02
「大丈夫そう?」
いつもの保健室。ベッドに横たわる僕を先生が覗き込んだ。
「はい、だいぶ」
あれから彼によって保健室へ運ばれた僕は情けないことに吐いてしまった。
【声】は消えたけど気持ち悪さは治らなくってベッドに寝させてもらっている。
「良かった。急にいなくなるからびっくりしたよ…。しかも会長に抱えられて戻ってくるし。」
「す、すみません…」
今回は完全に僕の不注意だ。
こんな体で人が集まるような中庭なんかに行くから…
分かってはいたけど、なにも出来ないような自分にひたすら落ち込む。
僕はこうやってこれからも周りの人に迷惑をかけるのかな…。
「あ…あの、彼は…」
そうだ。彼にお礼を言っていない。助けてくれたのに。それに、彼が触れた瞬間【声】が消えたんだ。
「あー、会長?会長はアンチ王道くんのせいですっごく忙しくって今頃生徒会室でお仕事中かなー」
「そうですか…」
またここに来てくれるだろうか…
「何か用事?だったら伝えておくけど」
「い、いえ、いそがしいのなら、大丈夫です。」
少し怖かった。彼に会うのが。でも沢山迷惑かけたから、お礼をしたかった。僕にできることなんてあまりないけれど。
「そう?もう少し寝てな。お昼には起こすから。」
「ありがとう、ございます…」
そうして僕はゆっくりと眠りの淵に落ちていった。
いつかまた彼がここに来てくれることを祈って。
***
「…」
なんだろう?と、浅い眠りを繰り返しながら、ふと感じた重み。
それは自分に向けられたものではなくて、僕の寝ているベッドが感じた重み。それによって僕の体が少し沈む。
先生だろうか。もうお昼なのかな。
「ん、」
瞼を開けると保健室の明るい光が目に入ってくる。
反射的に目を細めた。
「起きたか」
聞こえてきたのはいつもの先生の高めの声ではなく、心地よい低さのどこかで聞いたような気もする声だった。
先生と僕以外にこの保健室へ足を踏み入れる生徒はいない。教科の先生すら課題は職員室で先生づてにわたされる。
「っ、だ、だれ!」
布団を押しのけベッドから降り、相手と距離をとる。
ふらつく足もとに自分があまり回復していないことを知る。こんな体調で【声】なんて聞いたら…
「おいおい、落ち着けよ。朝来ただろ?」
「…え?」
やはりどこか聞いた声に顔を上げると、一番会いたかった人がいた。
「かいちょ、う?」
彼は今さっきまで僕が寝ていたベッドに浅く腰掛けており、少し困った顔でこちらを見ていた。
「知ってたのか。」
そう少し寂しそうに言った。
「先生が、そう呼んでいたので…」
そこで気づく、助けてもらったのに僕は彼の名前すら知らないじゃないか。
「なるほどな」
「あの、名前を聞いても良いですか?」
「名前?あぁ、ここの生徒会長をやっている亞森夜人(あもり ないと)だ。変わった名前だろう?」
そう言って先生の机のメモ帳を一枚破きボールペンで漢字を書いてくれる。
(夜を英語のnightって読んで読んでるのかな。)
「すごく、きれいな名前ですね…」
男らしさと、美しさを兼ねそろえている彼にぴったりだ。
「、ありがとう。君は?」
「僕は杉 春陽(すぎ はるひ)っていいます。」
「漢字は?」
そう言って持っていたボールペンを僕に握らせる。
僕は彼の書いた横に少し間をあけて自分の名前を書いた。彼の字より少し小さな字になった。
「春陽か、良い名前だ。」
するりと僕の字を指で撫でながらそんなことを言うので自然と顔が赤くなる。僕の名前より彼の名前のほうが素敵だ。僕の名前は使用人がつけた由来も何もないものだ。
でも彼が指で僕の字を撫でるたびにじわじわと広がるこの気持ちはなんだろうか。
嫌いだった自分の名前が好きになれそうだ。
***
「あ!あの、ありがとうございました、助けてくれて、運んでもらって…本当に助かりました。」
ずっと言いたかったお礼を言う。また会えてよかった。しかも日が変わらないうちに。
二人でソファに座り落ち着いたところで話を切り出す。
彼は笑って気にすることないと言ってくれた。
その間、彼の【声】は全く聞こえてこず、ただ僕と彼の話し声だけが流れていた。
「おっと、忘れてた。保険医が午後から急な出張が入ったらしくてお前の面倒頼まれたんだよ。」
「え…そうだったんですか。忙しいのにすいません…」
また彼に迷惑をかけてしまったらしい。今朝会っただけの僕の面倒を彼が見る必要はない。
どうしよう、今は何時なんだろう。今日は寮にもう帰ってしまおうかな。
「いや、どうせ俺がする必要のない仕事だ。それに俺もお前の様子を見に来るつもりだったし。」
思いがけない嬉しい言葉に一人心が躍る。でもする必要のない仕事って何だろう。
アンチ王道くんのせいで忙しいって先生言ってたけど。会長も帰って早く休んだ方がいいんじゃないかな。
「あの、僕今日はもう帰ります。なので会長はもう「夜人、夜人って呼べよ。あと、敬語も禁止。同い年なんだし。」えと、な、ないと、はもう帰って平気だよ…?」
呼び捨てとか初めてかもしれない。それに会長、な、夜人は同い年だったんだ。僕と体つき全然違うし、すごく大人っぽいから三年生かと思った。
何も言ってこない夜人に緊張して自分のズボンを握る。
お、怒ってる?やっぱり呼び捨てとかさせてみたらきにいらなかったんじゃないかな…【声】が聞こえないからか、夜人が何を思っているのかわからない。
「はぁ、保険医の言う通りだな。お前人に気使い過ぎ。お前のことは明日まで頼まれてるから今日は俺の部屋に泊れよ」
言い終わってもう一度ため息をつく夜人。やれやれみたいな感じに言ってるけど、ちょっと、待ってよ。僕今日夜人の部屋行くの??
先生は一体何を考えているのかな!こんなの夜人に大迷惑がかかるに決まってる。せっかく、お互い自己紹介をして仲良くなれそうだったのに。先生のばか!
心の中で先生に毒づきながらも、目の前でさっさと帰る準備をしている夜人に内心かなり焦っている。あ!それ僕のカバン!
「ちょ、ちょっと、待って!ほんとに夜人の部屋行くの…?」
「俺が嘘言うわけないだろ。保険医から色々話聞いてるから安心しろ。」
『色々話聞いてる』…?
もしかして先生僕の【声】のこと夜人に話したの!?
そんな、こんなの絶対気持ち悪いって思われる!
どうしよう、どうしよう。
「だ、か、ら。別にそれ知って俺はお前と話してんの。お前が考えてるようなこと思ってないから」
「で、でも、」
それに、夜人は信じたのだろうか。人の心の声が聞こえるなんて自分で言ってる変人って思っているんじゃ…。
「しつこいと怒るぞ」
そう言う夜人の顔にはかすかな怒りがあって、それを見た瞬間、頭の中が真っ暗になった。
こんなに僕のことなんかを気にかけてくれたのに、怒らせてしまった。
喉にドロリとしたものが流れていくようで、うまく息ができない。
「ひっ、ん、」
苦しくって首を抑えてその場に座り込む。
どうしよう、はやく治さないと夜人に迷惑がかかる。もっと彼を怒らせて、不快にさせてしまうかもしれない。
思いとは裏腹に息は苦しくなるばかり。
そろそろ意識が飛びそうになっていた時。
ぎゅ
「へ…?」
ぎゅう
座り込んだ僕の体は夜人によって抱きしめられていた。
「息をちゃんとしろ、馬鹿。死ぬぞ。」
ぽんぽんと背中を撫でる手は優しく、温かい。
「ん、よ、夜人ごめ、怒った…?」
「怒ってねぇよ。心臓止まりそうだったけどな」
え、夜人、心臓が悪かったりするのだろうか。
あまり彼の前で今みたいになって驚かせてしまうと心臓に負担がかかってしまうのでは…?
「夜人、僕、もう倒れないようにする、から、死なないで」
抱きしめられたままで格好つかないけど、せっかくできた友達だ。なくしたくない!
「なんかすげぇ勘違いしてないか?…まぁいいか」
ぎゅう
「今日はお世話になります!」
「お、おう…」
***
今朝出会った保健室登校をしている生徒の面倒を見てくれと昼前に保険医が俺の所にやってきた。
「ごめん、俺今から出張が入っちゃって、あの子の事頼みたいんだ」
「あの子?」
「ほら、今朝助けてくれたでしょ。」
頭に具合の悪そうな生徒が浮かぶ。一度は関わったわけだし言われなくても放課後様子を見に行こうと思っていた。
「あの子ちょっと事情があって今多分すごい不安定になってるから一緒にいて欲しんだ。」
いつも飄々としている保険医が珍しく言葉を詰まらせる。
「事情とは?それを聞かない事には了承しかねる。」
「うん、会長ならきっと大丈夫って思ってるから頼みに来たの。あの子はねーーーー」
保険医の話してくれたことはとても信じがたいことだった。
人の心が読めるなんて、まるで小説の中の話だ。
けれど、そのせいで彼が幼いころから友人も作れず、家にこもりきりで一人孤独に打ちひしがれていたと知ったら胸の中に感じたこともないような感情が溢れだしてきた。
なぜ、彼が。そんな思いをしなくてはならないんだ。と行き場のない怒りもわいてきた。
彼は誰にも望まれていないと今でも思っているらしい。
何度も期待を裏切られ、傷ついてきた彼の心は他人の感情に触れる事を恐れ、保健室登校を余儀なくされている。
「何故俺にその話をする?こういったあまり人の耳に触れない方が良いだろう」
「言ったろ。会長なら大丈夫だと思ってる。これは完全なる俺の勘だけど。あの子の友達になって欲しい。」
「…。」
保険医の勘。
俺はこれを信じるべきなのだろうか。
「今回だけだと思って、頼まれてくれ。あの子に近づいて具合が悪そうにならなければきっと大丈夫」
「なんだそれ。」
「あの子は悪意のある【声】を聞くと著しく体調を崩すんだよ。薬もあるけど頼りすぎはよくないから」
彼が中庭で具合悪そうにしてたのはあんなに沢山の生徒に囲まれて沢山の【声】を聞いたせいだったのか。
「…わかった。」
「恩に着るよ。じゃあ、ということであの子部屋に泊めてあげてね!よろしく!じゃ!!」
「おう、…あ?」
「ばいばーい!!」
***
放課後、数時間ぶりに再会した彼は杉春陽というらしい。
終始危うさが目立ったがどうやら俺のことを友人と認識したらしい。
春陽が苦しそうにする姿を見てとっさに抱きしめてしまったが、春陽はなんと抱きしめ返してくれた。よくわからない誤解があったようだが。
不思議で、春陽を見ていると俺の中の庇護欲がムクムクとわきあがるようで、最初あまり気乗りしなかった部屋へ泊めることも自分から促すほどだった。
部屋に着いたら何をしようか。男子高校生らしくゲームやテレビを見て仲を深めよう。
乘りかかった船だ。最後まできっちりやってやろう。
この後、保険医に頼まれたということも忘れ、春陽にどっぷりハマってしまうなんて思ってもみなかったが。
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