18.溢れ出た本心
レボルトに抱きかかえられながら、イヴはぎろっと頭上にある見慣れた鉄面皮を睨み付けた。

「……レボルト、怒ってるでしょう」

昼間逃げた事を絶対に根に持っている。
そうでなければ、こんな恥ずかしい事にはなっていない筈なのだ。
腐っても執事長というのと、中身が如何せん鬼畜なので、レボルトの部屋へ向かう道は、滅多な事がない限り人が通らないとはいえ、年頃の娘の気持ちを少しは考えて欲しい。
現にこの惨状を誰にも見られなくて良かったとイヴは思う。
見られていなくても恥ずかしいのに、見られたら今すぐ死ねる自信がある。

「いえ、別に?」

突っぱねるような物言いだったが、長い付き合いになると、なんとなくこれは怒っているんだなと察しはつく。
この後あるであろう長い長い説教タイムに、イヴは一人、ふふふと半目で笑みを浮かべた。

部屋に着くと、彼はそっとイヴを降ろした。
いつもなら、激昂している時は、粗大ゴミでも扱うようにぽーんとソファの上に投げ捨てられる事も少なくなかった。
それが、今回は姫君への対応のようだ。

(怒ってる、これ絶対に怒ってる)

優しさが今は恐ろしい。
むしろ、いつもより怒りレベルは高いのではないか。

やはり、気が引けるとはいえ、大事な催しを欠席しようと逃げ出したのは、彼の怒りに相当触れていたらしい。

連れ戻された時は、それ程怒っていないように見えたが、内心鬼の形相だったに違いない。
イヴは小さく身体を震わせながら、恐る恐る備え付けの小さな台所で、何やら作業をしているレボルトを食い入るように見つめていた。

(包丁とか飛んできたらどうしよう)

その昔、今よりもっとレボルトが人嫌いだった頃。
嫌いな女にナイフを投げたという話は流石にイヴでも知っている。
レボルトには大切に扱われている自覚はあるが、それでも怒っている今なら何をされるか分かったものではない。

そんなイヴの心配をよそに、レボルトは戸棚の中から一本のワインボトルを取り出すと、イヴに向かって微笑んでみせた。

「少し、付き合って頂けませんか」

「え……?」

(これはどういう状況なのかしら)

着々と祝杯の準備を進めていくレボルトをオドオドと眺めながら、イヴは奇妙な感覚に襲われていた。
説教かと思いきや、酒に付き合えという。
怒っているかと思いきや、予想に反して機嫌は良さそうだ。

「いつまでそこに突っ立っている気ですか」

呆然としていた所をレボルトに声を掛けられる。
仕方なく、イヴはレボルトに促されるままに、部屋の中央にあるソファに腰掛けた。
横に座るレボルトがいつにもまして上機嫌なのに、イヴは驚きを隠せなかった。

(私何かした!?なんでこの人こんなに機嫌いいの!?)

上機嫌なレボルトがむしろ気持ち悪い。

「どうかしましたか?」

「な、なんでも御座いません」

「……まぁいいでしょう。せっかくのイヴ様の成人祝いです。思いっきりどうぞ」

促されるままに、紫色の綺麗なワインが入ったワイングラスを手に取る。
ふわっと芳醇な薫りがイヴの鼻を掠めた。
ぐいっとレボルトに言われた通り飲み込むと、甘い匂いに凝り固まっていた気持ちが解れていくのを感じた。
横で、レボルトも同じように飲んでいた。

「……もしかして、この為に態々抜けてきたの?」

「それもありますが、少しイヴ様と話したい事もあったので。イヴ様は怒っていますか?……勝手に今後の事を決めてしまったのを」

ああ、その事かと、イヴは妙に納得した。
レボルトは怒っていない。
むしろ、イヴに対して謝罪の念を抱いている。

「……アダム様の下につくのが、一番得策よ。だから怒らないし、怒るなんて筋違いだわ。我儘は言ってられないし、それ以外に道はない」

レボルトの判断は正しい。
使用人より上、アダムとリリスよりは下。
それでいて、足手まといのイヴが出来る様な事となると、アダムの雑用係くらいしかない事は分かりきっている。

「自分が役に立たない自覚はあるもの」

戯れに揺らしたワイングラスを見詰めながら、イヴは静かに呟いた。
横に座ったレボルトの顔を見られなかった。

「……貴女は変な所で物分りがいいと言うか」

「……何年貴方の娘をやってると思ってるのよ」

「少しぐらい、甘えてくださってもいいんですよ」

レボルトは苦笑いだった。
ぽんぽんと宥めるように撫でられた頭の感覚が妙に敏感になっていた。
心地良いようなむず痒いような、なんとも言えない気持ちにさせられる。

「なんでそういう話になるのよ」

ぐいっとやけになってワインを一気にかき込んだ。
飲まなければやってられない。
視界が少しグラグラするが、そんな事気にしてはいられない。

「実はこの事はユウ様が決められたんです。ユウ様の中では最初からイヴ様の配属先は決まっていたようなので」

「ふーん……」

なんだかどんどんレボルトの声が遠ざかっている気がする。
明らかに自分は酔っているんだろうと、イヴは自覚していた。
それでいて、平気な顔をしているレボルトが憎たらしかった。

「イヴ様、酔ってますか?」

「酔ってない」

「ですが」

「酔ってないってば!!」

心配してくれたレボルトを振り切り、やけになって、空になったワイングラスにドボドボと追加でワインを注いでいった。
煽るように飲み干していく。
楽園で、ワインは成人するまでは飲めない事になっている。
だから、イヴがワインを飲むのは正真正銘これが初めてだ。

ふわふわして、ここが夢の中なのだと錯覚すら覚える。酒とはこういう物なのか。
意識は朦朧として、イヴは余計な事を考えるのをやめた。

「……ほんとうは」

「はい?」

「ほんとうは、レボルトといっしょにいたい」

ペラペラと、思った事がそのまま口から出ていた。
酒の力とは恐ろしいもので、勢いに任せてイヴはレボルトにそっと凭れかかった。
横にいるレボルトが今まで見た事もない程目を見開き、イヴを凝視していた。

「レボルトが執事長の仕事をするのを、誰より近くで見てみたかった。それで、私だけ優しくされてるんだって、レボルトの特別なんだって、実感したかった。ほんと、性格悪いでしょ?」

レボルトはイヴの言葉をずっと黙って聞いていた。
これは嫌われたかもしれないと、どこか遠くで考えながら、イヴはレボルトの腕にぎゅっと力一杯抱き着いた。

「アダム様のお手伝いをするようになっても、私、レボルトと一緒にいていい?」

「勿論」

「追い出さない?他所の娘だからって無碍に扱ったりしない?」

「ええ」

「本当に?」

上を見上げると、珍しく本心から微笑んでいるレボルトの顔が飛び込んできた。
眼鏡越しでない紫の瞳が優しく輝いていた。
頭を撫でてくれる腕が妙に優しいから、イヴは喋らなくてもいい余計な事まで、つい口に出してしまった。

「レボルトは私の事、迷惑だって考えてるでしょう」

「どうして?」

「私は役立たずなの。役立たずだから、邪魔だから、いらない子だから、ユウ様はレボルトに私を押し付けた。レボルトだって、邪魔だなって思ってたんでしょう?私の事」

どうしてユウの娘なのに、レボルトのところにいるんだろう。
ずっと小さい時はそれが疑問だった。
大きくなってからも、なんとなく自分は邪魔なんだろうなぁ、と必要にされていないんだという、変なコンプレックスがずっと根底にあった。

何かの拍子で、レボルトは命令でイヴを育てているというのを知った。
おそらく、性格がネジ曲がり始めたのはその頃だ。

気が付いたら涙が溢れ出していた。
これが世に言う泣き上戸という奴なのだろうか。

「イヴ様それは」

「レボルトがどう思っていたって構わない。私は……私は……」

その言葉を最後に、イヴの意識は夢の中に消えた。
残されたレボルトは、苦虫を噛み潰したような顔で、イヴの涙を拭う事しか出来なかった。

prev next

TOP/ 戻る