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▼ 二つくらいが丁度いい

「あれ、ありささん?」

米花町のある喫茶店。ありさは休憩時間にカウンターでコーヒーを飲んでいた。
ドアが開く鈴の音とともに聞こえた少年の声にありさは振り返る。

「コナンくん!学校帰り?」

時刻は丁度小学生の下校時間だ。ランドセルを背負った少年は、推理の最中の真剣な表情と違い年相応の見た目である。なんでいるのかと問いかけているようなぽかんとした表情からは、とてもあの大人びた双眸は想像できない。

「そうだよ。今日はこの後おっちゃんの友達の結婚パーティーで同窓会をやるんだって。帰ってくるまで待ってろって言われちゃった」
迷いもなく彼はありさの隣にある少年の背丈には合わないカウンター席によじ登りつつ腰掛けた。私が警視庁の仕事で赴く事件にはたいがい彼がおり、今ではすっかり顔見知りである。
「今日はスーツなんだね」
「そうなんですよ。今日はお偉い方との報告と会議があったので」
スーツって動きずらくて嫌なんですけどね。とありさはため息混じりに苦笑した。
会議終わりらしい彼女のスーツは適度に崩されていた。紺色のスーツに第一ボタンの開けられたブラウスからは細い首筋が除いている。膝丈のスカートがありさのスラリとした脚を際立たせていた。

彼女は普段鑑識の作業着を着るか、私服に白衣を羽織ることが多い。業務中に事件があれば鑑識の作業着を着るし、研究室に閉じこもって鑑識などを行うときは私服に白衣である。出先で事件に出くわしたり、非番の日に呼び出されたりするとありさの部下か同僚が白衣を片手にやってくるのだ。スーツを着る時は、事件の捜査会議に鑑識員として結果報告に赴く時か、今回のようにお偉い方に呼び出された時くらいだ。

(今回は黒ずくめの組織についての操作状況の報告に行っていたのだけれど)

黒ずくめの組織に深く関わっている人間の数は少ない。定期的に行われる局長連中への報告は、それはそれは肩がこる。本来こういう場には降谷さんが行くのだが、彼は今報告に行ける暇はないらしい。普段降谷さんのサポートや黒ずくめの組織関連の鑑識を行っている私に代打が回ってきたのである。表の所属は警視庁の鑑識官だけど、裏の出向先は警察庁にあるゼロなんだから彼の代わりになるのは当然といえば当然である。

なんてことをコナンにこぼせるはずも無く、ありさは当たり障りのないことを返すことにする。
「コナンくんと会う時は事件絡みが多いから、私服か作業着ですもんね」
「スーツなんて始めてみたよ。似合ってるね」
「あら、褒めてくださるんですね。嬉しいです」
にこりと微笑んだ。鈴の転がる音で笑った彼女はやはり少女の面影を残しており、可憐である。
コナンは彼女の事件現場での鋭く真撃な姿勢を思い出す。今目の前の彼女の可憐さと比較しても、あの姿は想像できない。まるで人が違うようだ。コナンは少女のようなこの女性に違和感すら覚えていた。


「いらっしゃい、コナンくん」
ことり、コナンの目の前に水が置かれる。
「梓さん、こんにちは」
考えふせっていた顔を上げて、コナンは少年らしく笑いかけた。梓と呼ばれた女性は、ありさのコーヒーが空になっていることに気づく。
「ありささん、コーヒーのおかわりはどうしますか?」
「じゃあ、お願いできますか?コナンくんも、どうします?せっかく会ったんですから、奢りますよ?」
「おお、太っ腹ですね」
「今日はいいんです。お偉い方と話してて疲れちゃいましたから」
「ふふ。ちょっといつもよりげっそりしてますもんね」

ありさはここ喫茶ポアロにはよく通っている。常連という程ではないが、立地がいい為通いやすい。ここの店員の梓とはたまにプライベートで食事をする程度には仲がいい。はじめて喫茶ポアロに来たのは、ナンパされている彼女を助けたお礼だった。ここのコーヒーは美味しいし、客も騒がしい客はそれほどいないため居心地がいい。
「じゃあ僕、アイスコーヒーがいいな」
「了解しました。ホットコーヒーとアイスコーヒーですね」
ニコニコと答えたコナンに返事をして、梓はコーヒーを淹れ始める。

「それにしてもコナン君って大人よねえ。私コーヒー飲めるようになったの高校生ですよ?」
梓が感心したように頷き、コナンはあははと苦笑で返した。梓がコーヒーにお湯をそそぎ入れると、辺りにコーヒーの芳ばしい香りが立ち込める。本当にポアロのブレンドは香りが良い。

「お待たせいたしました」
梓がカウンターからコーヒーを二人の前に置く。二人の間にミルクを差し出して、コナンにシロップを渡そうとし手引っ込めた。
「あ、コナンくんってシロップも入れないんだっけ」
「うん。いらないよ」
「ブラックも美味しいですもんね。でも私はミルクも砂糖も入れたい派です。今日は特に糖分が欲しいんですよ」
ありさは湯気の立つコーヒーにミルクをひとまわし。砂糖を2つ落とした。今日はこれくらいが丁度いい。ティースプーンでくるくると回せば、濁りのなかったコーヒーは白をたされて色味に柔らかさを出す。混ぜ終わったところでそっと一口。うん。やっぱりポアロのコーヒーは美味しい。
眠気覚ましを含めた二杯目のコーヒーはありさの体に染み渡るようだった。是非ともこのまま家に帰りたいが、残念ながらそうはいかない。報告に行っていたため、ありさが本来やるはずだった仕事が山積みなのである。

「ねえねえ。ありささんはさ、なんで鑑識になろうと思ったの?」
コナンは探るようにありさに問いかけた。彼女が普段まとう柔らかく丁寧な雰囲気からは、警察のような職業はあまり想像できない。だと言うのに、事件が起これば彼女は雰囲気がガラリと変わり張り詰めた空気をまとう。コナンは不思議で仕方なかったのだ。
「えーと」
ありさは一瞬思案した。なんと言葉にするか探しているような間の取り方だった。コナンは彼女の言葉を待つ。一度コナンから外れた視線が戻ってくる。


「知るため、ですね」


なにを、と問おうとしたコナンの唇が音を発することは無かった。ありさの瞳があまりに哀しい色をしていたのだ。想定外の答えにコナンは驚き、そっかとだけ小さく零した。

「梓ちゃん、ごちそうさまでした」

コーヒーを飲み終わったありさは二人分の会計を持って立ち上がる。コナンはハッとして顔を上げた。
「ありささん、お会計ありがとう」
「どういたしまして。コナンくんとお話出来て良かったです」

微笑む彼女の双眸に先程までの哀しみはまるで感じられなかった。大人の余裕なのか、隠すのがうまいのか、哀しみそのものが偽りなのか。コナンはまだ図りかねている。

「ありささんはもう休憩終わりなんですか?もっとゆっくりしていって欲しいのに…」
「コーヒー飲み干すだけみたいに来てしまってごめんなさい。今度はもっとゆっくり出来る時に来ますね!」
「待ってます!またお食事行きましょうね。今度ショッピングもいいかも!」
「本当ですね。楽しみにしてます」

ドアの鈴とヒールの音を鳴らし、ありさはポアロから出た。 外に出てみると下校途中の小学生がチラホラと見える。
(さっきコナンくんに探られちゃったなあ。怪しむことなんて何も無いんだけど)
事件の時に見せる考えふせった顔をしていた。彼が何を思っていたかなんて分からないけれど、少し素直に反応しすぎたかもしれない。彼にとって世界はきっとヒントだらけだ。それにしても、私なんかを探ってどうしたいんだろう。確かに私は秘密裏に警察庁に出向中だけど、コナンくんに関係はないはず。一体何を考える必要があるのか。
ありさは日の暮れつつある街でヒールをコツリコツリと響かせる。
日々見せる大人びた表情。推理力の異質さ。彼にはきっと何かある。それが何かはまだわからないけれど、少し調べてみる必要があるのかもしれない。

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