『小さな聖堂と何も持たない男』中編

―私が一番年上だから、私のことを兄さんだと思ってほしい。

翌朝の食事の席で、男はそう言いました。
少年は目を瞬き、幼子たちは「にいちゃ?」「にいちゃなの?」と可愛い声で男を呼んでくれました。

聖堂での暮らしは厳しいものでした。
猫の額ほどの畑があり、そこで野菜を育てていましたが、どの野菜もひょろひょろとしていました。

少年は修道女から教えてもらったという、アクセサリー作りをして生計を立てていました。
町から少し歩くと浜辺に辿り着き、そこにはきれいな石が落ちています。それを集めてネックレスなどを作るそうです。

「町の人の中にも、同情してくれる人がいますから」

同情してくれる人にアクセサリーを買ってもらい、少しの現金を得る。
そうして少年たちは今まで細々と三人で生きてきたのです。
そこに男が加わって、これからは四人。男はこの中で一番年上です。皆のためにもお金を稼がなくてはなりません。

―私は町で仕事を探してくるよ。

男がそう言うと、少年は寂しそうな表情を浮かべて頷きました。

「はい。分かりました」

「にいちゃ、いってらっちゃい」「にいちゃ」

幼子たちは小さな小さな手を振ってくれました。


男は丘を下り、町で仕事を探しました。
しかし、丘の上から来たというと、町の住人は一様に顔をしかめました。

「悪いけど、神官様の機嫌は損ねたくないんでね」

住人のひとりが申し訳なさそうにそう言いました。
少年の母親の件は、町の聖堂の関係者にとって面子を潰されたこととして未だに深い恨みを抱いているようでした。

それでもいくつかの店を訪ねると、一軒の食堂の主人が男を雇ってくれることになりました。

「まあ、皿洗いくらいしか仕事はないけどな。あの聖堂には、小さな子もいるんだろう?」

食堂の主人は、丘の上に同情を向けてくれました。
その日少しばかり仕事をし、いくらかの硬貨と売れ残りのパンを持って丘の上の聖堂に帰りました。

「にいちゃおかえり」「にいちゃ」

幼子たちは男の帰宅に喜び、足元にまとわりつきました。そして少年はびっくりした表情を見せました。

「てっきり、ここから出て行ったのかと」

男が仕事を探しに行くと言ったときの、少年の表情を思い返しました。
男はこの町の住人ではありません。最初は混乱していたけれど、この町に何か縁があるわけでもないのだから、さっさとこの町から出て行けばいいのです。

少年は、男がそうするに違いないと思っていました。

「ごめんなさい。おかえりなさい、兄さん」

少年は俯きました。その頭を男は撫でました。少年の髪は栄養が足りていないのか、ぱさぱさとした手触りでした。


小さく崩れ落ちそうな聖堂で、身を寄せ合っての生活。
貧しく日々の食事もぎりぎりの生活ではあったけれども、男は不安はあっても不満を持っていませんでした。
幼子たちは男を「にいちゃ」と呼んで、いつでも傍にいたがります。少年が幼子たちの気を逸らしていないと仕事に向かうこともできません。
少年も男に話をしてくれました。

「ぼく、いつか、学校に行きたいんです。読み書きと簡単な計算は修道女さまが教えてくれたけど…」

今の生活では学校に行くのは難しい。それは少年も分かっていました。分かっていてもなお、少年は男を信頼して心の内を明かしたのでした。

また、少年は朝早くに起きて聖堂の祭壇を磨き、お祈りを欠かしませんでした。
あるとき、男は少年に尋ねました。

―神を信じているのか?

少年は少しばかり微笑んで、頷きました。

「はい。ぼくの人生も、あの子たちの人生も、決して楽なものではないけれど…。
兄さんと出会えて、今こうして生活できてるのは、神様のおかげですから」

男は何も言えませんでした。
神がいるのなら、こんなに心優しき少年をこんなに悲惨な環境に置くわけがありません。
両親に愛され、学校へ行き、友人を得て、誰かと恋をする。
少年は、そんな『普通』な生活とは無縁なのです。

男にできることは、親切な食堂の主人の元で皿洗いをすることだけでした。
少しの給料で食料や生活に必要なものを買い、そしてほんのわずかのお金をベッドの下に隠しておきました。


ある秋の夜のことです。

「冬が来る前に、窓を直したいですね。去年はそうでもなかったんですが…」

「ちゃむいー」「ちゃむい」

寝室の窓は、閉めていてもいつも隙間風の侵入を許していました。今はまだいいけれど、冬になれば風邪を引いてしまうでしょう。

少年のためにも幼子たちのためにも、住居をもっと整えなければなりません。
そのために、皿洗いよりももっといい仕事に就けないものだろうか。

そんなことを考えていた、その時です。

バンッ!と、聖堂のほうから乱暴に扉が開かれる音が聞こえました。
少年の顔に怯えが浮かびます。幼子たちもきゅっと縮こまりました。

男はさっと立ち上がり、住居から聖堂へ続くドアを開けました。

―何かご用ですか。

聖堂には数人の男たち。どう見ても、親切そうには見えません。柄の悪い男たちでした。
その中のうち、目つきの鋭い男が舐めるような目つきをしてつかつかと距離を詰めてきました。

「ここの土地と建物は、俺のモノになったんだよ。町の神官サマが俺に借りた金を返せねえってな。ここに住み着いてるお前らは、今すぐ出て行ってもらおうか」

男の背後にいた少年が悲痛な声を上げました。

「今すぐなんて…無理です」

「はっ?こっちには権利書があるんだよ。分かるか?お前らはここに勝手に住み着いて、今まで見逃されてたに過ぎないんだよ」

目つきの鋭い男は、ぺらりと紙を見せました。
そこには、この聖堂を所有していた町の上級神官が、目の前のこの金貸しの男にこの聖堂を借金のかたに譲り渡す、ということが書かれていました。

―お願いします。今すぐは無理です。

男が頭を下げると、金貸しはニヤリと笑いました。

「そうだな。痩せたガキには興味はないが…。お前が俺の言うことなんでも聞くってんなら、考えてやってもいい」

男には、その意味が分かりました。そして少年も。

「そんな。兄さん…」

少年はぶるぶる震えていました。
自分さえ耐えれば、震える少年を守れると思い、男は金貸しの要求に頷きました。




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