08/18折原臨也が可愛い話(没)

 平和島静雄は憤慨していた。
 原因は言わずもがな、ノミ蟲こと新宿の情報屋さん折原臨也である。今日も今日とて懲りずに池袋に顔を出した臨也と数十分に渡る鬼ごっこを繰り広げ、先ほど見失ったばかりだった。
 静雄の脳裏に、数分前までちょこまかと逃げ回っていた臨也の後ろ姿が甦る。目の前をひらひらと黒いコートの裾が揺れて、時折振り向いてこちらを確認しては静雄の苛立ちを煽るように笑っていた。

(あのノミ蟲野郎が……!!)

 グシャリと手の中のアルミ缶を握り潰すと、開けてもいなかった缶から炭酸飲料が吹き出した。大事なバーテン服がびしょ濡れになりそうになり、慌てて腕を伸ばして距離を取る。
 少しでもこの苛立ちを落ち着かせようと思って購入したのだが、あっという間に無駄になってしまった。口をつけることもなくアスファルトに染み込んでいった炭酸飲料を見下ろし、小さく息を吐く。しかしまあ、結果的には慌てたことで苛立ちは霧散したので、結果オーライと言えるかもしれない。飲み物を無駄にしたのはよくないことだが、それもこれも全て臨也のせいだ。次会ったら一発余計に殴ろう、と静雄は心に決めた。
 とりあえず今はべたべたになった右手を洗いたい。アルミ缶を更に小さく潰しながら、静雄はそばにあった公園に入って水道で手を洗い流した。臨也を追いかける内に随分遠くに来てしまった気がするが、トムさんは今どこに居るのだろう。仕事中だったのに臨也を見かけてつい飛び出してきてしまった。
 小さく圧縮されたアルミ缶をゴミ箱に捨て、携帯で上司に連絡を取りながら、静雄はついさっきのことを思い出していた。

 街中で見かけた臨也は、見知らぬ女相手に胡散臭い爽やかな笑顔を振り撒いていた……ような気がする。臨也を見かけると苛立ちのあまりそれ以外のものがいまいち意識に留まらなくなるのでよく覚えていないが。また性懲りもなく池袋に来やがったなこのクソノミ蟲野郎が! と怒鳴りながらぶん投げた街灯はギリギリのところでこちらに気付いた臨也にひらりと避けられ、やあシズちゃん今日も乱暴なお出迎えありがとう頼んでないけどねと笑顔を浮かべる臨也にうるせえ死ねと殴りかかってまた避けられて、あとはまあいつも通りの流れだった。嫌だなあ短気でこれだから化け物は、なんてわざとらしく肩を竦める臨也が、残念だけど君と遊ぶ気はないからじゃあね! とさっさと逃げ出して、それを追いかけて、数十分走り回った後に先ほど撒かれて、今に至る。
 撒かれる直前、どこぞのビルに飛び移りながら、逃げ切れることを確信したらしい臨也が静雄の方を振り向いてどこか勝ち誇ったような笑みと弾んだ声で「じゃあね、シズちゃん!」と言い残していったことを思い出して、静雄は思わず近くにあった標識を引きちぎっていた。

(あの、ノミ蟲野郎……)

 引きちぎった標識をぐるぐると丸めながら、静雄は声に出さずに叫ぶ。

(――あざといんだよクソが!!! どうせわざとだろクソ蟲!! 可愛いなんて死んでも言わねえからな!!)









 静雄が今まで会った人間の中で最低な人間は誰かと聞かれれば、間違いなく折原臨也だと答えるだろう。一番気に食わない人間も、一番ムカつく人間も、一番殺したい人間も、まず間違いなく折原臨也だ。
 しかし同時に、今まで出会った中で一番可愛いのは誰かと聞かれても、最初に頭に浮かぶのは折原臨也だった。

 どうやら、『気に食わない』と『可愛い』は矛盾しないらしい。と、静雄は臨也に会って初めて知った。

 誰にも言ったことはないが、静雄は臨也を可愛いと思っている。
 先に言っておくと、静雄は同性愛者ではない。恋愛対象は女性だし、出来れば年上で家庭的だとなお嬉しい。同年代の男に対して可愛いなんて感想を抱くことはないし、実際、臨也以外の男には可愛いなんてちらりとも思ったことはなかった。
 しかし、臨也だけは別だった。というより、臨也は可愛すぎた。成人男性だとか中身はクソ野郎だとか仲が悪いとか、そういう諸々をものともしないくらい、初めて出会ったときから今に至るまでずっと、臨也はどこまでも圧倒的に、可愛かったのだ。

 折原臨也は、出会ったときから可愛かった。
 黒い髪はサラサラのツヤツヤだし、肌は白くてなめらかだし、身体も腕も足もすらりと細くて、静雄を見る目は挑発的にキラキラしていた。どう控えめに言っても、折原臨也は可愛かった。
 臨也の姿を初めて正面から見たとき、静雄は臨也を気に食わない相手だと認識すると同時に、なんだコイツクソ可愛いな、とも思った。胸糞悪くなるほど気に食わない、という最悪の第一印象による悪いフィルターがかかった静雄の目から見てもそう思えたのだから、臨也の可愛さがどれほど圧倒的なのか分かるというものだろう。
 初めて会ったときから圧倒的だった臨也の可愛さは、しかしそんなものではなかった。臨也の本気は、静雄と臨也の喧嘩が恒例となり、毎日のように顔を合わせては喧嘩するようになってから発揮され始めた。
 端的に言うと、顔を合わせる時間が長くなればなるほど、臨也は可愛くなった。
 最初に会ったときには可愛いのは外見だけだなと思っていたはずが、一月経つ頃にはコイツ声まで可愛いじゃねえかと気が付いてしまい、三月経つ頃には些細な仕草があざといほど可愛く思え、半年経つ頃にはコイツなんでこんなに何もかも可愛いんだと戦慄するはめになった。
 例えば、喧嘩を売ってくるときの挑発的な笑みや強気な瞳。静雄を罠にはめることに成功したときの勝ち誇ったような笑顔に、喜びからか普段より僅かにトーンが高くなる声。臨也がヘマをしたときや追い詰めたときに見せる、焦りを隠して余裕ぶる表情。余裕がない癖にぺらぺらとよく喋る唇や、軽やかな身のこなしまで。
 そういう些細な言動が、臨也は当たり前のように可愛かった。
 恐らく臨也は自分の可愛さを自覚しているのだろう、と静雄は思った。そして、静雄とのやり取りの中で静雄が不覚にも可愛いと思ってしまう仕種を学び、静雄の前でそう振る舞うことによって静雄を惑わせて嘲笑っているに違いないのだ。そうでなければ臨也が短期間でどんどん可愛くなっていく理由がほかにあるだろうか? いや、ない。少なくとも、静雄にはそうとしか思えなかった。
 それに気が付いたとき、静雄は人知れず決意した。

(絶対に可愛いなんて言わねえぞこの毒ノミ蟲が……!)

 恐らく、可愛いと思っていることは臨也にはバレているのだろう。だからこそ可愛さを前面に押し出して静雄を惑わせているに違いない。しかしそれを分かりやすく口に出してしまえば、臨也はますます増長し、自らの可愛さを良いことに更なる悪事を働くに決まっている。可愛いと思っていることがバレているとしても、それを口にも態度にも出さないことが、臨也の可愛さを否定できない静雄のせめてもの抵抗だった。
 臨也は日に日に可愛さに磨きをかけていったが、静雄はけして可愛いとは言わない。そんな関係のまま臨也と対峙し続けて、そのまま高校を卒業、そして更に数年が経った日のことだった。





「……手前……狙って可愛い訳じゃなかったのか」
「は?」

 心底訳が分からないという顔で、静雄を見た臨也の眼差しに嘘はなく、その上若干青ざめてすらいたので、静雄は臨也の可愛さが天然物であることを確信した。
 





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臨也が可愛い気持ちとラブコメを書きたい気持ちをぶつけたけどこのあとどうしたらいいか分からなくなったので没








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