
青い空、白い雲、咲き乱れる花に緑溢れる大地。
次に目を開いた時、全てが美しい世界の中に伊吹は立っていた。

(どこ……ここ……?)

困惑し飛びそうになる意識をなんとか稼働させて、回りを見渡してみる。

どこを見てもあるのは雄大な大自然だけ。
強いて特徴を挙げろと言うなら、遠くに白亜の城が見える事ぐらいだろうか。

草を踏みしめる感触は確かなもの。

違和感を感じるのは伊吹の服装だけだった。

水色のエプロンドレスに白い靴という、いわゆるお嬢様の様な格好。
極めつけは伊吹の緩いウェーブをえがく長い髪に、服とお揃いのリボンがついていることだった。

自分の格好に流石に卒倒しそうになった。

(ないないない、この格好はない)

絶対に似合わない。そもそもそういう中身じゃない。
こういうのは深層の令嬢が着るから似合うのであって、伊吹が着たとしとても所詮馬子にも衣装に過ぎない。

(まあ、いくら感触がリアルでも、きっとこれは夢なんだろうけど)

先程まで伊吹が自室に居たのは確かだ。
なら、これは夢だ。
そうでなければ、こんな悪趣味な服を着ているわけがない。

もしもこれが仮に現実だとすれば、軽く死ねる。
恥ずかし過ぎて崖から飛び降りたい。
そんな気分になるだろう。

でもこれは夢だ。
それなら楽しめないことも――

「……ないわ」

そこまで考えて、伊吹は自嘲気味な表情でぼそりと吐き捨てるように呟いた。

いくら夢でも楽しめない。

そんな性分じゃなかった。

根暗で捻くれてる毒舌な女。
それが清水伊吹という人間だ。

楽しめなんかしない。
一刻も早く夢から覚めてしまいたかった。

「なにが?」

「うわぁっ……!?」

そんな時だった。
伊吹の内心を見通したような絶妙なタイミングで、背後からひょっこりと一人の青年が顔を覗かせた。

突然の声に驚いて、反射的に振り返った。

そこにいたのは、陶器のように白い肌をした、作り物と間違えそうになる程美しい、むしろ整い過ぎて気持ち悪いぐらいの美青年だった。

誰もが見惚れるような美貌を持つ彼は、伊吹の睨みつけるような表情を、天使のような笑顔で見つめ返すと、伊吹に向かってふいに手を伸ばした。

その様が伊吹の瞳には何故か、懐かしい様相に写った。


「あれ、君もしかして……イヴ?」

頬を静かに撫でられながら、作り物の笑顔でそう告げられた。
その時に芽生えたのは、恥じらいなどではなく、奇妙な違和感だった。

その感情を振り払うように彼の腕を叩くと、伊吹に出来る最大の絶対零度の眼差しを作りだした。

「……私は、イヴじゃない」

夢の中の住人が名前を知っていることに関してはなにもつっこまない。
自分の夢なのだから、納得もいかないではない。

だが、いぶと呼称されることに関しては納得いかない。

両親からは愛称でそう呼ばれる事は多々あるが、正直いぶという呼び方は馬鹿にされているようで好きではない。

だが、男はイヴの静かな怒りなど気にする様など気にもとめず、嬉々として彼女を観察していた。

それどころか、そうだ、イヴに決まっているなどと、呟き出す始末だ。

「私は、伊吹。興奮してるところ悪いけど、私はイヴなんて名前じゃないから」

確かに名前は似ているが、違う。
この人はなんの勘違いをしているのか。

伊吹はそう決め込むことにした。

一方の青年は「そうだ、そうに決まってる」と、未だはしゃぎ続けている。

伊吹の否定は完全に無視したようだ。

「そうと決まれば」

そう言うと突然青年は伊吹を自分の肩に担ぎ上げ、スタスタと歩き出した。
米俵のような扱いに、伊吹は思わず声を上げ、不安定な足を必死に動かして、彼の背中に膝で蹴りを入れた。

「ちょっと!!おろしないさいよ!」

ドスドスと鈍い音が響くが、青年は全く応えた様子を見せない。
彼からしてみれば、小娘の抵抗など痛くも痒くもないといった感じだろうか。

なんの因果でこんな目に合わなければいけないのか。

「ハハハ、まあまあ。黙って運ばれといてよ」

「黙っていられるわけないでしょう!?」

いくら夢でもこれは恥ずかしすぎる。

バンバンと力の限り青年の肩を叩くも、彼に堪えた様子は全くない。

(夢よ夢。これは夢……っ!)

伊吹は心の中でずっとそう自分に言い聞かせ続けた。

(現実でもこんな事されたことないのに勘弁してよ……!)

質の悪い事に、この男は内面はともかく、外見はいい。
伊吹も一応は年頃の娘。
流石に顔が赤くなってしまうのは隠せない。

そうこうしている内に、目的地に着いたのか青年は足を止めると、ゆっくりと伊吹を地面に降ろした。

伊吹が辺りを見渡すと、其所は一面が白い薔薇で埋まった薔薇園だった。
中心にはテラスの様な空間があり、パーティーなどが出来るようになっていた。
既にティーセットが用意され、直ぐにお茶会が開けるようになっている状態だ。

まるで最初から伊吹が来るのが解っていたかのような光景に、すこしだけ鳥肌が立った。

だが、『これは夢』という大義名分が伊吹を納得させた。

「さあ、どうぞ」

青年は伊吹に椅子を薦めると、自分も彼女の横に腰掛けた。

「まずは紅茶でも飲んだら?」

「は……はぁ」

青年の有無を言わさぬ威圧感に、仕方なく紅茶を飲む。
青年は、伊吹が紅茶を飲んでいる間に自分の事を説明した。
名前はレボルト、年は27。
この辺り一帯の植物を管理しているらしい。

(たぶん外国の設定の夢なのね……)

なら、どうして言葉が通じるのか。
その辺は突っ込むだけ無駄なのだろう。

伊吹は遠い目をしながらグビッと紅茶を、喉の奥に流し込んだ。

それにしても、青年もといレボルトは、先程から伊吹の事をずっとニヤニヤしながら見詰めている。
それはもう穴が開きそうな程に。

正直気持ち悪い、というか怖い。

「あの……なんでそんなにガン見なの?」

「さあ?なんでだろうね?」

(駄目だ、話にならない)

こんな所で変な男とお茶を飲んでいるよりは、そこら辺で昼寝をしていた方がましなのでらないか。

夢の中で眠るなど変な話だが、その方がいいと判断したのだ。
時が経てば自然と夢は覚める。
伊吹は飲み終わって空のティーカップを、ガタンと音を立ててテーブル置いた。
そのままバッと勢い良く椅子から立ち上がる。

「お茶、ありがとうございました。私は帰ります。それじゃあさよなら」

「待って」

スタスタと歩き出そうとした所、グッとレボルトに腕を捕まれ引き留められる。
ニコニコと笑うレボルトが恐ろしい。

「なによ!?まだなにかっ――」

苛々しながらも振り替える。

振り向きざまに見えた太陽が眩しかったせいだろうか。伊吹の目が眩んだ。

だから、次のレボルトの行動が回避出来なかった。

強引なキスだった。

唇をこじ開けるようにして、謎の固形物を飲まされそうになる。
謎の物体など飲みたくない伊吹は全力で抵抗した。
バンバンとレボルトの胸を叩くも大の男の力に敵うわけもなく、だんだんと息が苦しくなってくる。

(でも飲んだらまずい気がっ!!)

もう仕方がない、恨むなら無理にキスしてきた自分を恨め。
伊吹はそう覚悟を決めると、思いっきりレボルトの唇を噛んでやった。

「……い……っ!?」

流石にそこまで全力で抵抗されるとは思っていなかったのか、唇から垂れた血を服の袖で拭いながら、レボルトは呆気にとられた様子でイヴを無言で見ていた。

だが、しばらくすると、彼は実に愉快だと言った様子で声を出して笑い出した。

「なにがおかしいの」

伊吹にとって、さっきのキスは夢とはいえファーストキスということになる。
誠に不服だ。
ここに刃物があったら刺したいぐらいには怒っている。

それなのに、この男はなんなのか。

「いや、別に?ただ……なかなかやってくれるじゃないかと思って」

彼は確かに笑っていた。
だが、目が笑っていなかった

「……どうだった?ファーストキスの感想は」

この男、確信犯らしい。

いくら顔が良かろうが、最悪なものは最悪。
更に怪しい物体を飲ませようとしてくるなど、危なすぎる。

伊吹も一応女の子。

ファーストキスに対する夢も人並みにあったのに、この男はその夢を粉々に粉砕してくれたのだ。

誰が怒らずにいられるだろうか。

「最高に不愉快よ。最低最悪。この不審者。ロリコン。死ね」

「褒め言葉をどうも。ま、どう足掻こうとも、君は俺からは逃げられないから別に構わないよ」

「逃げられないってどういう意味よ」

「そのままの意味だよ」

いつのまにか、離れたはずの距離がまた詰まっていた。
蛇のような不気味な目で睨みつけられ、イヴは思わず歯を食いしばった。

レボルトはおもむろに右手をイヴの胸、丁度心臓の上あたりに重ねてみせた。
そこに厭らしいものは一切なく、ただ心音を確かめているだけのようだった。

「……一つだけ言っておくとね、これは夢なんかじゃないよ」

その言葉にどきりとした。

(でもこれは私の夢であって……)

そう、自分はここに来る前確かに自分の部屋にいた。
眠った記憶もある。

この世界が現実なわけがない。

これは夢。
清水伊吹の作りだした妄想の世界だ。

(この世界が夢なら……)

起きればいいだけの話だ。
必死に目を瞑って起きようとする。

だが、全く夢が覚める気配はない。

いつのまにか、レボルトに抱きしめられていた。
罵詈雑言を投げかけてやろうとしたが、何故か何も言う気が起きなかった。

そのまま、もう一度口付けられそうになる。
その時だった。

どこからか声が聞こえた。

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