▼織田信忠



 例外はない。未来あす現在きょうになり、現在は過去きのうに流れ、過去は未来に集結する。
 全ては因果関係にあり、その一端を知れば軈ては全貌を照らすことも可能だ。
 そう、この世は環である。なにもかもが繋がっている。
 人も道具も、人以外の命も、太陽も月も、目に入らずともどこかに存在する何かしらも。
 現在の自分が行うことはきっと、未来の誰かに繋がっていくのだろうと。


「本能寺はもはや敗れ、御殿も焼け落ちました!」


 ああ、そうか。
 馬の手綱を握る力を緩め、空を見上げる。
 救援へ向かう道で、貞勝からの報を耳にした時に感じた想いは一つだった。
 あの人ならば、最後まで笑っていたのだろう。
 眼前に広がる雲一つないこの大空のような、明るい笑みを浮かべて。


「敵は必ず信忠公がおられる此方へも攻めてくるでしょう、急ぎ移動を!」


 焦燥する周囲を尻目に、脳裏に浮かんだ男へささやかな同情を向けた。
 憐れな男だ。今頃はきっとどうしようもない喪失感と恐怖に襲われているだろう。
 そしてそのやりきれない莫大な感情の矛先が私に向くであろう事は想像に難くない。


「二条の新御所ならば構えが堅固で籠城に向いておりまする! 其方へ!」


 事ここに至っては是非も無し。
 為すべきことを為せず失敗したとしても失うのは命のみ。
 戦国の世では在り来たりよ。


「嗚呼。親王様の御命も危険だ、これより二条御所に往くぞ!」


 腰に下げた星切を撫でる。
 さて、此れを使用する機会があるかどうか……。
 一考が過りつつも、手綱を握り直して馬の腹を蹴り上げた。

 貞勝の交渉により、誠仁親王及び妻子、宿直の公家たちは無事御所を脱出し、禁裏に逃げ込んだ。
 時間は敵だ。此方の行動がもたつけばもたつくほど明智の手の者が集い、危機高まるだろう。
 こういった場合には間違いなく、芋を引くものが出てくる。
 案の定、立て籠もりに反対する臣下が現れて逃亡の進言し始めた。


「光秀めが起こした謀反だろう。万一にも我々を――いや、私を逃がしはしまい」


 あの男が次に狙う首は私。それは間違いない。
 常識的に考えても織田信長を葬った後、迅速に獲るべき首だ。
 常識的に考えず謀反を行ったであろう男も、今回は結果的に常識的な行動に移る。
 

「何処へ赴こうと、そうさな、例え行く先が地獄の入り口であったとしても、生存の可能性がある限りあ奴が私を見送ることはありえぬだろう」
 

 あの人が消えたこれからの世を、ただあの人のいないこれからの世と見ることしかない男。
 彼の者との差はこうも歴然だ。
 前に手を伸ばし進まんとする者と後ろに手を伸ばし戻らんとする者の差だ。
 そして己は、そんな男に飲み込まれる程度の器だったということ。
 瞬きの後、顔を上げ腕を振り翳した。


「――――皆の者、戦の準備をせよ!」


 眠気眼の者、薄暗い顔色をしている者、目を逸らさない者、この場にいる者全てに喝を入れる。


「私は尾張の閻魔――――織田信忠なり! となれば、私の配下である貴様等はなんだ? 人か? そこいらにある有象無象と何ら変わりないか? ……否!!」


 死の恐怖を戦の高揚に挿げ替え、誤認させ、そうして己を追い込ませ、死地へと送り出すのだ。


「我こそ地獄の王、死者の裁判官! であれば、貴様等は鬼だ! 私が判決を下した人間に呵責を加える鬼、地獄の獄卒鬼である!」
 

 与えるは熱。
 吹かせるは風。
 燃えろ。
 滾れ。
 貴様等は人に非ず。
 人で無しである。


「さあ皆の者! 武器を取れ! 私に逆らう狼藉者共に死を与え、罰を科すのだ!!」


 御所に侵入せんとする敵軍を迎え撃ち、一番槍を掲げる。

 撃。 「餓鬼道」
 切。 「畜生道」
 打。 「人間道」

 嗚呼、これでは長可を叱れんな。
 総大将である私がこのような死に戦の前線に立つとは、我ながら理解できん。
 ……はて。
 今更ながら疑問だ。

 斬。 「修羅道」
 突。 「餓鬼道」

 では何故私は、このように打って出たのだろうか――――――

 蹴。 「地獄道」

 右後方にて、下方弥三郎の叫び声が聞こえた。
 弥三郎の名を呼びながら敵兵の首を圧し折り、視線を投げると、弥三郎は左足を負傷しており脇腹から腸がはみ出していた。
 その目に映るは湧いて出る敵のみであり、闘志は絶えず眼前を睨みつけている。

 
「勇鋭と言うべし! 恩賞を与えたいところだが、今生では叶わぬな。
 許せ弥三郎、暫し待て。恩賞はあの世において授けようぞ!」

「身に余る光栄でございます、殿……!」


 此方の兵数は数百。
 対する明智軍は一万を超える。
 嗚呼、ここまで差があるというのに。
 圧倒され、絶望的で、勝ち目はないというのに。
 何故だ。
 それだというのに、どうして私は、笑っているのか。

 回る回る。

 くるくるくるくる。

 廻る、回る。

 くるくるくるくる、くるくるくるくる。

 廻る、廻る、廻る。

 くるくるくるくる、くるくるくるくる、くるくるくるくる。

 血を、肉を、目を、骨を。

 殴って、撃って、蹴って、打って。

 幾ら殺めようと切りがない。
 終わりが見えない。
 負け戦に他ならない。
 矢と刀と罵声の嵐がやまない。
 この身につけられる傷の数はとまらない。

 それでも、笑っていた。


「カッ、は――――あははは、は、!」


 こんなにも笑いが止まらないのは、生涯で唯一だ。
 頭に血が昇っているのが直感的によく分かる。
 怒ってはいない。
 嘆いてもいない。
 人間の感情は喜怒哀楽で表せるという。
 ふむ。
 ということは、だ。


 ――――嗚呼、成程。

 ――――若しや私は今、とても、充実しているのではないか?

 ――――まさか、これが"楽しい"という感情なのか?



 自覚した途端に、口元が完全に吊り上った。



 もっと! もっとだ!
 さぁ、私はまだ物足りていないぞ!
 増援はまだか?
 待っていようか?
 ああなんだ……後ろにこんなにもいたんじゃないか。
 では、参れ。
 遠慮はするな、近う寄れ。
 どうした? 何故入ってこない、なに、敷居をまたぐだけだ。
 私の首が目当てなのだろう?
 そのように引き攣った顔で青褪めていては運気が下がるぞ?



「さあさあさあ! 疾く武器を構え前へ出よ!」


「私こそは織田信忠、天下を統べる者であり、貴様等を裁く尾張の閻魔なり!」


「裁きを望む者から我が眼前に立ち、我が法廷に入るが良い!!」
 




 憎々しげに私を睨む、本能寺から急いでやってきたのであろう男、汗を垂らし目を血走らせた姿が目に入った瞬間、プチリ――――――何かが切れる音が聞こえ、霞む視界の中で星切を手にした。


 



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