14.執事長と蛇
それから10年
その日、楽園の城はいつも以上に騒がしかった。

というのも、今日はユウの秘蔵っ子ことイヴの成人祝いのパーティーが、天使達を招いて盛大に行われることになっているからだ。
この世界は、神の寵愛を一心に受ける者たちが住む楽園、神を守護し、死んだ人間を導くものが住む天界、人間が暮らす人間界、叛逆者の住まう地獄という四つから出来ており、地獄以外の界は楽園に絶対服従という構図が成り立っていた。
ただし、人間界は神の手中にはあるものの、天使と違い、彼らは楽園に干渉することは出来ない。
というのも、人間は不老不死を持たない非常に曖昧な存在であり、むやみに楽園に干渉すると危険だろうという、ユウと補佐官であるアダムの方針だった。

ユウとの約束通り復帰したレボルトの指示の元、使用人一堂は昨日から切磋琢磨に準備を進めていた。
パーティー開催間近のラストスパートとばかりに、今朝から料理の仕上げや会場の支度をしていたその時、事件は起こった。

「あの執事長、ちょっとお話が」

先頭に立ち、やれその食器はそこだとか、料理はそこに置けだの指示を飛ばしていたレボルトに、部下の一人である男が声を掛けた。
平常心を保とうとしているのは解るのだが、その男の表情はかなり強ばっていた。
やけに深刻そうな部下の顔に嫌な予感がひしひしとしたが、レボルトは気にしないことにした。
つい昨日復帰したばかりなのだ、久々の仕事は疲れる。

何故いままで自分が耐えられたのか謎だな、とレボルトは自分でも不思議だった。
昨日までは大切に育ててきた愛娘と二人、のほほん楽しく暮らしていただけに、予想外に心的ストレスがきていた。

とにかく、指示を出すのに手一杯で他の所まで手を回す余裕はない。

「なんですか、困っているならメイド長にでも聞いてください。ああ、その食器は一番前へ」

対応しながらも部下への指示は出し続ける。

「いえそれが……あのこれはその……執事長にというより……その、レボルト様にといいますか」

メイド長であるグレースならば解決出来るだろうと紹介したのだが、男は困った顔をして更に青ざめてしまった。
オロオロしている所が鬱陶しい事この上ない。

「この糞忙しい時になんですか?」

仕方なく、睨み付ける様に振り替えると、男は覚悟を決めた顔をした後、手招きして内緒話の如くコソッとかなりの爆弾発言を投下した。

「あのじゃじゃ馬……」

思わず思っている事を口に出してしまう程には、男の発言は衝撃だった。
男の発言は、簡単に要約するとこうだった。
イヴが脱走した。

イヴはこの数年で見違える程綺麗になった。
それは親の欲目などでは無く、事実だとレボルトは思う。
しかし、イヴは自身の外見を非常に気にしているらしい。
それも無理もない話で、楽園と天界は色々と顔のバランスがゲシュタルト崩壊している。
美しくて当然、美しくないものは死ねというレベルに、全員顔が整っている。

イヴが不細工な訳ではない。
楽園にしては珍しく、美女系ではなく可愛らしい系に分類される顔付きなだけだ。
ただ、レボルトに育てられただけあって、イヴは変なところでドライだったりする。
彼女は華美な装飾は好まず、基本的にシンプルな服で過ごそうとする。

それも彼女の魅力だとレボルトと楽園一同は思っているが、天界の者たちはそうは思わないらしく、あまり、イヴに対して好感を抱いてはいないようだった。

イヴは非常に、その事について気になっているようだった。

それはレボルトの目から見ても明らかではあったし、今回の脱走も不自然ではないと思えた。
だがしかし、脱走が許されるかどうかと言う話になると、当たり前だが許されない。
保護者として気持ちは分からなくはないが、執事長としての立場になるとレボルトはイヴに少しは苛立ちを覚えざるを得なかった。

「見張りはちゃんと仕事をしていたんですか?」

「いえ、それが、見張り共々逃げたといいますか」

「ちなみにその見張りとは」

「ラビアンヌです」

ラビアンヌとはイヴと仲の良いメイドだ。
比較的若いと言う事もあり、二人の中は使用人と主というよりは、気安い友達のようだった。

ラビアンヌはイヴを崇拝しているらしく、そんな彼女がイヴの願いを聞き届けた事は不自然な事ではない。

二人共絞める。

脳内で恐ろしい事を考えていると、背後から声を掛けられた。

「あんたらは何をやってんるんだい?」

レボルトの言葉を遮って現れたのは、先程まだレボルトが事情を知らなかった時に男におすすめした、メイド長こと、グレース・レオパードだった。

男勝りでサバサバしたところのあるグレースは、レボルトも頼りにしていた。

これはグッドタイミングとばかりに、レボルトはグレースに指示の書かれた書類をぽんっと全て手渡した。

「グレース、丁度いいところに。すみません、所要が出来ました。なのでここからの指示、全てまかせます。貴女の実力は俺も買っています。なので出来る筈です。絶対出来ます。というよりやってもらわないと困ります」

「はぁ!?あんた、どこに行く気だい!?」

突然のマシンガントークに、グレースは完全に置いてきぼりになった。
空いている片方の手を、レボルトに伸ばすように上げたものの、全速力で駆けていくレボルトとの距離は広がっていくばかり。
その間にも、グレースの回りには指示を待つ部下達が集まり始めていた。

「重要な用が出来たと言っているでしょう。とにかく任せました」

聞こえるのはレボルトの棒読みの言葉だけ。
レボルトの姿は、人混みに紛れてすでにグレースからは見えなくなっていた。

文句を言おうにも、周りには部下が集まってきているので下手な事も言えない。
グレースは一度舌打ちすると、もうどうにでもなれ、と半ば投げやりな気持ちで仕事に没頭した。

レボルトは、会場から出るとトントンと廊下の壁を叩いた。
傍から見ると馬鹿らしい光景だが、レボルトにとっては意味のある行為だ。
壁を叩いて数秒後、天井の隙間からスルスルと一匹の蛇が出現した。
レボルトは特に驚きもせず、当然の様に蛇を腕に巻き付けると

「行け。道中、他の者にも連絡を」

と言い放ち、再び天井の中に忍び込ませた。

見つけたらただじゃ置かないと、レボルトは引き攣った笑みを浮かべると自身もイヴの搜索へと乗り出したのだった。

一方その頃、イヴは脱走を手助けしてくれた友人ラビアンヌと、城の天井裏に潜んでいた。
なんとなく悪寒がして、イヴはびくりと小さく肩を震わせた。

「イヴ様?どうしましたの?」

「ううん、なんでもないわ」

(今、レボルト気配を感じた気がしたんだけど……気のせいよね?)

レボルトには悪いが、今回ばかりは流石に勘弁して欲しい。
逃げてもいつか見つかるのは分かりきっているが、少しでもパーティーから逃げていたかった。

「ラビ、巻き込んでごめんね?レボルトには私だけ怒ってもらうことにするから許してね」

自分が逃げれば、その皺寄せは全てラビアンヌに降りかかってしまう。
今回、このパーティーに出たくない一心で脱走を計画したのは、イヴであり、ラビアンヌはただイヴに協力してくれただけだったといしても。

(いつも迷惑ばかりかけてごめんなさい)

そんな気持ちを込めて、イヴは大切な友人に詫びを入れたのだが、ラビアンヌはとんでもないといった表情でイヴの手をギュッと握り締めた。

「そんな!わたくしの中でイヴ様は絶対!!たとえ火の中水の中!わたくしの大切なイヴ様を傷つける者は、たとえ執事長でも許しませんわ」

「あ……ありがとう」

イヴは、苦笑いでラビアンヌの清んだ桃色の瞳を見詰めた。
この友人は、毎回反応がオーバーなのだ。だから、イヴも反応に困る。
イヴ自身には、特にラビアンヌになにかしてあげた覚えは全くないのだが、ラビアンヌはイヴを好んでいてくれる。
イヴを恩人と呼び、ひたすらに慕ってくれている。
それは、確かにイヴにとって有り難い事なのだが、少し申し訳無さも感じる。
ラビアンヌは、自分に過度の期待を抱いているだけ、本当の自分はちっぽけで、貧相な人間なのだから。
パーティーに出たくない理由もそこにあった。
昔、まだイヴが16歳で成人を迎える前、確か14歳の誕生日に、今回の様に盛大に、イヴの誕生日パーティーが同じ様に天使を招いて行われたことがある。
その時招かれていた女性の天使達数人が、イヴを見て、蔑み、嘲り笑う様な軽蔑の視線を向けていたのだ。
美しいふくよかな女性らしい体つきの彼女らは、出るところが出ていない細見のイヴを見て、
「貧相な子、顔付きも凡人並みってところかしら」
「あんな不細工な子が、私達を差し置いて、御上のご寵愛を受け、大切にされているなんて許せないわ」
「私達の方が美しいわ。あんな子の何処がいいのかしらね」
「ふふふ、上のお考えは分かりませんわね」
とはっきり自分を見て陰口を叩いていたのをイヴは聞いた。
それがトラウマになって、イヴは表舞台に出るのが嫌いになった。
毎回ラビアンヌやリリスは、大丈夫と励ましてくれるのだが、それでも
(私は、姉様やあの天使達みたいに綺麗じゃないもの)

イヴは、お世辞にも女性らしいふくよかな体型とは言えなかった。
むしろ細い、細すぎて全体的に貧相な出来栄えだった。

(駄目だなぁ……私って)

育ての親のレボルトが、男にしては綺麗な目鼻立ちをしているせいで、更にそのコンプレックスは強くなっている気がする。
イヴは、はぁと溜息を付きながら膝を抱えこんだ。
その時、イヴの足の下を、なにかヌメッとした感触が伝わった。
それはイヴだけでなく、ラビアンヌもだったらしく、二人はお互いの顔色が青くなっていくのを感じていた。

「ねえラビ。今足の下になにか」
「いますわね。爬虫類的ななにかが」

イヴはその言葉に嫌な予感を感じ、素早く足の下に居る謎の生物を、手掴みで引きずり出した。
そこにいたのは、見事な鱗を持った白蛇だった。
蛇は二人にとって、今最も遭遇したくない生物だった。
それは、蜘蛛やネズミの比ではない。
まずい、イヴがそう言おうと口を開きかけたその時、二人の背後で、カタリと禍々しい気配と共に、天井の板が持ち上がる音が聞こえた。
嫌な予感が脳裏を過る中、イヴとラビアンヌはグギギと機械の様に首を背後に回した。
そこにいたのはやはり

「見つけましたよ、イヴ様」

気持ち悪いぐらい笑顔なレボルトその人だった。
白蛇は、レボルトを視界に捉えると、スルスルと彼の方へ向かって動いて行き、シュルルと彼の腕に巻き付いた。

「ご苦労」

レボルトが軽く労いの言葉を掛けると、白蛇は嬉しそうに舌を出しピロピロと動かした。

(相変わらず凄い捜索能力)

イヴは見事な白蛇の追跡力に白旗を上げた。
イヴがレボルトと蛇が戯れている様子を見るのは初めてではない。
初めてどころか、実はかなりの回数目撃していた。
気になってレボルトに聞いてみると、レボルトは人間の姿形をしているが、正しくは人間ではなく蛇らしい。
彼によると、使用人は全員人間ではない生き物であり、ユウの力で人間の姿になっているそうだ。
だから、使用人達は人間の姿に成る前の自分の原型の生物と会話する事が出来、ふつうの人間ではあり得ない、なんらかの能力を持っているらしい。
だからレボルトは蛇との会話が可能であり、仲間の蛇を活用して、よく情報収集に活用したりしているらしい。
蛇達の捜索能力は半端なものではなく、いままでイヴとラビアンヌが逃げ切れた事は一度たりともなかった。

「イヴ様、パーティーまで時間がありません。お仕置きは後にします。行きますよ」

レボルトはずかずかとイヴに接近すると、隣にいるラビアンヌを完全に無視して、軽々とイヴを担ぎ上げた。

「なっ!?下ろして!自分で歩くわよ!」

「お断りします。どうせ、離したら逃げる気でしょう?」

「逃げない!もう逃げないから!」

「問答無用」

反論してバタバタ暴れるイヴを悠々と片手で押さえ込みながら、レボルトは楽々と天井裏からイヴを担いだまま、飛び降りた。

(すごい運動神経ですわね…)

あまりの早業に、ラビアンヌはなすすべもなく、呆然とするしかなかった。

それと同時にラビアンヌは、16歳であるイヴを軽々と担ぎ上げたまま飛び降りて平然としている執事長は、軍に行った方がいいのではないかと、真剣に思ったのであった。



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