年の瀬。新しい年に向けて忙しくなる一月だ。それはマフィアのボスも然り。会合やら年末年始の雑務が多くボスも少々お疲れ気味のここ数日。お酒を飲む会も多いようで眠る時間もいつもよりも不規則になっている。
コーヒーじゃなくてお茶にしようかな。
今日は束の間の何もない一日。ボスにはゆっくり休んでもらおうと周りの人たちも同じ考えで気を遣って余程の用事がない限りはボスの部屋に行くことにしないことにしていた。しかし、さすがに1日顔を合わせないのもどうなのかと考えてお茶を持っていくついでに様子を見ることに。
ポットから漏れる湯気は良い香り。ジャスミンティーの良い香りに目を細めながらボスの部屋をトントンとノックする。すぐに入っていいよと言われて私は中に入る。
「ボス、ここに置いておきますね。」
「ありがとう。今から飲んでもいい?」
「じゃあ、私が淹れますね。」
カップに静かにお茶を淹れていくと部屋中に香りが広がる。ローテーブルにカップを置くとボスはお茶を口にしている。コーヒーもいいけど、たまにはお茶もいいもんだねと言っていた。お気に召してもらえて良かった。さて、自分は仕事の戻ろうとそんな事を考えていると、ボスに呼び止められる。
「まだ何かありますか?」
「特に急ぎって訳じゃないけど、ちょっと退屈なんだよね。」
「今日は久しぶりにゆっくりできる日なので、ゆっくり過ごしてください。」
「そうなんだけどさぁ…。」
ボスは私の手を掴んだままにやりと笑みを浮かべている。この顔。よく見る顔で大抵その顔になった時のボスの考えていることはロクなことでないことが多い。今日もその予感は的中。
「眠りたいんだけどさぁ、なんか眠れないんだよね。」
「薬を用意してもらいましょうか?」
「そういうのはちょっとさぁ。」
「じゃあ、眠るまでここにいましょうか?」
「そうそう。それで、膝枕とかしてもらえると嬉しいね。」
「えっ…。」
ボスは嬉しそうに私の膝元を見ている。あぁ、また始まった。ボスの悪い感じが。困った顔になった私をみて実に嬉しそうにしているボス。本当にいつものことだが、ボスは私を揶揄うことをライフワークにしているような気がする。
「そういうのは恋人にしてもらった方が良いと思いますが…。」
「いたらとっくに頼んでるよ。いないから椿に頼んでるんじゃん。」
「いないから私ってどういう基準…。」
「それ聞きたい?」
急にボスは距離を詰めて耳元に口を寄せてくる。突然のことに私の肩はビクンとなってその様子にボスはくすくすと笑みを零している。あぁ、また揶揄われている。すぐに聞かなくて大丈夫ですと言い返すとボスは残念だねぇと言っている。
「じゃあ、1時間くらいで起こしますよ。」
「じゃあ、宜しくね。」
ベッドに腰かけるとボスの頭は私の膝の上に。結局こうなるのであればさっきまでのやり取りは要らなかったのだろうと思うが、どうしても抵抗しておかなければいけないような気がしている。なぜかはわからない。結局の所、ボスに揶揄われている一連のやり取りが自分も実は好きなのではないかと最近思い始めている。
「首、痛くないですか?」
「うん。大丈夫。気持ちいい。」
すぐにボスは話すことを止めて目を閉じていた。やっぱり疲れていたのだろう。ボスの寝息が聞こえてくるとほっとしてくる。眠りが深くなったタイミングでサングラスを外した方がいいのかなと思いながら起こさないようにそっとサングラスを外してサイドテーブルに置く。
それにしても…。
まだまだ1時間経つまで時間はある。自分から提案した時間だが、本当に長くて暇だ。身体を動かしてしまうとボスが起きてしまうこともあるので動かずに時間が静かに過ぎるのを待つだけ。
暇だ。10分過ぎても状況は変わらず。ボスは変わらず心地よさそうに眠りについていることだけが幸いだ。余りにも暇だったので何となくボスの顔を眺めてみる。不規則な生活を送っている筈なのに肌が綺麗。いつもは隠されている目元も今日ははっきりと見えていて睫毛も長い。へぇ、ボスの指輪ってこんな形のものも着けてたんだ。意外と知っているようで知らないボスの新たな発見をして暇つぶし。
ボスの唇って綺麗な形してる。
暇つぶしも最高潮に達すると良からぬ方向に考えが進んでしまう。薄くて綺麗なボスの唇を見つめていると、キスが上手な唇だなとそんな事をふと。すぐに不謹慎なことを考えてしまったと自分を恥じる。しかし、一旦気になってしまうとそればかり見つめてしまう。
私、欲求不満なのか。
ボスに対して恋人を作るように提案しておいて自分はどうなんだといった話だ。今のところそういうことをしたいとか恋人を作りたいという気持ちはあまりない。過去の私だったら、心が折れそうになると誰かに寄りかかりたい気持ちが強かったけれど、今はそういう気持ちになることも随分少なくなった。要は大人になったということだろう。しかし、久しぶりに今日はちょっとだけそんな気持ちになった。何故だろうか。
「ボス、そろそろ時間ですよ。」
「うーん。よく眠れたねぇ。」
身体を起こして伸びをしているボス。私の膝はこの1時間で少し痺れてしまったのでゆっくり動かしながらベッドから降りる。すでに温くなってしまったお茶を口にしながらすっきりした顔になっているボス。ゆっくり休んでもらえたようで何より。
「じゃあ、私は戻りますね。」
「椿、また疲れたらお願いね。」
「気が向いたら…。」
次回することになれば、自分を保てるのだろうか。邪な自分の気持ちを悟られないようにボスの部屋を後にした。
◆◇◆
特定の相手を持つことは良いことも悪いこともある。自分の場合は悪いと考えて作ってこなかった。誰かに深入りすることは弱みに繋がる。小さな綻びは大きな綻びに。自分が総帥となってからはそんな風に考えることが多くなっていった。
「そういうのは恋人にしてもらった方が良いと思いますが…。」
「いたらとっくに頼んでるよ。いないから椿に頼んでるんじゃん。」
「いないから私ってどういう基準…。」
「それ聞きたい?」
今の自分は恋人を作ることよりも、こんな風に椿と話している方が楽しいと思っている。じゃあ、恋人にしてしまえばいいじゃないかと言われると少し返答に困ってしまう。このよくわからない曖昧な関係が心地よいと思ってしまうのだ。今のままの関係性であれば長く続く関係になるだろうと。しかし、恋人となってしまえば、必ず別れがついてくる。彼女とはそんな薄い縁で繋がっていたくないのだ。
「じゃあ、1時間くらいで起こしますよ。」
「じゃあ、宜しくね。」
何だかんだ言いながらも彼女は渋々自分の申し出を受け入れてくれる。いつもそうだ。彼女の膝に頭を置くとすぐに心地よい眠りが襲ってくる。ようやく深い眠りにつきそうだ。そんな事を思っているとふいにサングラスが離れる気配を感じる。彼女が気を遣って取ってくれたのだろう。もう1度眠りにつこうと思ったが、少しだけ自分の中で生まれる悪戯心。
どんな顔しているんだろうねぇ。
そんな事を思いながら薄目を開ける。思わず声が漏れそうになったのを必死で抑える。彼女は自分の顔をまっすぐ見つめていたからだ。ただ見つめているだけならば、こんなにも動揺しなかっただろう。しかし、今日の彼女は少し違っていた。いつも自分に見せている顔と違って確実にオンナの顔をしていたから。
その顔、反則だろ。
本人に言ってやりたい気持ちでいっぱいになったが、言ったところで彼女は無意識なのだろう。もう少しその顔を見ていたい気持ちになったが、目を閉じて眠ることに意識を傾ける。さっきまでの膝の温もりと違ってなんだかいけないことをしているような感覚に浸っていた。
「ボス、そろそろ時間ですよ。」
「うーん。よく眠れたねぇ。」
半分本当で半分嘘。疲れは取れたようで取れていないような。まだ彼女のあの表情が頭から離れない。聞いてしまえば簡単だけど、きっと彼女は無意識でやっていることなんだろう。
なんかしてやられたような気がするねぇ。
いつもは揶揄っている自分だが、今日は自分が遊ばれているような感覚になった。まぁ、それでもいいか。今の自分にとっての彼女との関係がまた継続できたのだから。この先、どうなるのかわからない。ならば、束の間の休みの時間くらいちょっとだけ恋人になったような気分を味わうのも悪くない。そう言い聞かせて今日も自分の横には彼女がいる。
ボスのシエスタ
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