■ 死逢わせ

「しあわせだわ、あたし」

彼女はそう言った。

「しあわせよ、とっても」

繰り返し、途切れそうなか細い声で“しあわせ”と、呟く。

「…何が、幸せなんだい?」
「死んでゆけるから、しあわせなの」

彼女は即答した。拙い言葉は、真実を語っていた。…彼女は、とても難しい病魔に体のあちこちを犯され浸食されていた。余命は幾ばくもない。

僕は、そっと彼女の細く白い指先を握る。それは酷く脆弱で、ほんの少し力を込めれば白く固い音を立てて壊れてしまいそうだ。

「…駄目だよ。そんな事、言っちゃ…」
「いいのよ、しってるもの。あたし、きっとすぐに死んじゃうわ」

そう呟くと、力を失ったようにゆるゆると目を閉じる。そしてため息のように、また"しあわせ"と呟くのだ。

「それに…、あの人に、逢えるから」

ぜいぜいと、酷い雑音が喉からこぼれ言葉に混じる。もう話さなくていいと、僕が止めるのも聞かずに彼女は言葉を続ける。

「こわいどころか、すっかりたのしい気分なの。ほんとうよ、ねぇ、だってようやくあの人に逢えるんだもの…」

うっとりとした声で、彼女はそう語る。もうすでに、意識の半分は夢を見て居るのだろう。彼女の、不思議と澄んだ瞳は僕の方を見ようともしない。

彼女が見る夢は、疲れから誘われた物ではない。先ほど飲み下した、痛みを…死を目前とした激しい痛みを軽減するための薬がもたらした夢なのだ。
それは酷く甘く、そして優しい夢なのだろう。彼女の唇から、死を怯える言葉はこぼれなかった。
僕は、僕の知らないあの人に心の中でお礼を言った。

「しあわせよ、ほんとうに…」

ああ…、と溜め息のように息を吐き出し、か細い腕をまるで何かを掴み取ろうとするように伸ばす。

「ねぇ…あたし今からそこへいくわ…」
「……」

僕はそんな彼女をただじっと見つめるしか出来ない。
彼女がしあわせだと言うなら、幸せなのだろう。その幸せは、僕にとっての幸せではないのだけれど、それを否定しても彼女に僕は幸せを与えてあげられないのだ。

だから、僕は黙って彼女を頬を撫でた。昔はふっくらしていた頬はかさかさに乾いて、痩せこけていた。

そして、産まれて初めて神様とやらに祈った。

どうか、死んでしまう彼女をしあわせにしてあげてください、と。


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