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▼ あなたが紡ぐ声だから

(うう、ねむい…)
ありさはあくびを噛み殺しながら、パソコンで解析作業を行っていた。

「随分眠そうですね」
ことりと視界の端にマグカップが置かれるのが見えた。現場証拠を調べていたパソコンの横に、コーヒーの香りがたつ。湯気をたどって顔を上げるといつもの仏頂面をした風見の顔があった。
「風見さん…」
ありがとうございます。そうはにかんだありさは酷く疲れた顔をしていて、風見は彼女の頭を軽く小突いた。
「それ飲んで仕事してください。ほら、追加ですよ」
風見の小脇に抱えられた資料の束を見て、小さくため息を溢す。
「明日は帰れると思ったのですが、そうもいかないみたいですね」
「公安の機密情報を扱ってる鑑識員は少ないんです。ここへ来た宿命ですよ。諦めてください。あともう日付変わってますから」
え、あっ本当ですね…。壁にかかった時計をちらりと見て、苦笑いが浮かぶ。
時刻は12時を回ったところ。忙しい公安では、まだ明かりが消える気配はなかった。

「ああそれと」
風見が何かを言いかけたとき、ありさの携帯が音を立てる。風見は携帯をちらりと見て、出るように促した。画面には、降谷と出ていたからだ。
ありさは携帯に手を伸ばし、画面をスライドさせる。

「はい。高峰です」
「夜遅くにすいません、高峰さん」
「いえ、まだ庁舎で仕事中ですし、たった今風見さんに仕事の追加を下されたところなので。大丈夫ですよ」

苦笑混じりに返された声はつとめて明るく発せられている。それは一瞬本当に大丈夫なんだと錯覚してしまうくらいにはうまく誤魔化されているが、降谷には彼女が無理をしていることもわかってしまう。それは降谷が彼女のことを長く見てきた証拠でもあるし、関心のあらわれでもある。
感情を出さないコントロールの良さは公安としては花丸だが、降谷個人としてはまた違うのだ。
降谷は電話口で眉を顰める。
「おや、あまり元気がなさそうですね。ちゃんと休憩いれてますか?貴女は集中すると無茶をするから心配なんですよ」

少し咎めるような、柔らかい口調。
どうやら、彼には何でもお見通しらしい。
こんな時でも心配してくれる彼の優しさは心に染みる。いつだって彼はその優しさで信頼関係を気づいてきたのだろうか。
降谷の彼女に対する危惧もよそに、ありさは彼の言葉を優しさとして受け入れる。
「降谷さんだって忙しい身なのに、私なんかを気遣ってくださるなんて。やっぱりお優しいですね。ありがとうございます」
思ったことを素直に口に出してみる。
純粋に受け取る彼女に降谷は小さく、優しいからという理由ではないんだが…と呟いた。だが、その呟きは電話口から聞こえる雑踏にかき消されありさの耳には届かない。
「今は外にいらっしゃるのですか?ごめんなさい。今なにか仰ったような気がするのですが聞き取れなくって」
「大したことではありませんから、大丈夫ですよ。たった今、組織の任務が終わったところで。車の中です」
電話口でエンジンをかける轟音が響く。どうやら車に乗り込んだばかりだったらしい。このままでは電話を切りそうな様子の降谷に、ありさは電話の要件を尋ねた。

「ああ、風見には報告しましたが、先日言っていた毛利小五郎への接触に成功しました。詳しいことは後日話しますが、報告だけ先に。あなたには何か事件があったときに、協力してもらうことになりますから。いいですか、僕は安室ですよ」
「わかりました。安室さん」
公安の中で、警視庁の皮をかぶって現場に堂々と彷徨いているのはありさだけである。毛利小五郎との関係その他もろもろは後日降谷さんから聞くとして、もしばったり彼にあったときに本名で呼ばないように気をつけなければ。

そこでふと、いつもの降谷の饒舌さがなりを潜めていることに気がついた。いつもに比べて空白の時間が多い。顔は見えないものの、彼はきっと疲れた顔をしているんだろうと、ありさは肌で感じとった。
「降谷さんこそ、随分お疲れみたいですね。無理はしてませんか?難しいかもしれませんが、ちゃんと休める時間も作ってくださいね」
「っ……」
不意に流れる空白の時間。いつもならここで大丈夫ですよと返ってくるのに、それがない。これは相当こたえてるのではないか。
「降谷さん?」
心配になって小さく彼の名を呼ぶと、降谷はゆっくりと口を開いた。
「…今日毛利小五郎と接触したときの事件は、少し、骨が折れて。あまり、思い出したくない」
少し間を置いてからポツリと、微かな声で呟いたのは、珍しく彼の弱音であった。滅多に言わないそれにありさは少し驚く。ただそれに応えたくて、ありさは言葉を選んだ。

「たくさん頑張ったんですね。お疲れ様です」
何があったのかはわからないが、きっと彼がやりたくはないことをやったのだろう。長い付き合いである。感情を表に出さない降谷のことを、ありさは少しは理解していた。
「すみません。こんなこと言ってしまって。
…ああ、コナンくんでしたっけ。彼、随分面白い少年ですね」
強引に話題を変えた彼の声は、降谷の凛とした声そのものである。
先程までの苦しげな声はなりを潜めていた。追求されたくないことを悟った彼女は、そうでしょう?と小さな探偵を思い出して同意を返す。
「では、そろそろ切りますね。この間休むよう釘をさしたばかりなんですから、くれぐれも仕事に没頭して無理はしないように。身体が資本の職業ですからね」
「あら、降谷さんがそれを言います?」
放っておいたら無茶ばかりなのは、あなたでしょう。そんな意味を含めて、彼を咎めてみる。
「俺は頑丈だから、大丈夫なんですよ」
私の心配も何処吹く風に、降谷はふっと笑った。
「あなた自身への大丈夫は信用ならないんですよ」
「はは。気をつけます」
「もう。人のことばっかり心配してないで、自分のことも大事にしてください。切りますよ」
「はい。仕事、頑張ってくださいね」


降谷は携帯の画面をスライドさせて電話を切った。やはりこんな夜遅く、しかも彼女の仕事中に電話をかけるのは良くなかっただろうか。一応用事があったとはいえ、半分は私用であることに降谷は気づいていた。否、本来毛利小五郎の報告の件も、風見には言ってあるし彼女にはメールで済む話なのだ。わざわざ電話をする必要は無い。

「声が聞きたかっただけ、なんて、言えないな…」


携帯を持つ手をだらりと下げ、ハンドルに頭を預ける。自分の情けなさに溜息がこぼれた。この国のために生きると決めた自分が、国のためと理由を付けて犠牲を作ってきた自分が、…嘘で塗り固め騙してきた自分が、 一番大切な誰かなど作ってはいけないのに。
自分が何か彼女の仕事を手伝えるわけでもないのに、多忙をきわめる彼女がたまらなく心配で。辛い過去ももっていて。それでも気丈に微笑む強くて優しい彼女を、どうしようもなく守りたいと思ってしまう。


(俺はなんて愚かなんだろうな、スコッチ…)


もう失いたくないと思った。だから大切なものなんて作りたくなかった。大切だと思ったものほど、この手の隙間から零れ落ちていく。スコッチが死んだあの時に、俺は大切なものを手放すと決めただろう。だというのに。今、失いたくないものをまた作ろうとしている。諦めきれない自分がいる。

(国も、彼女も守るなんてできないんだ。できるわけないんだよ、スコッチ)

降谷は夜空を見上げた。車のガラス越しに見る都会の夜空は、ポツリポツリとしか星なんて見えない。それでも、一等輝いている星がやけに目についた。

…彼は星になれているのだろうか。俺を見守っていてくれているのだろうか。

(なあ、お前から見た今の俺は、どんな色をしてる?)

彼女の大切な万華鏡のように、俺は俺の色を持っているのだろうか。

なあ、ーーーー。


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