海乾



(青春学園が高校までの附属だと思い込んで書きました)
(乾の家が一軒家だと思い込んで書きました)






 高校二年生の師走の日も、海堂は相変わらずランニングを続けていた。こうして繰り返し行っていたものを変わらず継続することが、海堂にとっては一番リラックスできる気持ちの入れ方だった。
 総体が終わり三年が抜け、新人戦を直前に控えたこの時期のピリピリとした緊張感を孕んだ空気は、確かちょうど三年前にも感じたものと同じである。
 乾の引退を、海堂が体験するのは二度目のことだった。そうして今度こそ、また同じ場所でテニスをなどと単純には言うことのできない引退だった。
 乾は大学受験に向けて勉強を始めた。彼が本気を出して励めば、きっと今の自分では考えたこともないような偏差値の大学にだって受かるのだろう。果たして、自分は彼を追いかけることがいつまで許されるのか。今から考えるようなことでもないだろうに、海堂はそんなことを思ってはしばしば鬱々とした気分になった。
 そうしてその度、馬鹿野郎がと自分を叱咤してもいた。彼の100%を、120%の結果を望むのが後輩である自分の務めではないか。それから、その結果を追い越してみせるのが海堂という男ではないのか。ランニング中はあまり考え過ぎないこと、とどこかで忠告された気がして、口の中で小さくウスと呟いた。そうだ、今はただ眼前の目標だけを見据えれば良い。新人戦をどうにか勝ち抜かなければならない。
 少し走り過ぎたかと腕の時計を確認しようとしたところで、はたと気が付いた。ちょうど通りかかった家は、この数年で幾度か訪れたこともある場所だ。表札にはやはり、見慣れた苗字が彫られている。
 わざわざこんなところにまで来てしまうなど、馬鹿馬鹿しいなんてもんじゃない。踵を返す前に、まさかと思いちらりと視線を上に遣ると、窓から彼が手を振っていた。まるで同じだ。何にも変わっていないようだった。






「今日はこっちの方まで走ってきたのか、海堂」
 玄関先まで降りてくるなり、少し走り過ぎじゃないのか、と絵に描いたようなことを言う乾を、海堂はなんとなくまっすぐ見ることが出来ずに目を逸らした。
「…勉強はいいんスか」
「ああ、俺に最適な勉強時間くらいは自分でわかるよ」
「そっスか」
 当たり前のように返ってくる答えに、海堂は少し胸をなで下ろした。彼の負担になるようなことをしてしまったのではないかと思うと、馬鹿な自分を余計に許せなくなるところだった。 それきり黙ったままの海堂の喉元に、ふいに乾はやんわりと触れた。まだ室内の温もりが残る乾の手は暖かい。
 途端に身を固くした海堂のことなど、意にも介さぬ様子で「体温、脈拍問題無いかな」などと暢気に彼は語っている。いや、脈拍は少し速いかと楽しそうに笑われてギクリとした。
「アンタなぁ…」
 久しぶりに彼を睨んだが、海堂、と十二月の夜気にしんと通る声に制されてしまった。自然視線を緩めて、ウス、と頷いてしまうのは既に反射的なものだったのかもしれない。
「言っても無駄なんだろうけど、無理はするなよ」
 怪我でもしたら元も子もないのに、すぐお前はメニューを倍にしたりするんだからなと続ける声を聞きながら、その彼が自分のための練習メニューを渡してくれることも、もうこれからは無いのだろうかと海堂はぼんやり考えた。それ以上は無茶だ、と自分の滅茶苦茶な練習を諫めてくれることもないのかもしれない。いや、きっと無いのだ。これが最後だと思った途端、津波のように押し寄せたのはどうしようもない程の寂しさだった。
「どうした、海堂?」
 乾がわずかに首を傾ぐ。海堂は、抱えきれないほどになったそれを唇の裏に無理やり押し込めた。
「先輩……」
「うん」
「いや……受験、頑張ってください」
「ああ、ありがとう」
 お前も新人戦期待してるからな、と乾はわざわざプレッシャーを重ねるようにして笑った。






27th.Dec.2011

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