短文置き場(リハビリ中)
短かったり中途半端だったり勢いだけだったり
10/06何も考えてない臨也の話(単発)
 煙草のニオイで目が覚めた。
 目の前に広がる天井には見覚えがある。自室の天井の次くらいに見慣れた天井は、シズちゃんの住むアパートのものだ。そういえば、なんとなくそんな気分になったのでシズちゃんの家を訪れたのだった。いつも通りシズちゃんとベッドの上で一戦を終えた後、あるいは最中に気絶していたらしい。普段使わない筋肉を酷使したおかげで全身がだるいが、欲求の方はスッキリしていた。
 さて、人の身体で好き勝手してスッキリしたはずのケダモノ、もといこの家の家主はどこへ行ったのか。傷んだ金髪は首を回せばすぐに見つかった。下は着古した風情のジャージを履いているが、上は裸にシャツを羽織っただけのだらしない格好で、窓を開けて煙草を吸っている。
「……シズちゃん、服くらいちゃんと着たら?」
「あ?」
 鬱陶しそうな視線と共に低い声で威圧されたので、それ以上言葉を重ねることはやめた。シズちゃんがご近所になんて思われようが俺には関係ないし。ボタンを一つも留めていないシャツからは引き締まった身体が覗き、雑に足を通しただけのジャージのズボンはちょっとずり落ちて下着が見えている。そんな格好で気だるげに煙草なんて吸ってたら、どっからどう見ても今しがたまでセックスしてましたって風にしか見えないけど、俺の知ったこっちゃない。実際ちょっと前まで俺とセックスしてた訳だし。証拠に、数時間もしない内に消えてしまうだろうが、首筋には俺が力任せに噛み付いた痕がうっすら赤く残っている。
 顔と身体だけは良いんだよねえ、シズちゃんって。こんなだらしない格好でもそれなりに見えるのは、どう考えてもその顔と身体のおかげだろう。見目良く生んでくれたご両親に感謝すべきだ。
 シズちゃんは見た目だけなら鑑賞に足るが、中身は獣なので、あまり長く見ているとキレられかねない。シズちゃんが俺の視線に反応する前に視線を外し、重たい身体を起こした。あらゆる箇所が痛いしだるいが、とうに慣れた痛みとだるさなので、少しばかり気力が必要だが動けないほどではない。
 意識を失っている間に、俺の身体もシズちゃんが最低限は清めてくれたらしく、さほど酷いベタつきはない。思っていたより長い間気絶していたのかもしれない。これならシャワーは帰ってからでもいいか、と判断して、床にぽいぽい放り投げられていた下着や服を集めながら身に付けていく。
「……帰んのか?」
「ん? うん。明日も予定が入ってるからね」
「……」
 珍しいことを聞いてくるな、と思いながらも素直に答えれば、物言いたげな沈黙が返ってきた。殺し合ってる時のシズちゃんは何でも率直に言葉にしてぶつけてくるが、こうやって性欲を発散した前後のシズちゃんは、時々こうやって黙ってしまうことがある。シズちゃんの中には、暴力(とセックス)以外に俺とのコミュニケーションの手段が存在しないせいじゃないか、と俺は思っている。殴る殺す犯す以外に選択肢がないので、それ以外の何かを言おうとすると選べなくて困るんだろう。いまどきゲームにももうちょっと選択肢あると思うんだけど。仕方ないので、俺は勝手な推測で言葉を返すしかない。
「……もしかしてヤり足りないの? さすがにもう無理だよ。せめて次の日が休みの日じゃないと……」
「んな訳あるか手前じゃあるまいし! さっさと帰れ色ボケノミ蟲が!」
「ひっどいなぁ。シズちゃんだってノリノリだったくせに」
 隠すならもう少し上手に取り繕ってほしいものだが、シズちゃんは俺とのセックスに夢中になっていることを隠したがる。自分だって、好き勝手に乱暴して気持ちよくなってるくせに。前にお互い興が乗って丸一日ベッドの上で過ごしたことがあったが、スタミナの問題で先にバテた俺を、休憩を提案しても許さずに好き勝手してたときのシズちゃんの楽しそうな顔を俺は覚えている。あのときは脳細胞まで溶けて死ぬんじゃないかと思った。まあ悪くはなかったけど。

 何でシズちゃんとセックスするようになったのかは、あまりよく覚えていない。ノリだったんじゃないかな、多分。シズちゃんとの殺し合いは基本的に苛立ちとうんざりする気持ちと嫌悪感で占められているが、命の危機を伴っているせいか時々妙に昂揚してしまうことがあって、多分最初の一回はそういう気分のときだったと思う。一言で言うとハイになっていた。そしたらシズちゃんもノってきたのでそのままやってみたとか、そんな感じじゃなかっただろうか。覚えていないくらいなので、本当に軽いノリだったんだろう。
 とは言っても男同士の、しかも初体験同士――俺は男に抱かれたことはなかったし、シズちゃんも少なくとも男を抱いたことはなかったと思う――だったので、勿論スムーズに終わる訳もなく、流血沙汰になった。流石に後悔した。
 後悔したのに、どうして二度三度と重ねてしまったのかと言うと、やっぱり面白かったからだと思う。シズちゃんが、俺相手に必死な顔をしてるのが。よく考えれば、いや考えなくても、俺がシズちゃんを見ているのと同様にシズちゃんにも俺のみっともない顔を見られていたのだから、お互い様だったんだけど。
 殺意に満ちた顔で追いかけてくる顔が、快楽に耐えるように歪んで俺を見下ろす。それを見上げるのが好きだった。見下ろすのも。俺の思い通りには絶対に動いてくれない化け物を、支配した気になれた。シズちゃんが俺を抱いている間だけは、俺がシズちゃんの首に輪をかけている気持ちになれたのだ。実際には、好き勝手揺さぶられるのは俺の方だったとしても。
 ……とは言っても、それだけならさすがにその内飽きていたと思う。それが、高校を卒業して池袋を出ても未だにこの関係が続いているのは、ただ単にハマってしまったからだ。シズちゃんとするセックスに。
 最初は、別に気持ちよくはなかった。当たり前だ。尻の穴に突っ込まれて気持ちよくなれる訳がない。切れたし。普通に死ぬほど痛かった。シズちゃんも俺に対して優しさや気遣いなどを発揮してくれる訳もないので、本当に好き勝手に揺さぶられるだけだったし。今思うと、キツすぎてシズちゃんの方も気持ち良くはなかったんじゃないかと思う。むしろ痛かったんじゃないかな。俺が勝手にシズちゃんを支配した気になって気分を良くしていたのと一緒で、シズちゃんの方もムカつくノミ蟲を甚振って満足していただけな気もする。シズちゃんにその自覚があるのかは知らないが、純情ぶってるクセしてシズちゃんは俺を追い詰めて興奮している節がある。
 とにかく最初は行為自体にはまるで魅力を感じなかった。シズちゃんが出した後におざなりに前を擦られて出すだけ。前を触られれば男なので感じるし射精もするけど、それだけだ。
 それが、何度か回数を重ねる内に、俺が慣れたのかシズちゃんが学習したのか……多分両方だろう。俺の学習能力と適応能力が高すぎるせいもあったかもしれない。うっかり快感を拾い始めてしまった。
 俺相手に必死に腰を振るシズちゃんをからかって楽しんでいるだけだったはずの俺は、シズちゃんに感じさせられていることなど屈辱としか思えなくて、当然ながらその事実を隠そうとした。それも悪かったのかもしれない。身体を明け渡している相手にそれを隠せるはずもなく、シズちゃんは俺の身体が快感を拾っていることに気が付いたし、俺がそれを隠したがっていることにも当然気が付いた。となれば俺に優しくないシズちゃんの行動は一つだ。俺が隠したいものは暴くに決まっている。少しでも反応したら延々と責め立てられて、俺は屈辱と快楽に耐え続ける羽目になった。
 そんなことを続けていれば当然身体はそれに慣れるし、端的かつ俗な言い方をすれば、開発されてしまった、と言えるのかもしれない。うっかりシズちゃんのセックスに慣れてしまって、ハマってしまった。
 普段殺し合ってる天敵相手のセックスにハマってるなんて、アブノーマルすぎて誰にも言えない。さすがにまずいと思った俺は、シズちゃんとの関係を清算しようとした。顔を合わせて殺し合うとそのままなし崩しでベッドに縺れ込んでしまうことが多いので、まず手始めにシズちゃんとの接触を断った。しかし俺も健康な成人男性で、シズちゃんとも比較的頻繁に発散していたせいで、溜まるものは溜まる。シズちゃんとする前はこういう欲求は薄い方だったはずなのにと思いながらも別の相手を見繕ってみた。勿論女性だ。シズちゃんとするときはいつも抱かれる方だったから、一応男を相手にすることも考えてみたが、想像してもまったくその気にならなかった。シズちゃんに関しては、世界で一番大嫌いな相手が、大嫌いな俺を相手に発情しているという事実が興奮材料になっただけなんだろう。俺は確かに人間を愛しているし、そこに性別は関係ないが、人間を愛する気持ちには性欲は含まれていない。
 ……結論から言うと、女性が相手でもその気にならなかった。そういえば、シズちゃんとの関係を持つ前も、異性に対しての性的な興味は薄い方だったのだと思い出した。お年頃だったので全く興味がない訳ではなかったが、異性としての興味より、人間としての個人への興味の方がずっと強かったのだ。
 当時はそれで良かった。性的欲求が薄かったからだ。問題は今だ。男相手でも女性相手でもその気にならないのに、自分で処理しても欲が燻って消えない。それどころか、もどかしさが募るばかりで悪化していく。解決策は目の前にぶら下がっているが、選びたくない。男としての矜持やシズちゃんへの意地などで堪えていたが、結局俺と同じように溜まっていたらしいシズちゃんに捕まって、溜まっていた分いつもより酷くむちゃくちゃにされて、それがあまりにも良かったので、諦めざるを得なかった。自分でも自覚したくない性癖だったが、俺はシズちゃんに滅茶苦茶にされるのが好きらしかった。思春期に乱暴にされ続けたせいで性癖が歪んでしまったとしか思えない。つまりシズちゃんのせいだ。仕方ないので責任を取ってもらうことにした。つまり、俺とシズちゃんの爛れた関係は継続させることに決めた。

 そんなこんなで、この腐れ縁ももう十年近くになる。シズちゃんもよく飽きないな。元々女性への性的興味が薄い俺はともかく、シズちゃんは女の子としたいと思わないんだろうか。どう考えても、薄っぺらくて柔らかくもない俺の身体より、柔らかくておっぱいのある女の子を抱いた方が気持ち良いんじゃないかと思うんだけど。
 部屋中に散らばっていた服を着て、身嗜みを整えながらシズちゃんの横顔を眺める。異常にキレやすいところを除けば、外見は特上だし、女子供には優しいし、かなりの優良物件と言える。一夜の相手としては、だが。真剣なお付き合いをするには、借金や身の危険などのマイナス要素も多い。そもそもシズちゃんには人間の女の子は勿体無い。家庭など持たれては化け物の遺伝子が引き継がれてしまう。
「……何だよ」
 俺の考えを読み取ったようなタイミングで睨み付けられる。勘もやたらに鋭い。シズちゃんとお付き合いする女の子は浮気など出来なさそうだ。シズちゃんが選ぶ女の子なら、そもそも浮気などしないのかもしれないが。
「別に? ただ……、シズちゃんって何で俺とセックスするのかなと思って」
「……、はぁ?」
 シズちゃんの眉間にこれでもかというほど皺が寄る。一気に目が据わった。不機嫌そうな顔だ。単純な疑問と好奇心故の発言だったのだが、あまり触れない方が良かった部分らしい。聞かれて怒るようなデリケートな理由なのだろうか。乱暴に扱ってもいいからとか、女の子相手とは違ってムードや気遣いが要らないからとか、その程度の理由を予想してたんだけど。あとは、歪んだ性癖をぶつけられるからとか? シズちゃん、俺が嫌がってるときの方が楽しそうだし。そういうアブノーマルな性癖について言及されるのが嫌なのかもしれない。
「ていうか……そもそも、シズちゃんってちゃんと女の子抱けるの? 俺にしてるみたいに好き勝手乱暴したりしたら、即振られると思うよ」
「大きなお世話だ! 手前には関係ねえだろうが!」
「関係はないけどさぁ、かわいそうじゃない。化け物の相手をさせられて痛い思いをした女の子が居たら」
 まあ俺はその乱暴さがクセになってしまっているので、もしかしたらそういうのが好きな女の子となら破れ鍋に綴じ蓋の良い関係になれるのかもしれないが。
 シズちゃんは威嚇する獣のような不機嫌さをぶつけてきている。キレる寸前の顔だ。性欲を発散した後は比較的穏やかなはずのシズちゃんがこうも不機嫌になるということは、この話題はやはり地雷らしい。シズちゃんが嫌がることは率先してやりたいタイプの俺だが、今この状況で危険を冒してまでやりたいことでもなかったので、追及するのはやめておいた。さすがに今キレさせるのは命の危険を感じる。この重い身体で走り回りたくはない。
「さてと。俺はそろそろ帰るよ」
 コートに腕を通し、身の危険を感じる話題を切り上げる。シズちゃんも気持ちを切り替えるように短くなった煙草を最後に深く吸い、灰皿に押し付けた。開け放っていた窓を閉めて寄ってくるシズちゃんへと向き直る。
「じゃあまたね、シズちゃん」
「池袋にはもう来んなよ」
 この場合の『池袋』には、シズちゃんの家は含まれていない。『趣味』を満喫しに来るとキレて追い回してくるシズちゃんだが、シズちゃんとしたいなと思ってシズちゃんの家を訪ねると黙って玄関のドアを開けて迎え入れてくれるので、そういうことらしい。池袋には来させたくないのにやることはやりたいとか、シズちゃんも現金だ。
「シズちゃんが我慢できなくなる前にまた来るよ」
 しかし俺も普段どう殺そうかと思考を巡らせているシズちゃんとセックスする為だけに池袋に来ることがあるくらいには現金なので、『次』の予告をしてシズちゃんの煙草臭い唇にキスをした。俺は煙草なんか吸わないのに、シズちゃんが吸っているこの煙草だけは味をすっかり覚えてしまった。
 触れるだけのつもりが、大きな掌に後頭部を押さえられ、驚きに開く唇の間から舌が入り込んでくる。煙草の臭いと味が強くなって、この味にもとっくに慣らされた唇はついその煙草臭い侵入者を迎え入れてしまった。酸素も唾液も好き勝手に奪われては与えられ、息が乱れる。
「……我慢出来ねえのは手前だろ」
「っ、はぁ……」
 煙草臭いキスを終えて、シズちゃんが少し掠れた声で言う。ほんの数十分前に散々炙られた快楽の炎が意識の端をちらりと焦がすのを感じて、それを意識しないように息を整えた。さすがにもう今日は帰って休みたい。
 シズちゃんの胸を押して距離を取ろうとするが、やたらに頑丈なシズちゃんは動かない。仕方ないので俺が下がって距離を取ろうと思ったら、シズちゃんの腕が背中に回って引き寄せられた。耳元に温かい呼気がかかって、ぞわりとする。え、まさか本気でまだする気なの? ぎょっとする俺に構わず、シズちゃんが囁いた。
「さっきの答え教えてやるよ」
「っ、……さっき?」
 内緒話をするみたいに、耳元でぽそぽそと喋られると、なんていうか、ぞわぞわする。シズちゃんは最中にもこんな風に耳元で話すことがあるので、もう身体がそれを『気持ちいいこと』だと覚えてしまっている。頭が上手く回らず、シズちゃんの言う『さっきの答え』が、さっき俺が口にした『どうして俺とセックスするのか?』という疑問についての答えだと理解するのにも数秒かかった。
「俺と、セックスする理由?」
 ああ、と吐息で答えられる。弱いからやめてほしい。分かっててやってるんだろうが。
「手前とするのが、――いちばん興奮するから」
「――!」
 耳朶に直接吹き込まれた声に、誤魔化しようもない快感が走る。全身にぶわっと鳥肌が立って、反射的にシズちゃんを突き飛ばした。素直に突き飛ばされてくれたシズちゃんが、一歩下がる。
「……、帰る」
「おう」
 壁にぶつかりかけながら部屋を出て、玄関で靴を履く。緩い足取りで追ってくるシズちゃんが近付いてくる前に、玄関のドアを開けて外へ出て、振り返りもせずにドアを閉めた。
 明日仕事がなかったら危なかった。
 人間観察をしながら街中を歩くのも嫌いではないが、今日はもう歩いて帰る気にはなれない。タクシーを手配しながら、シズちゃんの家から離れるためだけに歩みを進める。
 シズちゃんとするのが一番興奮するのは俺も同じだった。だからつまり、あんな風に直接的に、肌を重ねているときのような声で、あんなことを言われてしまうと……流されてしまいたくなる。
 先程乱暴に閉めたばかりのドアを、明日の仕事終わりに叩いている自分が想像出来て片手で目元を覆った。満更でもないあたりどうしようもない。







 ふらふらと、しかし人目はしっかりと避けて、静雄のアパートから遠退いていく細い背中を窓から見送りながら、静雄は小さく呟いた。
「……手前みてぇなムカつく野郎相手に興奮する理由なんて、一つしかねえだろうが」
 そして臨也にとっても、柔らかくも優しくもない、日々殺意と暴力をぶつけ合う男に抱かれるのがクセになるほど気持ち良い理由など一つのはずだ。
 ――早く気付け、クソ臨也。
 俺ばっかりこんな思いすんのは不公平だろ。



===
去年の末に書いてたやつです……。
臨也は深く考えない方が幸せなのでは??


文章の長さよりタイトルをつけられるかどうかでこっちにあげるか決めてる節がある。





08/08花火大会に行く話(単発)
「シズちゃん、明日も休みでしょ。ちょっと付き合ってくれない?」

 夕刻、大きな荷物を持って突然家を訪れた臨也が、珍しく殊勝な態度でそんなことを言うので、静雄は頷いて臨也の後についていくことにした。
 特に何を持ってこいとも言われなかったので、財布と携帯くらいしか持たずに出てきたのに、まさか高速バスに乗り込むことになるとは思わなかった。先にバスのステップを踏んだ臨也が二人分の乗車賃を払ったようなので、とりあえず黙って臨也の隣に座る。車内放送で流れた行き先はあまり聞き覚えの無い地名で、数時間車に揺られた後、東京から遠く離れた町へと降り立った。そこからタクシーで少し離れたホテルに向かい、チェックインする。「予約していた折原ですけど」という、ホテルの受付に向けた一言が、静雄が聞いた中では今日の臨也の二言目だった。つまり臨也は、バスに揺られていた長い時間の間、一言も喋らなかったのだと、ふと気付いた。

 臨也の大荷物は、二人分の男物の浴衣一式だった。
 ホテルの部屋で浴衣に着替えさせられ、臨也もさっさと浴衣に着替え終わったかと思うと、すたすたと部屋を出て行く。下駄など履き慣れていないだろうに、いつもと変わらぬ軽やかな足取りに感心した。フロントで鍵を預けて外に出ると、祭り独特の賑やかな音が少し離れたところから聞こえてくる。人通りも多く、遠くには提灯の赤い明りも見えていた。
 賑やかさに近付けば近付くほど、人通りが多くなる。浴衣に私服、老若男女が入り乱れ、屋台が並ぶ通りは客引きの声や食べ物の匂いで溢れていた。人混みに流されずにスイスイと進んでいくあたり、臨也のすばしっこさは人混みでも変わらないらしい。進めば進むほど、人の密度は上がっていく。周囲の誰かの足を踏みそうなくらい混んでくると、静雄は思うように進めなくなってきた。相変わらずスイスイ進んでいく臨也の丸い頭と、少しずつ距離が離れてくる。とはいえ、お互いの背の高さのおかげで見失うことはない。静雄の目線だといつも見下ろす臨也も、人混みの中では頭一つ抜けている。
 静雄が人混みに流されてもたついていることに気付くと、臨也は足を緩めて静雄を待った。合流すると、白い腕が伸びてきて静雄の手を掴む。手のひらを重ねて、ぎゅうと握られた。
 少し驚いて、臨也の顔を見る。臨也の方も静雄を見上げていた。目が合うと、臨也はふっと笑って、何も言わずにまた歩き出す。人混みの合間をすり抜けるのが上手い臨也の後ろを歩くと、幾分か歩きやすいことに気が付いた。

 しばらく進むと、開けた場所に出た。川がある。傾斜になっている地面は、いくつもの場所取り用のブルーシートで覆われていた。場所取りが出来ないエリアには人が溢れていて、屋台の出ていた通りより、更に多いような気がする。臨也は静雄の手を握ったままその中を進んでいって、やがて空がよく見える場所で立ち止まった。そこでようやく静雄は、臨也と花火大会に来ているのだと気付いた。
 周囲は花火を期待するざわめきに溢れている。饒舌な臨也が黙っているので、静雄も黙って花火が始まるのを待った。もう人混みに流される心配は無いのに、臨也は手を離さない。静雄の方からも離さなかったので、離さないまま、花火大会の開始を知らせる放送が鳴って、最初の花火が打ち上がった。


 うんざりするほど人が多くて、花火の音とざわめきで互いの声もよく聞き取れないような中で、周囲の人混みに押されてぎゅうぎゅうくっつきながら、花火ばかり見て視線の一つも寄越さないくせに、しっとりと汗ばんだ手だけがしっかり静雄の手を握っている。
「臨也」
 呼び掛けた声は掻き消されて気付かない。耳許に口を近付けて再び呼び掛ける。
「いざや」
 赤みがかった瞳が静雄を見上げた。
「――?」
 薄い唇がなあに、と動いた気がする。声を張るつもりがないらしい臨也の声は、近い距離でも歓声に掻き消されて静雄の耳には届かない。
「この為だけに、ここまで来たのか?」
 どん、と腹に響く音がして、一際大きな歓声が上がった。臨也の瞳が、空に打ち上がった火薬の色を鮮やかに映し出す。花を映して煌めく瞳が細められ、微笑んだ。返事はない。代わりに、繋いだ指がきゅっと握られる。それが、問いへの答えなのだろう。握られた手に、軽く力を込めてゆっくりと握り返した。見上げてくる瞳が蕩け、微笑みが柔らかくなる。言葉のない臨也の表情は、こうも分かりやすい。
 花火は終盤になり盛大さを増し、周囲の盛り上がりも高まっていく。普段なら苛立つはずの人混みや騒がしさも、今日は気にならない。池袋や新宿から遠く離れた距離も、着慣れない浴衣も、走りにくい下駄も、自分の足元すら見えないようなうんざりするほどの人混みも。こうして指先を絡めるためだけに臨也が用意したものだというのなら、あまんじて受け入れてやろうという気にもなる。
「――――」
 シズちゃん、と臨也が呼ぶ。
 相変わらず声は届かないが、何度も目にした動きなら推測も容易い。周囲をさっと見回して、周りが皆花火に目を奪われていることを確認した。人混みの中でも頭ひとつ高い静雄と臨也の姿は目立つかもしれないが、この暗さの中、真上を見上げている人々の視界ではそう目につかないだろう。
 身を屈めて、唇を重ねる。軽く触れるだけで寄せた距離を離せば、臨也がきょとりと目を瞬かせるのが見えた。思わず笑いがこぼれる。臨也は、時々こういう子供っぽい顔をする。無警戒で、無防備な顔だ。
「――こういうのがしたかったんだろ」
 耳許に囁けば、ふふ、と笑う臨也の吐息が胸元にかかった。満足げに笑うその顔に、静雄も満足する。らしくないことをしているとは思うが、お互い様だ。住み暮らす街から遠く離れた場所、夏の夜の花火大会という非日常のひととき。
 ここは池袋ではない。同じ人混みでも、静雄と臨也を、会えば殺し合う仇敵として認識する人間は居ない。今の自分達は、さしずめ男同士のバカップルといったところか。考えて、少し笑った。何を囁かれたところでさして気にはならない。どうせ明日には発つ町だ。次にこの町に来ることがあっても、その頃には静雄と臨也のことなど誰も覚えていないだろう。
 人の噂も七十五日と言う。次に来るのは、きっと一年後。来年の花火大会の日だろうから。



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ついったで書いてた短文にちょっと足したやつ
夏だから勢いで書いてもいいかなって……(言い訳)


03/03静臨と食器のはなし(単発)
 臨也とアレコレする仲になり、気付けば食器棚に臨也専用の食器が増えていた。

 最初に食事を共にしたときは一応用意してある客用の食器を使っていたのだが、何度か静雄の家で共に食事をとるようになって、それでは不便なことも出てきた。適当に食器を買っておくか、と静雄が考え始めた頃、臨也はいつの間にか自分用の食器を静雄の食器棚に持ち込んでいたのだった。
 何でも無駄に高いものを使っていそうなイメージに反し、臨也が持ち込んだ食器のほとんどは百円均一ショップで買えるような安っぽいものだった。それも、どこにでもありそうな何の特徴もない真っ白なものばかりだ。静雄の家にある食器も大概無難な選択をされているが、その中ですら臨也が持ち込んだ白い食器達は少し浮いて見えた。

「手前のことだから、もっと高いもん使ってんのかと思った」

 いつだったか静雄が漏らした言葉に、臨也は口角を上げて笑って答えた。

「そりゃ家ではいいものを使うよ。シズちゃんと違ってそれなりにお金持ってるしね。けど、シズちゃんの家にいいもの持ち込んでもねえ。何かの弾みで割られそうだしさぁ」
「喧嘩売ってんのか」
「まさか。わざわざシズちゃんの家に来て、シャワーまで浴びて、それはないだろ?」

 艶やかな微笑を浮かべる臨也の、部屋着から覗く白い腕が静雄の首に絡みつき、なし崩しのように二人でベッドにもつれ込んだ。
 その日は結局、臨也が持ち込んだ真っ白の安っぽい食器は使われず仕舞いだった。



 どこにでもありそうなありふれた白い食器は、静雄にとってはやっぱり臨也専用の食器だった。
 だから幽が来たときも、ちょっと不便でも客用の食器で我慢させてしまったし、臨也が来たときには必ずその白い食器を使った。
 いつぞや臨也が言った通り一度か二度はうっかり食器を割ってしまったが、ありふれた食器であったが故にすぐに調達可能だったので、その点は助かった。目敏い臨也はすぐに買い替えに気付き、「わざわざ買わなくても、これくらいなら来客用の食器でよかったのに」と言ったが、静雄もそこは譲らなかった。譲らない静雄を見て、臨也は嬉しいのか困っているのか分からないようなへんな顔をした。


 臨也には似合わないような安っぽくて真っ白い食器。
 それは今思えば、処分しやすいようなものを選んだ結果だったのだろうと思う。
 そんな風に選んだものだから、わざわざ新しいものを買い換えた静雄を見てへんな表情をしていたのだ。

 だが、そんなに簡単に、臨也の思い通りになってたまるかと思う。
 臨也と決定的な決別をして、折原臨也の姿が池袋から消えた今も。
 誰にも使われないまま、臨也専用の白い食器は、静雄の家の食器棚の同じ場所に眠っている。



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お互いの関係性への姿勢がこういうちょっとしたところに出る静臨が多分好きなんだなぁと思いました(感想)


08/18折原臨也が可愛い話(没)(単発)
冒頭のみで終わります
大嫌いな臨也が可愛い静雄の話。
だいぶあたまのよわい感じなので追記にたたみます

追記

07/15ある日どこかの街で(会話文)(単発)
「……知らなかったよ。シズちゃんが、そんなに俺のこと好きだったなんて」
「好きじゃねえよ」
「へえ。君は好きでもない相手を出会い頭に抱き締めてキスしたりするの?」
「こういうことしたいと思う相手が手前だけなんだから仕方ねえだろ」
「……なにそれ」
「手前がちらつくんだよ。しょうがねえだろ。他の誰とも出来ねえんだよ。手前のせいじゃねえか、責任取れよ」
「そんなの、俺のせいじゃない……」
「手前のせいだ。手前が何て言おうが、手前のせいだ」
「……仮に、君の言う通りに俺のせいだったとして……俺に何を求めてるんだい?」
「言っただろ。責任とれ。責任とって……俺と来い」
「それ、言うために……わざわざこんなところまで来たの?」
「悪ィかよ」
「……悪いよ。最悪だ。そんな……そんな風に言われたらさぁ……」
「手前はどうせ、一人じゃ帰ってこられねえだろ。わざわざ迎えに来てやったんだから、諦めろ。諦めて……俺のだって言え。言わなくても逃がさねえけど」
「……君みたいな化け物に捕まるなんて、俺もついにヤキが回ったかな。こんな脚じゃ、昔みたいに逃げられない」
「逃げられないなら、仕方ねえな」
「そう、仕方ないから……君と行ってあげるよ。シズちゃん」




===
静臨再会話を読まないと13巻に耐えられず死んでしまいます!


07/03片思いの話(単発)


「君が好きだ……って、言ったらどうする?」



 酷い雨の日だった。臨也がそんなとち狂ったことを口にしたのは。
 傘も差さずに、いつもの黒いコートで、フードを深く被って歩く臨也を見つけて追いかけた。殺意を込めてぶん投げた標識をひらりと避け、雨でいつもより滑りやすい道をいつもと同じスピードで駆け抜けていく臨也の後姿はいつも通りだった。曲がり角を曲がった一瞬で見失ってしまう逃げ足の速さも。こういうとき、大体はパルクールとかいうふざけた動きで上に逃げている。視線を上げれば翻るコートの裾くらいは視認出来るはずだ。経験則で雨を手の甲で遮りながら周囲のビルを見上げれば、臨也はやはりそこに居た。非常階段の踊り場。翻るコートの裾どころか、こちらを振り向いて静雄を見下ろしてさえいた。それがいつもと違うところだった。
 普段と違う臨也の動きに警戒して足を止めた静雄に身体ごと向き直り、臨也は口を開いた。薄い唇から落ちてきた言葉が、アレだった。


 臨也の無駄に爽やかな声は、雨音の中でもよく響いた。よく響く声を、静雄の耳はしっかり拾う。拾って、理解して、顔をしかめた。
 そんなことを言うために、コイツはわざわざ立ち止まって、振り向いて、口を開いたのか。苛立ちというよりはもはや呆れに近かった。臨也は表情も変えずに静雄を見下ろしている。
 人を嘲るような、悪意に塗れた笑みのまま。笑みというには歪んでいる。苛立ちを煽るために笑みに似た形に歪められているだけのように思えた。そんな表情で、好きだなんて、どの口が言うのだろう。
 静雄は雨に濡れて張り付いた前髪を乱雑な仕草で払った。ついでのように吐き捨てる。

「嘘ならもっとマシな吐き方しろ」

 臨也はふっと息を吐くように笑った。走っている最中にフードの脱げた臨也の髪は、強くなった雨に晒されていまやびっしょりと濡れていた。額に張り付いた髪の間で、いつだって鋭く静雄を見ている目が細められる。

「それもそうだ」

 どう気が向いたのか知らないが、今日の臨也が静雄を不快にするために取った手段は、臨也自身の気分も害したようだ。表情の僅かな変化と、存外顕著に現れる声音の変化からそう判断する。そんなもん言う前に気付け、と静雄は思うが、臨也にはこういう面がある。普段は何事にも対応できるような周到すぎる用意をしているくせに、時折そのすべてを投げ出して勢いで行動するようなところが。臨也のそういう気まぐれなところが嫌いだった。
 互いに気分を害したところで、苛立ちのままに静雄の手に力がこもる。臨也を害するためについさっき調達された新たな道路標識が握られていた。目敏くそれに気付いた臨也は、静雄が得物を振りかぶる前にぱっと非常階段から飛び立ち、窓枠や配管をうまく使って屋上の方へと消えていった。人が掴んだり足場にしたりすることを想定されていないそれらは、雨のせいで普段より随分と滑りやすくなっているだろうに、臨也の動きには危なげなところがない。何度見ても軽やかな動きだった。
 追うか追うまいか一瞬考えている間に、臨也の気配は遠ざかっていく。仕方なしに無用の長物と化してしまった道路標識を元の場所に戻しに行くことにした。刺さっていた場所に突き刺しておけばないよりはマシだろう。

 さてどこで引っこ抜いたんだったかと思い出しながら、臨也を追いかけて走った道を戻る。脳裏に浮かぶのは今手に持っている道路標識を引き抜いた瞬間ではなく、臨也の性質の悪い嘘ばかりだ。

『君が好きだ……って、言ったらどうする?』

 響く雨音に紛れることなく届けられる声に、思わず心臓が高鳴ったことが悔しかった。いつもと同じ薄っぺらで悪意に塗れた胡散臭い表情から放たれたそれが、静雄を嘲笑うだけの戯言と分かっていても、記憶に焼き付けてしまう程度には衝撃的だった。あの瞬間、確かに強く脈打った、静雄の内に眠る衝動を、臨也は知っているのだろうか。

 どうせ騙すなら、もっとうまくやればいい。
 もっとうまく。静雄が騙されてもいいと思えるくらい、うまく演じてくれればよかった。手酷い裏切りが待っていると分かっていても、騙されてやってもいいと思えるくらい。
 思いはするが、結局無意味なことなのだろう。静雄は臨也を信じられない。臨也が、静雄を好きだなんて嘘を演じ切れないのと同じで。

 軽やかに遠ざかっていく背中が憎らしい。あの胡散臭い面を見るだけでムカつく。それでも目を離せないし、見つければ追いかけてしまい、捕まえられないことにイライラする。何を言われても信じられないくせに、嘘を吐かれると腹が立つ。
 ハッキリしないものが嫌いな静雄の感情は、いつも明快だ。分かりやすく白か黒だ。なのに、臨也に対する感情はいつも、強烈なのに曖昧で、両極端な二つの境界線が不安定だった。

 折原臨也以上に厄介な人間を、静雄は知らない。
 こんなにもムカついて、五臓六腑が煮えたぎるような苛立ちを与えられるのに、視界に入れば追わずにはいられない。うそつきで胡散臭くて何一つ信じられないのに、心の深くの本音を吐かせたくて堪らなくなる。


『君が好きだ……って、言ったらどうする?』


 天地が引っくり返ったって俺のことを好きになんかなんねえやつが、期待を持たせるようなことを言うんじゃねえよ。と、静雄は思う。
 結局のところ、それが、信じる信じない以前の嘘であったことこそが、静雄にとっては臨也の面より声より言葉より逃げ足の速さより、何より腹の立つ理由なのだった。





===
両片思い
お互いのことを本当にかけらも理解できてない静臨も好きです



06/26寝付けないざや(単発)
 こだわって選んだおかげで寝心地のいい広いベッドの上でごろりと寝返りをうちながら、臨也は静かにため息をついた。――眠れない。
 時々こういう日がある。妙に神経が昂って、寝付けなくなるような日が。それは大抵池袋で天敵とやり合った日の夜で、今日も原因は同じのようだった。違うのは、今夜はその原因が、臨也の背後ですやすやと健やかな寝息をたてているということだろう。

 真夜中の静かな部屋に響く規則的な寝息は、例えばベッドの上で互いの欲を発散した後ならば、全身を包む疲れの中で子守唄の代わりにもなったかもしれない。しかし、触れられることもなくただ同じベッドに横たわる今宵に限って言えば、臨也の神経を余計にざわつかせるものでしかなかった。

(くそ……一人だけすやすや呑気に寝やがって)

 内心で口汚く文句を言いながら、臨也は静かに唇を噛む。静雄の方に顔を向けないのは、意地でもあり、少しでも静雄を意識から外したい一心でもあった。

 きっかけはもう覚えていないが、とにかくいつからか、静雄と臨也は時々、喧嘩の代わりのように体を重ねるようになっていた。どちらかが欲を燻らせたときだけ、暗黙の了解でふたりの間からは暴力も尖った言葉も失われる。代わりのように、暴力的なまでの衝動をぶつけ合った。
 今夜も静雄はそのつもりで臨也のもとを訪れたはずで、しかし何故か、夕食を食べて風呂に入ったあとは、臨也に指一本触れることなく、こうしてただ同じベッドで眠っている。
 その方がいろいろと楽だからという理由で、いつの間にか夕食を共にすることも増えていたが、今日のように食事とベッドだけ共にしてなにもしないなんてことは初めてだった。ついこの間まで、臨也が疲れてるから勘弁してくれと頼んでも、そんなこと知るかと一蹴して覆い被さってきたくせに。

 触れられたい、訳ではない。臨也は静雄に比べればそういった欲は薄い方だ。その気がなくても執拗に触れられればそういう気分になってしまうが、今夜のように指一本触れられていなければそんなことにはならない。……はずだ。妙に苛立つのも、静雄の意図が分からないからであって、けして煽られた欲が満たされないからではない……はず。

 背後からは相変わらず健やかな寝息が聞こえている。臨也ばかりがこうして悶々とさせられている現状に苛立ち、臨也の眠気はますます遠ざかる。
 こうなったらシズちゃんの安眠も妨害してやる、と決めた臨也がごろりと寝返りを打つと、静雄は変わらず仰向けの姿勢で眠っている。臨也が何度か乱暴に寝返りを打ったせいで、掛け布団は引っ張られて多少乱れているのだが、静雄は目覚める気配もない。静雄は一度眠るとなかなか起きない性質だ。寝込みを襲われても、この頑強な体ではそうそうどうにもならないからだろうと臨也は思っている。それもまた、今は苛立ちの要因でしかなかった。
 起き上がって静雄の方に寄り、親指と人差し指で静雄の鼻をつまんで掌で口を塞ぐ。窒息されかかったらさすがのシズちゃんも寝てはいられまい、という臨也の考えとは裏腹に、むぐ、と小さな声と共に呼吸を止められているはずの静雄は、その後十数秒反応がないままだった。いくらなんでも鈍すぎない? と臨也が引き気味になった頃、ようやく、突然に、静雄の右手が臨也の左手首を掴んだ。ひっぺがされて、ぐいと引っ張られる。踏ん張りきれずに静雄の上に倒れ込むと、その衝撃で静雄もやっと目を覚ましたようだった。

「……にしてんだよ」

 寝起きの掠れた声にぞくりとした。その感覚を振り払いたくて、臨也は意識して殊更に冷たい声を使う。

「嫌がらせに決まってる。俺のベッドを不当に占領して眠ってるシズちゃんへの」
「なんだそりゃ……今まで散々一緒に寝てきただろ」

 眠たげに目を擦る静雄の言葉に、臨也は一瞬視線をさまよわせたが、幸いにして静雄には気付かれなかったようだ。

「……シズちゃんがいつもめちゃくちゃするから、文句言う体力もなかっただけだよ」
「……そーかよ。……」

 静雄が何事かをぼそりと呟く。まだダメか、と聞こえたような気がしたが、ハッキリとは聞き取れなかった。

「なに?」
「別に。……つまり、あれだろ。文句言えないくらい疲れさせろってことだろ」
「はあ?!」

 曲解にも程がある。ぎょっとして身体を起こそうとする臨也の腰に静雄の腕が回り、臨也の身体はあっという間に自由を奪われた。
 臨也を抱えたままごろんと体勢を入れ替えようとする静雄に、組み敷かれて寝不足コースを覚悟した臨也だったが、静雄は横向きになると動きを止めた。

「シズちゃん?」
「……つっても、慣らしていかねえとどうにもなんねえよなぁ」
「……? なにが?」
「明日してやるから、今日はこのまま寝ろ」
「頼んでない……ちょっと」

 言いたいことだけ言って、静雄は目を閉じてしまう。
 背中に回った腕は、眠れないほどきつく締めているわけではないが、もがいた程度では外れそうもなかった。身動ぎする臨也の背を、静雄の手が撫でる。子供を寝かしつけるような柔らかな手つきで撫でられても、子供ではない臨也は寝付けるはずもない。

「シズちゃん、……シズちゃんってば!」

 静雄は寝付きがいい。ほんの数十秒も経たない内に、呼吸は穏やかな寝息に変わっていた。臨也の背を撫でていた手も、今はただ添えられているだけだ。

「……本当に勝手だよね、シズちゃんって」

 臨也が呟く声も、きっともう聞こえていないのだろう。
 多少動いたりちょっかいをかけたりしても静雄はどうせ起きないのだから、臨也は開き直ることにした。静雄は臨也のことを……外で会う臨也ではなく、こうしてベッドを共にしているときの臨也のことを、随分と薄情で身勝手な人間だと思っているようだが、静雄だって大概だ。
 静雄の首筋に額を寄せて、そっと息を吐く。


 静雄が思っているより、臨也はずっと普通の人間だ。怪我を隠して何食わぬ顔で静雄の前に立って見せても、怪我がなくなる訳ではない。何でもないような態度を装っても、何も感じていない訳でもなかった。
 何度も繰り返し身体を重ねた相手に、ほだされずにもいられない。それが、あからさまに感情を表す相手であれば尚更。
(……っていうか、何とも思ってない相手にあんなことさせないんだよ、俺は)

「シズちゃんはなんにも分かってないね」

 頬を引っ張っても、夢の中に居る静雄はされるがままだ。
 臨也が静雄に対して素直な態度など取れるはずもないのに、こんなことばかり馬鹿正直に信じるのだから腹立たしい。
 お互いに面倒で厄介な相手だと分かっているのに、分かっていても、結局臨也は静雄との関係を続けている。口では文句を言わずにはいられなくとも、それが答えなのだといい加減気付いてほしい。

 結局のところ、薄情なのは臨也より静雄の方ではないかと臨也は思う。
 臨也の答えに気が付かないのは、きっと、静雄には同じものがないからだ。馴染みのないものに対しては、人は鈍くなる。
 静雄が臨也に触れる指先に、込められた熱を知っている。静雄が臨也に望むことを、その執着を、臨也は知っている。
 だが、それが臨也が望むそれと同じものであるかどうかは、臨也には分からない。

 それでも背中に触れる掌は熱くて、近い距離にある体温や、触れれば分かる心音に安心してしまう。本気で殴りかかってくるのと同じ手が、こうして傷付けないように触れてくることに、喜びを感じてしまう。

「……嫌いだよ」

 呟いてそっと目を閉じた。眠気はまだやってこない。




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身体から陥落させて些細な触れ合いも許容させたい静雄と、実は心も身体ももうとっくに陥落済みの臨也の噛み合わない話

短文がどんどんのびていくのどうにかしたいです




06/03今のうちにしておきたいこと(単発)
 人肌にでも餓えているのだろうか、と臨也は思う。
 静雄の部屋で共に朝を迎え、穏やかな時間を共有する休日。昼食を片付けた後、当たり前のようにあまりにも自然に膝の上に横向きに乗せられてから、臨也はずっとそこから抜け出せないでいた。抜け出そうとすると、しっかりと抱き締められて身動きを取れないようになる。今は諦めて、静雄に抱きかかえられるような体勢で完全に体重を預けていた。臨也を膝に乗せた静雄は、まるで猫でも撫でるように臨也の髪を弄りながらのんびり雑誌を開いている。

「……シズちゃんさあ」
「あ?」

 臨也が声を出したことで、静雄はようやく腕に抱いているのが抱き枕でも猫でもないことを思い出したように見えた。

「何がしたいの?」

 じとりと近い距離から睨み上げる臨也に、静雄は視線だけで何のことかと問い返してくる。臨也は溜め息をついた。こうして穏やかな顔を見せているときの静雄は、普段より少しだけ気が長い代わりに、普段より更に鈍くなっている気がする。

「ずっと俺を抱えてるけど、意味がないなら離してくれないかな。こんな体勢じゃなんにも出来ない」
「しなきゃならないことでもあんのか?」
「やらなきゃならないことはないけど、暇潰しくらいはしたいかな。何せもう二時間もシズちゃんの膝の上だからね」

 常人ならとっくに足が痺れているところだろうが、静雄に関しては無用の心配なのだろう。おかげで臨也は暇を持て余すはめになっている訳だが。

「せめて携帯返してくれない?」

 静雄の膝の上に乗せられて十分も経った頃、どうにもしばらく解放されなさそうだと諦めた臨也が取り出した携帯は即座に静雄に取り上げられ、手の届かないベッドの上へと放り投げられた。どれほど嫌味をぶつけても聞き流してしまう静雄に仕方なく臨也が折れ、手の届く範囲に置いてある雑誌を読んで時間を潰していたが、数冊の雑誌を星座占いのページまでしっかりとすべて読み終えてしまった。暇を潰す道具もなくなったところで、改めて静雄に抗議をしてみるものの、静雄の答えは変わらなかった。

「携帯はダメだ」
「なんで」

 雑誌をぱらぱら捲っているときには特に妨害することもなかったのに、携帯は頑なに返してはくれないらしい。雑誌と携帯で何が違うというのか、と臨也が静雄を睨み付けると、静雄は読んでいる雑誌のページを捲りながら答える。

「他のことに意識いかなくなるだろ」

 そんなことはない、と臨也は思うが、きっと静雄は聞き入れないのだろう。それならばと、臨也は静雄が持っている雑誌を取り上げた。

「じゃあ君も他に意識をやるべきじゃないんじゃない?」

 きっと不満げな顔をしているのだろうと静雄を見上げると、予想とは違い、静雄の表情は険しいものではなかった。意外そうに臨也を見下ろしていたかと思うと、ふっと口元を緩める。

「それもそうだな」
「……? ……!」

 静雄の反応で、臨也はようやく、自分の発言がどう捉えられるかに気付いた。
 静雄の捉え方を、端的に表すならば……『俺に集中して』と、つまり、そうなるのだろう。そんなつもりではなかった臨也は、恥ずかしさに頬を熱くした。

「いや……違うからね? 俺はあくまで、俺だけが暇を持て余すのは不公平だっていう話をしたのであって」
「わかったわかった」
「絶対わかってないだろ! ちょっ、なんで服」
「構ってほしいんだろ?」
「ふざけんな!! あっ、待っ……シズちゃん!」





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逃げ出しても戻ってくるような心地いい巣を作っておきたい静雄の話
本筋から逸れる癖をどうにかしたい


04/02ねむたいのみむし(単発)
 目が覚めて、腕の中に何かを閉じ込めていることに気付いた。夢うつつの頭で、心地よさのままに抱き直す。どこかで覚えがあるようなにおいに眉を寄せたところで、腕の中の何かが身動いだ。小さな呻き声に、ようやっと重い瞼を持ち上げる。
「…………のみむし……」
 目を開ければさらさらの黒髪が目の前にあって、目線を下げると黙ってさえいれば整った顔がすやすやと穏やかに寝息をたてていた。抱き締めているおかげでほぼゼロ距離のその身体からは、いつもの臨也のにおいに混じって、ついこの間入れ換えたばかりの安売りのシャンプーのにおいがする。もっといいものを使え云々と昨夜散々文句を言った割に、臨也の髪はいつもと変わらぬ艶やかさを保っているように見えた。だが臨也に枕にされている右腕を曲げて指先で髪を梳くと、言われてみれば普段より滑らかさが足りないような気もする。臨也の為に何かしてやるのは癪だが、この手触りを保つ為ならば、シャンプーくらいは変えてやってもいいかもしれない。
 そこまで考えたところで、ようやく頭がしっかり覚醒してきた。繰り返し髪を梳いていても、臨也は気が付く気配もなく、熟睡している。
 それを静雄がじっと眺めていても、臨也はまるで気付かない。
 ――今、静雄が臨也を殺そうとしたとして。
 臨也はいつものように逃げ切れるだろうか。無防備に熟睡している臨也の手元には、いつものナイフすらない。仮に何か武器を手にしていたとしても、こうして動きを封じられた状態ではどうにもならない。そんな状況で、臨也はすやすや眠っている。起きているときよりよっぽど穏やかな顔をして。
 片手を臨也の首元に伸ばしても、臨也は身動ぎすらしない。白い首筋をなぞると、ようやくくすぐったそうに寝返りを打とうとするが、静雄が片手で抱き直せばまたふにゃっと力が抜けて、眠りに落ちたようだった。
 臨也が僅かに動いたおかげで、適当に着せただけのサイズの違うTシャツの襟ぐりから、昨夜静雄がつけた噛み痕が見えるようになる。自分でつけたものではあるが、臨也の白い肌にくっきり残された赤い痕は痛々しく見えた。実際多少は痛むのだろう。臨也に文句を言われたことも少なくない。だが、文句を言いながらも、結局臨也は受け入れている。受け入れて、こうして静雄の腕の中で無防備に眠ったりもしている。
 静雄がその気になればたいした抵抗も出来ずにあっさり殺してしまえるような距離で。臨也が、化け物と呼ぶ男の腕の中で。
「……ぐっすり寝てんじゃねーよ……」
 首筋を撫でた手で、臨也のつやつやさらさらの髪をくしゃくしゃ撫でた。
 臨也はむにゃむにゃ寝言で何かを返して、睡眠の邪魔をするなとばかりに静雄の胸に顔を埋めて眠っていた。
 
 
===
停戦中の臨也は口ではなんだかんだ言いつつ行動が全く静雄を警戒してないとすごく矛盾だし臨也自身は自覚してないけど静雄は気が付いててそれに撃ち抜かれてるといいなと思いました。


01/28静誕会話文(監禁)(監禁)
※↓のゆるい監禁の静臨




「誕生日まで俺を追い回すくらいしかすることがないなんて、シズちゃんも可哀想だよねぇ。可哀想すぎて逃げる気にもなれないよ」
「そんだけ寛いでおいて何言ってんだクソノミ蟲」
「だって誕生日だよ。俺にとってはシズちゃんがこの世に生を受けたおぞましい一日だけど、君にとっては祝われるべき一日じゃないの? そんな日にすることが知り合いに祝ってもらうでもケーキを食べるでもなく俺を追い回すこととか……さすがに同情を禁じ得ないよ」
「余計なお世話だ」
「ていうかさぁー、シズちゃん甘いもの大好きじゃん、そのナリで。誕生日っていう大義名分のもとケーキ食べられるのに、買ってこなかったの?」
「手前が虫みたいにちょこまか逃げてる間に店なんかしまってただろ」
「もしかしたら君は知らないかもしれないけど、コンビニは24時間営業だよ?」
「おちょくってんのか殺すぞノミ蟲」
「二言目にはすぐそれだもんねぇ。こわいこわい」
「誰がそうさせてると思ってんだ。……手前がケーキケーキってうるせえから食いたくなってきただろうが……」
「二回しか言ってないけど」
「黙れ。黙って立て、ノミ蟲」
「なんで。嫌だよ寒いし。なんでシズちゃんちこんな寒いの?すきま風入りまくってんじゃないの?」
「手前本当に口減らねえな……。おら、立て。着ろ」
「わっ……なに、コート? 出掛けるの? 今から?」
「コンビニは24時間営業なんだろ」
「……確かに最近のコンビニスイーツは美味しいけど……随分寂しい誕生日だよねぇ。深夜に男二人で、コンビニで買ったケーキを食べるだけ。しかもその相手はもしかして俺?」
「今ここには、俺の他は手前しか居ねえだろ」
「……君がそれでいいならわざわざ突っ込まないけど。あーでも俺こたつ出るの嫌だし、シズちゃん一人で買ってきなよ」
「ふざけんな手前その間に逃げる気だろ。いいから立て!」
「ほんっと横暴だよねぇ。……仕方ないから、誕生日なのに誰にも祝ってもらえない可哀想なシズちゃんにケーキくらいは奢ってあげるよ。コンビニのだけど。来年の誕生日にはシズちゃんが死んでますようにっていう気持ちも込めてね」
「そーかよ。……素直に『誕生日おめでとう』くらい言えねえのかよコイツ」
「なんか言った?」
「別に何も言ってねぇ。……ほら、行くぞ臨也」
「はいはい。お誕生日なのに寂しいシズちゃん」




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