桃忍


 あ、と桃城が息を吐いた。こういう素直な感動や驚きをそのまま声に出すことを桃城はあまり躊躇わないので、忍足が桃城のそれを聞くことも珍しいことではなかった。あ、これ忍足さんも好きなんすか。あ、これ知ってますよ。思い出せるだけでも幾例もある。
 些細な感動をいつもてらいもなく桃城は話した。そうして、忍足は桃城という男の一つ一つを知っていった。今回も一応ひかえめに尋ねてやると、桃城はいやあと鼻の頭を掻いた。
「髪結んでんの、初めて見たなと思って」
「なんや、ギャップ萌とかそういうのか?」
 茶化すと、ううんと桃城は首を曲げて、それから少し照れくさそうに笑った。
「なんか、気抜かれてるって感じがいいっすね」
「なんやそら。そもそも俺は自分に気合い入れてどうすんねん」
 それもそうかと桃城はまた笑った。せや、桃城に相対しておめかしせなとか思うはずがない。そこまで考えて、ん、と忍足は少し息を詰めた。いつのまに彼はこんなにも当たり前に忍足の近くにいたのだろう。
「どうかしました?」
「いや、なんもあらへんけど」
 隠すほどの話ではないが、とくに言うほどのことでもないかと言葉を濁すと、桃城は唇を尖らせた。ずるい、と零す口調はまるで弟でも持ったような錯覚を忍足に覚えさせる。
「ずるいっスよ、俺にばっか聞いて答えねえなんて」
 そう言う口振りはほとんど揶揄のようなもので、桃城も本気でないように見える。
 とはいえ桃城は例え本気で思っていたとしても、それを忍足に悟らせない聡さと癖を持った男でもあった。果たして彼の言う冗談が本当に上辺のものであるかを確かめる術を忍足は持たない。ただ解るのは、桃城がこれを冗談と受け取って欲しいという空気を作っていることくらいか。
 そこまでを考える間もなく察して、忍足は桃城のそれによく似た柔らかなトーンを返した。
「自分に何でもかんでも答えとったらキリないわ」
「ええ、そっスかねえ」
「せや。なんや自分に話すと、素っ裸にされとるみたいな妙な感じするわ」
 せやからこれくらいで堪忍しといてや。 自室でくらいしかやらない髪型を桃城に示すと、忍足はようやく読みかけのまま放ったらかしになっていた本を持ち上げた。どこまで読んだのだったかと活字を追おうとしたところで、ん、とまた息を詰める羽目になった。少し黄ばんだ文庫本のページに、薄暗い影が掛かっている。
「……なんやねん」
 視線だけを上げて、自分の肩を掴んでいる桃城を見る。あ、と桃城もまた息を吐いた。唇は無遠慮なまでに弧を描いたいる。
「わかりやすい誘い文句だなあと思ったんスけど」
「あほか」
 軽く当ててやった文庫本の角はこのくせ者には不十分な罰にも思えるが、こんな場所まで彼を許したのも自分だった。本当にいつのまに、滑り込んでいたのだろう。ため息を吐いた。悪くないと思っている自分に。あ、と桃城が目を輝かせた。こんなにも簡単に伝わってしまうような場所に、彼は居た。






「本当言うと、髪結んでんの見たときからちょっと、思ってたんですよね」
「あーあー、せやか」
「心閉ざさないで下さいよ!」


27th.Jun.2011

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