蛇の毒白\
「……ぁ……」
ジャラジャラという重苦しい鎖の音の間に、か細い少女の喘ぎ声がこだまする。
背後から、覆いかぶさるように四つん這いになったイヴを強くその腕に抱き、必死に貪る男の様は、さながら理性を失った野蛮な肉食獣のそれだった。
最早その瞳の奥になにも写さず、ただ虚空を見つめ、イヴは襲い来る獣から必死に意識を逸らそうとしていた。
歯を食いしばり、目に涙を浮かべ、シーツを力一杯握りしめ、自身の内にねじ込まれては引き抜かれていくものの重圧に耐え抜いていた。
露わになったイヴの白い肌には、痛々しいまでの情事の跡が刻み込まれており、少女がアダムから逃れようとする度、一つまた一つ、許さないとばかりに赤い華が増えていく。
「なあ」
不気味な薄ら笑いを浮かべ、アダムは額から汗を零しながら、一際少女の中へと自身のそれをねじ込んだ。
「んぐ……っ!あ……あぁ!!」
噛み切らんばかりの勢いで首筋に強く噛み付けば、ぶるりとイヴの身体が震え上がり、軽く背を仰け反らせる。
「そんなに、俺が嫌いか」
怒張を奥へと一層激しくねじ込みながら、アダムはイヴの耳を食むようにして囁きかけた。
激しい突き上げに、まともに考える余裕など既に無くし、答えるどころか話す事すらもままならなず、イヴはただ声とは到底形容できない、か細い音を口から不規則に漏らしていた。
己を嘲り笑うかの如く、アダムの喉が低い笑い声を零す。
「答えるまでもないか」
「ぁ……!?ひぁ……っ!」
「そんなに……っ……」
「ぅ、ぁ……ぁ……ん……!」
「蛇の事が、好き、なのか」
その名を口に出した瞬間、イヴの反応が目に見えて変わった。
中に埋め込まれているものを搾り取るような動きへと変化したそれを、男は見逃さなかった。
浮かんだのは鬼畜な笑みと、ドロドロとした汚い嫉妬心と独占欲。
アダムはおもむろに、少女の腰を掴んでいた両腕のうちの片方を離し、やわやわとイヴの胸を揉み始めた。
耳の中に直接声を注ぎ込んでは、時折イヴの耳に舌を這わせ、アダムは攻め手を緩めようとはしなかった。
「残念ながら、今お前を抱いているのは俺なんだ」
幾度となく穿ち、欲を放ち、それでも尽きる事はない欲に溺れていく。
背後からイヴの身体を弄んでいるアダムには、正確に少女の顔を伺い見ることは出来ない。
ただ、その顔は苦しげに歪められ、必死に現実から目を背けようとしている事は流石に見て取れた。
揺さぶるたびに、イヴの手首に取り付けられた鎖が、じゃらり、じゃらりと一層歪な音を立てる。
この女が確かに自分の支配下にあるのだ、という心地よい証明を示す音に、雁字搦めに囚われていく。
「お前はあいつが好きみたいだが、向こうはお前をどう思ってるんだろうな?イヴ」
「そ……っ、ぁ、れ……は……ぁあ……!ん……!」
「愛しい女が、他の……それこそ好きでもない男に弄ばれていると知ったら、普通は助けにくるんじゃないのか?」
イヴの瞳が大きく揺れた。
枕を強く握るか細い指に、気分は高揚していくばかりだ。
勢いに任せ、少女の中を蹂躙しながら、アダムは口を開き続けた。
「お前はあいつにとって、所詮その程度の女だった。……そういう事だろう?」
「ん……っ、ひ……って……る……ぁ!」
呂律の回っていない口が、ヤケクソ気味に言葉を紡ぎ出す。
レボルトは結局一度も好きだと言ってくれなかった。
彼に貰ったのは、嫌いだの、鬱陶しいだの、そんな言葉ばかりだ。
最初で最後のキスをして、それで終わり。
それで気持ちが届いたと一人で勝手に満足していた。
元より届く訳なんかないのに。
アダムに突き上げられながら、イヴはぼんやりと思う。
幾度となく繋がり、疲れた身体から出てくる感情はどんどん悲観的になり、とても前向きに自体を捉える事など出来そうになかった。
こんな小娘に長年付きまとわれて、レボルトも随分迷惑だっただろう。
知っている。彼に好かれてなどいないことは、イヴが一番分かっている。
アダムに言われるまでもない。不毛なものだった。
元からどうしようもないものだった。
ただそれだけの話だ。
「しっ……てる……ぁ……わよっ!」
「……そうか」
ぼそりと無表情に呟いて、アダムの動きが激しさを増す。
ずぶずぶという淫らな水音が部屋に響き渡り、怒張が最奥を築き上げた瞬間、何度目かもう分からない精が、イヴの内側へと放たれた。
ようやく硬度を失い、引き抜かれていくそれに、イヴは静かに安堵の息を吐いた。
力の抜け、うつ伏せにベッドに深く沈み込んでいく自身の身体を、無表情ながらも、その顔に似つかわしくなく、異様なまでに甲斐甲斐しく清めていくアダムを、呆然と目に写しながら、イヴはぼそりと呟きを零した。
「……嫌われてるのは、最初から分かってたもの」
イヴの身体を無表情に濡れた布で拭いていたアダムは、ただでさえ険しい顔を更に強張らせた。
「あいつはもう来ない」
「そうね」
されるがままになりながら、イヴはぼんやりと生返事する。
アダムの瞳の奥にある、汚い欲望から目を背けるように、イヴはそっと目を閉じた。
身体を拭いていく手つきは優しく、先程までの荒々しい行為とは別人のように感じられる。
それが妙に滑稽に思え、イヴの口元には笑みすら浮かんでいた。
「……それでも、どうしようもないの」
じゃらり、と金属の音がする。
目を開ければ、イヴの身体を拭っていたアダムの腕が、少女の手首にある枷を上からそっと撫でていた。
「ああ、そうだな」
アダムの瞳はただ真っ直ぐに、不安定に揺れる鎖を写していた。
「本当に、どうしようもない」
* * *
お前もしぶとい男だな。
白蛇は舌を揺らし眼下の男を見下した。
蛇の挑発を無視し、レボルトはそっぽを向いたまま動こうとしない。
アダムが訪れてからどれ程の時間が経ったのか。
実際の時間で換算するのなら一月も経っていないのだろう。
それでも、レボルトにとっては長すぎる時間だった。
それこそ、いっその事この手で奪ってしまおうかと本気で考えてしまう程には、レボルトの精神は磨耗し澱みきっていた。
イヴの心が崩壊していくにつれ、それに連動するようにレボルトの精神もぽろりぽろりと剥がれ落ちていくのが、白蛇には見て取れた。
名前を授けられたあの日から、レボルトとイヴの間には主従、という単語では到底片付けきれない強い結び付きが生まれてしまっていた。
イヴの方は特に意識していないようだが、レボルトには特に影響が顕著だった。
些細なイヴの心の動きが、レボルトを一喜一憂させる要因となる。
主が不安定な今、レボルトはそれ以上に不安定になっているのだ。
今日もまた、無為な時間を過ごすのか、こいつは。
白蛇が目を閉じ、呆れながらもゆっくりと眠りに戻ろうとした瞬間、今まで微塵も動こうとしなかったレボルトが、ふらりと亡霊のように木の枝の上で立ち上がった。
太い幹に腕を付き、遠くに見える赤い屋根を目に留め、虚ろな目でぼそりと何事かを呟く。
「おい」
白蛇が白々しく首をかしげる。
「乗ってやるよ、お前の提案」
座った目で言い放った男に、白蛇は笑みを強めていく。
よく耐えた方だと、俺はお前を褒めてやりたいね。
白蛇、というには些か淀んだ色へと変化したソレは、レボルトの言を皮切りに巨木とほぼ同じサイズにまで肥大化すると、威圧的に身を乗り出した。
レボルトの顔数ミリというところまで、巨大になった瞳を近づけ、濁りきったレボルトの瞳を射抜く。
「随分と悠長に喋るようになったもんだ」
そんな風に聞こえてるのは、きっとお前にだけだろうぜ。
「そうかもな」
完全に体色を闇色に染めた蛇は口を大きく開き、レボルトを食わんとする。
「早くよこせ。時間がない」
全く、蛇使いの荒い男だな。
蛇は楽しげに笑う。
ーーそれでこそ「俺」だよ。
巨大な蛇の形をした影がレボルトを飲み込む。
嵐のような闇が辺りから消え失せたその時、姿を現したのは一匹の白い蛇だった。
黄金の瞳の蛇は、風を切るように、空を駆ける鳥のように、全速力で草の上を這い進む。
僅かに開いていた窓から侵入し、少女の気配を感覚だけで捉え、壁を這い、屋敷の中を進んでいく。
イヴの匂いが強まる度、鼓動は早まり、ただでさえ鈍く光る黄金が鋭さを増す。
いざ、アダムに見つかったらどうするんだ、だとか、そんな他の事は一切考えず、レボルトはただ少女の気配を追っていた。
脳天を突き刺すのは、「助けて」と、明確に言葉にして呟かれた少女の救済を願う言葉。
それだけに突き動かされ、レボルトはただ進み続けた。
やがて、レボルトは一つの部屋の前で立ち止まった。
細い体をくねらせ、ドアの下に出来た僅かな隙間から室内に侵入した。
入った途端に感じたのは、少女が女として芽生えたあの日に嗅いだ芳香とは、到底比べ物にならない生々しくも甘く、それでいて艶やかな香気だった。
「た……すけてよ……!」
嗚咽交じりの叫び声。前腕に隠された両目から、涙がぽろりと滴り落ちた。
ここから逃げ出したい、出たい、逢いたい。
レボルトに、逢いたい。
そんな、少女の声にならずに消えた願いも、しっかりとレボルトの心には響いていた。
心は確かにここにある。こんな自分でも、彼女の特別でいられる。
そんな歪な喜びが、皮肉にもレボルトの心に平穏を取り戻していった。
大丈夫。まだ、大丈夫。
きっと、彼女を助けられる。
「イヴ様!!」
人型へと姿を戻し、イヴの両肩を掴み、必死にレボルトは呼びかけた。
「レ……ボルト」
きょとんと、イヴは腕を退け、真っ直ぐに涙交じりの目でレボルトを凝視していた。
虚ろな眼差しは、レボルトを目に留めた瞬間、涙交じりにも嬉しそうに細められる。
「はい」
微笑みながら答えれば、一層イヴの表情が和らいでいく。
ぞくりと鳥肌の立つ体を必死に戒め、レボルトは無心に少女を絡め取っている枷を外していった。
レボルトが触れれば、紙を破るかのように、少女の四肢を捉えていた鎖は簡単に壊れていく。
それは、レボルトが禁を犯した、という言外の通告書のようでもあった。
黒いワンピースの袖から、ちらりと白い手首が覗いた。
そこに刻まれた、他の男の所有印を目に留めた瞬間、収まったと思っていた闇が再び肥大化していく。
必死に深呼吸し、鼓動を沈め、レボルトはそっと口を開いた。
「俺と……逃げる気はありますか」
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