本物に妬きました
ゆずの家にお邪魔して、ちゃぶ台みたいな小さなテーブルの前に腰掛ける。 ゆずは、あたしにソファを手渡すと、マグカップに麦茶を入れて持ってきてくれた。
「美姫さん、ごめん。グラス・・・ない……」
「え?あ、いいわよ?」
マグカップに並々注がれた麦茶。 確かに異様な光景だけれど……。 今は、全く気にならない。
だって…… だって、夢にまで見た柴犬が、あたしの腕の中にいるんだもの!
「だいちゃん・・・」
うっとりとしながら名前を呼ぶと、だいちゃんは嬉しそうにあたしの手のひらを舐めた。 やん。可愛い!
「この子、前にあたしが見つけた犬にそっくりなのよね……」
だいちゃんを見下ろしながら、ぽつんと呟く。 すると、ゆずの肩がぴくん、と揺れた。
「雪が降っていた日にね、捨てられてた柴犬を見つけて……。飼い主探しに走り回ったんだけど、結局誰も見つからなかったのよ」
「そう、なんだ…」
ゆずは、あたしとだいちゃんのほうに身を寄せて、ぽんっとだいちゃんの頭に手のひらを乗せた。
「こんなこと話してもあれなんだけど……。その柴犬のところに戻ったら、あたしが柴犬にかけていたコートに、お手紙が挟まっていたの」
『このコートの持ち主へ 犬は、オレが連れて帰ります』
たぶん、男の人の字。 柴犬がいなくなっていたのは寂しかったけど……すごく、嬉しかった。 柴犬に新しい家ができたことも、こうやって手紙を残すような人がいる事実にも。 あの柴犬は、きっと幸せに暮らしているのだと思うもの。
「……あの、こいつ」
「……え?」
と、ゆずがおずおずとあたしを見上げてきた。 一緒になって、だいちゃんもあたしを見上げる。 ……か、かわいいっ! W柴犬!!ハーレムだわっ!
「えっと・・・あの……。美姫さんが言ってる柴犬、こいつ・・・なんだ」
「……へ?」
ハーレム状態にきゅんきゅんしていると、ゆずが不安そうに口を開いた。 ……え、えぇ!!??
「え、じゃあ・・・あの……」
手元のバッグから、財布を取り出す。 そして、その中に入れておいた1枚のルーズリーフを取り出す。 ……あのときの、走り書きのメモ。 あたしにとっては、とてもステキ……というか、『世界にはいい人もいるのね』っていう思い出だったから、なんとなしに持ち歩いていたのよ。
「……それ、」
ルーズリーフを見せた瞬間、ゆずは固まってしまった。 ……ええっと・・・
「これ書いたの・・・ゆず?」
「……はい」
…………!!!
びっくり、したあ。
ルーズリーフとゆずを見比べる。 ……確かに。ゆずならこういうことしそう。
「……オレ、コートの持ち主が美姫さんだって・・・知ってた」
「え?」
「コートから生徒手帖が落ちて……大福にコートかけたの、美姫さんだって・・・知ってた、んだ」
「そ、そうなの・・・?」
うそお。 でも・・・だったら、言ってくれればよかったのに……。
「うん。・・・言わなくて、ごめんな?」
「なんで、言ってくれなかったの?」
だって、それを聞いていれば……。 だいちゃんにももっと早く会えたし、ゆずのこと、もっと早くから知りたいって思えたかもしれないのに。
問いかけると、ゆずは頬を赤く染めて、うつむいてしまった。 ……ごめんなさい。何度も惚気ちゃって申し訳ないんだけど……とっても可愛いの。
しばらくゆずを見つめていると、ゆずはおずおずとあたしを見上げて、口を開いた。
「あのとき、美姫さん帰ってくるの待ってようと思ったんだけど……オレ、帰ったから。それに、なんか・・・恥ずかしかった、し……」
「……バカね」
ああ、もう。 ゆずってば、なんでそんなに可愛いんだろう。 普通、コートの持ち主が帰ってくるまで待とうなんて思わないわ。……少なくとも、あたしは。 律儀に手紙まで残して、先に帰ってしまったことに罪悪感を抱いていて……。
もう、本当に……。 ゆずは、いい人だわ。 自分が、恥ずかしくなるくらい。
「あたし、性格悪いから……」
思わずぽつんと呟くと、ゆずがびっくりしたような顔であたしを見ていた。
「わ・・・」
「ん?」
口を開いたゆず。 首を傾げて続きを促すと、ゆずはこくんと喉を鳴らした後、あたしの目を真っ直ぐ見た。
「悪く、ないと思う」
「……へ?」
「性格、悪くない・・・だろ。オレ……好きだ」
「…………っっ!!」
何を・・・言うのよ。
両手で頬を押さえる。 顔が……熱い。
「美姫さ、・・・?」
両頬を押さえて、急に自分から視線を逸らしてしまったあたしが不審だったのか、ゆずが心配そうに覗き込んできた。 やだ、恥ずかしい……。
「だいちゃん、よかったね」
うん。だから、だいちゃんに逃げちゃえ。 腕の中のだいちゃんを、あたしの目線まで持ち上げる。 うー・・・可愛い。
と、だいちゃんのサーモンピンクの舌が、口からぺろりと覗いた。
「ひゃっ、」
そして、あたしの顔や唇を、舐め始めた。 ……夢にまで見た・・・愛犬とのスキンシップ!!
「だいちゃ、んっ!くすぐった・・・」
こそばゆくって、思わず笑ってしまう。 だいちゃん、あたしのこと覚えててくれたのかな? あたしは幸せにすることは出来なかったけど、ゆずと暮らすことになって、だいちゃんはすごく幸せだと思う。
「……大福、」
あたしとだいちゃんが、幸せ愛犬タイムを送っていると、急に横から低い声が聞こえた。 ……あれ?ゆず?
「どうしたの・・・?」
なんだか、ゆずの機嫌がよくないみたい。 複雑そうな顔で、あたしとだいちゃんを交互に見ている。
「……ゆず?」
「……大福。ちょっと・・・どいてろ」
ゆずの手が、だいちゃんの方に伸びた。 そして、大きな手のひらでだいちゃんを持ち上げると、抱き上げて床に下ろす。
……だいちゃんが・・・。
「ゆず、何して・・・んっ、」
……ん?
視界には、なぜかどアップのゆずの顔。 唇に、柔らかい感触。
……んん??
あ、あれ? あたし・・・ゆずと、キス……してる?
「んっ、・・・」
驚いて身じろぐと、ゆずはゆっくり唇を離した。 そして、先ほどだいちゃんに舐められた頬に、舌を這わせる。
「・・・ちょっ、ゆず……」
「……、あ・・・」
びっくりしちゃって、思わずゆずの胸元を押し返すと、ゆずはぴくんって揺れて、あたしから離れた。 そして、焦ったように視線を下に落とす。
「ゆ、ゆず・・・?」
「……ご、めん・・・」
あれ・・・? あ、あれー?あたし、もしかしなくても……ゆずと、ファーストキス、しちゃったあ!?
突然のことで、少しパニックを起こしてる。 だ、だって……。 まさか、このタイミングでなんて、思わないもの!!
実感した瞬間、顔に熱が上ってきた。 や、やだ……。なにこれ。 どうしよう……!!
「ごめん・・・。だって、大福が……」
「え、え?な・・・」
何を言ったらいいのか分からない。 恥ずかしいし……胸が、きゅうってする。 心臓が、ドキドキして……。
「大福が・・・美姫さん……舐めるから…」
あん。もう、だめ。 すっごく愛おしい。可愛い、可愛い! ぎゅうって、したくなっちゃう。
「で、思わず・・・。あの、ごめ……」
衝動が、抑えきれなくて。 あたしは、ゆずの頭に手を伸ばした。 そして、今度は自分から唇を寄せる。
「み・・・」
おそらくあたしの名前を呼ぼうとしたゆずの唇を、あたしから塞ぐ。 ちゅぷり、というリップ音。 目の前のゆずは、驚いたように目を見開いていた。
「……美姫、さ・・・」
ゆずの手が、あたしの頭に伸びてくる。 一瞬唇を離して、ゆずと視線を合わせると、ゆずは嬉しそうに微笑んだ。
だいちゃん、見てるのになぁ。
あたしとゆずは、それからしばらく、唇を重ね続けた。
|
|