本物との出会いは
え、っと……。 あの、柴崎 譲・・・です。 美姫さんには、「ゆず」って呼ばれてる。
……あ、引かないでくれ。 自分でも、似合ってないの分かってるんだ。
…………。
…………あ。 わ、悪い。 オレ、あんまり喋るの得意じゃなくて……。 目付きも鋭いし、……その、喧嘩っぱやいから、あんまり友だちも多くないし。
だから・・・その……。 ごめん。オレが、美姫さんの彼氏で。
…………。
…………え? あ、そ・・・そっか。そうだ。 オレと大福の出会い……つーか、オレが美姫さんに惚れた理由、だったっけ? うん。それ、話すんだったな。
あーっと……美姫さんに告白したのが、3年の5月。 で・・・美姫さんを好きになったのは、その3ヵ月前だから、高2の2月、か。 あの日は、確かすげえ寒くて……。
**********
……寒い。
学校からの帰り道、オレは寒さに縮こまりながら、歩いていた。 お金そんなないから、コート買えなくて……。
「……寒い・・・」
……言葉にしてみたら、もっと寒くなった。
それで、ちょっと急ぎ足で歩いていたら、道に座っている女の人を見かけた。 女の人の前には、ダンボール。 ダンボールには、「拾ってください」の文字。
……捨て犬?
「……捨てられたの?あなた」
風に乗って、声が聞こえる。 ……あれ?あの制服、うちの学校のだ。
……誰だ?
遠目で、そっと見やる。 ふんわりとした栗毛の髪。細くて長い手足。 顔は……
……あ。
あれ、1年生のなんとかって子だ。 確か、「氷の女王」とかなんとかって呼ばれてた気がする。
1回廊下ですれ違ったことがあったけど、なんか冷たい空気をまとった子だった。 拒絶のオーラが出てるというか……。目に、誰も写していないような子。
……なのに、なんで分かんなかったのか。 その女王が、すっごく柔らかな顔で、ダンボールを見ていたから。
「……寒いわね」
唇をきゅって噛んだ女王。 ダンボールの中には……柴犬だ。 黒と白の。 大きさからして、たぶん子どもなんだろうな。
「……最低ね、捨てるなんて」
女王の目は悲しそう。つけていた手袋を外して、柴犬に手を伸ばす。そして、口角を緩めて、柴犬を撫でていた。 ……あれ、本当に女王?
「一緒に帰りたいけど……。ママがアレルギーなのよ」
そう言いながら、女王が首に巻いていたマフラーを外した。 そして、それを柴犬の体に乗せる。
「……頼んでみようかしら」
と、女王が視線を上げた。 そして、柴犬をひと撫ですると、着ていたコートまで脱いで、柴犬にかける。
「すぐ、戻ってくるわ。……もし、うちがダメでも、飼い主、探してあげるからね?」
……うちのアパート、ボロいけどペットはOKだった気がする。 ちょっと金銭的に不安だけど……。 でも、あの犬と……何より、女王の力になりたい……気がする。
自分で思って、びっくりする感情だったけど……。
そう思って、女王に声をかけようとした瞬間だった。
「大丈夫よ。絶対に、幸せになれるから」
ふわり。
言いながら、女王は微笑んだ。
「…………っ、!?」
その顔は、「氷の女王」なんて呼び名が陳腐に思えるようなもので……。 優しくて、本当にキレイで可愛い笑顔だった。
それを見た瞬間、鳥肌が立ったみたいにぶわあって何かが顔まで突き抜けてきて、顔が熱くなるのがわかった。 踏み出そうとした足はその場で硬直してしまって、動けない。
「じゃあね!」
コートもマフラーも脱いで、走り出してしまった女王。 ……すげえ、寒そう。
「……、」
女王がいなくなった後、すーっと柴犬のほうに近寄った。 新聞紙が敷いてあっただけのダンボールが、今やコートとマフラー、そしてなぜか手袋まで入っていて、暖かそうだ。
「……お前、」
ダンボールを覗き込むと、柴犬がきょとんとオレを見上げてきた。 ……か、かわいい・・・。
「いい人だな?」
「きゅーん・・・」
本当に……いい人だな。
「オレ、お前のこと連れて帰ってもいいか?」
「わんっ!」
犬語は分からないけれど……。 しっぽを振っているところを見ると、たぶん許可してくれたのだろう。
……さて、後は……。
「女王を待たなきゃな」
もし、女王の家でこの犬を飼えるのなら、無理してオレが引き取ることもない。 たぶん、こいつもそのほうが幸せだろうし……。
でも、それが難しそうなら……。オレが飼ってもいいって、聞かなきゃ。
そう思って、緊張しながら待つこと1時間。 女王が、戻ってくる気配はない。
「……さむ、」
「きゅーん・・・」
恐らく、必死に説得をしているか、飼い主を探しているんだろう……。 でも、もう夜更け。 マフラーとコートはあっても、コイツは震えている。 ……というか、オレも限界だ。
「……、」
女王は、間違いなく戻ってくるだろう。 そのとき、この子がいなかったら、きっと悲しい思いをする。
「…………っ、」
でも、犬は震えていて……。 もう、日も落ちかけている。
「…………悪い、女王」
しばらく悩んだ後、オレはマフラーごと柴犬を抱き上げた。 さすがにコートは置いていこう。 でも……悪いけど、マフラーだけは借りよう。
コイツが凍え死んでしまう。
オレは、バッグからルーズリーフを取り出すと、走り書きで女王へ手紙を書いた。
『このコートの持ち主へ 犬は、オレが連れて帰ります』
本当に、事実を伝えただけの簡単なメモ。 それを折りたたんで、コートの中に差し込む。
と。 コートの内ポケットから、ぽろっと何かが落ちた。 ……生徒手帳?
そして、生徒手帳の表紙には、綺麗な字で「氷野美姫」と書かれている。
「氷野・・・美姫」
おそらくは、これが女王の名前。 美姫……。すげえ、ぽい名前だ。
“女王”から“氷野美姫”という固有名詞を得ただけで、なんでこんな満たされた気分になるかな。 ……氷野、美姫。
「くぅーん・・・」
と、腕の中で震えた柴犬が、切なげに声を上げた。 ……まずい。本当に、寒いんだ。
「ごめん・・・な?氷野美姫、さん……」
寒い中制服だけで走り去った彼女を思うと、胸が締め付けられるような気持ちを覚える。 氷野美姫が去っていったほうを見ながら、オレはぽつんと呟く。
そして、後ろ髪引かれるような気持ちで、家路を歩いた。
**********
――それから。
オレはなんだか、氷野美姫さんのことばっかり考えるようになった。 学校でチラっと見る氷野美姫さんは、「氷の女王」って言葉がふさわしいような、冷たい顔をしていて……。
本当は、もっと綺麗なのに。 もっと……可愛いのに。
あの顔、みんなの前ですればいいのに。 ……や。やっぱり、嫌・・・かも。
相反した気持ちを抱えながら、悩むこと3ヵ月。
5月のある日、オレは下駄箱の前で、腕1本分しか離れていない距離に、彼女がいることに気がついた。
……で。 思わず、氷野美姫さんの手をぎゅっと掴んでしまって。 氷野美姫さんが、訝しげな顔でオレを見上げてきて……。
そしたら、ぼろっと気持ちをはいてしまった。
やってしまった! しかも、こんな公衆の面前で!!
そう思って、おどおどと彼女を見ていたら、彼女はにっこりと口角を上げたんだ。
綺麗。 ……綺麗だけど、あのときの笑顔とはちょっと・・・違う。
でも、笑いかけてくれたことにびっくりして固まっていたら、氷野美姫さんは、その形のいい唇から、驚きの言葉を発した。
「いいわよ?」
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……うん。 オレの話は……こんな感じ。 ……あの、もう、いい?ダメ? オレ、多分こういうの向いてない……。
だから・・・。 美姫さんのところに、戻るな?
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