13.追憶
昔々、あるところに感情表現が苦手な無口な一人の男の子と、そんな彼を心配するお父さんがいました。
お父さんは息子のことが心配になってきたので、妹を作ってやることにしました。
妹は、兄の事が大好きで、兄もそんな妹をだれよりも大切に思うようになりました。
お父さんも兄妹を愛していました。
三人は、いつまでも親子三人仲良く暮らすのでした。めでたしめでたし。
おしまい。
この話を最初聞いた時、イヴは瞠目した。
物語の中で、兄は無表情だと言った。
だが、イヴを後ろから抱き締めて絵本を読んでくれている兄は、なんとも幸せそうな笑みを浮かべている。
「アダム……無表情だったの?」
「イヴが来る前の話だ」
アダムは、無口でも無表情でもない。
少なくとも、イヴの前ではよくしゃべる。
「イヴは、将来俺の奥さんになるんだよ」
「おくさんってなに」
「……ずっと、一緒にいるってことだよ」
少しアダムが言葉に詰まったのが気になったが、アダムに優しく頭を撫でられていると、どうでも良くなってしまった。
「ならなる!奥さんになってあげる!」
この時、正直言うと意味はよく分かっていなかった。
ただ、兄と一緒に入られるなら、それはとても幸せなことなんだろうなと、単純な思考でそう結論付けた。
アダムと父であるユウが世界の全て。
この時、イヴは本気でそう信じていた。
あの日、レボルトと会うまでは。
「ねえ、ヘビさん。どうして、あなたにはおなまえがないの?」
「そんなことを言われたのは……初めてだな……」
丘の上にある大きなリンゴの木の下で、イヴはヘビさんと出会った。
そんなに変な事を言っただろうか。
イヴは困ったように頭を掻いたヘビに、きょとんと首を傾げた。
誰にでも名前はあるものだし、イヴにだってイヴという名前がある。
お父様にはユウ、アダム様にはあだむという名前が。
(おとーさまと、あだむさまに付けてもらった、大事なおなまえ……)
イヴは、物知りなへびさんのことも、好きだと思った。
だから、この人に名前がないのが、気に食わなかった。
「名前なんて、さして重要なものではないでしょう」
「じゅう……よう?」
「……大切って意味です」
困ったように溜息を吐きながら言ったヘビに、イヴはむっとした。
名前が大切じゃない?
「大切よ!名前は大切!じゅーよう!じゅうようなの!」
「はぁ……好きにすればいいんじゃない?」
ヘビはイヴの主張に、呆れていた。
彼は本気でどうでもいいと思っているらしい。
それが更にイヴを苛立たせた。
(好きにすればいいっていうなら、付けてやるわよ)
「れぼると」
「は?」
「だから!レボルトよ!あなたの名前はレボルト!」
レボルト、というのは反逆という意味があるらしい。
この間、アダムがそんなこと教えてくれた。
名前には意味がある。
ユウ曰く、イヴには生命の息吹という意味があるらしい。
名は体を表す。
なら、このイヴに逆らってばかりのムカつく男には、レボルトがぴったりだ。
「反逆……とは、これまた酷い名前をどうも」
「ヘビさんが好きにすればいいって言ったんだから、てっかいはしないわ」
「はいはい、感謝しますよ。小さなお姫様」
無駄に丁寧な、ユウに向けて言うような物言いに、イヴは頭に血が登るのを感じた。
「小さくない!」
「そのセリフは、せめてあと30cmは伸びてから言ったらいいんじゃない?」
「レボルトなんか!だいっきらい!」
「はいはい、じゃあもう来ないでね」
冗談だったのに、本気で取られてしまった。
イヴはヘビさんが好きだった。
綺麗な、長い金髪を持った男のくせに無駄に端正な皮肉な人。
悪態ばかりついているが、誰よりも博識。
イヴが聞けば、嫌々ながら教えてくれる。
忠誠心のかけらもない、素の友人のようなその態度が気に入っていた。
実は優しい人だというのは、この短い人生でも知っていたし、イヴはやっぱりヘビさんが好きだった。
アダムもユウも家族として大好きだが、ヘビさんのことはお友達として大好きだ。
だから、躍起になった。
「……行く」
「だから、なんでそういう……」
「レボルトがイヴの事好きになってくれるまで通うもん!絶対好きになってもらうんだから!」
レボルトは、血縁者じゃない。
だから、油断していると、きっとすぐにイヴなんていう小娘は忘れてしまう。
プロポーズさながらのセリフだが、子供心には恥じらいもなにもなかった。
「いいよ。満足するまで来ればいい」
蛇――レボルトも、子供の遊びだと鼻で笑って幼いイヴの頭をくしゃりと撫で回した。
だがまさか、それがこんなに長く続くなんて思ってもいなかった。
「……ねぇ、約束してから何年経ったかしら?」
「さあ。……確実に10年は経ちましたね」
あれから十年が経過した。
そして、イヴは未だに通い続けていた。
林檎のなる大きな木の下で、十年前のあの日と変わらずレボルトのもとへ。
「私の事、好きになった?」
「いえ?貴方はいつまでたってもちんまい小娘です。好きとか以前に、相手にするレベルじゃありません」
「この……」
二人の関係も変わらない。
相変わらず、レボルトはイヴを子供扱いして見下しているし、イヴは大切なお友達のレボルトに、お友達として好きになって貰いたいと思っている。
というのは、正直言うと嘘になるかもしれない。
イヴのレボルトへの思いは、年月を経て友情を超えて、恋情となっていた。
だか、ユウはそれを許しはしないだろう。
今だって、リンゴの木の下に行くというといい顔はしない。
だから、お友達として、レボルトに会いに来るのだ。
会えればいい。
結ばれないのは分かっている。
そもそも、この綺麗な人はイヴなんて相手にしないだろう。
彼との距離は十年前より離れているように感じる。
昔は敬語なんて使って来なかった癖に、最近は敬語を使って主従の距離を取ってくる。
(ほんと……むかつくなぁ……)
ジト目で睨み付けてやると、ふいに目があった。
「なにか?」
「……別に」
ぷいっとそっぽを向くと、笑われた。
それが、無性に苛ついたのでなにか嫌味を言ってやろうと顔をレボルトの方に戻そうとすると、その前に、レボルトの大きな腕で顎を掴まれ、無理矢理目線を合わされた。
思わずどきりとする気持ちを押し殺して、冷静を装ってレボルトを見た。
「……な……なに」
「いえ、まあ……十年前に比べると綺麗にはなりましたね、イヴ様」
綺麗に笑ったレボルトに、全身が火照るのを感じた。
見る見るうちに、顔が真っ赤に染まっていき、イヴはぱちぱちと何度も瞬きをしてレボルトの顔を凝視した。
だが、しばらくすると、レボルトはにやりという悪い笑みを浮かべ、イヴを見下したような冷静な目線で見つめてきた。
「たまに褒めたらこれですか。……やっぱりまだまだ子供ですね」
「うるさい!」
「はいはい、わかりましたよ。イヴ様」
(やっぱり、むかつく)
一瞬、かっこいいと思った自分が馬鹿だった。
それでも、ちょっと嬉しいと思う自分がいた。
翌朝、突然アダムに呼び止められた。
「今日も、行くのか?」
「うん。だって、レボルトはお友達だもの。……心配しなくても大丈夫だわ」
「否……俺は……」
「変な兄様」
久方ぶりに、その呼び方で目の前の人を呼んだ。
アダムは確かにイヴの兄だ。
だが、アダムは兄様じゃない。
アダムはアダムと呼びなさいと、なんでかそう言われてきたのでずっと、アダムと呼んでいた。
イヴからしてみれば、謎以外の何ものでもないので、二人きりの時には、たまにこう呼んでいるのだが。
アダムは、イヴの予想に反して、神妙な顔をしていた。
辛そうなその顔に、体の具合が心配なってきた。
「兄様……体調が悪いの?」
「……いや……イヴ…………俺は……」
「なに……?」
「…………平気だ。それより、あまり遅くなるな」
「わかってます!」
そう言って、イヴは今日もレボルトの元へ、禁断のリンゴの木の下へ遊び行くのだった。
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