弥次喜多

映画寄り


 赤い花びらが、空に向かって真っ直ぐに首を持ち上げている。見上げたって何にもねえだろうに、バカみてえに首を伸ばしてやがる。そうやって自分でも愚かだと思うような悪態を喉の奥に飲み込みながら、からっぽな空から、水を注いでやっていた。時が過ぎているのを忘れるような生ぬるい景色だ。ふいに、空が隠れた。
「なんでえ喜多さん、花なんか育ててんのかい」
「おう。意外か?」
 しゃがんでいる喜多八の頭上に、寝床から起きだしてきた弥次郎兵衛の影がかかる。まだ眠そうな目をしている弥次郎兵衛はううんと首を横にひねった。
「おめえにそんな手のかかるもん育てられるたぁ、意外も意外だな」
「おいらぁ弥次さんよりは、細やかな自覚があるぜ」
「ちぇっ、ヤク中のくせに……」
 わかりやすく唇を尖らせて弥次郎兵衛が拗ねた。大体、こういう無作法な物言いが大雑把なのだと喜多八は目を細めるが、それもまた弥次郎兵衛という男が弥次郎兵衛という男たる要因の一つだった。いいんだぜ、弥次さんはそれで。慰めか本心かわからないまま喜多八の口走った言葉に、甘えるように弥次郎兵衛が頷いて、喜多八の細い肩に顎を乗せた。首筋をかすめる息がすこしうざったく思えた頃、きゅうに弥次郎兵衛が大きな声を出した。
「あ!まさかこれもヤク…」
「確かにこれはケシの花だけどな」
 けし、と確かめるように呟いた彼の目にめらめらと炎が燃え上がり始めていた。その口からいつもの、てやんでえ!が飛び出す前に喜多八は肩をすくめた。
「早まるなってぇ。ケシにもヤベエのと、そうでないのがあんのさ」
「ヤベエのと、そうでないのと。じゃあこれぁ」
「そうでないほうってわけさ。つまんねえことに」
 弥次郎兵衛は喜多八の手元にある赤い花をまじまじと眺めながら、へえ…と気の抜けた声を落とした。ついでにくんくんと大きな鼻孔を動かしているものだから「そんなんじゃわかんねえと思うぜ」とたまらず喜多八は吹き出した。
「じゃ、どうしたらわかるんでい」
「そりゃ……」
 大真面目な顔に、瞬きの音も聞こえるかという距離まで迫られて、喜多八は言葉に詰まった。
「教えてやらねえ」
「な……」
「弥次さんが疑うから、おいらぁ傷ついたんでえ。花の一つも愛でさしてくんねえのか」
 喜多八が顔を背けて適当な言葉を並べ立てると、弥次郎兵衛は雷に打たれたかのように大げさに表情を変えた。ぐいと強く肩を掴まれて、喜多八はふらつく。文句をつける前に、喜多八の顔に唾が飛んできた。
「違う!」
「何が違うってんだ?」
「愛でさす!愛でてくれ喜多さん!ほら、いくらでもこのヤバくねえケシを愛でてくれ!喜多さんが愛でてえってんなら、十本でも百本でも愛でていいんでえ!!」
 真っ直ぐの度を過ぎたような真っ直ぐな言葉に喜多八は眩暈がした。――唾飛ばしてこんなバカなことを言えるのも、弥次さんが弥次さんだからなんてのは、まるで惚気だ。興奮する弥次郎兵衛の肩を持って、喜多八は眉を下げた。
「そいつはまた極端だ……そんなにいらねえよ。おいらぁ、そんなに世話好きじゃねえんだ」
「そうか……」
 先ほどまでの意気をしぼませてゆく様子はやはりあまりにもわかりやすく、絵に描いたようだった。なあ、弥次さんと喜多八は彼の背中を撫でさする。
「弥次さんは、おいらの世話だけしてくれよ」
「……当たり前じゃねえか、喜多さん」
 抱きしめ返した弥次郎兵衛の顔は喜多八からは見えない。ただ弥次郎兵衛という男の身体がここにあることだけが、喜多八にとっての現実だった。
 ふと、いつの間にか意識の外になってしまっていた鉢を見ると、赤い花びらが土の上に落ちていた。裸にされたぷっくりと膨れた実だけが空を眺めている。
「弥次さんがあんまりうるせえから、ケシが枯れちまったよ」


8th.Aug.2016

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