過去5
島の状況は酷いものだった。近づくにつれ、物の焼ける匂いが鼻を刺激する。嫌な予感ばかりが頭を過ぎり、マルコは速度を上げた。
島の海岸が見えてくると、そこでは屈強な男たちが、食料や酒樽を囲み下品な笑い声を響かせていた。十中八九この島を襲っている海賊の一員だろう。泊めてある船には見たことのないマークが掲げられていた。
今すぐ蹴散らしてやりたい衝動を抑え、島の中心にある村へ急ぐ。今は1人でも多くの生存者を助けるのが先だ。
(早く、早く……!)
バチバチと建物が焼けながら音を立てている。果物や野菜が飛び散り、無残に踏みつけられた市場。折り重なるように倒れている村人たち。彼らの血で赤黒く染まった土を踏みしめながら、マルコは村の奥へと進む。変わり果てた故郷には、もはや生きている者がいるとは思えない。倒れている人々の中に見知った顔を見つけ、歯軋りした。
「くそっ……!」
両腕を翼に変え、もう1度上空から探そうとした時だった。
「う、ぐ……」
微かだが人の呻き声が聞こえた。素早く人間の腕に戻し、辺りを見渡すと、崩れた家の下から人の腕が伸びている。
「おいっ、大丈夫かよい!」
大きな木材を退かしてゆき、見えた顔に目を見開く。
「ネーリ!」
この島を出ていく時も、笑顔で背中を押してくれた村長のネーリだった。あの頃よりも大分年老い、白髪交じりの髪は血で額に張り付いていた。
「ネーリ!しっかりしろよい!」
ネーリの下半身に被さる柱を持ち上げようとするがびくともしない。
「ま、マルコかい……?」
「ネーリ!」
か細い息を吐きながら、ネーリが目を開いた。
「待ってろい、すぐ助けて、」
「マルコ……!」
震える手で必死に腕を掴んでくるネーリに、その手を握り返すことで答える。
「わ、私はいい。もう、手遅れだ」
「何言ってんだよい!黙ってろ、すぐに退かしてやる」
「いいんだ。下半身を潰されて……もう、腰から下の感覚がない」
「な……!」
「それより、早く、早く行ってやってくれ」
その瞳に涙の膜を張り、ネーリはマルコを掴む手に力を込める。
「お前だけだ。もうお前だけなんだ……!」
「ネーリ……?」
「林を抜けた所に墓がある。お前の、母親の墓だ」
「お袋の、」
「そうだ。そこに、ギルが、お前の弟がいる」
ひゅ、と息を飲む。すぐには思考が追い付かない。お袋が死んだこと、そして、俺の、
「おと、う、と……?」
「そうだ。2年前にお母さんを亡くして、あの子は……ギルは、ずっと、お前を」
そう言って、激しく咳き込むネーリに血の気はなかった。
「ネーリ……!」
「はぁ、ぐ、……私の力では、あの子を逃がすので精一杯だった。頼む、マルコ……!」
ボロボロと涙を流し、必死に訴えるネーリ。マルコはその最期の姿を目に焼き付ける。
「お前の弟を、ギルを守ってやってくれ」
(俺の、弟……)
唇を噛み締め、ネーリの願いを受け止める。
マルコは1度だけ小さく頷くと、その姿を青の不死鳥へと変え、上空へ飛び立った。
(ギル……)
ネーリは青い炎が離れていくのを見届けると、ゆっくりと瞼を閉じた。
火の手は村を超え、林の木々たちにまでその猛威を振るっていた。
立ち込める煙のせいで、視界が悪い。上空から探すのを諦め、炎の中に降り立った。
「どこに……!」
火の粉が自身にも降りかかってくるが、すぐに不死鳥の能力で回復する。
遠くで木々の倒れる音がする。このままじゃ、全土が炎に包まれるのも時間の問題だろう。
マルコは目を凝らし、足を速めた。
前方に林の終わりが見えてくる。
木々の開けたそこには、力なく横たわる海賊らしき男と、小さな、子供。
その身体は血に塗れ、金色の髪と同じ色をした猫のような耳と尻尾は小刻みに震えている。
倒れている男に目を遣ると、その左胸から右の脇腹にかけて、まるで鋭く獰猛な爪で抉られた様な傷があった。
(もしかして……)
ざり、と土を踏みしめ、1歩近付くと、その薄い肩が震えるのが分かった。俺を、海賊の1人だど思っているのだろうか。
「た、すけて……おかあさん、おかあさん」
おにいちゃん。
縋る様なその言葉に、胸の内、心の奥の奥から、自分の知らない感情が湧きあがり、全身が震える。
「ギル……」
無意識に己の口から零れ出た言葉に、子供が伏せていた顔をゆっくりと持ち上げる。
辺りを炎に囲まれ、赤く染まった世界の中、自分と同じ色をしたその瞳だけが浮き上がり、そして、
「おにいちゃん……?」
マルコは湧き出るその感情に従い、その小さく頼りない身体を抱きしめた。
見た目以上に小さく感じるこの身体に、この子供は、どれ程の傷を抱えてきたのだろう。
割れ物を扱う様な手つきで、そっと頭を撫でつけると、戸惑うように揺れた碧眼がこちらを見つめてくる。
「ほんとに、ほんとに……」
頬についた血を拭い、その瞳を見つめ返す。
「ああ。迎えに来たよい……ギル」
そう言うと、眉を下げ、きゅ、と唇を噛む子供をもう1度しっかりと抱き寄せる。
「もう、泣いてもいいんだよい」
はらはらと涙を流し、胸にすり寄ってくるギルを抱え、立ち上がる。
港には、もうモビーが着いている頃だろう。
おにいちゃん、おにいちゃん、としゃくりを上げるギルの瞼にキスを落とし、マルコは家族の待つ船へと歩き出す。
(俺の、おとうと……)
腕の中の存在が、もう決して傷つくことのないよう、これからは自分が守ると、心に誓って。
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