伊吹は、妙に寝心地の悪さを感じて、うっすらと目を開けた。
静寂の中に、カチコチという時計の音だけがひっそりと響いている。
しばらく、ぼーっと天井を眺めていたが、ふと、伊吹は先程まで見ていた夢を思い出そうとした。
変な男に、無理するなだとか変な事を言われた。
(余計なお世話よ)
しかし、枕が湿っている所を見ると、自分はどうやら泣いていたらしかった。
(夢で泣くなんて、まだまだ子供ってことね)
自虐的な笑顔を浮かべて、彼女はのそりと起き上がって時計を見た。
伊吹は、明日で16歳になる。自分はもう子供ではなく立派な大人だ。
伊吹はハァと深く溜め息をついた。
時刻は夜中の二時。
明日も学校はあるのだし、早く寝なければ。
そのまま布団を深く被って眠りにつこうとしたその時、携帯電話のバイブ音が夜の静寂を切り裂いた。
こんな深夜に誰だと苛々しながらも、布団から這い出て、携帯電話を開く。
(やっぱり……)
着信は、母からだった。
三ヶ月ほど海外におり、そして帰ってきたはいいものの、一週間も経たずに海外に戻ってしまった両親二人は、向こうでの生活が長いので、時差が解らなくなっているらしく、かなりの確率で深夜に電話やメールをしてくる。
まあ、注意をしているのに毎回深夜に送ってくるのは、両親が天然というのもあるのだが。
苛々しながら、伊吹は通話ボタンを押した。
「ハロー!伊吹。元気してるー?」
「お母さん。今、夜中の二時なんだけど」
開口一番、文句を言う娘等可愛くないと自分では思う。
だが、母はそれには慣れっこなので、気にする様子もなくアハハと声を上げて笑っていた。
「あら!……ごめんなさいね。こっちが長いとつい時差を忘れちゃって……」
「……しっかりしてよね」
「もー、いぶちゃんったらそんなとこも可愛いんだから」
「いぶって呼ぶのやめて」
「いいじゃない。いぶちゃんはいぶちゃんよ。可愛い可愛い、私の娘」
母は、いつも伊吹を子供扱いする。
母の中で伊吹はずっと、小さないぶちゃんだ。
「あ、それでね?電話の要件なんだけど、いぶちゃん明日お誕生日よね?……お誕生日おめでとう!いぶちゃん!」
「もう今日よ、お母さん」
「あ、そうだったわね!……とにかく!おめでとう!お父さんもそう言ってたわよ」
「うん」
父は寡黙な人だ。
だが、同時に優しい人でもある。
伊吹の誕生日のこともちゃんと覚えていたらしい。
「ありがとう。……お父さんにもそう言っておいて」
「うん、分かったわ」
「今年は帰れなかったけど、来年はちゃんと祝ってあげるからね!」
「いいわよ、無理して帰って来なくても」
「いやよ!私が帰りたいの。……いえ、私達かしら?」
「……分かった。とりあえず、明日学校だし切るね」
「ええ、おやすみなさい」
「おやすみ、お母さん」
切れた携帯を閉じて、枕元に無造作に投げた。
そして、不貞腐れながら枕に顔を埋めた。
両親に大切にされている自覚はある。
だが、少し過保護すぎるというかなんというか。
(早く寝よう……)
考えることを放棄して、ガサゴソと布団の中に潜りこんで目を瞑る。
明日は英語の小テストをやるだとか言っていた気がする。
『迎えに行きます』
(なに……今の……)
突然、頭の中に響いた声に心臓が跳ねる。
『もうすぐ、貴女に会える』
恐い。脳裏に響いた愉悦に満ちた声に、肩がビクリと震えた。
心臓がバクバクとうるさかった。
(意味がわからない)
どうして、迎えに行くなどと言うのだろうか。
恐ろしい。怖い。気持ち悪い。
それから、声は聞こえなかったが伊吹はその夜中々眠ることが出来なかった。
翌日、学校に着き自分の席に座ると、突如背後から肩を叩かれた。
「いぶきっ!」
「わぁ!?」
びっくりして振り返ると、目を丸くした親友の千里が立っていた。
彼女としても、ここまで驚かれる事は想定外だったのか、かなり動揺しているように見えた。
「ど……どうしたの?伊吹。……そんな鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔して」
「いや、ちょっと……変な夢見て……。それのせいだから、気にしないで」
「気になるわよ!……普段は何事にも動じない、しょうもない事は鼻で笑う、鋼鉄のハートを持つ貴女がそんなに驚くなんて貴重よ!?……あ!まさか男!?……あなた、私というものがいながら酷いじゃない!……泣くわよ、泣いちゃうよ!千里ちゃん悲しいわ!私は彼氏なんて許さないわよ、神様が許しても私が許しません!!」
「おちつけ」
千里の頭に軽くチョップを食らわせて、なんとか彼女を落ち着かせる。
千里を軽く流して、机に突っ伏す。
しつこく追求してくる千里に、なんでもないと軽く流すと、伊吹のばかー!と不服そうな千里の声が聞こえた。
結局、あの後伊吹は一睡も出来なかった。
声は、あの後まったく聞こえなかったのだが、恐ろしくて眠ることなど出来なかった。
お陰様で寝不足。
気分は最悪、体調も最悪だ。
「最悪の誕生日ね」
千里が苦笑いで伊吹の頭を、わしゃわしゃとかき撫でる。
一瞬夢の内容を読まれたのかと焦ったが、落ち着いて考えてみれば、寝不足の件だと分かった。
「……千里」
不機嫌に顔を上げ、千里を睨み上げる。伊吹はこういうことは、苦手なのだ。
基本的に子供扱いは好きじゃない。
「もー、かわいいなぁ伊吹はっ!」
そう言って、背後から覆いかぶさるようにして抱きつかれた。
「……物好きよね、ほんと」
「そう?」
こんな性格の悪い女のどこがいいのか。
伊吹は、自分が他の人間に好かれる様な性格ではないことは、解っていたし、実際小さい頃から好かれてはいなかった。
いつまで経っても異端な自分。そんな自分が嫌だった。
高校に入っても回りの人間は近寄ってこなかった。だが千里だけは違った。
彼女はこんな自分を見て、かわいいという。
好意を持ってくれている。
「悪趣味」
嫌みをこめて、千里を見る。
だが千里はあっけらかんとしていた。ニコニコと笑っている。
「なにを言ってるの?伊吹はかわいい!それが解らない他の女子が悪趣味なの!」
だから笑って欲しいと千里は言った。
「そうだ!学校終わったらカラオケ行こう!あ、……お母さん達、今日はいないんだよね?」
「……ええ」
「よし!じゃあ決まりね!……久しぶりの伊吹の歌かー。楽しみだわ!」
にっこりと向日葵の様な笑顔で微笑む千里。
「そんないいもんじゃないわよ」
「私にとってはエンジェルボイスだからいいの!」
「はいはいはい、チャイム鳴るから席に戻りましょうねー」
「ぶー……」
それから、何事もなく一日は終わり、夜となった。
平凡な一日だ。
なんの変哲もない、普通な日。
少し変わったことといえば、友だちと楽しく誕生日を過ごしたぐらいだろう。
何も変わらなかった。
心の中の空洞も、未だ埋まることはない。
(なんなのかしら、ほんとに)
ベッドに突っ伏しながら、そんな事を考えた。
子供の頃から感じるとてつもない喪失感。
何かが足りないと訴えるそれは、いまでも伊吹の中に居座り続けていた。
うとうとと、意識が薄らいでいく。
そのまま、伊吹は気を失うようにして眠りについた。
静寂の中に、カチコチという時計の音だけがひっそりと響いている。
しばらく、ぼーっと天井を眺めていたが、ふと、伊吹は先程まで見ていた夢を思い出そうとした。
変な男に、無理するなだとか変な事を言われた。
(余計なお世話よ)
しかし、枕が湿っている所を見ると、自分はどうやら泣いていたらしかった。
(夢で泣くなんて、まだまだ子供ってことね)
自虐的な笑顔を浮かべて、彼女はのそりと起き上がって時計を見た。
伊吹は、明日で16歳になる。自分はもう子供ではなく立派な大人だ。
伊吹はハァと深く溜め息をついた。
時刻は夜中の二時。
明日も学校はあるのだし、早く寝なければ。
そのまま布団を深く被って眠りにつこうとしたその時、携帯電話のバイブ音が夜の静寂を切り裂いた。
こんな深夜に誰だと苛々しながらも、布団から這い出て、携帯電話を開く。
(やっぱり……)
着信は、母からだった。
三ヶ月ほど海外におり、そして帰ってきたはいいものの、一週間も経たずに海外に戻ってしまった両親二人は、向こうでの生活が長いので、時差が解らなくなっているらしく、かなりの確率で深夜に電話やメールをしてくる。
まあ、注意をしているのに毎回深夜に送ってくるのは、両親が天然というのもあるのだが。
苛々しながら、伊吹は通話ボタンを押した。
「ハロー!伊吹。元気してるー?」
「お母さん。今、夜中の二時なんだけど」
開口一番、文句を言う娘等可愛くないと自分では思う。
だが、母はそれには慣れっこなので、気にする様子もなくアハハと声を上げて笑っていた。
「あら!……ごめんなさいね。こっちが長いとつい時差を忘れちゃって……」
「……しっかりしてよね」
「もー、いぶちゃんったらそんなとこも可愛いんだから」
「いぶって呼ぶのやめて」
「いいじゃない。いぶちゃんはいぶちゃんよ。可愛い可愛い、私の娘」
母は、いつも伊吹を子供扱いする。
母の中で伊吹はずっと、小さないぶちゃんだ。
「あ、それでね?電話の要件なんだけど、いぶちゃん明日お誕生日よね?……お誕生日おめでとう!いぶちゃん!」
「もう今日よ、お母さん」
「あ、そうだったわね!……とにかく!おめでとう!お父さんもそう言ってたわよ」
「うん」
父は寡黙な人だ。
だが、同時に優しい人でもある。
伊吹の誕生日のこともちゃんと覚えていたらしい。
「ありがとう。……お父さんにもそう言っておいて」
「うん、分かったわ」
「今年は帰れなかったけど、来年はちゃんと祝ってあげるからね!」
「いいわよ、無理して帰って来なくても」
「いやよ!私が帰りたいの。……いえ、私達かしら?」
「……分かった。とりあえず、明日学校だし切るね」
「ええ、おやすみなさい」
「おやすみ、お母さん」
切れた携帯を閉じて、枕元に無造作に投げた。
そして、不貞腐れながら枕に顔を埋めた。
両親に大切にされている自覚はある。
だが、少し過保護すぎるというかなんというか。
(早く寝よう……)
考えることを放棄して、ガサゴソと布団の中に潜りこんで目を瞑る。
明日は英語の小テストをやるだとか言っていた気がする。
『迎えに行きます』
(なに……今の……)
突然、頭の中に響いた声に心臓が跳ねる。
『もうすぐ、貴女に会える』
恐い。脳裏に響いた愉悦に満ちた声に、肩がビクリと震えた。
心臓がバクバクとうるさかった。
(意味がわからない)
どうして、迎えに行くなどと言うのだろうか。
恐ろしい。怖い。気持ち悪い。
それから、声は聞こえなかったが伊吹はその夜中々眠ることが出来なかった。
翌日、学校に着き自分の席に座ると、突如背後から肩を叩かれた。
「いぶきっ!」
「わぁ!?」
びっくりして振り返ると、目を丸くした親友の千里が立っていた。
彼女としても、ここまで驚かれる事は想定外だったのか、かなり動揺しているように見えた。
「ど……どうしたの?伊吹。……そんな鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔して」
「いや、ちょっと……変な夢見て……。それのせいだから、気にしないで」
「気になるわよ!……普段は何事にも動じない、しょうもない事は鼻で笑う、鋼鉄のハートを持つ貴女がそんなに驚くなんて貴重よ!?……あ!まさか男!?……あなた、私というものがいながら酷いじゃない!……泣くわよ、泣いちゃうよ!千里ちゃん悲しいわ!私は彼氏なんて許さないわよ、神様が許しても私が許しません!!」
「おちつけ」
千里の頭に軽くチョップを食らわせて、なんとか彼女を落ち着かせる。
千里を軽く流して、机に突っ伏す。
しつこく追求してくる千里に、なんでもないと軽く流すと、伊吹のばかー!と不服そうな千里の声が聞こえた。
結局、あの後伊吹は一睡も出来なかった。
声は、あの後まったく聞こえなかったのだが、恐ろしくて眠ることなど出来なかった。
お陰様で寝不足。
気分は最悪、体調も最悪だ。
「最悪の誕生日ね」
千里が苦笑いで伊吹の頭を、わしゃわしゃとかき撫でる。
一瞬夢の内容を読まれたのかと焦ったが、落ち着いて考えてみれば、寝不足の件だと分かった。
「……千里」
不機嫌に顔を上げ、千里を睨み上げる。伊吹はこういうことは、苦手なのだ。
基本的に子供扱いは好きじゃない。
「もー、かわいいなぁ伊吹はっ!」
そう言って、背後から覆いかぶさるようにして抱きつかれた。
「……物好きよね、ほんと」
「そう?」
こんな性格の悪い女のどこがいいのか。
伊吹は、自分が他の人間に好かれる様な性格ではないことは、解っていたし、実際小さい頃から好かれてはいなかった。
いつまで経っても異端な自分。そんな自分が嫌だった。
高校に入っても回りの人間は近寄ってこなかった。だが千里だけは違った。
彼女はこんな自分を見て、かわいいという。
好意を持ってくれている。
「悪趣味」
嫌みをこめて、千里を見る。
だが千里はあっけらかんとしていた。ニコニコと笑っている。
「なにを言ってるの?伊吹はかわいい!それが解らない他の女子が悪趣味なの!」
だから笑って欲しいと千里は言った。
「そうだ!学校終わったらカラオケ行こう!あ、……お母さん達、今日はいないんだよね?」
「……ええ」
「よし!じゃあ決まりね!……久しぶりの伊吹の歌かー。楽しみだわ!」
にっこりと向日葵の様な笑顔で微笑む千里。
「そんないいもんじゃないわよ」
「私にとってはエンジェルボイスだからいいの!」
「はいはいはい、チャイム鳴るから席に戻りましょうねー」
「ぶー……」
それから、何事もなく一日は終わり、夜となった。
平凡な一日だ。
なんの変哲もない、普通な日。
少し変わったことといえば、友だちと楽しく誕生日を過ごしたぐらいだろう。
何も変わらなかった。
心の中の空洞も、未だ埋まることはない。
(なんなのかしら、ほんとに)
ベッドに突っ伏しながら、そんな事を考えた。
子供の頃から感じるとてつもない喪失感。
何かが足りないと訴えるそれは、いまでも伊吹の中に居座り続けていた。
うとうとと、意識が薄らいでいく。
そのまま、伊吹は気を失うようにして眠りについた。