13.優しい夜
昼間の件で機嫌を損ねたかと思えば、急にレボルトは上機嫌になった。
五年の歳月を共に過ごしていても、イヴには彼の機嫌の上下が未だに理解できない。

その日の夜、なんとなく昼間に撫でてもらった腕のぬくもりを思い出して、イヴはソファで珈琲を飲みながら寛いでいるレボルトの膝の上にちょこんと乗ってみた。

六歳と言うのは多感な時期だ。
子供でも、レディはレディ。
小さな時なら気にならなかった些細な事でも時々羞恥心を感じる時があるらしく、近頃のイヴはレボルトから少しばかり距離を置きがちだった。
その代わりに懐き始めたのが、同性であるリリスだった。
いくら保護者代理といえども、レボルトが男性である以上限界というものがある。
そういう時はリリスに任せざるを得ない状況になり、レボルトとしては昼間の件のように複雑極まりない心情になるのが常だった。

それに加え、時々イヴはリリスのところに泊まることもある。
たかがその程度でイラつくべきではないのだろうが、なんとなく気に食わなかった。

なにより、イヴがリリスに懐く事に抵抗を覚えている自分が、一番レボルトには理解し難い事だった。

そんなレボルトの心情等全く知らず、イヴはまじまじとレボルトの顔を眺めていた。

就寝前、レボルトは眼鏡を外す。
眼鏡越しだと冷たく見える紫の双眸も、こうして見ると酷く優しいものに見える。

「どうしました?」

「……なんでもない」

素直に褒めるのがなんだか気恥ずかしくて、イヴはふいっとレボルトに背を向けた。
髪を撫でる大きな手が、酷く心地よかった。

「こうしてゆっくり過ごすのは、随分久しぶりではありませんか?」

「そう……かな?」

「そうですよ」

柔らかくも微かに責める色が含まれる声だった。

「……レボルトは」

「はい?」

「レボルトは……私が姉様やユウ様と仲良くするのが嫌……なの?」

僅かな沈黙の後、レボルトの顔を返りみながら、イヴが静かに口を開いた。
昼間の事から考えるに、その答えが一番正しいのかなと、イヴが幼い思考回路で必死に探した答えがそれだった。

理由までは分からなかったが、とりあえずはそれで十分だ。

「嫌ではありませんよ。ただ、俺としましてはイヴ様が目の届かないところにいらっしゃるのが不安なだけです」

レボルトはどこまでも穏やかだった。
イヴの腹部に回された腕に篭る力が少し強まったぐらいで、後はどこも変わらない。
むしろ穏やかな微笑を湛えていた。

けれど、イヴにはなんとなく引っかかる事があった。
本当に嫌ではないのなら、レボルトは淡々としてもっとバッサリと告げる。
それが、今は笑顔だ。
本当の気持ちを押し隠すように。

「……私はどこにも行かないよ」

目を閉じて、自分にも言い聞かせるようにイヴはそっと声を出した。

「レボルトに心配掛けたくないから、泊まるのはやめる。……でも、時々遊びに行くのは許してね」

にこっと満面の笑みで、イヴはレボルトに微笑みかけた。
目を見開いて、レボルトは言葉を失っているように見えた。だか、それは一瞬の事。
レボルトはすぐにいつものぶっきらぼうな顔に戻ると、

「そろそろ寝ますよ」

と素っ気なく口に出した。
彼はそのまま自分の寝室に引っ込もうとしたが、それを既手のところでイヴがパジャマをひっぱり引き止めた。

「どうかしましたか?もう夜も遅いですし、用事があるならまた明日にでもーー」

「いっしょにねる」

イヴとレボルトの寝室は小さい時は一緒だった。
それは、まだ幼い子供をひとりにする訳にはいかなかったからだ。
イヴも女性なので、いつまでも大の男と寝るのは問題があるだろうと寝室は早めに分けていたのだが、やはりまだ子供らしい。
今日は甘えたい日なのだ。
レボルトはそういう風に解釈しておくことにした。

「今日だけですよ」

イヴの顔が途端に喜びに染まった。

「やったぁぁぁ!!」

嬉しそうに雄叫びをあげて腕に抱き着いてくるイヴに、レボルトは単純だなと苦笑した。

「明日からは一人で寝ること。いいですね」

「はーい!」

ゴソゴソと横に潜り込んでくるイヴに、遠慮は全くない。
我が物顔で侵入し、先に布団に入ったレボルトの肩あたりに、頬擦りをして抱き着いていた。

ポンポンと軽く頭を撫でれば幸せそうな笑顔が返ってくる。

「おやすみなさい、レボルト」

「おやすみなさい、イヴ様」

こうして、優しくて暗い夜の帳が下ろされた。
こんな平穏がいつまでも続けばいいのになと、イヴは夢と現の狭間で思うのだった。

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