ナユアカ

(書きかけだけど書き終える感じがないので上げてしまう)



 深く息を吐くと、つかれた、と小さな弱音が自然と零れ落ちていた。
 それもそのはずで、ここのところの茜は、至急クラインへと命が下ればすぐに飛行機のエコノミークラスに押し込められ、国境と海を越えてやって来ればただちに捜査・捜査・検査・捜査の毎日を送っていた。今日も今日とて、日付の概念を失いかけるほどに凶器に粉をかけては吹き、現場に試薬を垂らしては写真を撮り、足での捜査、資料の整理と、矢継ぎ早にこなした。
 重力に任せるように項垂れた茜の額を支えていた木机に、お茶が運ばれる。クライン産のお茶の香りは、どこかお線香のような香りを含んでいて、死者の魂をも慰めてくれると言う。それこそ、亡者の目で、茜が見上げると、三つ編みにした白銀の絹のような長髪をなびかせて、彼女の上司が微笑んでいる。
「お疲れさまでございます。宝月刑事」
「ああ、はい。どうも」
 内心、誰のせいだと悪態をつきながらも茜は差し出されたお茶に手を伸ばした。線香の匂いが鼻につく。この香りに最初のうちは戸惑っても、慣れるとどうということもなく喉を潤してしまうのだから人間は単純だ。
 そういえば、澄ました顔でお茶を啜っている目の前の男も、うすらと線香のようなにおいを纏っていた。オクニガラ、かしらね。現在茜のもっぱらの上司であるナユタ検事は、信心深く死者の魂を弔うことを忘れなかった。いつのまにか、ナユタのお経にもお説法にもすっかり慣れっこのような気がする。聞き流すのに慣れたとも言うのかもしれないが。この国のほとんどの人が熱心に信じているものでも、カガクの信徒たる茜には理解の及ばないものごとも多くある。そして、それは逆もまた然りであるのだろう。茜の取り出すカガクの力を、僧を兼ねている検事はしばしば興味深く覗き込んでいるようだった。



「カガクの世界でも、魂の存在を明らかにしようとするような研究もあるんですよ」



「こんな時間ですし、食事にしましょうか」
 


「ナユタ検事、お酒飲むんですか?」
「ええ。嗜む程度ですが」
 意外だ、と思う間にも、傾けられたグラスから透明がするすると彼の喉をくだってゆく。ナユタ検事は、検事席に立つときよりも、すんなりと頬をゆるめた。
「そうですね。宝月刑事も、飲まれるのであれば」
 御馳走しますよ。 刑事及び科学捜査官は須らくこの言葉に弱い、とは茜の勝手な持論であるが、彼女自身に限ればその法則はまさしく適用されている。

 クライン王国産の地酒を飲むのは初めてだった。見た目は日本酒によく似ているが、風味が少し強く、香りが独特だ。舌の上に転がすと、まず一口を口に含んだ茜を、ナユタの青い瞳が眺めている。心なしか、いつもより潤んでいるその色はコパルトの海のようだった。茜の頬がすこし熱くなる。宝月茜科学捜査官は御年二十七歳になったが、このように顔だちの整った異国の男性の海のような瞳にゆっくりと眺められる経験はこれまでに一度も無かった。
「きれいですね」
「は…?」
 それはこちらの台詞だと口走る前に、嫌な音を立ててきれいな顔立ちがカウンターテーブルにぶつかった。これは事件か?と警察官としての宝月茜がちらりと頭をもたげたがすぐに引っ込んでいった。上品な顔に似合いの静かな寝息が聞こえる。
「こんなに弱いなら飲まないでよね……」
 呟いた茜の頭もすこしくらりとした。初めて口にした異国の酒はやはり常よりも早く回っているようだった。


6th.Oct.2016

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