階下から上がってきたエレベーターに一歩踏み込んだ迅徠は、怪訝そうな顔をして足を止めた。

「どうしたの」

すんすんと注意深く鼻を動かすSSの背中を見上げて、数日ぶりに青城学園の制服に袖を通した熾苑が尋ねる。
「んー、いや」と曖昧な返事をして、取り敢えずは問題ないと判断したのか、足音を立てずにエレベーターに乗った迅徠は、軽く首を傾げながら言った。

「覚えの無い匂いがしたような…。気のせいか」
「……犬…?」
「言うと思ったよ。違うからな」



*  *  *




「おはようブタども! 昨夜無事帰還したぞ!」

熾苑が支度を終えて部屋を出る少し前に、そんな高らかな声と共にラウンジのドアを開け放った青年がいた。緩く束ねられた黒の長髪に、仮面にマントという出で立ちの男に凍り付いたラウンジの中で、唯一残夏が嬉しそうに席を立つ。

「かげたーん♥」
「…誰!!?」
「2号室の住人だよ〜。放浪癖があるからあんまり居ないけどね〜♪ 前に話した幼馴染の一人だよ☆」
「久しぶりだなM奴隷よ」

男二人が両手をタッチさせて「ねー」と言い合っていた時、再びラウンジのドアが開いた。

「おはようございま……す?」

ドアの隙間から滑り込むようにラウンジに入ってきた熾苑と迅徠は、見覚えの無い奇抜な服装の男に目を瞬かせる。警戒するように目を細めると、迅徠は口の中で、あいつだ、と呟いた。数分前にエレベーターで感じた違和感は当たっていたようだ。

「…あ。しおたんに迅たん、おっはよ〜☆」
「おはようございます、夏目さん」

ドアの前から動かない二人に気づいた残夏が仮面男の影からひょっこりと顔を出す。

「制服…ってことは今日からまた学校? もう出てきて大丈夫なの〜? まだあんまり顔色よくないみたいだけど」
「ええ、まあ。大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「病み上がり少女メニアック…。こっちにいらっしゃい熾苑ちゃん、その近辺は有害よ」

手招きに応じて、熾苑は野ばらと連勝と同じテーブルに腰を落ち着ける。野ばらちゃんひどーい、という残夏の声を黙殺して、野ばらは熾苑の顔を覗き込んだ。

「確かに、いつもより顔色悪いわね……。無理しなくていいのよ?」
「無理はしていません。でも、あまり学校を休むわけにもいきませんから」
「そう? 偉いわね、熾苑ちゃんは。……あんたも少しは見習いなさいよ」
「へーへー」

ジロリと野ばらが連勝を睨んでいる間に、迅徠が厨房から運んできた朝食を熾苑の前に並べていく。その中にあったスコーンを見て、熾苑は思い出したように首を巡らせ、隣のテーブルに座っていた凜々蝶に目を止めた。

「あの、白鬼院さん」
「僕に何か用か。おはようございます」
「おはようございます。先日は髏々宮さんとお見舞い、ありがとうございました」
「た、たまたま材料が余っただけだ。勘違いしないでもらおうか」
「はい。ありがとうございます」

にこりと笑う熾苑からぷいと目を逸らして、凜々蝶は食べかけだった朝食を再び口に運びはじめる。
そこに「そういえば」と真っ青な顔で半ば放心状態の卍里を抱え込んだ残夏が凜々蝶の側に控えていた双熾を見遣った。

「全員揃うのは久しぶりだね〜。ね、そーたん」
「はい。お帰りなさいませ蜻蛉さま。お会いできて嬉しく思います」
「昨夜はなかなか楽しかったぞ。しばらく宜しく願おう」

旧知の間柄らしい彼らのやり取りを聞いて、熾苑は誰に問うでもなく呟く。

「どちら様でしょう?」
「知らないわ。2号室の住人らしいけど…。ああ、それにしてもメイド服に首輪だなんて、カルタちゃんメニアック……」
「2号室というと、髏々宮さんのパートナーですか」

うっとりとカルタに熱い視線を投げる野ばらとスコーンにクリームを塗る熾苑の元に、先ほどまで双熾や残夏に沖縄土産を配っていた青年が近づいてきた。テーブルについた熾苑達の顔を順繰りに見て、青年はふむ、と頷く。

「貴様達は初対面だな。ではお近づきのしるしにボールギャグを…」
「近寄ったら凍らすわよ」

瞬時に冷気をまとって威嚇の姿勢を見せた野ばらに、何故か嬉しそうに「この冷たさ実にドS」と呟いた青年は、野ばらの影でちらりとも顔を上げずに朝食のさらに集中している熾苑に気がついた。

「見知った奴隷によく似た見知らぬメス豚がいるではないか! そして私に一瞥もくれないとはなかなかのS!」
「……ああ、失礼しました。5号室の御狐神熾苑です。こちらはSSの結鼬迅徠。どうぞよしなに……蜻蛉さん、でしたか」

やっと手を止め、顔を上げてそう言った熾苑に蜻蛉はじっと視線を注ぐ。今までの騒ぎようはどこへやら、ふつりと押し黙った蜻蛉に、凝視されている熾苑だけでなく彼の人となりをよく知っている双熾や残夏も怪訝そうな顔をする。

「あの……、何か?」

丁寧な物腰を崩さずに尋ねる熾苑に対して、蜻蛉は顎に手を当てて呟いた。

「奇妙だな」
「?」
「実に奇妙だ。だが面白い」
「何を仰りたいのか、よくわからないのですが」
     、、、、、、、、
「貴様は掴みどころがないな。曖昧で不確かな感じがする」
「…………、」

熾苑の呼吸が静かに止まる。それを肌で感じた迅徠は主人の後ろ姿を見つめたまま微かに瞼を震わせた。
テーブルの下、膝の上で熾苑の手がスカートを握り締める。そんなことをしては皺になる、と頭の片隅で少し外れたことを考えながら、迅徠は一歩前に出ると少女の細い肩にそっと触れて蜻蛉に目を向けた。

「……申し訳ありませんが、そこまでにして頂けますか」

 次に発する一言一言を頭の中で反芻しながら、熾苑が蜻蛉の視界から隠れる絶妙な位置に歩を進める。

「主人は、気分が優れないようなので」
「…ふん、まあいい。せっかく増えた家畜だ、そのうち存分に可愛がってやろう」

寸の間迅徠を見つめ、蜻蛉は口の端を上げて言った。それに一礼を返すと、迅徠は熾苑に向き直り顔色を窺うように膝をつく。

「……一度部屋に戻った方が良い。少し休め」
「わた、し……」
「わかってる。大丈夫だ。…ほら」

熾苑の手を取って立ち上がらせると、周囲に小さく詫びを入れてラウンジの外へと向かう。

「…アンタ何者? アンタのせいでまた熾苑ちゃんの具合悪くなったじゃないの。男でしかも変態で、名前も名乗らない挙句女の子への思いやりもないような奴とはお近づきになれないわ」
「なんだ、私が加害者か? しかし一理あるなメス豚よ!」

心配そうにそれを見送っていた野ばらが険しい目で青年をを睨みつけると、蜻蛉は熾苑から野ばらに注意を戻して言った。


「私の名は青鬼院蜻蛉。2号室の住人であり、カルタのご主人様だ! 加えて双熾の元主であり…白鬼院凜々蝶の婚約者だ」



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