終わりを告げる調
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それから一週間、なんの変化もない普通の日常が続いた。
キースも、あれから特に由香に接触を求めてくる事もなく、教師と生徒という立場として、ごくごく普通に振舞っていた。

時々目が合って微笑まれる事があるものの、本当にそれぐらいだ。

そんなキースに、由香は拍子抜けしていた。
何もしてこられないと逆に気になる。
気になって気になって仕方がない。

(キースさんの策略に見事に嵌められた気がするなぁ……)

押してダメなら引いてみろとはよく言ったものだ。実際由香はその作戦に引っかかってしまっている。

(でも……好きかと言われると……)

溜息を吐いて教卓の前に立つキースをちらりと盗み見る。
キースは確かにかっこいい。
かっこいいというよりは美しいと形容した方が彼には相応しい。
言葉遣いは丁寧で、振る舞いも英国貴族そのもの。

しかし、由香はキースに相応しくない。
こんなちっぽけな小娘がキースの隣に並んでいい訳がない。
あれは勘違いだ。
(勘違い……勘違い……)

キースは由香と誰かを間違えている。

(だって私は……私は……)

「青桐さん」

「は……はい!?」

唐突に投げ掛けられた穏やかな声に、由香は思わず裏返った声で、しかも疑問系で返してしまった。

「青桐さん、答えを書きに来てもらってもいいかな?」

そう言って、キースは穏やかな微笑を浮かべながらコンコンと小さく黒板を叩いた。
見れば、昨日出されたワークの宿題と同じ問題が書かれていた。
由香がぼーっとしている間に、いつのまにか答え合わせが始まっていたらしかった。

「……え……あ……はい……」

幸いにも、括弧の中の単語を並び替えて英文を作るという由香が得意とする部分が出た。

(これなら……大丈夫)

正直黒板の前でクラスメイトの目線に晒されるというのは未だに慣れないが、授業なのだから我が儘は言ってられない。

席を立ち、キースの横を何事もないように装って通り過ぎ、由香は赤面しながら力強くチョークを握った。
左手には答えの書かれている自分のワークがある。

(答えを写すだけ……答えを写すだけ……)

膝がガクガクしていた。
そんな由香の様子を察知したのか、キースはさり気なく、皆の視線を遮るように、由香の前に立ちふさがってくれた。

さり気ない優しさに心臓が少し跳ねた。

「あ……ありが……」

お礼を言おうとすると、他の生徒からは見えない角度で、キースは無言で由香の頭を2、3度撫でた。

久しぶりのキースからの接触に、由香は倒れそうだった。

小声で抵抗を試みようとしたが、キースはそれ以上特に何もしてくる様子がなかったので、由香は大急ぎで板書をすませると、赤くなる顔を隠しながら、そそくさと自分の席に戻った。

「はい、正解。よく出来たね」

にっこり微笑んだキースに、教室内の女子が一気に湧いた。
何時もの事なので、由香ももう慣れた。

その授業中、自己嫌悪やら色々で、由香の頭の中はぐちゃぐちゃだった。
だから、由香は投げ掛けられた意味深な視線や、時々愛しげに細められるキースの目線に全く気が付いていなかった。


その翌日、学校に登校してみると、どうもクラスの雰囲気がおかしかった。
ザワザワと落ち着かない、由香が転校してきた時のように。

「千尋ちゃん……なにかあるの……?」

堪らず友達と歓談していた千尋に声を掛けると、彼女は興奮した様子で由香の肩を掴んできた。

「聞いてよ由香!また転校生が来るんですって!しかもうちのクラスに!」

「え……?」

由香の小さな呟きとほぼ同時にチャイムが鳴り、一条が教室に入ってきた。

「はーい!皆おはよーう!」

「いっちー、そんな事はどうでもいいから早く転校生を出してくれよ!」

「そうよそうよ!」

「……だそうよ、転校生。どうぞ!」

一条は自分への扱いの雑さに少しがっくりとしたが、気を取り直して転校生に声を掛けた。

「な……」

扉を静かに開けてきた一人の生徒に、由香は大きく目を見開いた。
心臓が撃ち抜かれたように熱かった。

その生徒は、金の髪を揺らしながら、教卓の前に静かに踏み出すと、『由香に向かって』にっこりと、この世のものとは思えないような不気味な、けれども美しい、見た者全員を喰うような、そんな笑顔を浮かべた。

「ロザリア・ルフランです!よろしくお願いします!」

ロザリアは、スカートの裾をドレスのように摘んで、優雅にお辞儀してみせた。
その姿はどこからどう見ても、姫以外の何者でもなかった。

「じゃ、じゃあ……ルフランさんは後ろの席に」

一条は苦笑いをしながら、由香とは正反対の位置にある席を指さした。

「先生、私、目が悪いので前の方の席がいいのですが」

「え、あ、じゃあ……」

「先生!俺変わるよ!」

迷ったような一条に、由香の隣に座っていた男子生徒が唐突に立ち上がって答えた。

「本当!?嬉しいなぁ……ありがとう!」

ロザリアは笑っていた。だが、その目は全く持って笑っていなかった。
見下すような、死んでしまえばいいというような目。
強いていうなら嘲り笑い。
その言葉が相応しかった。

彼女は、席を立ち退き後ろの方へ向かっていく男子生徒には目もくれず、一目散に由香の隣の席に腰掛けた。

「これからよろしくね、由香」

浮かべられた妖艶な微笑に、由香は思わず赤面しながら生唾を飲み込んだ。
なんで、どうして。
言いたい事は沢山有った筈なのに、少女の微笑みに、何も言えなかった。

「じゃあ……私はもう行くわね。1時間目、しっかりやるように!!あと、ルフランさんと仲良くね!」

生徒達は、一条が去ると、一目散にロザリアの回りに集まってきた。

「ロザリアちゃんって彼氏いるの!?」

「すっごい綺麗よね!ロザリアちゃんって!」

「その金髪地毛?綺麗……」

「る……ルフランってことはキースさんの妹なの!?」

嵐のような質問の数々に、ロザリアはずっと黙っていた。
だが、唐突に立ち上がると、質問に来た生徒達に向かって、はっきりとした嘲り笑いを浮かべた。

「私に二度と近寄らないでくれるかしら。……汚らしい。あんたらと同じ空気を吸うだけで汚れる!」

吐かれた暴言に、皆は唖然としていた。
由香も、困惑していた。
止めようと思った。
だが、体が全く動かなかった。

「いい?……理解出来たら私に近付かないで?ね?じゃないと……」

「お前ら全員殺すわよ」

あくまで彼女は笑顔を崩さなかった。
ただ、赤い瞳を鈍く暗く輝かせていた。

生徒達は、不思議と誰もロザリアに反論しなかった。
人形のように、忠実な僕のように、無言でふらふらと自分の席に戻って行った。

「あの……千尋……ちゃん……」

落ち着かなかった。
とにかく、まともな人間と話がしたかった。
だから、千尋に声を掛けたのだが、彼女は魂の抜けた瞳で由香を見るだけで、なんの反応も示さなかった。

「ね!由香!!私凄い!?ね、褒めて褒めて!」

唐突にロザリアが抱き着いて来た。
ぎゅうぎゅうとペットのように、頬を寄せてくるロザリアは、傍から見ればさぞ可愛らしいのだろう。

頬を紅潮させ、由香を見詰めてくる彼女は、妄信的だった。嬉しそうで楽しそうで。
だからこそ恐ろしかった。

彼女が何を言っているのか全く理解出来なかった。

「私が由香を守ってあげるから、これからは心配しなくていいよ。大丈夫……ずっと一緒にいてあげるから」

平和だった日常はこうして、幕を閉じた。
狂気は浸食する。ゆっくりと、しかし確実に。

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