何の変哲も無い毎日が、単調に、淡々と過ぎて行った。
「御狐神さんって器用だよねー」 「そうですか?」 「そうだよー。理科の実験の時だって薬品の計量、素早いのに正確だったし」 「ビックリしたよね。あんなに器用にできないもん」 「ありがとうございます」
学校、というものに馴染みは無かったが、それなりに上手くやれていると熾苑は思う。 登校初日にクラスメイトに囲まれたのには少々驚いたものの、今は皆当たり障りのない話題を振ってくるばかりだった。
「……ふぅ」
昼休みの屋上で、熾苑は吐息とも溜息ともつかないものを吐き出した。 たくさんの人の中にいるのは疲れる。今までそんな環境下にいたことがなかったのも原因のひとつかもしれない。 妖館や学校での生活に大分慣れはしたものの、ざわざわと動き回る人の気配にだけはどうしても馴れることができなかった。
昼休みの鐘が鳴ると同時に逃げるようにやって来た屋上で、迅徠に持たされたビニール袋を漁る。紙パックの野菜ジュースとサンドイッチが入っていたが、サンドイッチには手をつけず、野菜ジュースだけを取り出した。 学校で食べる昼食はほとんどの場合SSの迅徠が用意している。小食かつ偏食な熾苑が少しでも口にするようにあれこれ苦労をしているようだったが、熾苑はそんなことは知る由もなかった。
ただ、毎日めげることなく別れ際に渡される昼食に思うところはあるのか、熾苑も申し訳程度に口をつけてはいた。 野菜ジュースを一口飲んでフェンスにもたれかかった時、不意に屋上の扉が開いた。
「!」 「「「あ……」」」
一瞬身を硬くした熾苑は、見慣れた三人の姿に少し肩の力を抜く。やって来たのは同じマンションに暮らす凜々蝶たちだった。
「げっ、狐ヤロー……の妹!」 「熾苑ちゃん…こんにちは…」 「フン、なんだ。君もここで昼食か?」 「どうも、皆さん。……はい。まあ、そうですね」
会釈をして、熾苑は微笑む。 妖館の住人の大半は朝食をラウンジで食べているが、熾苑が朝のラウンジに顔を出すことは滅多にない。その上凜々蝶達の中では誰よりも早くマンションを出るため、彼女達が顔を合わせるのはいつも学校だった。
「熾苑ちゃんも…一緒に食べよ…?」 「いえ、私は……」
遠慮します、と言いかけた熾苑の手をカルタが掴む。
「みんなで食べると、美味しいから…」 「ふん、そういう訳だ。僕としては本意ではないんだが、まあ仕方なくな」
逃げようにも逃げられずにいるうちに、シートを広げて振り向いた卍里が、熾苑の脇に置かれたビニール袋から覗くサンドイッチに目を留めた。
「ん? 何だよお前、昼それだけか? ちゃんと食べないと立派な不良(ワル)になれねえぞ。……仕方ねえな、俺の弁当分けてやるよ!」 「いや、ですからその、」 「じゃあ、私…ポッキーあげる…」
ずい、と目の前に突き出された菓子を渋々受け取る。 凜々蝶や卍里だけなら適当にはぐらかして立ち去ることもできたかもしれないが、カルタ相手ではどうにも上手くいかない。
「はっ。今日も豪勢なお弁当だな、渡狸くん」 「うるせー! お前だってちゃっかり準備万端で食ってるだろ!」 「渡狸のお弁当…美味しい…」
結局、昼休みが終わるまで凜々蝶たちの食事に付き合う羽目になってしまった。
* * *
「疲れた……」
放課後の昇降口で熾苑は深々と溜息をついた。 あの三人に一度捕まると、なかなか離してもらえないようだ。同じマンションの住人で、他のクラスメイトより親しみやすい、というのもあるのかもしれないが。
「お疲れのようだね〜☆」 「!」
耳元でした声に勢いよく振り返ると、ウサ耳カチューシャをつけた青年がにっこりと笑っていた。
「そんな怖い目で見ないでよ〜。お兄さん悲しい……」 「貴方が驚かすからです。……えっと、夏目さん?」 「ピンポーン☆」
ご丁寧に『◯』のプラカードまで出してきた残夏に、熾苑はまた小さく溜息をつく。 放課後まで凜々蝶たちに捕まってはかなわないと、早々に教室を出てきたのは間違いだったかもしれない。熾苑は彼が苦手だった。
「溜息つくと幸せ逃げるんだよ〜?」 「そうなんですか。……知りませんでした」
いつもより平坦な口調で返してしまってから、はっとして口元を押さえる。……だめだ、やっぱり疲れている。 残夏を伺い見れば、彼はキョトンとしたように数回瞬きをしてからまたニコリと笑った。
「君ってホント、そーたんにそっくりだよね〜」 「……そう、でしょうか」 「顔とか、そういう外見の話じゃなくってさ。性格って言うのかな、涼しい顔して実は警戒心が強いところとか〜……『視えにくい』ところとか、ね☆」 「?」 「ガードが固いってことだよ。ボクは百目の先祖返りだから、色んなモノが視えちゃう訳なんだけど……。君とそーたんに関しては、なかなか視えないんだよね〜」 「………」
そんな、自分ひとりにしか解らないような部分を『似ている』と指摘されても、だからどうしろというのだろう。それとも他意はないのか。 ひとまず靴を履き替え、上履きを仕舞ったところで、ふと熾苑は動きを止めた。
「なんでも……」 「うん?」 「なんでも、視えるんですか。貴方のその『目』は」 「視える時も視えない時もあるよ。結構デリケートだからね〜。……何か、ボクに視てほしいことでもあるのかな?」 「私……」
言い淀んだ熾苑の沈黙を、携帯の着信音が切り裂いた。 初期設定のままの味気ないコール音に、熾苑は携帯を開く。
「着信音変えたりしないの〜? 女の子なのに」 「そんなに頻繁に使わないので……。すみません夏目さん、迎えが来たようなので、私はこれで」 「あらら、ざんねーん。結鼬くん?」 「はい。……それじゃあ、これで失礼します」 「また後でねー☆」
ひらひらと手を振って熾苑を見送った残夏は、「あ、」と思い出したように呟いた。
「保健室の場所聞くの、忘れてた☆」
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