14.選択



夢を見た。
とても幸福な夢を。

*  *  *

目を開くと、闇に包まれた真っ暗な空間が広がっていた。
そこにあるのは扉だけで、他には何もなかった。
扉の配置は、イヴの背後に一枚、そして、前に二枚。
扉の色はすべて同じ。
この空間と同じ黒い色。

きっと、これのどれを開けるかで、イヴの運命は決まってしまうのだろう。

選択の自由があるというのは、時として不幸なことだ。

例えば、目の前に箱が2つあったとする。
どちらも外見は全く同じ、箱の中身だけがわからない。
この2つのうち、どちらか一つだけを絶対に選び、片方は捨てろと言われたとする。
そして、どちらか一つを手に取り開けてみる。

その中身が、もしも、虫の死骸や腐ったクッキーだったとするならば、普通は選んだことを絶対に後悔するだろう。
もしも、もう一方を選んでいれば、美味しそうなデパートの地下に売っているような高価な菓子が入っていたかもしれない。

ああ、どうしてこちらを選んでしまったのかと、必ず悔いる筈だ。

しかし、実際開けたのはひとつだけ。
選ばなかった方を開けることは出来ないので、本当に中身がいいものという保証も確証もない。

では、これがもし、箱がひとつしかなかったとしたら、悩まないのか。

そういう訳でもない。

今度は、開けたことによって後悔するかもしれない。
しかし、開けなければ開けなかったで、中身はなんだったんだと気になり後悔する。

人間とは得てして面倒臭い生き物だ。

そして、イヴもそんな人間の一人だ。

どちらの扉を選んでも後悔するかもしれない。
でも開けないよりは開けたほうがいい。

どのみち、開けない限りここから出られないのだ。

それなら、行動するしかない。

それがイヴの結論だった。

(問題は……どれを選ぶかよね……)

背後の扉は、レボルトから逃げる為に開けた扉なので開けられない。
逆戻りは勘弁して欲しい。

それなら、開けるものは前にある2つのどちらかということになる。

舌きり雀に出てくる大きな葛籠と小さな葛籠のように、見た目になにか変わりがあるわけではない。

仮定の話だが、今回の場合は扉はひとつのほうがよかったとイヴは思った。
開けないという選択肢はイヴの中には存在していない。
その時点で扉が一つしかなかったのなら、それを、開けるだけでイヴの迷いは終わる。

(どっちにすればいいんだろう……)

開けた先が幸福な場所だという保証もない。

(どっち……?これ、どっちなの……?)

どうしようと頭を抱えてしゃがみこんだ。
正直極限状態だ。
少し、頭を冷やしたかった。

そんな時だった。
唐突に、片方の扉がギィっという音を立てて開いたのは。

「……っイヴ!!」

イヴから見て右手の扉を押し上げて、中から緋人が現れた。

「緋……人!?なんでここに!?」

一瞬、緋人のシルエットが夢の中のアダムと呼ばれていた男と重なった。
だが、あれは夢の中の話なのだと、イヴは頭を振ってその考えを打ち消した。

「そんな話は後でいい!いいから来い!」

ドア枠を掴み、片手をイヴに向かって差し出し叫ぶだけで、決してイヴに近寄ってこようとはしなかった。
正しくは、それ以上近寄れないのかもしれない。
そのせいなのか、彼は、やけに焦っているようだった。

「わかったわ!今行――」


本当に?

本当に、これでいいの?



心臓が、一気に跳ねた。
何を躊躇う事があるのか。
彼は緋人その人だ。
目に浮かぶ心配の色も、不機嫌そうな声色も、トレードマークの赤毛も、なにもかもさっき別れたばかりの彼と一緒だ。

それなのに、何を躊躇しているのか。

「イヴ!来い!」

緋人のその声で、イヴはようやく正気に戻った。
さっきまでの自分はおかしかったのだ。
イヴは足に力を入れると、緋人に向かって駆け出した。



本当に、後悔しない?



(後悔なんて……する訳ないわ)


そして、イヴは緋人の腕を掴んだ。
その間際、「駄目だ!」という誰かがイヴを引き止める声が聞こえた気がした。

だが、それを確かめる術などなく、気が付くと、先程までの暗い部屋ではなく、あの牢獄のような廊下に逆戻りしていた。

目の前に、レボルトもユウもいない。
今、イヴを抱きしめているのは

「……無事だな?イヴ」

緋人その人だった。

「ええ、大丈夫。ありがとう」

そう言って、彼から離れようとした。
だが、緋人はそれを許さず、イヴを抱き留める腕に力を込めて、無理矢理イヴを引き留めた。

「……怪我は?」

「……してないわよ、平気」

血相を変えて言う彼を落ち着かせるように苦笑しながらそう告げる。
メンタル的な意味では全然大丈夫でもなんでもないが、肉体的にはなにもされていない。

しんどくないかと言えば嘘になるが、それでもきっともうすぐ帰れる。
直感的にそう感じていた。

だから、少しの足の疲れぐらいは耐えられる。

まだ、納得していないような緋人の腕から力づくで逃れると、彼の左腕にぐっと抱き着いた。

「そんなに心配しなくても平気よ。本当。……信じてくれるでしょ?」

上目遣いでこびる様にそう言ってみた。
普段なら絶対しない。
こんなぶりっこな動作吐きそうになる。

でもこれは、あくまで非現実的な空間での出来事。
だから、イヴも仮面をかぶっていられる。

イヴの所業にに渋々ながら納得したのか、彼は無言でそっぽを向いて、イヴの手を引いて歩きだした。

「……ねぇ、これからどうするの?」

「ここを出る」

「出るって……どうやって?」

緋人は、番人でもなんでもない筈だ。
ただの一般人。
そんな彼が、どうやって脱出の糸口を掴んだというのか。

「……俺に任せろ」

不安に思い俯いていると、ぽふっと頭を撫でられた。
こうされると無償に落ち着く。
そして、緋人なら本当に何とか出来るんじゃないか。
そんな事を思えた。

思えば、緋人は神の領域に平気で手を突っ込んできたり、色々謎だ。

(この人……何者なんだろう)

現実では霊能力者か何かだったのだろうか。
そう思うと胡散臭く思えてきた。

(そうは見えないなぁ……)

そんな馬鹿な事を考えながら歩いていると、彼は一つの扉の前で立ち止まった。

その扉だけは、他とは違っていた。
まるでお姫様の自室の扉のようや、白く可憐なそれは、牢獄の中にあることにより、更に異臭を放っていた。

更に、ドアノブを掴んでいるのが屈強な青年ときている。

傍から見ていると、失礼だがかなりシュールだ。

「ここに入ったら……帰れるの?」

「嗚呼」

彼の返事に拍子抜けした。
こんなことなら、最初から彼を頼っていればよかった。
レボルトなんかに媚を売る必要はどこにもなかった。

(あれ……そもそも……なんで、緋人と離れることになったんだっけ?)

やけに、引っ掛かった。
その辺りの記憶だけが、どうも曖昧になっている。

(なにか……忘れてる?)

なにか、とても大切な事を忘れている気がする。

「どうした?イヴ」

そもそも、そもそも私は、

(この人に……いつ……名前を教えた……?)

「イヴ?」

緋人が以前からの知り合いなのだというのなら、どうして記憶が戻らない?
おかしい。
何かが、何かがひっかかる。

そもそも、この人は本当に緋人なんて名前なのか。
それ以前に、緋人なんて人間は本当に存在しているのか?

「イヴ!」

肩を揺すられながら名前を呼ばれ、イヴは遠ざかっていた意識が戻ってくるのを感じた。

「ご……ごめん……ちょっと……気が動転してて……」

ただの気の迷いだ。緋人を疑うなんて間違ってる。
そんなにもイヴがふらふらしているように見えたのだろうか。
緋人は、無言でイヴの額に手を当てて、体温を確かめているようだった。

「……早く帰ろう。休んだほうがいい」

「……ええ」

なにも、間違ってなんかいない。
イヴは緋人の提案に素直に頷いた。

そして、緋人は白い扉を開けた。

部屋を一目見た瞬間、イヴは思った。

ああ、帰ってきてしまったと。


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