気まぐれ部屋 | ナノ




愛息子は両親の恋愛話になると面倒臭がって逃げるか耳を塞ぐので知り得ない事だが、工藤有希子の初恋は夫の工藤優作ではない。優作と交際を始めるまで誰とも付き合った事が無い為に初恋を実らせその衝動の赴くまま電撃結婚をした大物女優とよく勘違いされているが、有希子の初めての恋は幼き日にとある外国の男の子によって奪われているのである。

――29年前/日本・群馬県

「『ねえ、そこの君!』」

アイリッシュ・セッターを引き連れ、偶然有希子が拾い上げていたフリスビーを指差しながら当時はあまり聞き慣れていない英語で話しかけてきた男の子。
それが彼との始めての出会いだった。

「だ、だれよ?あなた」

グローバル化が進む前の日本では見かける事の少ない金髪と英語、幼いとはいえ外人らしく背が伸びている男の子が接近してきたとなれば、有希子の警戒心は自然と上がった。

「『それ、この子のなんだ。返してくれないか』」
「何言ってるのか分かんない……」

当時小学二年生だった有希子にネイティブな英語を理解出来る筈もなく、そして男の子も日本語を話す事が出来なかったようで意思疎通が出来ずにお互いに困った顔になる。だが、幸いにも犬とフリスビーという連想しやすい物だったので。

「『ほら、君が持ってるそれだよ』」
「これ?」
「『そうそれ!』」
「あっ!これ、ワンちゃんとあなたのなのね!」
「わんっ!」

先程地面に落ちていたフリスビーを見せながら男の子と犬を指差せば、男の子はぴこんと閃いた顔で大きく頷いた。

「なんだ、そうだったの!さっき偶然拾ったのよ、返すわねワンちゃん」
「ばうん」
「『見つかって良かった、無くしちゃったのかと思ったよ』」

犬の頭をよしよしと存分に撫でまわし、背格好が大きく違う男の子を見上げてフリスビーを渡そうとする。ついさっきまで感じていた身長差による威圧感も慣れない外人の雰囲気も少しは払拭され、微笑みを浮かべ目を合わせる事が出来た。

「……わあっ」
「『?……なに?』」
「綺麗!」

へ、と面食らったのは男の子。有希子は好奇心の赴くままに男の子と距離を詰め、背伸びをして両頬に触れる。

「あなた、綺麗な赤い目をしてる!」
「……あか?……『赤だって!?』」

視線が合わさっていた時間は数秒にも満たなかった。

「えっ、どうしたの?」
「『忘れてたー!』」

男の子は急に慌て始め、腰につけたポーチから真っ黒なサングラスを取り出すと手慣れた動作で身に付けた。

「なんで隠すのー!」

褒めたばかりだというのに見えなくさせる行為をされた有希子は不満に思いぷくりと頬を膨らませ、サングラスを外させようとする。

「『わわっ!止めて!パパが着けろっていったんだよ!』」
「パパ?パパがなに?こんなのカッコつけた大人がするものじゃない!」
「『やーめーてー!』」
「バウッ!!ぐるるる……!」
「きゃっ!」
「『!止まれ、アレキサンダー!』」

今まで静観を決め込んでいた犬は嫌がる男の子を見かね、有希子に威嚇をし牽制すべく牙を見せつけた。それに驚いた有希子は始めてみる犬の獰猛さに青褪め、怯えから反射的に男の子の腕を掴む。今日の天気予報が曇り後雨だったからか夏だというのに長袖を着ていて、温かさを感じ少し安心した。男の子の声掛けにより唸るのを止めた犬を茫然と見つめ、止めていた息を吐きだす。

「び、ビックリしたー……」
「『アレキサンダー、これはただの御茶目な遊びだよ。俺は大丈夫』」
「……きゅーん」
「『よーしよしよし。分かってくれてありがとな!』」
「あ、あの……」
「『ん?』」
「ごめんなさい……嫌がってたのに、むりやり……」

一呼吸をはさみ、血の気が上った頭が冷えた有希子はしゅんと落ち込みながら謝った。

「『ううん、気にしないで!』」

そう言って男の子はからっとした笑顔を見せ、開いた口から覘き見えた犬歯は少し鋭かったように思えた。わしゃわしゃと遠慮のない、しかし撫で慣れているのか寧ろ気持ちよく感じる力で有希子の頭を撫でる。

「わっ――」

屈託のない笑顔を見つめたその時、自分の身体の体温が急激に上がるのを感じとる。男の子の手と接触している頭の部分はかなり熱い。今更、男の子の腕を握っている事に気付いて距離をとった。

「『どうしたの?』」
「な、なんでもない!」
「『……?』」
「わふん」

なんとなくアレキサンダーが生暖かいような視線を送っているような、そうでもないような、そんなことを肌に受けながら視線を右往左往させる。

「あー!そうだ!」
「『ん?』」
「私もワンちゃんと遊んでも良い!?」
「『……アレキサンダー?』」
「そうそう、その子と!フリスビー!ほら、それよそれ、持ってる奴で!」

身振り手振りの動きとフィーリングで何とか伝えきった有希子は、雨がしとしとと降り始めても気にせず男の子と一緒に公園で遊んだ。普段と違うつるつると滑りやすくなった遊具や足をとられやすい砂場は心が踊り、雨なんて物ともしない男の子とアレキサンダーのコンビネーションに目を輝かせ、たくさん遊びまくった。

雨が降っているというのに自宅とホテルに戻ってこない子供等を心配したそれぞれの親御さんが迎えに来て、有希子と男の子は別れた。この後も数回ほど男の子と出会う機会があり、その内の一回の時には不審者によって誘拐されそうになった有希子を助けてだしてくれたりもした。

あの男の子と過ごした短すぎる数日間は楽しかった。今でも夢で偶に見かけるほどに。「私が出会った7人の騎士」の一人。名誉ある最初の騎士だと言うのにエッセイはたったの数ページしか書けなかった。教え合った筈の名前も、遊んでいる間に何回も盗み見た顔もサングラスが印象的で霞み、忘れてしまっている。

今の自分は英語なんて喋れて当たり前、それ以外の国の言葉だって簡単に操れる。昔とは違って恥ずかしがらずに顔を合わせて話す事が出来るのだ。恐らく。多分。一回だけでもあの初恋の男の子と再会したかった。あの、燃え上がる情熱の赤色を持った瞳の男の子に。





隣に立つ男性に見遣ると、浅い緑色と目があった。くすりと笑えば相手もくすくすと口角をあげる。もうそろそろで出番だ。

「『今回の特別ゲストは皆さんもご存知闇の伯爵夫人ナイトバロニスこと工藤有希子様と、先日も女王陛下に相応しい美しきゴールデンレトリバーを贈呈したアデル・ディアス先生です!』」

大喝采と共にカーテンが開かれ、アデルと呼ばれた男性が先に歩きだし一礼する。

「『始めまして、アデル・ディアスです』」

今日はなんとなく気分が良かった。理由は分からないが。いや、まあ分かってはいるのだが。

「『皆さんこんにちは〜!工藤有希子でーす!』」

好きな子に似ている人の前で情けない所は見せたくない。皆、そんなもんだろう。


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