過去4

 



 ギルはその短い足を必死に動かし、林の中を駆け抜けていた。

(村の様子がおかしい)

 目を凝らすと、村の方角から煙が上っているのが見える。僅かだか悲鳴のようなものも聞こえる。

(動物たちも、どこにもいない……)

 いつもなら、鳥たちのさえずりや、子リスたちの気配で溢れているのに、今は生き物の気配さえしない。


「あっ!」


 木の根に躓き、盛大に転んでしまう。


「うぅ……」


 両膝を抱えてうずくまる。胸の動悸が止まらない。額から汗が噴き出て、顎を伝って落ちてゆく。
 嫌な考えを振り払うように、頭を振り、また走り出す。





「そんちょ、さっ、ネーリさん!」


 林を抜けて直ぐ、村の入り口から1番離れたところに、ギルの面倒を見てくれている村長ネーリの家がある。


「ギル!」


 裏口から、農耕用の鎌を持ったネーリが飛び出してくる。ギルはそのままスピードを緩めず、ネーリの胸に飛び込んだ。ぎゅっと、痛いくらいに抱きとめられ、必死にその背中に縋り付いた。


「ギルっ、ああ、どこに行っていたんだい。本当に心配したんだよ。もしかしたらアイツらに、」

「ネーリさん、海賊が、お母さんのお墓から海賊の船が見えたんだ!」

「ああ。ああ。分かっているよ」


 ネーリは、ギルの膝から血が出ているのに気付くと、首元に巻いていたバンダナを素早く巻きつけた。頬についている土汚れも拭ってやり、そのまま両手でギルの顔を包む。


「いいかいギル、今から私の言うことをよく聞くんだ」

「ネーリさん……?」


 ネーリのかさついた、タコのある掌を感じながら、灰色がかった瞳を見つめ返す。ドクドクと先程よりもうるさく胸が鳴っている。

(やだ。やだ。やだよ。また、僕の大事な人が、)


「今、この村は海賊に襲われている。あと数分もすれば、奴らはここまで辿り着くだろう」


 ネーリの肩越しに幾本もの煙柱が見える。怒号、銃声、悲鳴。ほろり、と1粒の涙が零れた瞬間、堰を切ったように次から次へと溢れ出してきた。


「やだ、やだよう」

「ギル、辛いが聞きなさい。お前は賢い子だ。遠くの海に白ひげ様の船が見えたと、先程連絡があった。白ひげ様が戻って来てくださったんだ。きっとマルコも乗っている」

「お兄ちゃん……?」

「そうだ。だが白ひげ様たちが着くまでここは持たんだろう。お母さんのお墓まで走りなさい。林の向こうまでは海賊たちも手を出さないだろう。白ひげ様たちが来てくれるまで、そこで待っているんだ。絶対に出てきてはいけないよ」

「ネーリさんは?なら、ネーリさんも一緒に逃げよう!」

「私は駄目だ。今も向こうで皆戦っている。村長として、ここを離れるわけにはいかない」


 その灰色の瞳からも1筋の涙が流れる。


「ギル、お前は私の息子同然だ。まだこんなにも小さいのに、お母さんを亡くしたお前に、私は何か、何か少しでもしてやれただろうか」

「っひ、ねーりさ、やだぁ」

「きっとマルコが助けてくれる。お前の家族が迎えに来てくれる」


 震える指先で、白い頬を伝う涙を拭い、ネーリは愛しい小さな背中を押した。


「行きなさい、ギル。振り返ってはいけないよ。さぁ早く!」


 戸惑い、ネーリを見上げるが、その瞳に宿る意思は変わらない。 
 ギルは強く唇を噛み締めると、母のもとへと走り出した。




 ネーリはその背中が木々の中に消えるのを見届けると、それとは反対の方向へ走り出す。

(あの子だけは、絶対に)
 
 強く、鎌を握り直す。


「マルコ、もうあの子にはお前だけだ」


(お前だけが、あの子を暗い闇から救ってやれる)





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