16.大切な娘
「皆、今日は僕の可愛い末娘の為に集まってくれて感謝するよ」

発せられたユウの声が、不思議な事に会場中に響き渡った。
その瞬間に、先程までの会場のざわめきは無くなり、一瞬にして会場は静まり返った。
ユウの横にいるイヴは、プレッシャーと緊張から冷や汗をかいていた。
立っているだけでいいとは言われたものの、会場中の人間の視線を一斉に浴びるのは、かなり精神的に参る。
イヴは、早くユウの挨拶が終わることだけを祈った。

「イヴは大切な末っ子。一番下のイヴが可愛くて可愛くて、僕もイヴにはつい甘く接してしまうんだよ。
まあ、それは置いておくとして、今日はこの子の立場というものをはっきりさせようと思っているんだ」

(立場?立場と言われても……)

立場をはっきりすると言ってもなにをすればいいのかイヴはなにも聞かされていない。
困惑しているイヴの内心が分かっている筈のユウは、完全にイヴをスルーして話を先に進めた。

「おいで、アダム」

そこでユウが呼んだ予想外の人物の名前に、イヴは激しく動揺した。

(アダム様……?)

何故ここでアダムの名が出てくるのか。
そう思ったのはイヴだけではなかったらしく、会場に集まった全員が困惑の色を見せていた。
そんな中、バタンと会場の大扉を開けてアダムが入ってきた。
その瞬間、先程までガヤガヤしていた者達は一斉に静まり返った。
アダムはいつもと変わらない無感動な様子で客の間を通り抜け壇上に上がると、ユウの前をも平然と通りすぎ、イヴの前に立った。

そのまま機械の様にイヴの手を取り跪くと、アダムは静かに、少女の手の甲に口付けを落とした。

その瞬間、信じられないといった様子で会場中に戦慄が走った。

「アダム様が!?」

「アダム様に限って何故!?」

そんな声が飛び交う中、一番困惑したのは当事者であるイヴだった。

(……え?私何されたの?)

まともに話した事もない人に手の甲とはいえ口付けられれば、誰でも驚くだろう。
しかも相手は楽園の事実上のトップ。
イヴは赤くなる以前に頭が真っ白になり、なにも考えられなかった。

「今、この場で彼が代表して示した通り。この楽園の皆がイヴを大事にし、愛している。そうだろう?」

アダムは無表情の中に僅かに怒りを含ませて、天使達からは見えない様にユウをギロリと睨み付けた。
地獄からやってきた魔王のような気配にもユウは尻込みせずに飄々と笑んで見せた。

彼の意図するところはおそらく、
せっかくの休みにこんなくだらない事で呼び出すな。
といったところだろう。

(はいはい、そのうち休日あげるから許してね。そのうち)

そのうちが来ることはない様な気もするが。

微妙な壇上の空気とうって変わって、招待客の天使達の間には祝福ムードが漂っていた。
しかし、一部の者達はそんな中ガタガタと震え上がっていた。

アダムは楽園の事実上のトップ、そのアダムがイヴの手の甲に口付けた。

それは楽園全体がイヴの味方であることを表す、つまりイヴを貶した場合、楽園全体で報復に出るぞ。という意味。

リリスと使用人頭であるレボルトは完全にイヴ側である事は明らかだったが、しかし楽園全体、アダムに関しては中立という感じだった。

だから表立たない様にではあったが、無条件に愛されているイヴへのいじめは続行されていたのだが、今回のこの件で楽園全体がイヴ側である事を明確にした。
この事で、イヴを貶していた女性天使達は人混みの中、背中に悪寒を感じていた。

イヴに反抗した事は楽園に反乱したのと同意、つまりユウに反乱を起こしたのと同意。

「ちょっと、どうするのよ」

「知りませんわよ!いいから静かになさい!」

先程イヴを貶していた女性天使達は、焦りの色を明らかにしていた。
それもそうだろう、自分達は神を冒涜したのだから。
反逆罪はなによりも重い。どんな恐ろしい天罰をくだされるのか分からない。
というか生きていられるかすら怪しい。

「と、とりあえず逃げます?」

「そ、そうですわね」

女性天使達は、一目散に人混みを掻き分けて出口まで向かった。
扉を開け、会場から出て、もうこれで大丈夫だろうと安堵した丁度その時、背後から美しい声が聞こえた。

「貴女達、少しいいかしら?」

自分達に向けられた美しいソプラノに、3人はびくりと肩を振るわせた。
いつもなら、天上人に声をかけられる事は光栄な事。しかし今はそんな事を言っている場合ではない。

「あら、そんなに震えなくてもいいのよ?振り替えって、少し顔を見せてくれるだけでいいのだから」

美しい凛とした声は、その時の女性天使には悪魔よりも恐ろしく思えた。

振り返ったところには、声をかけたリリスの他に、レボルトとラビアンヌが控えていた。
先程とはうって代わり、柔らかい笑顔を浮かべるレボルトの顔を見た瞬間、リーダーと思われる女性は強張っていた顔を、僅かに桃色に染めた。

「貴女は先程の女性で間違いないでしょうか?」

「はい」

迷うことなくうっとりとした笑みを浮かべて答えた女性に、レボルトはにこりと笑みを強めた。

「そうですか、ラビアンヌ。…丁重に、おもてなしを。丁重に」


レボルトはその笑みの裏に凶悪なものを滲ませて、ラビアンヌに指示を出した。
その瞬間、桃色だった女性の顔は真っ青に変わった。

「ええ、わかっておりますわ。わたくしの大切な主人を傷付けたのですもの。……覚悟は出来ておりますよね?」

「ひっ!?」

小さいながらも、ラビアンヌが黒笑を浮かべながら腕をバキボキと鳴らす姿は、地獄の魔王が降臨した様だったと、回りで見ていた野次馬達は後に語ったという。

「さて、いきましょうか。……じっくりゆっくりねっとりと、この世のものとは思えない苦痛を味合わせて差し上げます」

「いやぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

ラビアンヌは、叫び声を上げる女性を片手でズルズルと引きずると、にこりとこの場に不相応な無邪気な笑みを浮かべて「失礼致しますわ」と周りにいた野次馬たちに向かって礼をした。

その後、どこからともなく悲痛な断末魔が聞こえたが、皆、見て見ぬふりをしてやり過ごした。
誰だって自分の身が一番可愛い。
余計なちょっかいを出して、自分にまでとばっちりが来てはたまらないと、カクテルを一気飲みしたり、話をあからさまに反らしたりと、それぞれが必死だった。

「さて、次は貴女達の番ね」

「お……お許しをっ……!」

「申し訳ありませんっ!」

満面の笑みのリリスの言葉に、残された二人は腰を抜かして倒れ込んだ。
がくがくと震えながら懇願するその姿は、なんとも無様で滑稽だった。

「私に許しを乞われてもねぇ?貴女方が謝るべきなのはイヴちゃんではないかしら。ね?執事長?」

「リリス様の仰る通りです。嗚呼、しかしイヴ様は心優しい方ですから、きっと許してしまわれますね」

レボルトの言葉を聞いた瞬間、二人は端から見てわかる程にほっとしていた。
しかし、次のリリスの言葉で二人は一気にドン底に叩き落とされた。

「イヴちゃんは優しいから、絶対他人を憎む事なんかしないわ。たとえ自分を皮下されたとしても、当然だと受け入れてしまう。イヴちゃんはそれでいいと思っているかもしれない。でもね?……それでは、私の気がすまないの」

「あっ……あ……」

「ひっぐっ…!?」

未だかつてない程、ドスの効いたリリスの声に、二人は完全に涙目になっていた。

「私の妹分を貶した罪を償ってもらいましょうか」

更に、そこにレボルトが追い打ちをかけた。
にこにことした笑顔が逆に恐ろしい。

「泣く等醜いですね。貴女達はユウ様が大切になさっている方を貶し、反逆したんですよ?当然の処置ではありませんか?」

「お慈悲を!私達も悪気があったのではありませんわ!ただ!ただ出来心で!」

「連れて行け」

「はっ!」

レボルトは泣き叫ぶ女性二人を完全に無視して、近くに居た男性使用人に顎で指示を出した。
無感情に淡々と指示を出すレボルトの様子は、部下達にとってイヴと出会う前のレボルトを彷彿とさせた。
人の皮を被った鬼。
昔、レボルトはそう言われていた。

目の前で誰が死のうが動じない。ただ、役目をこなすだけ。
イヴと出会ってから、レボルトは大分柔らかくなった。
イヴ限定でだが心の底から笑うようになったし、人間味が出てきた。
だが、本質は変わっていなかったらしい。
異端には容赦なく粛清を下すその様子は、かつて鬼と呼ばれていたのに相応しい。

「今の事は、イヴ様には口が裂けても言わない様に。分かりましたね」

レボルトは使用人達が見えなくなるまで観察すると、回りに居た野次馬達に向かって、にこりと黒い笑顔を浮かべた。
幸か不幸か、中にはこちらで一騒ぎあった事は伝わっていない様だった。

言ったらどうなるか分かってるな。

誰もがレボルトの言葉の裏を読んで、青ざめた。コクコクと必死に頷く様子は端から見たらかなり滑稽だったに違いない。

「さてと、処理もすんだことですし、壇上のイヴちゃんに会いに行きましょうか」

リリスはパン、と暗い空気を払拭する様に手を叩いて、微笑を浮かべた。
そのまま壇上に向かって歩き出す二人を見ながら、事の全てを目撃していた者達は、「イヴ様に逆らったらやばい」そう心に刻み込んだ。

それから数日後、

「イヴ様はある意味最強」
「イヴ様は、アダム様、リリス様、そして人嫌いで有名な執事長を足でこき使っている。」
「影の支配者はイヴ様」

そんな噂が広まったのを聞いて、イヴが卒倒するはめになったのはまた別のお話。

prev next

TOP/ 戻る