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▼ 過去と私と激情と

※一部流血グロ表現あります


私の母は京都の良家の出で、礼儀作法や言葉遣いにとても厳しい人だった。私はよく母に怒られてしまっていたけれど、母のそれはいつも愛を感じるもので。優しく愛の深い母が私は大好きだった。

厳しい母とは対照的に、父はいつも柔らかく笑っているおおらかな人で、兄とやんちゃに遊んでは一緒に母に怒られる。そんな人だった。
2人とも仕事が忙しくて家にはあまりいなかったけれど、父に似た優しい兄が一緒だったから寂しくなかった。

両親は私たち兄妹が寂しくないように手を回してくれたり、休みの日はとことん遊んでくれたり。忙しくて帰れない日は電話をかけてくれる。ふと思えばいつでも二人の愛情を感じられる、それはそれは暖かい家庭だったのだ。


母は法医、父は警察病院の外科医と、医者の家庭に生まれた私と兄は、当然のように二人の背中をおっていた。
当時私は高校生。兄は既に医学部生で、優しくて子どもに好かれる兄は小児科医を目指していた。私はというと、父と同じ外科医になりたくて、高校時代必死に勉強を続けた。


そんなある日のことである。


母が死んだと知らせが入った。不慮の事故だと電話口で聞いた。


信じられなかった。朝行ってらっしゃいと手をふって、母を見送ったのが最後に見た顔。あれから3日ほど母は帰ってこなかった。それでも私は、何も気にしていなかった。法医である母は、忙しくなると研究所に缶詰めになることはよくあることだったからだ。大体その日のうちに返信があるのに、送っても返事のこないメール、繋がらない電話。それらがあった時点で、違和感に気づけばよかったのに。

訳もわからず飛び出したあと、見せれるものではないという医師と警察の静止も聞かず、病院で横たわる母を見た。

無残だった。ぐちゃぐちゃになった顔、青黒く変色した肌。とてもじゃないが、綺麗に眠っているような姿だ、なんて言えなかった。

目の前が真っ暗になる感覚。私はその場に崩れ落ちる。あまりのショックで、涙も出なかった。呆然とする。何も考えられない。何が起こっているんだろう。見つめた地面は、焦点も定まらなかった。

ドタドタと外が騒がしくなる。駆け込んだ兄の息を呑む音が聞こえた。兄はそのまま、愕然と座り込む私の視界を隠すように、強く、強く抱きとめた。

混乱する頭で、兄の肩越しに母をぼんやりと見つめる。
ふと、母の手が瞳に映りこんだ。ヒュッと、喉の奥が詰まる。頭を殴られたような感覚がする。気づいてしまった。見てしまった。


優しかった母の手に、爪がなかった。


私はガタリと立ち上がる。兄が驚いて私の名を呼ぶ。私は母の近くによって、上にかけられていた布を一気に剥いだ。

殴られたように青黒く変色した肌があちこちに咲いている。両手ともない爪。手首にある赤い線。これは、これは…

信じられない気持ちで、私は立ち尽くす。これは、事故なんかじゃない。
唇が震える。手足の感覚がなくなっていく。


どう見たってこれは、拷問の跡だった。


拷問。その2文字がよぎった瞬間、私は踵を返して、そばにいた、辛そうな顔をした警察官に詰め寄った。勢い任せに胸ぐらをつかむ。

ーーどういうことですか!!なぜ、なぜ母の爪がない!?皮膚が青い!?手首の痣はなんですか!?…答えろ!

警察官は、胸ぐらを掴まれても、怒鳴られても、抵抗する気はないようだった。揺れる瞳で、高峰さんは、事故死です。爪はそのときに剥がれたのです。と、まるで機械が話すように、事務的に、そう告げた。


ーーーお母さんね、今すごく危険で、大事な捜査に関わってるの。だからしばらくは忙しくなると思うわ。ごめんね、寂しい思いをさせて。


3ヶ月前の母の言葉が、頭をよぎった。


ーーー


葬儀の時。母の関係者である警察官たちは、悔しそうに唇をかんでいた。一部の人は何かを知っているようで、布に全身を包まれた母を苦しそうに見ている。

ーーーーねぇ、本当に母は事故死なんですか

私は少し離れた場所から母を見つめている警官に声をかけた。
静かに母を見つめる彼の瞳には激情が滲んでいる。怒りか、哀しみか、後悔か。本当は彼に追い打ちをかけるようなことを聞いてはいけないのかもしれなかったが、その時の私は余裕がなかった。彼の激情が示す意味も、彼が母が死んで苦しいひとりであると気づくことも、気遣うことも出来なかったのだ。

ーーーーああ。そうだよ。

同意の言葉を落とした彼に、私は目を見開く。彼は先程までの眼差しとは全く違う、色のない瞳で微かに目を細めたのだ。激情はなりを潜め、静かな宵闇がこちらを見ている。
私は彼の変化に戸惑って、視線を落とした。あの激情が気のせいだとはとても思えなかった。
視線を落として、戸惑いにそれをさ迷わせて。私は気づいてしまった。
ああ、きっと彼は心から悔しがっている。先程の激情はきっと嘘ではない。表面には驚くほど何も感情が出ていないが、握られた拳が僅かに震えていることを、彼は隠しきれていなかったのだ。

その時私は確信した。母のあの言葉と、彼の感情を隠す技術。死因を頑なに親族にまで隠す警察。

ーーーーなにか、犯罪組織に、それもメディアに情報が流れないほどの国家機密の案件に関わっていたのですか。

ーーーーさあ、それはどうだろうね。

口元だけ弧を描き、深い宵闇の瞳からは感情を感じない。ちぐはぐな表情は、探るように私を見つめている。
どうやら彼が事実を教えてくれる気は無いらしい。だが、私には教えないという行為自体が問の肯定を表しているとしか思えなかった。


私は無性に腹がたった。
理不尽に死んだ母。取り残された私たち。知ることの出来ない母の死んだ理由。一ヶ月前の危険な事件というあの言葉。

有耶無耶にされるにはあまりに。あまりに事が大きすぎる。人命よりも隠さなければならない事があるのか。あんな死に方をしたにも関わらず、未だ情報は漏れていない。マスコミにも報じられないとはどういうことだ。

堰を切ったように怒りが溢れる。母が死んだのはきっとなにか大きな理由がある。隠さなければならないほどの危険組織か、大きな圧力か。原因は何もわからないけれど、わからない事が腹立たしい。暴力の跡が残った体を誤魔化す警察もそうだが、何より私はあんな殺し方をする何かが存在することが許せなかった。

きっと今警察は、その組織を制圧しようと動いているはず。でも制圧が困難なのだろう。あの一瞬の目の前の彼の激情がそれを語っていた。
なら今もなおその何かは犯罪に手を染めているのだろう。母のような人を平気でつくっているのだろう。

許せない。

許せない。

許さない。

こんなにも私の中に激情があるだなんて。
だったら。だったら私は、警察官になる。一般人に言えない何かがあるのなら、その何かを私が暴いてやる。そして私が、それを捕まえてやる。その真実を、私がつかみたい。母が無残に亡くなってしまった理由を、知りたい。否、知らなければならない。

未来はやってこない。このままでは、このまま何もしなければ、未来なんてやってこない。


ーーーああ、その瞳。君のお母さんにそっくりだよ。真実を暴こうって目だ。


彼は初めて泣きそうな瞳を見せた。


それから私は、受験しようとしていた医大から進路を変え、鑑識官を目指すことにした。その後国家試験に合格し警視庁に配属。


警視庁で真実を知った私は、警察庁公安部へ出向することになるのだけれど、それはまた別のお話。

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