17.アダムの視線
外で一悶着あった頃、会場内でもそれなりに事件が起こっていた。

「皆にここでもう一つ報告しておきたい事がある」

(今度は何!?)

イヴとしては気が気でない。
ユウの言動全てが不安だ。
予想外な行動すぎてイヴには先が全く読めない。
それ以前に、イヴは今の自分の状況に納得がいっていなかった。
先程から、アダムにずっと腰を抱かれている。
おそらくユウからの指示であり、これはイヴはアダムにも大切にされているから、手を出したらただではすまない、という事をアピールする為の行動であり、アダムとしても渋々やっているのは分かるし、自分の今後の保身の為にも必要な事なのはイヴも理解できる。

(でもこれは落ち着かないというか……!)

少しでも距離を取ろうと頑張っているのだが、アダムの力は一向に緩まない。
むしろ強まっている。

「あ……あの……」

何とかしてもらおうとアダムに小声で話し掛けても完全に無視だ。

(我慢よ、我慢)

アダムにも最愛の妻がいるのだ。
不本意なのはイヴだけではない。

(ユウ様の馬鹿!)

心の中でユウを罵倒しながら、イヴは覚悟を決めた。
もう何を言われても驚くまい。

「イヴも成人を迎えた訳だし、いつまでもお嬢ちゃんではいけないと僕は思っている。そこで、しばらくはアダムの小間使いとして働いてもらおうと思っているんだ」

前言撤回。
これで驚かないほうが無理だ。

「な……!」

成人したら仕事しなければいけないのが楽園のルール。
それは神の子供でもあるイヴにも適応される。
仕事といっても、アダムのような激務とは限らない。
リリスのように、アダムを支える、という役割も立派な仕事だ
ルールの事はイヴも知っていたし、何か仕事はしなければならないだろうとは予測は出来ていた。
しかし、それは復帰したレボルトの手伝いだとばかり思っていた。

まさか、楽園のトップの雑用係にされるとは。

だが、よく考えてみれば自然な事なのかもしれない。

(箱入りのお嬢さんの自覚はあるもの)

そんな自分に出来る事はお茶汲み程度だ。
神の子供という立ち位置的に、変な事をさせる訳にはいかないのだろう。
レボルトはイヴの育ての親でそれなりに身分は高い。だが、彼はあくまで使用人だ。
そんな彼に形式上でも仕えるとなると、イヴの品格、強いてはユウの品格を落とすことになる。

使用人の上、且つ神やアダムをよりも下の地位。
そう考えると今回のポジションは一番自然なのだろう。

最初は驚いたが、考えてみるとストンと胸に落ちた。

(私、この人のお手伝いさんになるのね……)

そっと下からアダムの顔を盗み見た。
相変わらずアダムは無表情で、イヴはこれから大丈夫だろうかと、小さく溜息を付いた。
だが、一番溜息を付きたいのはアダムの方だろう。

(せめて、足は引っ張らないようにしないと……)

「僕からの報告は以上だ。後は、各自楽しんでね」

ユウの言葉が幕引きとなり、三人は舞台袖に戻った。
それと同時に、パッとアダムの腕が離された。


「で、俺は帰っていいのか」

「第一声がそれ!?」

「……お前は俺に何を期待している」

「あ……いや。……イヴに対して何かコメントはない訳?」

ユウに促され、こちらに視線を向けたアダムと目線が合った。
鈍く輝く赤い目が、どうにも子供の頃からイヴは苦手だった。

「足を引っ張らなければそれでいい」

「は、はい……」

彼は素っ気なく告げると、ふいとすぐにイヴから視線を逸らした。
よっぽど嫌われているらしい。

身分的に仕方ない配置だとしても、今回の采配はあまり、よろしいとは思えなかった。

アダムが舞台袖から姿を消すと、ちょうど入れ替わるようにリリスとレボルトの二人がやってきた。

「イヴちゃーん!私疲れちゃった。だから、癒して!」

「私に癒し効果を求められても」

(そもそも、なんで姉様が疲れるの?)

だが、イヴのそんな反応も全く気にせず、むしろリリスは気分を良くして更にイヴを強く抱き締めた。

「私にとってはイヴちゃんの存在自体が癒しだから大丈夫。だから、イヴちゃんは黙って抱き締められてなさい」

むぎゅっと抱き締めてくるリリスに半ば諦め気味に、イヴは乾いた笑いを返した。
だが、イヴとしてもリリスに抱き締められるのは嫌いではない。
小さい時から実の母の様に慕ってきたリリスから可愛がられることは、イヴにとっても癒しに近いものがある。

だが、今は素直に癒やしを実感出来なかった。

アダムの値踏みするような不躾な、それでいて這うような視線が気になって仕方なかった。
何を考えているか分からない不気味な男。
リリスは大好きだが、どうしても、夫である彼の事をイヴは好きになれそうになかった。

「本当に可愛い。可愛いすぎて食べちゃいたいくらい」

「はい!?」

色々と考え込んでいたイヴは、リリスの突拍子もない発言に、無理矢理意識を覚醒させるはめになった。
リリスの発言に驚いたのはイヴだけではなかった様で、ユウは唖然とし、レボルトだけは恐いほど冷静沈着だった。

「リリス様、イヴ様で遊びすぎないで頂きたい。愛しい愛しいイヴ様をさっさと離してください」

ここまで来るとむしろ清々しいぐらいの親馬鹿っぷりに、リリスは盛大に溜め息を吐きながら、渋々イヴを解放した。
その瞬間、レボルトはリリスから奪う様にして、イヴを懐の中に隠すように抱き締めた。

「冗談に決まってるでしょ?というか、あんた気持ち悪いわよ」

「貴方に言われたくはありませんね」

馬鹿にしたような物言いに、レボルトとリリスの間にバチバチバチ音をたてて燃える火花が見えた気がした。

「……疲れたから帰りたい」

これ以上争われて面倒な事になっても困るので、イヴは不安を誤魔化すようにレボルトに体重を預けながら静かに呟いた。
少しだけレボルトの纏う空気が柔らかくなった気がした。

「だそうですが、ユウ様。もうよろしいですか?」

「うん、いいよ。もうお披露目もすんだしね。イヴ、お疲れ様。ゆっくりおやすみ」

「……ありがとう。そうさせてもらう」

パーティが始まったのが陽が沈んだ頃。
今はもう結構な時間な筈だ。
それでも、パーティは朝まで続くものだし、主役の途中退席等許されるものではない。

自分が甘やかされているのを実感しながら、イヴは深く頭を垂れた。

「おやすみなさい」

「はい、おやすみ」

「後は私達がなんとかするから、ゆっくり休んでね」

「……うん」

本当に頭が上がらない。
レボルトと一緒に帰ってゆっくりしたいところだが、彼はパーティが終わるまでは抜けられないだろう。
いつまでも子供ではいられないし、レボルトはイヴだけのレボルトじゃない。
ここで駄々は捏ねられなかった。
残念に思いながらレボルトの腕から逃れようとする。
だが、一向にレボルトの腕は緩まない。

「レボルト?」

下から見上げると、穏やかな微笑にぶつかった。

「疲れていらっしゃる所を歩かせるのも忍びないので。……失礼します」

そう宣言したレボルトはイヴを軽々と抱き上げてみせた。
俵抱きではなく、お姫様抱っこの体制で。

「な……な、何してっ!おおおお下ろして!歩けるから!」

小さい時には自分から強請ってしてもらった事もあるが、流石に今はもう大人。
育ての親相手とはいえ、レボルトはれっきとした男性だ。血の繋がらない異性。
少なからず好意というか懐いているだけに、これは恥ずかし過ぎる。

「子供の頃は自分から強請ってきたのは何処の誰だったか」

「それは子供の時の話よ!……い、今は一応大人なんだから」

「残念ながら俺にとって、貴女はいつまでも小さな子供ですよ」

ぐうの音も出ない。
やはりレボルトには叶わない。

イヴは渋々ながらレボルトに大人しく我が身を委ねることにした。

「貴方、大人気ない事をするわね」

「君の方がやってる事は子供っぽい」

「なんとでもどうぞ。ユウ様、早速で悪いですが今日は早退させて頂きます」

「あー……。もう勝手にして」

笑顔で話し掛けられたユウは苦笑いだった。

(というか、早退って)

休む気満々なのか。

「レボルト、仕事はいいの?」

「メイド長ならやってくれる筈です」

「……そう……なんだ」

キリッとした顔で言い切るレボルトに、グレースが可哀想になってきた。
イヴはグレースとそれ程親密ではないが、同情したくなる。

「では、俺達は失礼します」

「はいはい、勝手にしなさいよ」

「リリス、後であいつの仕事量倍にしてもいいと思う?」

「まぁ!それは名案です!流石はお父様!」

レボルトに抱えられ会場を後にしながら、イヴは背後でなんとも不穏な発言を聞いた気がした。

prev next

TOP/ 戻る