12.保護者としての信頼
それから5年、イヴはすくすくと成長し、可愛らしい6歳の少女になった。
イヴにはまだまだ成人する兆しは無いようで、身長も少しずつだが伸び続けていた。

レボルトはイヴを、好奇心旺盛な賢い子供だと感じていた。
なんにでも直ぐに興味をしめすイヴは、疑問を感じれば、直ぐ様トコトコとレボルトの所によってきては、『レボルト、あれなあに?』と笑顔で質問をするのだった。


だから、ユウは疑問を感じたのだ。
いつもいつも片時もレボルトの傍を離れようとしないイヴが、今日は見当たらなかったから。

「あれ?レボルト、イヴは?」

ユウが笑顔で、窓の外を頬杖をつきながら眺めているレボルトに問い掛ければ、物凄く不機嫌な、まるで地獄の底から出した様な低音がレボルトから返された。

「……リリス様の所じゃないんですか?」

振り返ったレボルトは、それはそれは邪悪な笑顔を浮かべていた。
見ているユウの方が寒気がしてくる程それは寒々しかった。
よっぽどリリスにイヴを取られたのが悔しいらしい。ピクピクと口角は引き攣っており、眉間に皺も出来ている。

「……あのクソババア」

ボソリと普段では心に留めておくだけで決して言わない様な悪態を吐く辺りかなり重症だ。
こういう時、ユウはレボルトにイヴを任せたのは間違えたかもしれないと思うのだ。
確かに、イヴはレボルトのお陰か素直な少女に成長した。
その点は、なにも問題はないのだ。そう、イヴに関しては。
問題なのはレボルトの方だった。

「レボルト。君さ、ちょっとばかり……いや、かなり……物凄く過保護過ぎるんじゃない?」

「何処が過保護なんですか、あんな性悪年増といたらイヴ様の根性も腐ってしまいます。そんな諸悪の根源みたいな方とイヴ様を一緒にしておくなど耐えられな─」
「だーれが性悪年増諸悪の根元ですって?」
「ただいま!レボルトっ!」
「おかえりなさい、イヴ様」

レボルトの眼中にはイヴしか入っていないらしい。
レボルトはきらきらとした満面の笑みでイヴを呼び寄せると、少女をギュッと抱き締めた。

レボルトの対応が嬉しいのか、イヴもにこにこと嬉しそうだ。
リリス以上のレボルトのデレデレっぷりに、当人以外の二人はドン引きしていた。

小一時間離れていただけだというのに。これは過保護というよりは

「死ねロリコン」

ボソリと呟かれたリリスの言葉に、ユウは全力で同意した。

「同感」

「失礼な、俺の何処がロリコンなんですか」

「そんな鼻の下伸ばしてドヤ顔されても、説得力は皆無よ」

じろり、とレボルトを睨みつけているリリスを、イヴは呆然と見詰めていた。
二人の間にはゴゴゴゴゴと良く分からない暗黒のオーラも漂っていた。
自分といる時は、いつも二人ともにこにこしているのに、いざ顔を合わせるとドス黒いオーラを出しながらの睨み合いが始まってしまう。
その理由が、まだ小さい幼いイヴには理解出来なかった。
二人の間に挟まれて、いたたまれなくなったイヴは、モゾモゾとレボルトの懐から脱け出すと、ツンツンとリリスのドレスの裾を引っ張った。

「あら、どうしたの?」

(……笑った)

こうすれば、大抵の喧嘩は収まることは、理由は分からなくとも、何となくイヴは理解していた。
その証拠に、先ほどまで黒い笑顔だったリリスが、イヴの方を向いて穏やかに微笑んでいた。
それとは対照的に、レボルトの回りの温度はどんどん下降していっているのだが。
横でそれを見ていたユウは一人レボルトの絶対零度にひっと小さく悲鳴を上げていた。

「リリスねえさま、イヴ、お腹減った」

本当は、さほどお腹は減っていなかったのだが、この二人の喧嘩を止めさせるのには、これが最善策なのだ。

「イヴ様、リリス姉様ではなく「リリスおば様」の間違いでは?」

一瞬和んだ場も、ボソリとレボルトの発した言葉に、瞬時にしてリリスの眉間に皺がより、またしても場が凍りかけたが、イヴがリリスドレスを更に強く引っ張ったことにより、氷河期の訪れはなんとか免れた。

「ねえさま、行こう」

(イヴちゃんっ…)

イヴのおねだりにより、リリスは完全にノックアウト寸前だった。

「気持ち悪いですよ、リリス様」

レボルトが発した忌々しげな呟きも、今のリリスには効果はない、というより聞こえていない。

「そうね、こんなどうしようもない阿呆は放っておいて、一緒にご飯食べにいきましょうか」
「うん」
「それじゃあレボルト、ご機嫌様」
「あのね、……レボルトにもちゃんと、ご飯持ってくるからね」

バタンと扉が閉まる音が、寒々しくレボルトの自室に響き渡った。
レボルトの部屋を出ていく寸前、イヴと手を繋いでいたリリスは、完全に勝ち誇った表情をしていた。
イヴが心配そうに、レボルトを見ていたのがせめてもの救いだが、レボルトのイヴを取られたショックはかなり大きかったらしい。

その後、レボルトが自室の執務用机に、何処からか取り出したナイフで、グサリと無表情に深々と穴を開けたのを、ユウははっきりと覚えている。


リリスと長い廊下を歩きながら、イヴはずっとレボルトの事を考えていた。
あの場をなんとか切り抜ける為に、イヴはリリスの手を取って、部屋を出たが、イヴにとって一番大切な位置付けにいるのは、昔からレボルトだった。
回りの人間は、皆レボルトを恐ろしいと言っていたが、イヴにはそうは思えなかった。
確かにレボルトは、口が悪く、鉄面皮かもしれない。性格も根性も腐っているのかもしれない。そこは否定しない。

だが、本当は優しいとイヴはこの五年間で理解した。
実はレボルトが優しく接しているのはイヴだけなのだが、その事実をイヴは知らない。

「ねえ、リリスねえさま。レボルト大丈夫かな?」

隣を歩いているリリスに、不安気に問いかければ、冷たい笑いが返ってきた。

「大丈夫よ。あんな阿呆は放っておいても平気」

(阿呆……)

流石にそれは酷いと思った。

「レボルトは阿呆じゃないもん」

イヴは膨れてそっぽを向いた。
小さいイヴにとって、レボルトはなんでも知っている先生だった。
なんだかんだ言いながらも、最終的にイヴの質問には、どんなことでも答えてくれる。
そんなレボルトを阿呆呼ばわりされるのは、心外だった。
だがリリスは、レボルトをばっさり切り捨てた。

「イヴちゃん、騙されちゃダメよ。あのバカは猫を被ってるのよ」

「猫?」

(…レボルトって猫なの?)

イヴの脳内では盛大な勘違いが生じていた。

「ええ、そうよ。レボルトは本当は恐い狼さんなのよ?」

「狼……?」

(……狼なの?……猫なの?どっち……?)

「ええ、そうよ。近寄ったら食べられちゃうの。だから、あんまり近寄っちゃダメよ?ねえ、レボルトの代わりに姉様が面倒見てあげるから、今日からは姉様と暮らしましょう!」

本当は狼うんぬんではなく、後者が本音である。
リリスにとって、可愛い可愛い妹分をあんな男の所に置いておくなんて耐えられない事態なのだ。
昔はそれはそれで面白いかもしれないと思っていたが、今は断固反対だ。
今のイヴを見ていると、昔の自分を殴り飛ばしたい気分になる。
こんな可愛い子を逃すのは惜しかった。
そんなことを言っても、今となっては後の祭り。
だが、とにかく、リリスはイヴがイエスと言えば、直ぐにレボルトからイヴを奪い取る所存だった。
だがしかし、イヴの答えは非情なものだ。

「やだ、レボルトがいい」

答えるまでの時間、僅か二秒。
あまりのイヴの即答ぶりに、リリスはがくりと頭を垂れたのだった。

* * *

イヴは目の前のドアをノックするのを躊躇っていた。
リリスとの食事を終えて、とことこ料理を抱えて約束通り、レボルトの部屋の前まで来たのはいいのだが、件の部屋からは、明らかな冷気が盛れ出していたのだ。

(これ、入ったらまずいんじゃ……)

いくらイヴが小さくとも、それぐらいの分別は付く。
レボルトは、普段でも冷気を醸し出す事が多々あるが、それがイヴに向けられた事は一度足りともなかった。
だが、今回は別だ。
恐らく部屋の中にいるレボルトは、イヴには気付いている。
さすが休職中といえども使用人頭兼執事長。
気配には敏感らしい。

ということは、この冷気は間違いなくイヴに向けられたものだ。
ギュッと料理が乗ったトレイを握る手に力が籠る。

(大丈夫。大丈夫なはず!)

イヴが覚悟を決めて、ドアのぶに手をかけたその時

「遅い!」

「…わっ!?」

中から物凄く不機嫌なレボルトが現れた。
眉間の皺も五割増な気がする。

「とりあえず、入りなさい」

にこり、といつもなら黒い笑顔を浮かべる所なのだが、今回は違う。

不機嫌なのを全く隠していない。
それだけ余裕がないのだろうか。

(こわい……)

言われた通り部屋に入り、バタンと扉を閉める。
イヴには、その音がやけに恐ろしく思えた。

「え……っと、ごめんなさい……」

料理を近くのテーブルに置き、とりあえずドアの前で深々とお辞儀をする。
レボルトが怒った理由はよく分からないが、怒らせてしまったのは事実。
料理を持ってくるのが遅かったから怒ってるんだと、それ以外の理由はイヴには考えつかなかった。

「それは何に対する謝罪ですか?」

「えーっと、料理を持ってくるのが遅くなったことだけど……違うの……?」

「………はあ」

親の心、子知らずとは、この事だろうか。
微妙に間違った使用法な気はするが、細かい事はこの際どうでもいい。
レボルトは、ある意味予想通りの回答に、手で目を覆いながら、深々と溜め息を吐いた。

「レボルト……?」

(なんでそこで溜め息を吐くの?)

イヴは、レボルトを見て首を傾げた。
謝ったのに、何故呆れられなければいけないのか。

「イヴ様、他に思い当たる節はないんですか?」

「他?」

いくら考えたって、分からないものは分からない。
うんうん唸っているイヴを尻目に、もう無駄だと判断したレボルトは、重い腰を上げてイヴの方に、カツカツと歩み寄った。
イヴを見ていたら、怒っていたのがアホらしくなってきた。

「イヴ様」

呆れ半分、愛しさ半分でイヴに手を伸ばす。
表情もレボルトからすれば、心なしか柔らかくなった気がする。
だが、イヴにはそうは写らなかったらしい。

(怒ってる…?なんかよくわかんないけど、凄い怒ってる!?)

びくり、と小さな肩がレボルトの声に反応して微かに揺れた。

「貴女は愚かですね」

(本当に馬鹿で無知で、だからこそ愛おしい)

そのまま屈んでギュッと抱き締めれば、驚きからかイヴの瞳が大きく見開かれた。

「レボルト?」

「はい?」

「怒ってないの?」

恐る恐るといった様子で、イヴはレボルトの瞳を真っ直ぐに見つめた。
それに応える様に、柔らかく微笑んだレボルトに、イヴはどこか安堵した。

「もう怒ってませんよ。というより…呆れました」

「呆れた?なんで?」

ぽかんとイヴの口が開く。
その形相は、大方『なんで謝ったのに呆れられなければならないのか。』という気持ちからだろう。

「貴女は知らなくていいんですよ。」

むしろ知らないで欲しい。
イヴをリリスに取られて悔しかった等、レボルトとしては絶対に知られたくない。
ぽふ、と誤魔化す様にイヴの頭に軽く手を乗せると、柔らかく微笑んだ。


リリスは、レボルトを「どうしょうもない阿呆」と称したが、やっぱりレボルトはイヴの中では、偉大な人だった。
たまに訳が分からない理由で怒ったり、冷気を醸し出したりするが、それでも

(大切な、私の……)

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