逃げよう 1/2
※ほの暗い話なので注意



携帯の画面を見て、ため息をついた。まだ約束の時間にはなっていない。
こういうときだけ時間が進むを遅く感じるのは何故なのだろうかと思うのだが、それはきっと自分が彼に会うのを楽しみにしているからだろう。いけないことだ、なんていうのはもう十二分に理解している。いけないことだ、してはいけないことだ、自分は加害者だ。そんなことも分かっているうえで、はやく会いたいと思っているのだから救われない。
お気に入りのカフェは静かな空間が広がっていて、それが余計に時間が進むのを遅く感じさせる。2杯目のミルクティーをティースプーンでかき混ぜながら、窓の外の景色を見た。もう随分夜は深い。それなのに人は大勢この街を歩いていて、もしかしたらあの中に会いたくない人がいるのかもしれない、と思うほどだ。
もう一度携帯を見た。先ほどから5分も経っていないことに落胆して、またため息をついた。
だが約束といったら、彼は絶対に約束を破らないのできっと時間通りに連絡を入れてくる。そんなことは百も承知で、だけど何かが気持ちを焦らせていて、それが何だかわからなくて余計に冷静さを欠く。こういうときは、悲しいことを思い出そう。そして自分を責めて、周りを見えなくしよう。そんなことをしていたら時間はすぐに経つ。




何年前かの、高校生の時茉優には彼氏がいた。不器用ですぐ怒ってでも本当はすごく優しい人。子供の恋愛なんかじゃなくて、真剣に交際をしていた人だ。
だが、卒業の日茉優はレイプされた。しかも、その彼氏にだ。思い出すだけで死にたくなるような乱暴な行為だった。思い出深い教室で机に押し付けられながら、犯されていた。あの時の彼の声や、あそこから出ている音だとか、机が軋む音だとかはまだ耳に残っていて、鮮明に思い出せる。その日まで茉優たちは一度もそういうことをしたことがなかった。だから余計に驚いて、傷ついて、怖くなった。
何がいけなかったのだろう、何をしてしまったんだろう、なんであんなに、怒っていたんだろう。考えても考えても答えは出てこなくて、ひたすらに自分を追いつめていた。何回も死のうとした。何回も腕を切って、薬を大量に飲んで、どこかの建物から落ちようともした。だけどできなかった。死ぬのが怖いんじゃない、痛いのが嫌なんじゃない。死んだ後が怖かった。死んでも何にもならない、そう思ったのだ。
その日から茉優は、彼に関する情報を全部切って、社会人として頑張って生きた。生きたつもりだ。20代にしては会社でもいい位置にいると思うし、人間関係にだって困ってない。彼氏はもう、作るつもりはないけど。彼の後に付き合ったことは一度だけあるけど、その時の彼氏の政宗はただ慰めで付き合ってくれていただけだと分かっていたので、そういうことをしたこともないし、すぐに別れた。いや、別れてくれたのほうが適切だ。
子供だっていらないし、夫だっていらない。仲のいい友人とうまく付き合って、好きなときにお金を使って、そうやって人生を進めていくつもりだった。だが、そううまくはいかないものが人生というやつで、悲劇は幾度と終わることなく訪れるのだ。




あの日は外回りの仕事をしていた。営業先の会社を訪問し終わって、自社に戻る途中の出来事だ。
何とか営業先の方に気に入ってもらい達成感を得ていて、あとは帰って報告書を書くだけだと、横断歩道の信号を待ちながら意気込んでいた。報告書の大方を頭の中でまとめながらふと顔を上げたら、信じられないものを見てしまった。
見間違いだと思って、うるさい心臓を無視して瞬きをした。だけどそれは見間違いなんかじゃなくて、その人は悠然とこちらに向かって歩いてきていた。
なんで彼がここに? そんなことよりも動きなさい、動いて、お願い。
脳みそは何度も危険信号を出していて、けど足が全くいうことをきかなくてもう一度瞬きをした時には、目が合っていた。彼が目を見開くのと同時に茉優も目を見開いていて、ファイルをたくさん入れた重い鞄を落としていた。きっと同じ仕事をしてきたサラリーマンや、スマホに夢中の女子高生などが迷惑そうに横を通り抜ける中、茉優は全く動けず、彼から目を離せずにいて、手が震え始めている。彼がこちらに駆け足で向かってきたときにようやく体がはじけるように動いて、鞄を拾い上げて逃げようとした。
だがそれは叶わず、昔を思い出す手のひらに肩を掴まれてそのまま引っ張られた。思い切り振り返ってしまい、見たくない顔を目の前で見てしまうことになる。

優しい、優しかった、少し怒りんぼだった、少し口が悪かった、少し照屋さんだった、笑顔が綺麗だった、怒っていた、最後の日は、怒っていた。

驚きたいのはこちらだというのに、彼は幽霊でも見たかのような顔をして見下ろしている。掴まれた肩から伝わる温度に吐き気を覚えて身を屈めると、彼は焦って手を離した。一歩後ずさって、短く息を吐いて、方向転換をしようとしたのだけど、彼が今度は左手首を掴んできて今度こそ気を失いそうだった。掴まれた瞬間にブワ、と汗が体中から滲み出て手が震えている。もうやめて、そんなことを昏迷に陥った頭の中で思った。
彼の顔なんて見れるはずがなく、汚い地面を見つめて彼が手を離してくれるのを待つ。その間も手の震えは止まらず、今すぐに吐き出したいのを我慢して時間が過ぎ去るのを今か今かと待っていた。

「茉優」

ぞわ、と鳥肌が立つ。
昔はその声が大好きで、いつでも聞いていたくて、電話を毎週していたような気がする。けれども今となっては彼の声は、あの時のことを思い出させる恐怖の材料でしかないのだ。返事もできず、返事とも言えないが頷いて返した。
頭が痛くなってきた。酷い頭痛がする。今日は早めに退社させてもらおう。そうだ、昨日録っておいたドラマを帰って観よう。きっと気分転換になる。お酒もいっぱい飲んで…。
頭の中は現実逃避でいっぱいいっぱいだ。もう、目の前にいる人が、今すぐに消えないかと願うだけで何もできない。

「茉優、話を」
「…はなしってなに」

随分そっけない声と言葉が出たな、と他人事のように思いながら、どうか彼に集中しない様に周りの声に耳を傾けた。けど彼が声を出せばすぐに耳が彼に集中してしまって、これほど自分の集中力を恨んだことはない。

「こんな場所ではなんだ…少し、移動しよう」

絶対に嫌だ、そして絶対に駄目だ。そう言えたらどれだけ楽になれていたか。茉優は浅く頷いて、彼について行っていた。

汚い建物とビルの間の、室外機が生暖かい風を吹き出している。こんな場所で?と思えるぐらいには冷静さを取り戻していた。でも未だ左手首は繋がれたままだ。血液が脈打っているのが分かるぐらい強く握られて、痛い。
彼---、三成を見上げて目で訴えた。

『わたしに何か用?』
『出来たら離して、距離を取ってもらえると助かるんだけど』
『そして、なにもなかったフリをしてほしい』

けど、弱弱しい目線ではそんなこと伝わらないだろう。実際、三成の精強な目は茉優のか弱い意思など全く気付いていない。あの目で見下ろしている。
手の震えは何とか治まり、静かに深呼吸をしてからまた三成を見つめた。
レイプした元彼女の惰弱な反抗精神など、三成には何の興味もないんだろうか。だったらなんで、こんなところに二人で、何も話さずにいるのだろう…。
室外機の音が嫌に二人の間に響いて気まずくなる。もとより気まずい以外の何でもないのだが、この状況はますますお互いが口を開きにくくなるだけだ。はやく、この人の前からいなくなりたい。それだけなのに。

「は、はなしって、なに?」

また震え始めた手を何とか握りしめて、そう言葉にした。
三成は少しだけ狼狽えて、すぐに目線を戻す。何故狼狽えたのかはわからない。

「話さなければならないことは、…数え切れないほどある。どこから話したらいいのか…」

もしかしたら長期戦になるかもしれない、と頭の痛みを我慢しながら頷く。
でも、何を言われても納得なんてできないし、和解もできない。それに謝られたらますます許せなくなる。あの時の畏怖を、屈辱を、哀感をそんな一言で済まされては、しかも加害者にだ。
困った、というように三成は自分の髪を撫でた。そして、左手の薬指に、ありえないものを見つけてしまう。
あれは、何だろう。何だっけ。答えは出ているのに、自分の心がその答えを出すことを躊躇っていた。女の子は誰もが憧れる、そして茉優もいつかはつけると思っていた。それも、目の前の人と。

「結婚。…したんだね」

自分の口から出た声は、焦っているようで落ち着いているようで、少し怖かった。
三成は、さして気にする様子もなく指輪を見ている。心臓がうるさい、はやく何か言って、三成。

「ああ…気づいたのか」
「…うん」

おめでとう、と言えた自分はどれだけ臆病なんだろうか。だって心から思っていないことを口にして、無理やり笑んでいる。今ここで突き放して、最低!と言ってやることが、茉優の立場としては正しい行動だろう。
そんなことできるはずがない。そのあとどうする? 泣き出すだろう。この人の前で泣きたくない。あの時と同じような情景になるから。
そしてようやく、今彼が買い物帰りなんだと言うことに気が付いた。暖かそうなコートを着て、その下は高級そうなスーツを着ている。そして腕には有名店のビニール袋が。仕事帰りの三成は、奥さんのために買い物をして帰っている途中だったのか。
その時、茉優の脳内は水の音が響いていた。滴が一滴一滴水たまりに落ちていく音。その音を集中して聞くと、どんどん脳内は沈着していき、今の状況をちゃんと理解することが出来た。自分の心情でさえも。
不思議と怒りは湧かなかった。その代わりに、心に穴が開いた。
わたしが女として幸せになることを諦めて、一人で生きていこうと決めていたのに、この人は結婚。しかも、相手は知らない女性。
淡々と頭の中で呟いて、笑いたくなった。そして実際に笑った。微笑のような、嘲笑のような。三成はどっちとして取ったのだろうか。いや、どうでもいいことだ。

「本当に、おめでとう」
「…ああ」
「買い物帰り? 偉いね、奥さん料理上手なの? 三成ご飯食べるの苦手だったもんね、奥さんが料理うまいならちゃんと食べてるのかな。それとあと、ちゃんと寝てるんだろうね。夫婦だもんね。ああ、よかった。すごく、うれしいよ、本当に。ねえ、三成」
「…茉優」
「なあに?」

今すぐ三成を殺してやりたかった。怒りではない。怒りなんてとんでもない。もうその感情はこの男に対して抱いてない。
じゃあなんなのだろう? 今すぐに首を絞めてやれと突き動かすこの衝動は? なんて説明をすればいいのだろうか。目の前で動揺しているこの男の息の根を、今すぐに止めてやりたいと思うのはなんで?
『わたしはあんなに傷ついたのに。』この一言に尽きるだろう。
わたしがあんなに傷ついて、生きることすら諦めていたのに、この男は幸せを手にしているのだ。許せない、でも、三成は…三成だって、苦しんでいたはず。苦しんでいなかったら、のこのことわたしの前に姿なんて現せない。
そのはずだ。

「茉優、聞いてくれ。まず、言わなければならないことがある」

さも自分のほうが冷静だとでも言わんばかりに三成はそう言った。

「私は、悔いている。お前を幸せにしてやれなかったことと、あの日私が死ななかったことだ」
「知らない、そんなの…聞きたくないよ」
「聞いてくれ。私はお前を心より愛していた。この世の何よりもだ。お前以外、誰もいらなかった」

まるで聖書でも読み上げているかのような言葉を、正義感溢れた表情で口にする三成の声を、聞きたくなかった。だけど三成の口は止まらない。

「だから、許せなかったんだ。お前が私から離れていくのが。そして、そんな感情を抱いてる自分も。苦しかった、分かってくれ、お前を愛していたから、茉優、分かってくれ…」
「…分からないって言ってるでしょう? 愛してたって言うのなら、なんであんなことしたの? わたしだって、三成のことが…!」

空っぽだった水槽から水が溢れだすように、茉優も言葉を口にした。三成は悲痛な表情で瞬きをしている。

「離れないと思ったのだ。ああしたら、お前は私のもとから離れないと…!間違いだった、分かっている。過ちだった、それも分かっている!理解している!だから、」
「だから、なに? もう話すことなんてないよ、もうしちゃったんだもん。しちゃったことは取り消せない、それも分からないの?」
「分かっていると言っただろう!何故...。違う…こんなことが言いたいんじゃない、待て、もっと違うことを…」

三成は混乱していた。まるでPCに膨大なウイルスが入ってきて、目まぐるしくページが侵されていくところを見ているような。今ここで起きていることが理解できず、過去のことを思い出している。
それに、話したところでやっぱり和解なんてできっこないのだ。今まともに会話をして理解した。どちらも、自分は傷ついていた、そのことしか言ってない。もっと冷静に、物事を分析して話さないと解決なんて見えてこない。レイプの事件を冷静に解決なんて、当事者たちができるはずがないのだが。
痛いぐらい握られていた左手首が解放されて、痛さを誤魔化すように少し動かした。三成は両手で頭を抱えて、違う、違う、と呟いている。そういえばこの人は情緒不安定なところがあるのだった。ほら、もう泣いている。

「泣きたいのはこっちだよ…!ほんと、三成ってずるいよね、いつもそうだった。いつもわたしには何も言わせてくれないの」
「っ、茉優、違うんだ、行かないでくれ、離れないで…私は、」

離れようとなんてしてないのに、三成は両手で腕を掴んで揺らしてくる。高校生の頃の茉優なら、ここにいるよって、だいじょうぶだよって言ってあげていただろう。だけど今ここにいるのは深い傷を負った成人した茉優なのだ。そんなこと口に出せるはずがない、しかも三成になんて。
ぎゅう、とスーツを握られて皺になる、とどこか冷静に思った。だが、三成は腕に通していたスーパーの袋を地面に落として、勢い良く抱きしめてきたのだ。
また鳥肌が立った。膝が笑っている。また吐き気が、今度こそ吐いてしまいそうだ。
何してるの、なんで、やめて! 声に出せず、ただの息が口を行き来する。思い切り抱きしめられて、膝が限界で崩れ落ちそうだったのだが、三成がちゃんとバランスをとって抱きしめているから倒れることはなかった。だがそれは、茉優は今何の抵抗もできないということだ。体に力が入らない。

「茉優……」

顔が近い。鼻は真っ赤でまだ涙を流している。そういえば三成は、泣いているとき鼻が赤くなっていたっけ。

「私は、お前を愛している。そして今もだ。お前を今度こそ、離さない」


茉優はそこで気を失った。




目が覚めた時、三成は笑っていた。理由は、寝起きの顔が間抜けだったからだそうだ。ここはどこ?と聞いたら、適当に入ったからよくわからないがホテルだ、と返ってきた。
冷静だった。それはきっと寝起きで頭がよく働かないのと、三成が冷静だったからだ。そして、自分のほうからもう一度きちんと話をしよう、と言えたのも三成が冷静だったから。

「私は、やはりお前の隣にいるべきなのだ」
「…うん…」
「そしてお前も、私の隣に」
「…そうかもね」
「それは愛しているからだ。わかるだろう。あの頃のように、愛しているから…。だからあそこで会えたのだ」

三成にしては随分と乙女チックなことを言うなと思った。運命とか、そういう浮ついたことは嫌いだったはずなのに。結婚したら価値観も変わってしまうものなのだろうか。

「…じゃ、わたしたちはもう一回やり直すってこと?」
「そういうことになるな」
「…奥さんは、どうなるの」
「ああ…あいつは元々見合いでの結婚だ。それも秀吉様に勧められたから、断るわけにもいかず…。あいつには悪いが、私は結婚した時でさえお前が心の奥にいた」

なにそれ、と口にした。
バカみたいだと思った。あんなに傷ついて死のうとさえしてたのに、好きだった人が目の前で甘い言葉を吐いているというだけで心はだいぶぐらついている。バカみたいだ、ほんとに。だけど、そのバカみたいな言葉を受け止めているのはどこのどいつだ。

「不倫だよ」
「知っている」
「……よかったね。わたしに彼氏いなくて」
「そんなもの、いてもいないのと同じだ。私が別れさせる」

やりかねない三成を横目に見て、視線を戻す。膝を抱えて枕を抱きしめた。
そして、スーツを着ておらず代わりにネグリジェのようなものをまとっていることに今気づいた。三成が着替えさせたんだろう。丁寧にスーツまで畳んでテーブルの上に置いてある。
ベッドの軋む音に顔を上げた。三成が目の前で膝立ちをしていて、綺麗な手が、あの手がこちらに伸びてくる。まだ反射的に目をつぶってしまうが、目を開ければその手は頬を撫でていた。そしてうなじを触って、もう片方の手は茉優を押し倒していて…。
あの日と同じだ。机に、押し倒された。そう思うと、手がまた震えだしていて、自分で両手を握って何とか震えを止めようと必死になった。
そして思い出さなくていいことまで鮮明に思い出してしまう。殴られ、蹴られて、制服を破られて、無理やりいれられた。声を出さない様に口の中に布を入れられていて、息も絶え絶えなのに涙は止まらなくて、余計に息苦しかった。
そんな乱暴なことをしたのは、目の前にいるこの人なのだ。なのに、やり直すって、しかも、不倫って。何を考えているのだろう自分は。理解できない。何に絆されているのか。

「茉優、だいじょうぶだ。深呼吸をしろ」

無意識のうちに息を止めていたらしい。三成の優しい声で我に返って、深呼吸を繰り返していたら、枕越しに抱きしめられて、ゆっくりキスをされた。キスなんて何年振りで、嬉しいのと同時にやはり怖くて、空でまた手を握りしめていた。

「私の背中に腕を回せ」
「うん…」

口を離した途端そんなことを言うから、おずおずと背中に手を回して抱きしめ返した。枕越しなのは、彼なりの優しさなのだろうか。こそばゆいキスを受け止めながら、強張っていた体をどうにかしようと頑張った。つまらない女だと思われて、三成に嫌われたくなかったのだ。

そのあとあの日のことを思い出させるようなことを、三成は一度もしなかった。優しく、丁寧に、まるで茉優が病気で動けない人のように扱って、自分から動いてくれた。
三成としかしたことないから、そういうことが気持ちいいという認識はなかったのだが、初めてすごく気持ちのいいものだと思えた。
どこかおかしいことなんてとっくに気づいていて、けどそれに気づいてしまったら、もう二度と一緒にはいれないから罪悪感にはふたをした。これでいいんだと思うことにしたのだ。だって三成は茉優を愛していて、茉優は三成を愛したのだから。




身震いをして、茉優はミルクティーを全て飲み干した。ぬるくなっていたそれは体をほどよく温めてくれたが、それでもなんだか肌寒い。
全部を思い出す必要はなかったかもしれないと思って、ため息をついた。
あの日から茉優と三成は不定期で会っている。毎回違うホテルで、夜に。一緒にご飯を食べて、時には一緒にシャワーも浴びて、そのあとは三成に任せているが大体セックスだ。そしてそのあとはホテルに泊まって一緒に寝る。
今日もその予定だ。あと数分で三成から連絡が来るはずなのだが、と携帯を見てみれば連絡が入っている。そういえばあの日も結局会社をさぼってしまって大目玉を食らったなと思い出して苦笑した。
立ち上がって伝票を持ち、茉優はレジへ向かった。

慣れた手つきでホテルへ入り、部屋を探した。部屋を見つけると、受け取った鍵でそこを開けて中へ入る。ホテル代は三成が出すのだが、毎回高そうな…というか高いホテルを選ぶのは何故なのだろうか。
短い廊下を抜けて寝室に入って、顔を上げるとベッドに座っている三成がいる。こちらを見て微笑んだ三成は、立ち上がってこちらに来て抱きしめてきた。まるでここに存在していることを確かめるように抱くので少し苦しいのだが、茉優も抱きしめ返す。いい匂い、三成の匂いがたくさんして幸せだ。

「大事なかったか」
「うん、新しい契約こじつけて会社で大手柄とったよ」
「…仕事の話ではない」
「はは、うん。だいじょうぶ、だったけど、会いたかった」

言った瞬間に、肩を掴まれキスをされた。コートを剥ぐように脱がされて、服の中に手が入ってくるのでそれを慌てて止めて非難の目を向けると、あちらも非難の目を向けてくる。
そんな、シャワーだって浴びてないのに…と呟いて、少し距離を取ろうとしたのだがまた掬うようなキスをされ出来ずじまいになる。ニットを取られ、Yシャツも取られ、あっというまに上半身はブラだけになっているのがもうおかしい。
そのままベッドに連れ去られて、ズボンも取られる。寒い、なんて思っていたら三成も上を脱いでいるので、随分と急いているなあと感じた。
胸をブラ越しに触られて、その手が腰の線をなぞる様に下に落ち、下着越しにあそこに触れた。前かがみになってキスをしながらあそこをいじる三成は、随分器用に見える。いつもはすごく不器用なのに、こういうときだけ器用になるなんてすごい男だ。
下着の横から指が入ってきて、もう濡れているそこにゆっくり指が埋められていく。自分から甲高い声がもれるのが毎回嫌で口元で手を押さえるのだが、三成はそれを嬉しそうに見下ろしている。(いつものことなのだが、三成は事情中電気を消すのを嫌がる。こちらとしては電気が消えていたほうが恥ずかしさが半減するので消しておきたいのだが、それを了承しない三成が毎回明るい部屋で抱いて、こちらを見て嬉しそうにするのだ。随分な変態だと思う。)
細すぎて骨ばっている指が何度も行き来して、イきそうになるたびにきゅう、と締め付けてしまうのが恥ずかしい。

「あっ、んっ…あ、あ、…」

腹が数回痙攣して軽く達した。それだけでも快感はすごいもので、切ない吐息が口からもれている。今すぐに三成のあれをいれてかき乱して欲しくて、でもそんなこと言えるはずがなく、身をよじってもじもじしていると三成が指を抜いて舐めている。やだ…と疑うような声をかければ、含み笑いをされた。
ベッドのスプリング音がすぐそこでしたと思ったら、茉優の膝裏を抱えてまだズボンも脱いでいない三成が盛り上がっているあそこを宛がって、腰を揺らし始めた。少し気持ちいいがかなり焦らされていることには変わりなく、だけどやはり口には出せず代わりにまた喘ぐ。
擬似セックスなんて、三成らしくない。疲れているときに出るため息のようなものが、ひっきりなしに二人の口からもれていた。

「欲しいのか。物欲しそうな顔をして…」
「なん、で…、らしくないよ…」

ぴたりと腰の動きが止まったと思ったら、三成はズボンもパンツも脱いでいきり立っているそれをいきなりいれてきたので、息が詰まって甲高い声が自分の口からもれ、びく、と何回も中と腰が痙攣した。
もういれられる準備はしてあって、いれてほしい、はやく突いてほしいと思ってばかりいたのにいざ急にやられると…。準備万端なあそこは正直だったのだ。
深い息を繰り返して、自分の頭の下にある枕を掴んで力を籠める。膝裏を持ち上げられて、ゆっくり抜かれそうになったので思わずきゅう、とまるで名残惜しいと言っているように締めてしまった。それを見て、また三成は笑んでいる。
奥を突かれて、ゆっくり抜かれて、それの繰り返しでもう頭がどうにかなりそうで、熱に浮かされた声で喘いだ。それでも催促の言葉は言えなくて、いやいやと首を振る。涙まで滲んできた茉優を見て、三成は息苦しそうにしながらもわずかに笑っていた。

その顔を見て、なぜだか茉優は悲しくなった。この人はまだ狂気を心の裏に隠しているのだ、と直感で思ったからだ。
きっと三成は、極度のサドスティックなのだ。攻撃的で、相手の弱点をつきたくなってしまう性格。だから暴力的なこともタガが外れてすぐにしてしまうし、それをやらなくても態度で攻撃してくる。自分の思う通りに成らないと混乱して、相手を責める。
今の彼は、愛していると言った女性に、暴力を振るうだろうか? 答えは否だ。高校生の時から何も変わっていない。愛しているからこそ自分の思い通りに動かして、服従させて、思う通りに成らなかったら憤怒する。
酷い男だ、そしてなんて哀しい人なんだろう。

がつん、と奥を突かれて、上の空だった茉優は今抱かれていることを思い出した。三成の様子を窺えば笑みは消えていつものように真顔だった。真顔で抱かれたくない、そんなことを思ったけど、相変わらずいいところを突いてくるので自分の口からは甲高い声しか出ない。
シーツが擦れる音と、ベッドが軋む音、自分の声、三成の吐息。
全部全部、茉優の脳内を混乱させて、しかも絶頂が近づいていることも混乱させる原因になり、一瞬だけ今自分が何でここにいるのかわからなくなったところで、達した。三成も身を屈めて苦しげな表情をしているので、たぶん達したのだろう。
息がうまくできず、整うまで数分かかった。ずるりと抜かれて、物足りないのかひくついてるあそこを隠すように足を閉じた。なんだか、自分の体が自分の体じゃないみたいだ。何でここにいるのか、何でわたしは三成といるのか、わからない。
でもだめだと思った。このまま冷め切った態度で、混乱した頭のままじゃ、三成に疑われる。別に何も悪事を働いたわけじゃないのに、三成に疑われることだけはだめだと思った。疑われたら悪いほうに事態が進む。
咎めるような顔をした三成がこちらを見て首を捻っている。ゆっくり起き上がって、三成の手を握った。細く、骨ばっている指を握って、手が震えるのを我慢した。

「ごめんなさい、ちょっと働すぎちゃったみたい。少し風邪気味なんだ」
「…なら初めからそう言え。無理をさせてすまない、食事をとって睡眠をしろ」

嘘をついてしまったことは心苦しいが、三成は信じてくれたようだ。茉優の服を引っ張って着せてくれた。自分も服を着ると、三成はフロントに通じる電話のほうに向かったのでその背中を見つめて、唇を噛んだ。








だよなあ、と言った家康はグラスに入っていたコーラを一気に飲んだので、喉痛くないのかなと思いながら見つめていたら、そんなに睨むなよと言われてしまった。睨んだつもりは全くなかったのにと少ししょんぼりしながら、自分もオレンジジュースを飲んだ。

「それでも、自分の心に正直に生きたほうがいいと思うけどな」

きっと家康は、茉優の悩みも大体わかっていて、それを理解した上でこう言ったのだ。
わかっている、茉優だってわかっているのだ。わかっているからこそ、慎重に事を進めなければいけない。三成に関することだから尚のこと。


きっともう終わりなのだと、感づいたのは三成の狂気に気づいた日だった。
一つの理由として、最近誰かに見張られていると気づいたから。誰も歩かないような細道を歩いていても、その人は茉優の後ろをついてきたし、部屋に入られた形跡だってあった。たぶん三成の奥さんが、探偵か何かに依頼したのだろう。
三成には申し訳ないが勝手にスマホを見させてもらったのだが、奥さんからの連絡が少し狂気じみていて、奥さんが三成に依存していることは丸わかりだったし、だからこそ不倫をしている三成と茉優を許せないのも茉優は分かっていた。狂気じみている三成と奥さんが仲良くしていればわたしはこんなに苦しまなかったのに、と無慈悲に思った。
そして、たぶんこのまま関係を続けていけば自分の心が耐えられなくなるというのも一つの理由である。
三成のことは、認めたらいけないことだが、好きだ。そして、愛している。だから、冷静でない三成を見るのが怖いし、このままでいることも怖い。茉優が大人で、強い心を持っていたならこんなことにはなってなかっただろうと薄情な自分は思っている。

だから、三成の前から消えようと決めたのだ。別れを告げるのはあまりにも酷で辛すぎる。そして畏怖の念を抱くだろう。それでも消えなければならない。もう東京にはいられないし、仕事も続けられないが、三成と一緒にいるよりましだ。海外に行ける貯金はあるし、あてもあるから海外で仕事をすることに決めた。
だがそれでも不安は尽きるもので、友人の少ない茉優は三成のことを理解している家康に相談するため、お気に入りのカフェに呼び出した。何年も会っていないうえ急に連絡したのに、家康はすぐに来てくれて話を聞いてくれている。
どう言葉にすればいいものか悩んで、ぽつぽつと言葉をこぼしていく茉優の話を、文句も言わずに聞いてくれる家康とも会えなくなるのだと思うとすごく寂しい。

「正直に考えての結果だから…。たぶんわたしは海外でのほうがやりやすいし」
「まあ、仕事は心配してないよ。茉優は昔から優秀だったからな…。けど、三成のことはそんなに簡単に決別出来るものなのか?」

出来るわけがない。それでも出来なきゃいけないのだ。茉優のためにも、三成のためにも。
指先でいじっていたストローを離すと、ストローの先が家康のほうに向いた。わたしだって家康すきだよ、とストローに少し嫉妬した。
やはり家康はすごいと思う。少し話しただけなのに大体を理解してくれて、労わってくれる。茉優は何も努力なんてしていないのに、逃げようとしているのに。高校生のころからそうだった、とあまり思い出したくない高校生時代のころを少しだけ思い出す。

「決別しなきゃいけないんだよ、わたしは。三成のことだから尚更ね」
「無理はしないほうがいい。ちゃんと話し合ってからでも遅くない。二人で話すのが怖いんだったら立会人を設ければいいさ。なんだったらワシでも…」
「家康にそこまで迷惑かけられないよ、本当にごめんね」
「何の。二人のためなら限界まで動いてやる」

それは言い過ぎだ、と笑えば家康もそうだな、と面白おかしく笑った。





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(イエヤスゥ!出せた!そして続きます)

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