「ぼくたち道に迷ったんじゃないの?」
霧の中、目の前にいるはずのスニフがそう叫んだ。視界が悪い、すぐ目の前にいる彼さえ目を凝らしても姿がよく見えなかった。
「大丈夫だよ、この雲の上に出たら分かるさ」
わたしの後ろのスナフキンがそう諭すように言う。5人はまた1本のロープで身体を繋いでいた。はぐれることはないはずだ。一心不乱に目の前の岩を掴んで崖を上ることだけに集中した。
「本当に雲の上に出られるの?」
「ああ」
「雲の上に出られなかったら君の責任だからね」
「保証するよ、天文台はこの雲より高いところにあるから星が観測できるんだ」
「高いところの話はやめてよ、せっかく忘れていたのに!」
真面目に話をしたスナフキンが可哀想だと少しだけ思った。そう思った中で前の方からミイとムーミンの声がした。
「あれ、あれなにかしら」
「あ、光ってる」
「2人とも!高いところとおばけの話はやめなさい!」
怯えるスニフを置いてスナフキンと一緒にムーミンとミイの側まで近寄って行った。
「どうしたの?」
「ほらあれ、光ってるでしょ」
ミイの指差す方をみると金のきらめきが見えた。丸い輪っかのアクセサリーのよう。
「本当だ、綺麗ね。腕輪かしら」
「ああ、あれは金の足輪だよ。レディ」
「足輪?」
わたしの呟きに対して、スナフキンはそう言った。
「金?」
後ろの方で耳ざといスニフの声がした。もう彼は人参をぶら下げた馬のように目の前に金貨でもぶら下げておけば燃費よく動くのではないかと思った。
「足にはめる飾りの輪だ、ぼくはあれを誰がはめていたか知ってるよ」
「誰?」
「君はスノークの兄弟を知っているかい?」
ムーミンとミイたちと顔を見合わせた。ムーミン谷にはわたしが知る限りそんな人はいない。2人も同じようだった。首を振ってスナフキンを見る。
「ぼくは君たちに会う2日ほど前に、スノークと妹のフローレンに会ったんだ」
「フローレン?」
その名前にムーミンの声が僅かに色付いた気がした。スナフキンはその声に気がついているのかいないのか、話を続ける。
「とてもかわいい女の子だった。柔らかで綺麗なうぶ毛が生えていて、ふさふさした前髪があった」
「前髪か・・・」
ムーミンは俯いてなんだか夢心地のようだ。このスナフキンがかわいいと言うのだからよっぽどかわいい女の子なのだろう。そのフローレンという女の子のことをわたしも想像してみた。
「耳の後ろに花を飾っていて、左の足に金の輪をはめていた」
「あれがその足輪ってわけ?」
「兄のスノークは科学者だから今度の彗星のことできっと天文台に行ったんだ」
「妹と一緒に?」
フローレンの姿を思い描いていたが、不意に聞こえてきたそのムーミンの声で我に返って彼を見つめた。ムーミン谷を出るまで小さな男の子だったのにどうやら恋をしてしまったような声音だ。
ママよりいい女性はいないと思っている節のある子だったのに。どうやらこの旅でうんと成長し恋もするようになってしまったらしい。
「妹の方は彗星より、花の方に関心があったんだ。たぶん、あの辺の花を自分で取ろうとして」
「崖から落ちたのね」
微笑ましさにムーミンを見つめていたのに、スナフキンとミイのその残酷な言葉でがつんと殴られたような気になった。
「ミイ、落ちたかなんてまだわからないわ」
「どうしたの、レディ。ムキになって」
ムーミンは何も言わずに崖の下を見つめている。そして次の瞬間、彼はするりと崖を滑り降りて行った。
「ムーミン!」
「ぼく取ってくる!」
なんて無茶を、スナフキンとスニフも1歩踏み出しムーミンに心配そうに声をかけた。
「気をつけろ!」
「あぶないぞ!みんな、ロープをしっかり持ちなさい」
しかし心配をよそにムーミンはするすると崖をおりていく。ミイは呆れつつもムーミンのために自分も崖を下ってロープを伸ばしてあげた。それでもまだ足りないとムーミンが言うのでわたしもスニフを引きずって崖を降りた。
「ぎゃああ!レディ!」
「大丈夫だから!たぶん」
スニフはわたしの足にしがみついて騒いでいる。それをよそにスナフキンが崖の上から叫んだ。
「どうだー?ムーミン」
「もう一息だ!」
「はやくして!ぼくもうだめ!はやくして!」
「どうだーい?」
「もうちょっとー!」
「はやくしてー!」
「とったー!」
相変わらず騒ぎ続けるスニフを宥めてようとするとやっとムーミンの嬉しそうな声が聞こえてきた。
足にしがみつく彼をそのままに手を伸ばして崖を這い上がっているとスナフキンが手を貸して持ち上げてくれる。
「重いよー、スニフ自分で上がってよー」
「レディ、ぼくもう動けないんだよ」
「情けないわねえ、スニフ」
ミイの方は自力で上がってきてスニフを呆れた顔で見ていた。最後に這い上がってきたムーミンは金の足輪を手にしてどこか上の空だった。
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