01.変わらない喪失感
伊吹は、妙に寝心地の悪さを感じて、うっすらと目を開けた。
静寂の中に、カチコチという時計の音だけがひっそりと響いている。

しばらく、ぼーっと天井を眺めていたが、ふと、伊吹は先程まで見ていた夢を思い出そうとした。

変な男に、無理するなだとか変な事を言われた。

(余計なお世話よ)

しかし、枕が湿っている所を見ると、自分はどうやら泣いていたらしかった。

(夢で泣くなんて、まだまだ子供ってことね)


自虐的な笑顔を浮かべて、彼女はのそりと起き上がって時計を見た。
伊吹は、明日で16歳になる。自分はもう子供ではなく立派な大人だ。

伊吹はハァと深く溜め息をついた。
時刻は夜中の二時。
明日も学校はあるのだし、早く寝なければ。

そのまま布団を深く被って眠りにつこうとしたその時、携帯電話のバイブ音が夜の静寂を切り裂いた。
こんな深夜に誰だと苛々しながらも、布団から這い出て、携帯電話を開く。

(やっぱり……)

着信は、母からだった。

三ヶ月ほど海外におり、そして帰ってきたはいいものの、一週間も経たずに海外に戻ってしまった両親二人は、向こうでの生活が長いので、時差が解らなくなっているらしく、かなりの確率で深夜に電話やメールをしてくる。
まあ、注意をしているのに毎回深夜に送ってくるのは、両親が天然というのもあるのだが。

苛々しながら、伊吹は通話ボタンを押した。

「ハロー!伊吹。元気してるー?」

「お母さん。今、夜中の二時なんだけど」

開口一番、文句を言う娘等可愛くないと自分では思う。
だが、母はそれには慣れっこなので、気にする様子もなくアハハと声を上げて笑っていた。

「あら!……ごめんなさいね。こっちが長いとつい時差を忘れちゃって……」

「……しっかりしてよね」

「もー、いぶちゃんったらそんなとこも可愛いんだから」

「いぶって呼ぶのやめて」

「いいじゃない。いぶちゃんはいぶちゃんよ。可愛い可愛い、私の娘」

母は、いつも伊吹を子供扱いする。
母の中で伊吹はずっと、小さないぶちゃんだ。

「あ、それでね?電話の要件なんだけど、いぶちゃん明日お誕生日よね?……お誕生日おめでとう!いぶちゃん!」

「もう今日よ、お母さん」

「あ、そうだったわね!……とにかく!おめでとう!お父さんもそう言ってたわよ」

「うん」

父は寡黙な人だ。
だが、同時に優しい人でもある。

伊吹の誕生日のこともちゃんと覚えていたらしい。

「ありがとう。……お父さんにもそう言っておいて」

「うん、分かったわ」

「今年は帰れなかったけど、来年はちゃんと祝ってあげるからね!」

「いいわよ、無理して帰って来なくても」

「いやよ!私が帰りたいの。……いえ、私達かしら?」

「……分かった。とりあえず、明日学校だし切るね」

「ええ、おやすみなさい」

「おやすみ、お母さん」

切れた携帯を閉じて、枕元に無造作に投げた。
そして、不貞腐れながら枕に顔を埋めた。

両親に大切にされている自覚はある。
だが、少し過保護すぎるというかなんというか。

(早く寝よう……)

考えることを放棄して、ガサゴソと布団の中に潜りこんで目を瞑る。

明日は英語の小テストをやるだとか言っていた気がする。

『迎えに行きます』

(なに……今の……)

突然、頭の中に響いた声に心臓が跳ねる。

『もうすぐ、貴女に会える』

恐い。脳裏に響いた愉悦に満ちた声に、肩がビクリと震えた。
心臓がバクバクとうるさかった。

(意味がわからない)

どうして、迎えに行くなどと言うのだろうか。
恐ろしい。怖い。気持ち悪い。

それから、声は聞こえなかったが伊吹はその夜中々眠ることが出来なかった。


翌日、学校に着き自分の席に座ると、突如背後から肩を叩かれた。

「いぶきっ!」

「わぁ!?」

びっくりして振り返ると、目を丸くした親友の千里が立っていた。
彼女としても、ここまで驚かれる事は想定外だったのか、かなり動揺しているように見えた。

「ど……どうしたの?伊吹。……そんな鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔して」

「いや、ちょっと……変な夢見て……。それのせいだから、気にしないで」

「気になるわよ!……普段は何事にも動じない、しょうもない事は鼻で笑う、鋼鉄のハートを持つ貴女がそんなに驚くなんて貴重よ!?……あ!まさか男!?……あなた、私というものがいながら酷いじゃない!……泣くわよ、泣いちゃうよ!千里ちゃん悲しいわ!私は彼氏なんて許さないわよ、神様が許しても私が許しません!!」

「おちつけ」

千里の頭に軽くチョップを食らわせて、なんとか彼女を落ち着かせる。

千里を軽く流して、机に突っ伏す。
しつこく追求してくる千里に、なんでもないと軽く流すと、伊吹のばかー!と不服そうな千里の声が聞こえた。

結局、あの後伊吹は一睡も出来なかった。
声は、あの後まったく聞こえなかったのだが、恐ろしくて眠ることなど出来なかった。
お陰様で寝不足。
気分は最悪、体調も最悪だ。
 
「最悪の誕生日ね」

千里が苦笑いで伊吹の頭を、わしゃわしゃとかき撫でる。

一瞬夢の内容を読まれたのかと焦ったが、落ち着いて考えてみれば、寝不足の件だと分かった。

「……千里」

不機嫌に顔を上げ、千里を睨み上げる。伊吹はこういうことは、苦手なのだ。
基本的に子供扱いは好きじゃない。

「もー、かわいいなぁ伊吹はっ!」

そう言って、背後から覆いかぶさるようにして抱きつかれた。

「……物好きよね、ほんと」

「そう?」

こんな性格の悪い女のどこがいいのか。

伊吹は、自分が他の人間に好かれる様な性格ではないことは、解っていたし、実際小さい頃から好かれてはいなかった。

いつまで経っても異端な自分。そんな自分が嫌だった。

高校に入っても回りの人間は近寄ってこなかった。だが千里だけは違った。

彼女はこんな自分を見て、かわいいという。

好意を持ってくれている。

「悪趣味」

嫌みをこめて、千里を見る。

だが千里はあっけらかんとしていた。ニコニコと笑っている。

「なにを言ってるの?伊吹はかわいい!それが解らない他の女子が悪趣味なの!」

だから笑って欲しいと千里は言った。

「そうだ!学校終わったらカラオケ行こう!あ、……お母さん達、今日はいないんだよね?」

「……ええ」

「よし!じゃあ決まりね!……久しぶりの伊吹の歌かー。楽しみだわ!」

にっこりと向日葵の様な笑顔で微笑む千里。

「そんないいもんじゃないわよ」

「私にとってはエンジェルボイスだからいいの!」

「はいはいはい、チャイム鳴るから席に戻りましょうねー」

「ぶー……」

それから、何事もなく一日は終わり、夜となった。
平凡な一日だ。
なんの変哲もない、普通な日。

少し変わったことといえば、友だちと楽しく誕生日を過ごしたぐらいだろう。

何も変わらなかった。
心の中の空洞も、未だ埋まることはない。

(なんなのかしら、ほんとに)

ベッドに突っ伏しながら、そんな事を考えた。

子供の頃から感じるとてつもない喪失感。

何かが足りないと訴えるそれは、いまでも伊吹の中に居座り続けていた。

うとうとと、意識が薄らいでいく。

そのまま、伊吹は気を失うようにして眠りについた。

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