そんな姿を見て、アガトルテは小さく笑いを漏らすとグラスを持ち上げ口付けた。酸味のある甘いそれに、アルコールは含まれていない。
「キャサリンさん、おかわりくれるか?」
「貴方ねー……ここは酒場よ?オレンジジュースって……まあ、良いけど……」
呆れながらも、キャサリンはリキュールを割る為のオレンジジュースをグラスに注いでくれる。
「仕方ないじゃないか、俺はあまり酒は得意じゃないんだ。飲んで帰れなくなったら困るし」
「まあ、貴方の場合、酔って起きたら連れ込まれたベッドの上ってありそうだものね」
さして大きくない酒場だが、席はカウンター以外はほとんど埋まっている。その客の数人が、ぼうっとした顔でアガトルテの背を見ているのをカウンターの中にいるキャサリンは気付いていた。
女性のうっとりとした目を一心に浴びる男はというと、オレンジジュースを飲みながら再び深々と溜め息をついていた。
きっと、居なくなった蝙蝠のことを思っているのだろう。
「貴方って本当、罪作りな色男ね」
「ん?」
「何でもないわよ〜。っていうか、貴方、本当にその蝙蝠気に入ってたのね。貴方のその愛しくてたまらないっていう笑顔も、寂しくて悲しそうな顔も、初めて見るわ」
そう言われて、アガトルテは苦笑する。キャサリンの指摘はアガトルテにも自覚はあったからだ。
「……俺、初めてあの家の中に誰かを入れたんだ」
いつを指して「初めて」なのか、キャサリンは分かったのだろう。目を見張った後、キャサリンは目元を緩めて微笑んだ
「……そう」
はっきり言って、たかが“蝙蝠”だ。人間ではない小動物を家に入れたことを、さも人間を招き入れたかのように語るアガトルテを、キャサリンは否定しなかった。
「それじゃあ、その子は貴方にとって特別なのね。これが恋人だったら言うことはないんだけど……貴方が良いなら、私もこれ以上何か言うのも野暮ね」
「はは、ありがとう。まあ、その特別な子もいなくなったけど」
そして再び目を伏せ落ち込むアガトルテをキャサリンは静かに見ていたが、ふと酒場のドアの方へと目を向けて眉根を寄せた。
それから、テーブルに置かれたアガトルテの腕を軽く掴んで、目はドアの方へと向けたままに小声で言った。
「オレンジジュースが大好きな坊や、もう良い子は帰る時間よ」
壁掛け時計は、帰宅を促すには些か早い時間を指していた。アガトルテが訝しげに顔を上げるも、「逆に今から帰らせるのはヤバイかしら」とキャサリンは呟いた。
その時、ドアが騒々しく開け放たれる。同時に、何人かの足音と大きな話し声が酒場内に響いた。
「ったく、この街は本当につまんねぇな!女も男も買えるところが一つもありゃしねぇ」
「こっちは長旅で疲れてるってのに、癒しがねぇよ、癒しが!」
「あの騎士団連中がおんぼろ城に出向いたってんで来てみりゃ、何も収穫ないって、ハズレだな、今回は」
その大声に、アガトルテはつい振り返ってしまう。キャサリンがアガトルテの腕をつかむ力を強くしたが、アガトルテを止めるには遅かった。
そこにいたのは、どこか粗野な雰囲気を纏う4人の男だった。見慣れない彼らはきっと、街の外からやって来た冒険者の一グループだった。
アガトルテと身長は同じくらいだろうが、がっしりとした体格や見える腕の筋肉から、アガトルテでは到底敵いそうにない男たちだ。
その中の一人と、目が合った。男はぽかんとしていたが、すぐに目を細め、ゆるりと口角を吊り上げた。そこそこ見目の良い男なので、きっと女性は放っておかないはずだ。
にもかかわらず、酒場内にいた女性陣の目つきが鋭くなったのを、アガトルテは視界の隅に見て不思議に思う。
「……つまんねぇ街だと思ったが、そうでもなかったか」
愉しげにそう言った男は、ずかずかとカウンターの方へ歩いてきた。正しくは、アガトルテの方へ。
そんな男の後を追い歩いてくる仲間たちは「あいつの好みど真ん中だな、御愁傷様」「この街では、男か」「あー、俺もあいつの後にヤりてー」と各々呟いている。
男は、椅子に座ったアガトルテを見下ろしてにやにやと笑った。その笑みを不愉快に感じたアガトルテは顔を顰めるが、口を開いたのはキャサリンだった。
「あら、お客さん?ごめんなさいね、すぐにテーブルに案内するわ」
「必要ねぇよ。こいつの隣に座る」
「……生憎、カウンターは4席しかなくてね。貴方たちは、4人掛けのテーブルに行ってちょうだい」
「いや……そろそろ俺は帰るよ、キャサリン」
舐めるように見てくる男の視線から逃れたくて、アガトルテは席を立ちかけた。しかし、その腕を男が掴んで引き留める。
「まあ、待て。あいつらはテーブルの方で良い。俺はここだ。なあ、少しお喋りしようぜ?」
「ちょっとちょっと!その子はもう帰るって言ってんだから、離しなさいよ」
「ああ?……なら、一緒に出て行くか。酒が飲めないのは残念だが、あんたが居りゃ楽しめる」
そう言いながら、男はアガトルテの腰をするりと撫であげた。自分を性の対象として見ていることに薄々気づいていたアガトルテは、完全にそうだと感じて冷や汗を流す。
女性から好意を向けられることには慣れているし、そう多くはないがそれに応じたこともあった。男からも好意を向けられることも屡々あったが、それに対してアガトルテが応じたことはないし、そもそも、この男の様に自分より体格の良い男から迫られたことなど初めてだった。
つまり、対処の仕方が分からない。
男はおそらくアガトルテに抱かれたいのではなく、抱きたいのだろう。
そのことに、アガトルテの思考は一瞬停止する。それを好機と見たか、男はにやりと笑ってアガトルテの顔を覗き込んだ。そして、アガトルテにしか聞こえないほどの小声で囁いた。
「俺、あんたみたいな男前食うのが好きなんだ。あんたは、俺が今まで抱いた奴らが束になっても敵わないくらい、上玉だなァ」
そして、するりと頬を手で撫でられて、アガトルテはぞっとして思わず身を引いた。テーブルの角に身体がぶつかり痛みが走るが、それを気にしている場合ではない。
アガトルテは、自分の頬に触れる手が酷く恐ろしく感じた。あの、夢の中の手に触れられた時はけして恐ろしくなかったのに。そこまで考えて、夢、とはいったい何のことだと違和感を覚える。
その時、キャサリンが声を荒げるのを聞いた。しかし、その声も、違う声に覆われてしまった。
「何をしているのかね?」
まるで心臓を掴まれるような、そんな心地にさせる冷え切った声が、酒場に静かに響いた。
Back
2017.4.9〜
BAT ROMANCE