「良かったのか」 「…なにが」
迅徠の問いに熾苑は足元に視線を落としたままそう返した。
「御狐神双熾。気にしてる風だったろ」
エレベーターの階数表示を眺めながら、世間話でもするように迅徠は言う。 間を持たせるためにたまたま思いついた話題を口に出した。そんな様子だった。
「………」
ひとつ瞬きをして、窺うように迅徠を見上げた熾苑は「べつに」と抑揚の少ない声で答える。
「どんなひとなのか、少し、興味があっただけ」 「へえ。…それで? 感想は?」 「感想…?」 「何かねえのか? 人当たり良さそうだったとか、そういうの。お前器用だから得意だろ、人を観察するの」 「……得意、なわけじゃない。あなたは何か思ったの?」 「俺ぇ? …………少し胡散臭い、とか」 「そう。なら、そうなんじゃない」
それきり熾苑は口を噤んだ。再び降りた沈黙に迅徠は居心地が悪そうに視線を彷徨わせる。 仕事中、特に人前では徹底して寡黙になる迅徠だが、もともと黙ってじっとしているのは苦手な性分だ。 こうして二人きりになると、熾苑は人が変わったように静かになる。大人しい、というのとも少し違う。強いて言うなら静物的な静けさなのだ。
(……まあ、人が変わるっつー点に関して俺がとやかく言えた義理じゃねえけど)
自分のコレは公私のけじめのようなものだ。 しかし熾苑の場合、話しかければ反応はするものの、まるで人形を相手にしているかのような虚しさがある。いつもそうという訳ではないが、何となくやり難い。しかもこれが彼女の素だというのだから尚更だ。
「……迅徠」
呼ばれて我に返ると、いつの間にか到着していたエレベーターの中から熾苑がこちらを見つめていた。
「乗らないの?」 「いや乗るけど……。お前さ、瞬きもしないで人の顔凝視するの止めてくんねえ?」 「? どうして」 「ちょっと怖い」
マネキンとかビスク・ドールとか、そういう系の怖さがある。あれ地味に怖い。
「そう…?」 「そう。人前で猫被ってる顔知ってると余計に」 「……気をつける」
首を傾げながらしきりに瞬きを繰り返す熾苑に溜息をついて、迅徠もエレベーターに乗り込む。 5号室のボタンを押し、扉が閉まった所で、迅徠は熾苑の顔を上向かせてむにむにと頬を引っ張りはじめた。
「瞬きすりゃ良いってモンじゃないんだっつの。素の時でも表情筋使えよ。あの鉄壁の笑顔はどうやって作ってんだ?」 「………………」 「……………………………つまんね」
無抵抗な熾苑に飽きたのか、それとも呆れたのか、迅徠は早々に手を離す。 初めて会った時はもう少し、本当に微々たるものだが子供らしい表情をしていた気がする。あれは御狐神家の本邸だったか。 引っ張られた頬を無表情に擦る熾苑を見下ろしながら、迅徠は御狐神の広い屋敷を思い返した。 先祖返りの家ならどこもそんな所はあるのだろうが、あそこは奇妙な空間だったと今でも思う。
「………なに」
少し怪訝そうに熾苑が尋ねた。考え事をしていたために、迅徠に『見ている』という意識は全く無かったのだが、熾苑は視線が気になったらしい。
「別に。俺達って実はすっげーケナゲに生きてるんだよなぁと思っただけだ」 「?」
少し眉を寄せて、良くわからない、という顔をした熾苑に「こっちの話」と返して、迅徠は熾苑の眉間を指で弾いた。
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