蛇の毒白W



レボルトの予想に反し、存外にイヴはしつこかった。
一週間が過ぎ、一か月が過ぎ、一年過ぎても一向に来なくなる気配がない。

「本当に、物好きですね」

ほんの少しだけ、一年前に比べると伸びた身長で、それでもあどけなさを尚残した少女は、人懐っこく頬をつついてくる白い蛇と戯れながら、そうかしら、とレボルトに笑いを返す。
一年前と同じように横に座る少女は実に楽しそうだ。

「こら、やめなさいってば……!」

白蛇は、随分イヴの事が気に入ったようで、イヴがここに来る度、なんやかんやと彼女にまとわりついていた。
流石に一年もすれば慣れたのか、最初怯えていたのが嘘のように、自身の左腕に巻き付き、頬をしきりにつつき、時折舐めている白蛇を、本人も乗り気で可愛がっている。

「お前はいつからイヴ様のペットになったんだか」

すると、心外だと言わんばかりに白蛇はレボルトに対して牙を向く。

「そうよ。私とこの子はお友達なだけだもの」

うんうん、と同意を示して首を縦に振る白蛇に、レボルトは額に指を当て溜息を吐く。
すると、もの言いたげに白蛇がイヴから離れ、レボルトの耳元に口を当てる。

ペット チガウ オマエ イヴ ペット

シャーシャーと舌を鳴らしながら、白蛇は実に上機嫌だ。
一方レボルトの機嫌は降下していく。
誰がこの女のペットだ、と白蛇とレボルトのやり取りを興味深そうに見ているイヴをぎろりと睨みつける。
首をかしげ、きらきらと輝く瞳でレボルトを見つめてくる。レボルトはこの目がどうも苦手だった。

確かに、ペットと言えばペットなんだろう。
と、無言でイヴを睨み続けていると、イヴの眉にも皺が寄る。

「何よ。言いたいことがあるなら言いなさいよ」

「別に」

特に意味があるわけではない。
少しだけ、彼女は大人になった。だが、レボルトは何も変わらない。
伸ばしっぱなしの金の髪も、ひねくれた性格も、受け入れたくないなと現状から目を背けている事も。

「ただ、本当にしつこいなぁと、改めて実感しているだけです」

ぐしゃりと柔らかな髪を撫でてやると、驚いたように少女は目を見開く。
次いで、頬を緩めて心底嬉しそうに笑う。

「そうよ。私はしつこいの」

風に彼女の長い髪が揺れる。
ふん、とレボルトが鼻で笑えば、肩にすとんと柔らかな重みがのしかかる。

「ねぇ」

風の音の隙間に、彼女の小さな声が響く。

「私の事、ちょっとは好きになった?」

自信なさげなそれは、掻き消えることなく確かにレボルトへと届いていた。

「ちっとも」

言いながら、男の目はやわらかい。
ぐしゃぐしゃと髪を撫でる指先には、ぶしつけながら確かな優しさが込められている。
白蛇は、木の上から微笑まし気に二人を見守っていた。


*   *   *


それからまた年を重ね、何度も何度も季節の巡りを経て、子供だと見下していた少女は、聞けば今年で12になるという。
レボルトの腰にぎりぎり届くという身長だった彼女は、ここ数年でぐんぐんと身長を伸ばし、ついには頑張って背伸びすればレボルトの頭に手が届くほど大きくなっていた。
もう届くわよ、と、いつも自分がされていたようにレボルトの頭をぐしゃぐしゃと撫でるイヴは随分嬉しそうで、まぁ、これはこれでいいのかもしれないな、とレボルトも流石に絆されてきた。
何年になるのだろうか、と少女に初めに会ってからの年数を数えてみる。
今年で、イヴと出会ってからもう6年だ。6年。

こんなに長い付き合いになるとはと、驚く自分もいれば、名前まで付けておいて放置されたらそれこそ半殺しにしている、と思っている自分もいる。
結局のところ、レボルトも別に彼女の事が嫌いではないのだ。ただ、認めるのが癪なだけで。
そもそも、本気で嫌いだったらこんな事誰が許すか。と、撫でられながらレボルトは半ばやけくそだった。

「……ちょっと可愛いかも」

「は?」

ぼそりと零されたイヴの一言に、和みかけていた空気が瞬時に凍る。
怒号にびくりとイヴの肩が揺れる。図体が大きくなっても、根本的にこの少女は何も変わっていない。

「いや、今のは言葉のあやと言うか」

「どう間違ったら「かわいい」なんて単語が出てくるんですかね」

「いった!!痛い痛い!!痛いってば!!」

腰をかがめて両手でイヴの頬を引っ張ると、少女は涙目になりながらばたばたと抵抗を試みる。

「……いい」

「は?」

今度はイヴの方が呆けた溜息を吐く番だった。
が、二の句を継ぐ暇も与えず、レボルトのイヴの頬を引っ張る力が強まる。

「痛い痛いちぎれる!!ちぎれるから!!」

6年経って、非常に、本当に、物凄く心外なのだが、彼女の兄の気持ちが分かったかもしれない。と、レボルトはうなりながらされるがままになっているイヴを凝視する。

「前言撤回したら離してもいいですよ」

「分かった分かった!!撤回します!!可愛くなんてないです!!」

ひっぱりすぎて少し頬が赤くなっているのを確認すると、レボルトは手のひらを返したかのごとく、あっけらかんと手を離して見せた。
痛いよぉー、と言いながら両頬をさするイヴは確かに、癪だが、本当に癪だが、可愛いかもしれない。

「……レボルトの馬鹿」

「はいはい馬鹿で結構」

言って、レボルトはふてくされているイヴを尻目に木の幹に背を預け、草原に足を投げ出し、ふてぶてしく座り込んだ。
隣にしぶしぶやって来たイヴも、無言で座り込む。

「俺が可愛くない事は、貴女が一番分かっている筈でしょう」

何年ここに来てると思っているんですか。

後に続いた言葉にも、イヴは無反応だ。
しばしの沈黙の後に出たのは

「それは……分かってるわよ」

という、切実なぼやきだった。
六年も通い詰めたと言うのに、相手は微塵も好きの二文字を言わない。
それどころか、嫌いだ、鬱陶しいだの、好き勝手言ってくる。
流石にイヴとて、グレたくなってくるというものだ。

「やっと諦めが着きましたか」

「……着かない」

「本当にしつこいですね」

「そうよ!私はし――」

イヴの言葉が途中で途切れた。
座り込んだまま、目を上下左右にせわしなく動かし、少女は全身から冷や汗を零していた。

「イヴ様?」

何かがおかしいと思い、イヴに手を伸ばした直後。
レボルトの動きも止まった。少女の肩に触れようとしていた腕を必死に抑える。
それでも、泣きそうな顔で必死に目を逸らすイヴから、レボルトは目を離せなかった。

最初に感じたのは、漠然とした興奮。
そして、あさましいという後悔と、自分に対しての嫌悪感。
仄かな血の匂いに交じり、隠しきれない成熟した「雌」としての芳香が、確かにレボルトの鼻を突き刺していた。

「な、なんでもない!!本当になんでもないから!!その……今日はもう帰るわね!」

気付かれていないと思っているのか、イヴは乾いた笑みを浮かべせわしなく言葉を紡いでいる。
イヴが立ち上がった瞬間、一層強くなる香りに、レボルトは無意識にイヴの腕を掴んでいた。

「え……」

驚きがイヴから上がる。
レボルトの金へと色が変わった瞳を凝視し、怯えた顔で数歩後ずさる。

ああ、この娘は。

「ちょ、ちょっと……?」

イヴから見たレボルトは、どう見ても正気ではなかった。
完全に、今の彼は血の匂いに充てられた、正真正銘の「野生の獣」だった。

ああ、この娘の匂いは。この娘は。この娘からは。
鼻を刺激するのは、純真無垢で、穢れ等何も知らないと思っていた少女が、女として花開いた瞬間の心地よい香り。

なんて、美味しそうな匂いが

「レボルト!!」

びくっとレボルトの肩が揺れた。

「あ……」

呆けた声を上げた次の瞬間には、レボルトの瞳は元の紫色に戻っていた。
現状を把握した瞬間、レボルトは咄嗟にイヴの手を振り払っていた。

「その……大丈夫……?」

両腕を心臓の前で握りしめ、少女は恐る恐る口を開く。

「え、ええ」

珍しく視線を泳がせ、冷や汗を流している男に、イヴは奇妙な違和感を覚えた。

「……具合が悪いんでしょう」

ぽつりと零された言葉に、今度はイヴの方が固まる番だった。
お互いに気を使いあい、ぎこちない空気が二人の間に流れていた。

「そう……ね。……うん。じゃあ……、また、来るから」

レボルトに背を向け、イヴは呟く。
それを聞いて、男は一瞬の沈黙の後、少女を受け入れる言葉を吐いた。

「……そう、ですか」

立ち去る間際に少女が見たレボルトの瞳は、微かだが黄金の混じった、不気味な色合いをしていた。

取り残された男の下に、しゅるりと仲間は降り立った。
男の耳元で何事かを囁くと、驚きにレボルトの瞳が見開かれる。

「……冗談じゃない」

ケラケラと笑う白蛇を視界の端に納めながら、レボルトは力強く地面を一発殴りつけた。
また一つ大人になった少女の匂いが、まだあたりに充満していた。
普通なら気付かない微かな芳香。それでも、レボルトには刺激が強すぎた。
動悸を荒げ、自嘲気味な笑みすら浮かべて。
男はしっかりと、黄金の瞳で白蛇を見据えて言い放つ。

「お前の、思い通りには動いてやらないからな」

そうか、と実に残念そうに、蛇は笑った。


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