15.親愛なる貴女へ
「イヴ様、何故脱走等したのですか?」

レボルトは無理矢理ドレスを着せられ不機嫌な表情で椅子に腰掛けている、イヴの長い髪の毛をブラシで解きながら、無表情で問いかけた。

今回のパーティーは、イヴの成人祝いもあるが、天使達にイヴが天使より上の立場であることを知らしめる役目もある。
そのパーティーを欠席すれば、プライドの高い天使達に見下される事は明らかだ。

一応レボルトもイヴとは長い付き合いなのでなんとなく理由は察しているが、それでも本人から聞かなければ理由を特定は出来ない。

だが、イヴの反応はそっけないものだった。
ふいっとそっぽを向いて、彼女は鏡越しにすらレボルトと目を合わせようとしなかった。

「レボルトには関係ないわ」

(言えるわけないじゃない)

数人の天使達に、外見の事を散々罵倒されたのがトラウマで、また陰口を言われるのではないか等という、乙女チックな理由をレボルトに言うのは、イヴとしては恥ずかしすぎる。
それに、レボルトのことだ。その程度の事で悩むなどアホらしいと、馬鹿にされるのがオチだろう。

「馬鹿らしい理由なのよ。気にしないで」

そう言って、イヴは鏡越しにレボルトを睨み、もう良いだろうと、立ち上がろうとした。
だが、レボルトはそれは許さなかった。
レボルトは、イヴの肩を力強く押し、再び椅子に座らせた。
そのままレボルトはイヴの前にしゃがみ、じーっとイヴと目線を合わせる。

「その馬鹿らしい理由とやらが俺はとても気になるのですが、話して頂けますか?」

言っていることは優しいが、笑顔が若干引き攣っている。

「イヴ様」

名を呼ぶ恐ろしく冷静な声に、びくりとした。
ああ、これは怒ってるなと思いながら、イヴは渋々口を開いた。

「……分かったわよ」

それから一拍置いてからゆっくりと口を開いた。

「外見の事で馬鹿にされるのが嫌だった。それだけよ」

イヴの言葉を聞いたレボルトは、黙っていた。
いつになく無表情なレボルトに、イヴはぎつと歯を食いしばった。
ああ、馬鹿にされている。
くだらいなと思われている。
イヴは矢継ぎ早に言葉を紡いだ。

「言ったじゃない。馬鹿げてるって。……呆れるくらいなら初めから聞かなくても!」

「別に、呆れていませんよ」

レボルトは、言葉通り呆れているようには見えなかった。どちらかというと同情するような、慈しむような眼差しに、イヴは息を呑んだ。

「ただ、イヴ様も年頃の女性になったんだなぁと感動していただけです」

「へ?」

一瞬何を言ってるんだと呆気に取られたが、しばらくして、とんでもない皮肉を言われているのだと気付いて、イヴは真っ赤になりながら椅子から立ち上がった。

「ば、馬鹿にしてるでしょ!?」

「いえいえ、ただ、微笑ましいなぁと」

「それを馬鹿にしてるって言うの!」

「本当に馬鹿にしている訳ではありませんよ」

レボルトは深く溜め息を吐いてから、イヴの目をまっすぐ見詰めた。

「ずっと、思い悩んでいらっしゃったのですか?」

レボルトとしては、可愛がって育てたイヴの陰口を言わていた等、許しがたい事態だ。
イヴに対しては穏やかな口調で話をしているが、内心は穏やかではなかった。

「そうだとしたらどうなのよ。別に一々報告する必要なんてないでしょ。今みたいに鼻で笑われるのは目に見えてた訳なんだし」

その程度の事をわざわざレボルトに報告しに行く程、自分は子供ではないし、事実自分は貧相な体型なのだから馬鹿にされても仕方ない。
自分でも自虐的な考え方だと思うが、そういう性質なのだから今更どうしようもない。
そこはイヴも諦めている。

「イヴ様」

レボルトは苦笑を浮かべて、イヴの頬を撫でた。
突然の動作に戸惑い、イヴは目を見開いてしまった。

「レボルト?」

普段では考えられない、穏やかなな笑顔に、ドキリとしてしまう。
この笑顔には何年一緒にいても慣れそうにない。ぶっきらぼうな彼が優しく笑んでくれるのが自分だけだと知った時から、余計にこの笑顔が恥ずかった。

「もっと自信を持ちなさい。貴女は充分可愛らしいですよ。貧相だと言われたのなら、言った天使の方が間違っているんです。それに」

「それに…?」

「俺からすれば、貴女は充分過ぎるほど魅力的だ」

そう告げた時のレボルトの微笑に、イヴは不覚にもときめいてしまった。
全神経が、レボルトに触れられている頬に集まっていく。

(相手はレボルト、レボルトなのよ)

外見は良くても、中身は色々難あり。
そこを忘れてはならない。
しかも彼は保護者だ。そういう目で見る事自体間違っている。

「たらしって言われるわよ?」

パシりとレボルトの手を払いながら、照れ隠しに意地の悪い戯言をほざいたものの、レボルトにはその言葉の裏側が分かったようだ。
失笑されてしまった。

(ときめいた私が馬鹿だった)

「もう行く。髪、といてくれてありがとう」

イヴは、冷たい目でレボルトを一瞥すると、控え室のドアノブに手を掛けて、長い廊下へと足を進めた。
まだ若干、顔が赤い気がするが、気のせいだと信じよう。

「では、エスコートを」

「結構です!」

イヴは、すこぶる機嫌良さげなレボルトの誘いを断って、スタスタと早足で歩き出した。

しかし、後ろからは笑顔のレボルトがイヴを追い掛けて来ていた。
しばらくは意地を張って、レボルトを完全に無視していた。
無視していればいつかは諦めてくれるだろう、そう高を括っていたのだが、レボルトに諦める気配はまったくなかった。
寧ろ、ニコニコ笑って、この状況を楽しんでいる節がある。

「お願いだから着いてこないで。一人にして」

イヴは、立ち止まり、複雑な表情でレボルトに向き直った。
にこにこ笑っている所悪いが、レボルトに自分といてもらっては困るのだ。
どうせ、今回もイヴは外見の事を散々言われる。そこは慣れっこなのでもういい。諦めている。
そんなイヴの後ろに、執事長であるレボルトがいるなど、ユウの権威にも関わる。
御上も落ちたものだ。
だから使用人も、無能なのだ。
きっとそう言われる筈。

「嫌です。イヴ様を一人にすると、虫がたかるので」

レボルトは至極嫌そうな顔をして、そう言葉を溢した。
現に、イヴ本人は天使達の評価は、別に間違ってはいないと思っていた。

(細身で胸がないのは事実だし、別段可愛くもないし)

この意見をリリスやユウが聞いたら激昂しそうなのだが、知らぬは本人だけである。

「貴女はお人好し過ぎです。こういう時は相手を潰し……ごほん、怒らなければ、調子に乗るので」

現にレボルトは、なにかを呼び出せそうな程の暗黒のオーラを出していた。
それよりも

(今かなり穏やかではない言葉を聞いた様な気が。潰すとか言わなかった?この人)

イヴはレボルトの不穏な発言の方が気になった。

「レボルト、犯罪者にはならないでね」

流石に流血沙汰は勘弁して欲しい。
イヴは溜め息を吐きながらレボルトを見上げた。
すると、レボルトはチッと軽く舌打ちをしてから、寒々しい気配を宿した笑みを浮かべた。

「ははは、犯罪者だなんてそんな……。ただ二度と鏡を見られない顔にして差し上げようかと」

「それが駄目だって言ってるんでしょうが!」

ゼエゼエと息をあらげて突っ込みを入れる。

(油断出来ない)

本当にやりかねないから恐ろしい。

(この場合『やりかねない』より、『殺りかねない』かしら)

普段は城の備品を管理したり、ソファーで本を読んだり、趣味で庭を弄ったりと、どこのご隠居だと突っ込みたくなる様な男だが、腐っても使用人頭。
運動神経と体力はかなりのもの。そして、危ないことこの上ないが、暗殺者としてもかなり有能らしい。
過去の彼について尋ねても、曖昧にされてあまり教えてくれないので詳しくは知らないが、それでも彼の凄さは方々からなんとなく耳にしている。

とにかく、説得してもレボルトは結局は付いてくるらしい。
引き離せたと思っても、気配を消して何処かで見張っているのが定番のパターンだ。
お前はストーカーかと何回かツッコミかけたが、本人はシラをきるのでもう諦めている。
というよりも、この状態のレボルトを放置しておくと、かなりまずい。

誰かがレボルトの手綱を握っておかなければまずい。
レボルトはイヴ以外どうでもいい、寧ろ死ね、という所が見受けられる。
よってレボルトが言うことを聞くのはイヴだけ、つまり手綱を握れるのもイヴだけ。

例えるなら、イヴのポジションは獰猛な猛獣を手懐けた調教師だろう。

実際、あながち間違ってはいないとユウに言われた。

「分かったわよ。着いてきてもいい」

イヴは深く溜め息を吐きながら、レボルトを睨み付けた。
なんだかんだ言って、結局折れてくれる。
レボルトはそんなイヴをゆっくりと追いかけながら、微笑を浮かべた。


* * *

「あら、あの子」

「昔見た貧相な餓鬼じゃありませんこと?」

「あれがユウ様の秘蔵っ子?なにも出来なさそうよね」

イヴが会場に入った途端、雑談をしていた女性の天使数人が、談笑を止めて、イヴを見て笑い始めた。
それは、前回イヴを見て笑った面子と合致していた。
そんな状況で、イヴは自分でも意外な程落ち着いていた。
それは、この状況に慣れているせいもあるのだろうが、それだけではなく、レボルトがイヴの手を取りエスコートしているのが大きいかも知れない。
あれだけ着いてくるな、と言っていても、結局の所イヴはレボルトを信頼しており、頼っている。
レボルトも当然の様にそれを受け入れている。

イヴは、この曖昧な関係が心地良かった。
レボルトはいつだって自分を守ってくれる。
だから、今回も大丈夫。
そんな事を考えながら、レボルトの手を子供の時のようにギュッと握り締めた。

天使達はそんなイヴを見てクスクス笑っていたのだが、背後にいたレボルトを見た瞬間に、明らかに目付きを変えた。
その目付きを、イヴは何度か見たことがあった。
媚びるような、妖艶な目付き。

(ちょっと……ムカムカする……)

レボルトはモテる。
何も話さなければ普通に、というか異常にカッコイイ。
これで未婚なのが未だにイヴは信じられないというぐらいおモテになる。

「イヴ様、ご成人おめでとうございます。とても可愛らしいですわね。それに、なんと綺麗な瞳でしょうか」

複雑な心境のイヴ等いざ知らず、天使の中で一番美しい女が、先程までイヴを貶していた口で、ぬけぬけとイヴを褒め称え始めた。

(さっきまで貧相って言ってたのはどこの誰よ)

イヴは女の戯言を作り笑いで聞きながら、内心は吐き気を催していた。
それは隣で話を聞いていたレボルトも同様らしく、必死で怒りを抑え、無表情な執事スタイルを取りながらも、強烈な冷気を放っていた。

「ところでイヴ様、そちらの背後の男性はどなたですの?」

女は、イヴにありったけのお世辞を投げつけ終わると、猫なで声でイヴの背後─レボルトを見ながら問い掛けた。
回りの女性天使数人も、同じ様にレボルトを見ている。

どうやら彼女達の目的は、出来るだけイヴの気分を良くしておき、レボルトへの取り次ぎを頼むことだったらしい。
やはり、始めから、彼女達には自分は見えていなかったということか。
イヴは俯いて、自嘲的な笑みを浮かべた。

馬鹿らしい。

そんなイヴの手を、レボルトは落ち着かせるように力強く握っていてくれていた。
それが、イヴはたまらなく嬉しかった。

女は、しばらくはわざとらしく心配そうな顔をしてイヴを見ていたが、やがてイヴに取り次ぎを頼むより、自分から話した方が早いだろうと判断したのか、無謀にもレボルトへニコニコと笑いながら話掛けた。

「あの、貴方様のお名前は?」

どうやら女は、レボルトが使用人であることに気付いていない様だった。
それもそうかもしれない。
なにしろ、顔と風貌だけなら、正直そこらへんの天使より綺麗。
さらにベテランの貫禄…正しくは長年使用人頭をやっている性でいつの間にか付いてしまっていたカリスマ性が合わさって、かなりのイケメンに見える。
ただし、あくまでこれは外見の話であり、中身はただのイヴ馬鹿であることを忘れてはいけない。

笑顔の裏は危ない思考の親馬鹿。

そんなこと等知らない女は、美しい顔を真っ赤に染め上げてレボルトを見上げていた。

その顔は恋する乙女そのもの。

レボルトからしてみれば、今すぐにでも殺してやりたい所なのだが、イヴの出前そんなことをする訳にはいかず、仕方なく営業スマイルをしているだけなのだが。

「あのっ、お名前は?」

黙りこくっているレボルトに痺れを切らしたのか、女は同じ問いを躊躇いがちに繰り返した。
流石に黙っている訳にもいかず、レボルトは冷笑を浮かべながら口を開いた。

「貴女の様な醜い女性に名乗る名前など、生憎持ち合わせておりませんね」

「なっ!?」

女はパクパクと何度も口の明け閉めを繰り返し、呆気に取られていた。
やがて女の顔は、怒りで真っ赤に染まり、ワナワナと震え始めた。
彼女は外見から察するに、今まで男性に醜いと言われたことがないのだろう。
それが今回は、意中の男性から貶された。
その怒りの度合いは、貶されるのに慣れたイヴには予測出来ない程、凄まじいものだろう。

「貴方失礼にも程があるのではありませんか!?誰に向かってそんな!」

「ぬけぬけと。失礼なのはどちらです?イヴ様の事を先程まで貶していらっしゃったのはどこの誰だったでしょうか?イヴ様は貴女方にとっても上の立場。そのイヴ様を貶すとは天使も落ちたものですね。さて、なにか反論がおありでしょうか?」

女は冷笑を浮かべたレボルトの言葉に返す言葉が無いようだった。
怒りで綺麗な眉がピクピクとつり上がっている。

「さあイヴ様、行きましょう」

「……うん」

レボルトはそれ以降、女の存在等無かった様に、イヴを返り見た。
そのままイヴの手を引き、人気のない柱の影まで無理やり押し込むと、安堵した顔で溜め息を吐いた。

張り付けた仮面の様な笑みが外れた所には、イヴのよく知る、不機嫌そうに眉根を寄せている男がいた。
彼は不意にイヴの肩に額を載せると、疲れたとぼやきを零した。
心地よい重みがなんだか恥ずかしくて、イヴは体を固くした。

「お、お疲れ様です」

「もう少し労わって頂きたいのですが」

「……私に期待しても、そんなにいいものは返って来ないわよ」

「そんな事はありませんよ。一緒にいてくださるだけで癒されますから」

(こ、この人は……)

時々恥ずかしい台詞を平然と言ってのける所が恐ろしい。
思わずときめいてしまう。
だが、イヴのそんな気持ちも、次のレボルトの発言で粉々に砕け散った。

「まあでも、楽しかったからいいですが」

「楽しかった……?」

(なにが?)

なんだか嫌な予感がする。
数秒後、このイヴの予想は、多いに当たることになった。

レボルトはイヴの肩から顔を上げると、にっと邪悪な笑みを浮かべた。

「イヴ様を貶した女を罵倒できましたから。嗚呼、でもまだ生ぬるいですよね。やっぱり縛り付けて滅多刺しに」

「駄目だから!それ犯罪だから!」

やっぱりレボルトはただの鬼畜だった。
イヴは本日二度目のつっこみを入れるはめになった。
普通に考えて、滅多刺しはまずい。

(なんで毎回毎回、穏やかじゃないのよ)

イヴの気苦労は年々増していくのだった。
しかし、それに恐い程の笑顔で賛同した人物が約一名。

「そうよ!あの程度じゃ緩いわ!むしろ焼けた鉄板の上を歩かせるとか」

「リリス様、奇遇ですね。俺も羽をむしったりだとか、残酷な方が宜し」

「宜しくないわよ!」

(なに恐ろしいことさらっと言っちゃってるのよ)

つっこみが追い付かない。
レボルトだけならまだしも、リリスがまじってくると、話は更にややこしくなる。
いつもは全く気が合わない二人なのだが、親馬鹿同士、イヴ関連では妙に気が合うらしい。
黒い笑顔を浮かべて腕をバキボキ鳴らしている所などそっくりだ。
ユウは基本口先では恐ろしい事をさらっと言ってのけるが、実行する可能性は低い。
しかし、この二人は公言実行、本気でやりかねない。

「あら私の可愛い可愛いイヴちゃんを傷付けたんですもの。万死に値すると思わないかしら?」

「あのね、姉様。落ち着いて」

「あら、私は冷静よ?ただ、ちょーっと潰してやりたいだけだもの」

いつもは優しい聖母の様な女性なのに、イヴの事となると人格が変わる。
イヴは、レボルトに関してならある程度手綱を握れるのだが、昔からリリスにだけは頭が上がらない。
姉の様であり、母の様でもあるリリスを、イヴは昔から大好きであり慕っていたが、どこか恐れている節もある。
それは、子供が母親に対して抱く感情に似ているのかもしれない。
とにかくレボルトはイヴだけでなんとかなるが、イヴはリリスには敵わず、リリスを止めることは出来ない。
出来るとすれば、ユウもしくは、彼女の愛する旦那様であるアダムだけなのだが、彼は基本的に何事にも無頓着であり、天使がどうなろうと知ったことではないだろう。
更に最近は仕事という名の雑用をユウから押し付けられ、唯でさえ恐ろしい仏頂面に拍車が掛かっており、とてもじゃないが、イヴは関わり合いに成りたくなかった。
そもそも、イヴはアダムを見掛ける事はあっても、話をしたことは一度もなく、苦手意識すら持っていた。
小さな頃から、イヴはリリスから、ひたすらのろけ話を聞かされて育ってきたが、やはりアダムの事は好きになれなかった。

(纏う雰囲気が、子供の時から苦手なのよね。あの人、ちょっと怖いし)

とにかく、アダムは頼りに出来ない。
本音を言えば、イヴが話掛けたくないだけなのだが。
となると残された道は

「二人とも、その辺にしときなよ。なんかイヴがドン引きしてるから」

ナイスすぎるユウのタイミングに、イヴは心の中で親指を立てた。

「あら?そうなの!?ごめんなさいね、イヴちゃん」

ユウの言葉に、リリスが少し傷付いた様な表情をした。
ただでさえ綺麗な母の様な人の顔が、自分のせいで悲しげに歪んでいると思うと、イヴは少々ばかり罪悪感を感じた。

(なんで私の回りは全員顔だけはいいのよ、顔だけは)

中身はかなりぶっ飛んでいることもあり、扱いずらい事この上ない。
だが、ここで「そんなことはないわ姉様」と甘い言葉を言ってしまうと、天使全滅の恐れがある。
(やる、姉様なら、殺る)

イヴは心を鬼にして、「そんな物騒な事したら、私姉様のこと嫌いになっちゃうから」と、言うことを聞かない小さな子どもに向ける様に、囁いた。

「分かったわ。まあ、ここはイヴちゃんに免じて手を引いてあげてもいいわ」

頭に血が昇っている時は別だが、ユウの言葉で冷静に成ったリリスは、可愛いイヴの言うことを断りはしない。

「今度イヴちゃんが私とデートしてくれたら、ね?」

代償付限定で、だが。

「何故イヴ様が貴女とデートしなければならないんですか。目に痛い真っ赤な旦那と行けばいいでしょうに」

「ムサイ男は黙りなさいな。アダムとはいつでも出掛けられるからいいの。たまには女同士で話したいこともあるし、ね?イヴちゃーん」

「そうなの……?」

むぎゅー、と抱き締められイヴは複雑な心境だった。

「へぇ……女同士の……へぇ……そうですか」

(またレボルトの機嫌が低下する。毎回当たられるこっちの身にもなってよ)

とばっちりは、なんやかんやで結局イヴに回ってくる。
そのせいだろうか、イヴはどこか冷めた性格に育ってしまった。
回りは確かに皆イヴを大切に扱ってくれた。
大切どころか、ユウ曰く、「みんな末っ子のイヴにベタボレで、よく取り合いに発展してたねー。」とのことで、事実、それは現在進行形であり、取り合いに勝った方は上機嫌になるのだが、負けた方はかなり不機嫌になってしまい、その埋め合わせをするのがイヴにとって一番大変だった。
なんでも長年楽園には新入りがいなかったらしく、久々の新入りが可愛い女の子とあって、使用人含む楽園一同大興奮だったらしい。
そんなイヴ大好きな楽園の面子とは対照的に、天界の人間、つまり天使達はイヴを快く思ってはいなかった。
神であるユウは、その昔最初の人間アダムとリリスを作った時に、天使は人間に従う者と定めた。
その時、素直に人間に従った天使も勿論いたのだが、何人かの天使はこれに背いた。
人間は野蛮な生物、高貴で美しく賢い天使とは違う、これがユウの命に背いた天使達、堕天使の言い分だ。

そう言った堕天使達は、昔、楽園と天界に対し反乱を興したのだが、アダムの見事な手腕で楽園側の犠牲者0で治まったらしい。

この話を聞いた時、イヴは子供ながらに、アダム様って凄いんだーと純粋に尊敬の念を抱いた。

最初はユウの命だからと、仕方なくアダムに従っていた天使達も、これを期にアダムに絶対服従、結婚しているにも関わらず、ファンクラブまであるらしい。

しかし、この反乱から、ユウはアダムを信頼しだし、仕事を放棄、もといパシリだしたので、アダムにとっては一概に良かったとは言えないかもしれない。

とにかく、反乱が沈静化してからは、楽園は比較的平和になっていた。

ユウ曰く2世紀ぐらいは反乱は起きていないらしい。

昔は「冷徹な血の指揮官」と呼ばれたアダムも、最近は完全に平和ボケしている。

そのせいだろうか、新参者の天使達は、人間をなめている者が多い。

古参の天使達含む大多数は、過去の件から人間はやれば出来ると畏怖し従っているのだが、それはあくまでもアダムの功績のおかげであり、古参の天使達は、なんの功績もないのに神から気に入られているイヴを、歓迎はしなかった。

功績がないのは、リリスも同じなのだが、彼女は長く生きている。
神に愛されるのに相応しい人間だ。
それに加え気品と美しさを併せ持った女神のような女性。

更にアダムとのツーショットはかなり絵になっており、あの二人のツーショット写真は天使達の間でも高値で取り引きされているらしい。

イヴはまだ若い。
若くて子供なのに、苦労されず愛されている。
それが、天使には、特に若い女性の天使には許せなかったらしい。

昔、まだイヴが小さかった頃は、毎日女性天使達からのトラップ、それこそ即死レベルのものが仕掛けられていた。
それを察知していたレボルトは、さりげなくイヴをトラップとは逆の方向に誘導していた。

ちなみにトラップを仕掛けた女性天使達は、レボルトが毎回潰しに行っている。

そういった複雑な事情から、レボルトは、あまりイヴを外出させたがらなかった。

毎回毎回、イヴがリリスと外出する度にレボルトが苛々していたのは、ただイヴを取られて悔しいのもあったのだが、一番心配だったのは、イヴの身の安全だった。

ちなみに、その心配は現在進行形であり、今回のデートの件で不機嫌なのもイヴが変なトラップにひっかからないかという心配からだった。

レボルトが重度な親バカになってしまった経緯にはこういうものがあったのだが、それをイヴ本人が気付く事はないだろう。

(君も苦労するねえ、執事長)

ユウはレボルトの荒れまくっている内心を覗きながら、しみじみと心の中でコメントを呟いた。

「ま、それはさておき行こうか、イヴ」

「え?行くって何処に?」

イヴは唐突なユウの話題転換に、呆然とした。

「壇上に決まってるだろ?今日の主役は君だよ。」

(そういえば)

すっかり困った保護者二人を宥めるのに必死で忘れていたが、今日はイヴの成人祝いのパーティーだった。
イヴはこういった催し物の時は壁の花を決め込む類いの人間だ。

自分には関係のない世界なのだとそう割りきって、楽しむ天使のご婦人方を、ぼーっと、ショーウィンドーに張り付いている子供の様な眼差しで見るのが、イヴにとって一番性に合っていた。

そんなイヴを、誰も気には止めなかったし、文句も言わなかった。

しかし今回ばかりはそう言う訳には行かない。

主役は自分なのだから、逃げるなど許されはしないのだ。

「大丈夫ですよ。黙っていればユウ様がなんとかしてくれますから」

緊張でカチコチに固まっているイヴに、レボルトは優しい励ましを投げ掛けた。
それに便乗する形で、リリスもイヴにエールを贈った。

「そうよ、男は女に使われてこそ価値があるんだから。存分にユウ様を尻に敷いときなさい。」

「う、うん?」

(し…尻に敷くって…。流石に出来ないわよ)

ウィンクしながら囁かれた言葉に、イヴは苦笑を溢した。
一番のお偉いさんを尻に敷く等、たかが小娘の自分には出来ない。
しかし、当事者のユウは意外に乗り気だった。

「あ、いいね。非常に唆る」

(え、唆るの?この展開)

まともだと思っていたユウも、リリスの親。
この親あって、あの子あり。
やばい趣向の持ち主なのは同じらしい。

イヴは話が発展する前に、中断させようと試みたが、それはリリスのマシンガントークにより遮られてしまった。

「でしょう!従順な末っ子イヴちゃんもいいけど、女王様なイヴちゃんも中々そそりますよね!」

「イヴ様が女王。やっぱりまずは着せ替えあたりから」

レボルトまでも加わり、話はどんどん危ない方向に流れていく。

「あ、いいね!それ!何を着せても似合いそうだけど、やっぱりもうちょっと派手に着飾って」

「スリット入りスカートとか中々可愛いんじゃないかしら」

「リリス様、こういう時は意見が合いますね」


この危ない大人達は、自分になにをやらせる気なのか。

「そんなことよりほら!壇上であいさつなんでしょ!」

いいから変な論争はやめろ。
そう心の中で念じながら、イヴはユウの腕を無理矢理掴んで、壇上に向かってズルズルと引きずりながら歩き出した。
自分でも、どこに成人男性一名を引っ張る力があるのか謎だが、人間いざとなれば、成るようになるらしい。

「あのイヴさん?痛いんですけど」

イヴの有無を言わせぬ気迫に、ユウは思わず敬語になってしまった。
自分の子供に対し敬語を使うのはどうかと思うのだが、それ程今のイヴの気迫は恐かった。

「うるさい!黙って歩いて!」

そう言いながら振り向いたイヴは、確かに怒っていたのだが、その表情は本人は無自覚なのだろうが、真っ赤になっていた。

「無自覚って罪だよねえ」

どこの年寄りだ、あんたは。
ユウの発言を聞いていたイヴ以外の面子は、盛大に心の中でつっこみを入れた。

「なんでニヤニヤしてるの」

イヴはユウに対して疑問符を投げたが、それをユウは華麗にスルーした。

「別にぃー?ほら、壇上行くんでしょ」

そう言いきって、今度はユウがイヴを担ぎ上げて歩き出した。

途中イヴの「やめてよ!」「離してっ、自分で歩けるからっ!」という声が、残された二名には聞こえた。

「レボルト、あれは悪い虫が集るわ。かわいい、可愛すぎるのよ!イヴちゃん!」

きっと更に真っ赤に成っているであろうイヴを、恍惚とした顔で見つめていた。
レボルト以外の周りに立っている人間は、リリスのデレデレっぷりに正直引いていた。

「レボルト、イヴちゃんを私に渡す気は」

「ないですよ。というかリリス様、気持ち悪いです死んでください」

「失礼ねぇ。だってイヴちゃん可愛いんですもの!ああもう!可愛すぎる!何!?あの可愛い生き物!」

昔のレボルトなら卒倒物だろう。
しかしレボルトは倒れなかった。
それどころか普段と変わらず落ち着いて見える。
不服そうなリリスに対し、レボルトは平然と言葉を返した。

「あれぐらいで悶えてたら俺は死んでます」

「貴方頭大丈夫?」

かなり失礼だが、それぐらい言わねばリリスとしては気がすまない。
そんなリリスを見て、レボルトはニヤリと気色悪い笑みを浮かべた。

「なによ」

「いいえ?ただ俺は、貴女と違ってイヴ様を見慣れていますので。寝起き等それはそれは可愛らしく」

リリスの脳内にかつてない衝撃が走った。
イヴの姉ポジションとして、普通怒るべき所なのだが、しかしリリスは怒るより、好奇心が勝ってしまった。

どんな?と唾を飲み干しながら問うリリスに、レボルトはかつてない程の勝ち気な笑みを浮かべた。

「貴女と違って、俺は16年間イヴ様と暮らしてますので。貴女と違って。それはそれは、ねえ?」

貴女と違って、の所をやたらと強調しながらレボルトは鼻で笑った。

「貴方ねぇ、なんて羨まし……っじゃなかった。なんて破廉恥なっ!」

(今本音が出たね)

遠巻きに見ていたグレースは、心の中で静かにつっこみを入れた。
それ以前に、あの変態二人は何を論争しているのか。

(なんでそんなにイヴ様とやらにお熱なのかね、上の方々は)

グレースは、そんなにイヴを好んではいなかったし、逆に嫌ってもいなかった。
グレースの人を判断する基準は、仕事が出来るかどうか。
まだイヴは今日成人したばかりであり、仕事が出来るかどうか等分からない。

(箱入りお嬢がどこまで頑張れるか、見物と言えば見物かね)

グレースは、もう一度だけ暴走している保護者二名を見てから、静かに仕事を再開した。


* * *


(き、緊張する……)

イヴは壇上の裏でギュッと掌を握り締めた。
壇上に上がるなどイヴにとって初めてのこと。
いままでは、下から壇上を見ながら、上に立つユウを他人事だと割りきって呆然と見ているだけだったイヴ。
しかしいざ自分が上に立つ身になってみると、全員の視線が一気に集中するこの場所は、かなり緊迫感のある場所だと分かった。

(実はユウ様って偉大?)

イヴはちらっと、隣に立つユウにばれない様に、ユウの顔を見上げた。

普段はのほほんとしているユウなのだが、流石は神様。
こういう時には頼りがいがあるのだ。

「心配しなくても、僕が全部やるから大丈夫。
イヴはにっこり笑って、立っててくれるだけでいいから、ね?」

こくりと無言で頷いたイヴを、ユウは慈愛に満ちた瞳で見詰めた。
そのまま、ぽふっと手をイヴの頭の上にのせ、ゆっくりと撫でた。

「よしよし、いい子」

「ユウ様、私もう子供じゃないわよ。」

「まあね。でも僕にとっては、イヴはまだまだ可愛い子供なんだよ」

むっと膨れながら言うイヴに、ユウは、はにかんだ笑顔を返した。
子供ではない、そう言ったイヴは、ユウにはどう見ても小さな子供の様に見えた。
大人に憧れている小さな幼子、ユウにとっては16年前のイヴも、今のイヴも変わっていない様に感じられた。
ユウはレボルトにイヴを預けた事を後悔した事が何度もあった。
あんなに過保護ではイヴが巣立ち出来なくなるのではないかと。
だが、そんな心配を他所に実際イヴは自我をしっかり持った少女になった。
しっかり自立する事は、親としては嬉しい限りなのだが、それを、「ユウ」という一つの人間は寂しいとも思う。

(僕も大概親馬鹿か)

レボルトやリリスをとやかく言える身分ではないのかもしれない。

「ユウ様、そろそろ」

「ああそうだね、じゃあイヴ、行こうか」

メイドの催促を受けたユウは、にこっと向日葵の様な笑顔を浮かべると、イヴの手を引いた。
そのあまりにも綺麗な所業に、イヴはつられて笑顔になった。

「はい」

(固くなっちゃだめ。落ち着け、落ち着くのよ)

イヴは、必死に自分を落ち着かせると、ユウに答える様に、力強くユウの手を握り返した。
そんなイヴに、ユウは笑みを返した。
何が起きようと、大丈夫。
この娘は自分が直接手を下してでも、守り通してみせる。

ユウにとっても、イヴは小さい時から愛でてきた大切な花であり、傷付けられた事は許しがたい。

(さてと、思い上がっている悪い天使には、神様が天罰を下してあげようかな)

ユウは、ふふふとエスコートしているイヴにバレない様に、ひそかに邪悪な笑みを浮かべたのだった。

prev next

TOP/ 戻る