01
僕の世界が静かになったことなんて一度もない。
あそこにいる人の話し声、隣の彼の鼻歌、笑い合う恋人達の声。
それだけではない。
《うっぜー、こいつ自慢話多すぎ》
《昨日無理矢理してやったあいつ、また脅してやろうか》
《昨日会ってたあいつ誰なんだよ》
心の声。
普通、誰にも知られることのない、いや、知られてはならない、胸の内。
僕には聞こえた。それこそ産まれた時から。
僕を最初に手に取った助産婦、優しく僕に触れた母、母の手に抱かれた僕を見る親戚の人達。
全部聞こえた。
だから僕は知っている。
僕は誰からも望まれていないって事を。
***
他の誰よりも早く起き、支度をし、部屋を出る。
ここは全寮制の男子校で、ここは生徒寮。
山奥にあるこの学校は余程のことがない限り敷地内から出ることが許されない。生徒は皆上流階級のお坊ちゃんばかり。そんな未来を約束された彼らに、もしものことがあってはいけないと、有名進学校であり、男子校のこの学校に入学させる。
僕もその一人。
裕福な家庭に産まれた僕は代々卒業しているというこの学校に入学させられた。
だか、僕にとってそれは望んでもない幸運だった。
(頭が痛い。お腹がぐるぐるする…。)
寮から、校舎までの距離を歩いて行く、それすら僕には苦しい事だった。
聞こえてくる誰かの秘密の想い。耳ではなく頭にダイレクトに伝わってくるそれらに僕の体はついていけていなかった。そうなれば必ずと言っていいほど体に不調が現れた。頭痛は常時、腹痛に、熱っぽい体。そのせいで小さな頃から外へ出れず、体はどんどん弱くなっていく一方だった。
人のあまりいない下駄箱に到着した僕は教室へ向かわずそのままこの学園に4つあるうちの1つの保健室を目指す。
正直言って授業もまともに受けることが出来ない僕は保健室登校をしている。普通こんな事は許されないのだか、この学校の理事長が実は僕の叔父だったのだ。信じてくれないだろうと思いながら自らの体質を話したところ、彼は信じてくれた。そうして保健室登校を認めてもらうことができた。
頭に入ってくるものに惑わされぬよう、頭で必死に別の事を考える。
いつもと同じ朝だった。今日までは。
***
カラリ…
「お、おはよう、ごさいます…」
保健室はいつも同じ匂いがする。消毒液の匂いと、かすかに湿布の匂い。
白を基調とされたこの部屋は唯一僕が落ち着ける場所となっていた。
「あっ、おはよー!気分悪そうだね、薬飲む?」
朝からテンション高めのこの人はこの保健室の保険医。
僕より15歳くらい上な筈だけど、恐ろしいほど童顔のせいで、正直同い年位にしか見えなくて、身長も僕より5cm高いくらいで、僕としては数少ない低身長仲間がいてくれて嬉しい。
それにこの人は思っていることがそのまま口に出る人らしく、聞こえてくる【声】といっていることが全く同じなので、全然気持ち悪くなんてならない。
「平気です…それにあんまり薬に頼ってると駄目っていうし…少しくらいは我慢します」
小さな頃から薬にたよっていたせいで高校に上がる頃には殆ど効かなくなっていた。そこで理事長である叔父が先生を紹介してくれ、新しい薬を調合してくれたのだった。
「そうだね。まぁ、横になった方がいいよ、顔色が悪いから」
「ありがとうございます。」
「いーえ!」
なんだか今日はいつもよりテンション高い?
そう首を傾げながらもベッドに向かった。
横になり、しんと静かになった保健室。
登校してくる生徒の【声】がほんの少しだが頭に入ってくる。
じんじんと痛んでいた頭はしだいに軽くなり、視界もはっきりしてくる。
(ほどよい、静寂ってやつ、かな)
落ち着いたところで僕は先生にテンションの理由を聞くことにした。
「今日なにかあるんですか?」
そういい終わるうちにソファで書類を書いていたはずの先生が飛んできた。いや、瞬間移動に近い。それくらいのスピードだった。
「わかる!?実はね今日この学校に転入生が来るんだ!」
(転入生…?その子が芸能人とかかな。)
この学校にはお金持ちの息子に加え、芸能人の息子や、芸能人も沢山いる。そういう者は特別に外出を許されていたりする。
「その子がどうかしたんですか?」
たかが転入生ごときで、と言ったらあれだけど、正直ここにはどんな有名な人が入ってきても驚かない自信がある。
「それがね〜……これっ!見てみて!」
ずいっと差し出されたA4の紙を受けとる。
目に入ったのはカツラのような頭に、牛乳瓶の底みたいな眼鏡をした少年だった。
(なに、これ…)
「ありえないでしょ?」
悪いけど、少し、ありえない…
「は、はい…」
これは驚くよ…
かろうじて見えてる口元からして元気そうな印象を受けた。
「そのありえないのが!今日!転入してくるんだよ〜!もう、最っ高!生きててよかった!!!」
「え…先生こういった方が…?」
「えっ!?違う違う(笑)」
良かった本当に違うみたいだ。
「この子は王道くんなんだよ!!」
「お、おうどう、くん…?」
聞きなれない単語だなぁ。
もう返してしまったけど、さっき見た子の名前とは違うし。
「そう!彼はこの学園に革命を起こしてくれるはず!!」
「かく、めいですか…」
そう、革命。
でも先生も言ったことは本当になった。
望まなかった形で。
***
ただいまお昼休み。
持ってきたお弁当を保健室のソファで食べてます。
「あの、せんせい…?」
テーブルを挟んで前のソファに座っている先生はどんよりと疲れた雰囲気を醸し出していた。
「…アンチだなんて…聞いてないぞ…仕事は増えるし、うるさいし、最悪だ…」
先程からの愚痴を聞いていると王道くんという人は実はアンチ王道くんだったらしく、どうやらこの学園の人気者に次々と気に入られ、その中に生徒会や風紀委員など、重要な役を担っている生徒が多数いるらしく、学園の機能が著しく落ちていて、アンチ王道くんの暴走を止める事が出来なくなっているらしい。
「昨日なんて職員室に来てさ、散々散らかして帰ってったよ。お陰で俺の机の上にあったBL本の表紙が汚れたし!」
そう言ってまたぷりぷり怒り始めた先生。白衣のポケットから文庫本を出し読み始めてしまった。
にしても、アンチ王道くんが転入して来てまだ一週間もたっていないのにこの騒ぎって。
たまに頭に入ってくる【声】にもアンチ王道くんの事だろうものが多い。
こんな短時間でこの学園を揺るがすほどのアンチ王道くんってどんな人だろう。
(あ、課題しないと)
僕は授業のかわりに各教科からのプリントをやって単位をもらっている。
その代わり、テストでは学年5位以内を保つことを約束させられた。
(まだ1位から落ちたことはないから大丈夫かな)
その点は家にこもりがちだったため友達もおらず、勉強ばかりしていたから助かった。
この保健室には人が来ない。
だから凄く静かだ。
今は皆授業中だから教室とは離れた場所になるここは物音さえ出さなければ完全な静寂に簡単に包まれた。
カリカリと僕の課題をする音と先生のページをめくる音だけがやけに大きく聞こえた。
しばらく課題に向かって、そろそろ休憩しようかと言う時それは起こった。
ーガラガラッ!ダン!!
「ひゃっ!!」
お茶っ葉の缶を持った時保健室のドアが勢いよく開いた。
驚いて缶を落としてしまった。
「ん?あれ?会長じゃん。どうしたのそんな息切らして。」
物音に何かと顔を上げた先生がドアを上げた人に言った。
(会長?)
「わりぃ…はぁ、まりもに、追いかけられちまって、」
恐る恐るドアの方を見るとドアにもたれかかるようにして一人の生徒が腰を下ろしていた。
「もー、会長の息切らすなんて何者だよー」
「あいつしつけぇんだよ」
ポンポンとリズムよく飛び交う言葉に2人がかなり面識があることが分かった。
僕の存在にどうやら気づいていないみたい。
先生以外の、しかも生徒に会うのなんて久しぶりでどうしたらいいのか分からなかった。
とりあえずお茶っ葉の缶を広い中身がこぼれていないことを確認してお茶を入れることにした。
***
「どうぞ、」
「あ、あぁ」
いつの間にソファに移ったらしい会長という人は先生となにやら話し込んでいたみたいでコトリとお茶を置いたら初めて僕の存在に気付いたみたいだった。
「おい、保険医、こいつは?」
小さな声のつもりかもしれないけど聞こえてます。
「この子は訳あって保健室登校してる子だよ」
男のくせに保健室登校なんて少し恥ずかしくってお茶を載せてきたおぼんを持ったまましたを向いてしまう。
「保健室登校?お前2年だろ。そんなん俺は聞いてねぇぞ」
急に話を振られ慌てるけど口をパクパクしてしまうだけで声が出なかった。
そんな僕に明らかに眉を顰める彼にビクッと肩を揺らしてしまった。
「あー、気にしないで。こいつは全生徒記憶してるから把握出来てなくてちょっと拗ねてるだけだから」
「拗ねてねぇよ…」
(仲良いんだなぁ)
僕は居づらくなってしまっておぼんを片付ける振りをして保健室を出た。
***
(なんか、久し振りかも)
いつもは踏み入れない廊下を一人歩く。
少し位誰かに会っても今日は調子が良いから大丈夫だろう。
あの人、全生徒記憶してるってすごいな…。この学校凄く生徒が多いと思うんだけど。
会長ってもしかしてこの学校の生徒会長の事だろうか。集会とかイベントにはいつも出ないから知らなかったや。
きっとなんでも出来るんだろうな…。
身長とか、体型もモデルみたいで凄く羨ましい。
腕をまくっているワイシャツから覗いた自分の手首を見て少し落ち込んだ。
渡り廊下を歩いていると中庭があったので出てみる。
少し暖かくなってきた気がする。外にはあまりでないからこういうたまに感じる季節が嬉しくってたまらなかった。だから忘れていたんだと思う。
花に止まった蝶が綺麗で見惚れていると授業終わりのチャイムが鳴った。
(授業が終わるチャイムだ。そろそろ保健室に戻った方が良いかな)
そうは思うけれど黄色い花に止まる蝶が綺麗で足がなかなか動かなかった。
こんなに蝶に近付けることなんてもう無いだろうからもう少し見ていたい。それだけだった。
『あれ、誰?』
『ネクタイ青だから2年じゃね?』
『見たことないなー』
「ぅ、わ」
一気に頭に入ってくる【声】。全てが自分に向けられていて、気が付くと僕は沢山の生徒に囲まれていた。
「ねぇ、君もしかして新しい転入生?」
「具合わるいの?」
「何組?」
「ぁ…」
『また転入生かよ、めんどくせぇ』
『ちっさ』
『こんな奴いたっけ?』
笑顔で沢山の嘘を言ってる。気持ち悪い。気持ち悪い。
「ぃゃ…」
頭がガンガンしてきた。胃もキリキリと痛む。視界がぐるぐるして酔って、また気持ち悪くなる悪循環。
(最悪だ…)
もう意識を手放してしまおうかと、そう思った時目の前の人壁が割れた。
(会長…?)
「やっと見つけた。早く戻らねぇとあいつがうるさいぞ」
『きゃー!なんで会長様が!!!』
『会長様に探されるなんてこいつ一体なんなの!?』
「う…」
会長が現れた事でまた多くなる【声】。
もう、無理…
「お前らうるせぇ…立てるか?」
そう言って僕の背中に手を添えてくれた。
その瞬間、いままで痛い位に聞こえていた【声】が、止んだ。
「う、そ…」
(聞こえない…静かだ…)
「何がだ?…立てないならしょうがないな」
「え、そんなこと言ってな…!!」
ふわりと体が浮いた。
周りの叫び声が一段とうるさくなるけどそんな事気にしてられなかった。
(なんで?なんでこの人は…)
思えば保健室にいた時から彼の【声】は聞こえて来なかった。彼の【声】は聞こえない…?
ふわふわと運ばれながら考えた。
きっと彼は優しい人なんだ。心から素直で、そして強い人なんだ。僕なんかに簡単に心を覗かせない確かな自分を持っていて、きっと大切な人にだけ心を開くんだ。
そんな彼を僕は怖いと思った。でも、聞いてみたかった彼の心を。
生まれて17年、初めてそんなことを思った。
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