BAT ROMANCE


謎の男、一人<03>


「何をしているのか、と私は聞いているのだが」

 アガトルテが見上げる先、そこには先ほどからアガトルテに絡んできていた男がいる。そして、その男の向こう側から見下ろす赤い眼と目が合った。既視感を覚える。

 その男は、この場にいるのが些かちぐはぐに思える出で立ちをしていた。
 アガトルテよりも頭一つ分は高いだろう、大男。緩くウェーブのかかった灰褐色の長髪に、鮮血の如く赤い目。纏う服は、少しばかり古めかしい貴族服。威圧的な目、高圧的な声。年の頃は40歳半ば頃と言ったところか。若い頃はさぞかし持て囃されただろうと、その老いた顔からも推測できた。
 およそこの街の、この酒場では見ないような、高貴さを感じさせる男だった。

 アガトルテに絡んできていた男は、振り返らない。否、振り返れないようだった。アガトルテの腕をつかむ手が明らかに弱まり小さく震え、その目は恐怖一色に染まっている。
 そんな男の様子に彼も気付いたのだろう、馬鹿にするように鼻で笑うと、貴族服の男はゆっくりと腰をかがめた。男の耳に唇を寄せ、言う

「去れ。そして、忘れろ。二度は言わん」

 男の方がびくりと震える。それから、目に光が無くなり虚ろになったように感じる。アガトルテの腕を離した男は、ゆったりとした動作で踵を返し、歩き出す。

 貴族服の男が、一度大きく手を叩いた。

「忘れろ。日常へと戻れ」

 その声に、酒場にいた人々の肩が揺れる。そして次の瞬間には、今までの静けさが嘘のように、いつも通りの酒場の喧騒が戻って来た。
 何人か、腰や背の武器に手をかけ立ち上がりかけていた女性もいたが、彼女らも武器から手を離して椅子に座り直している。

 その異様な状況に、アガトルテが慌ててきょろきょろと辺りを見回すも、キャサリンが「もう、そんなきょろきょろしてないで、助けてくれたオジサマにお礼を言いなさい!」と窘める声が聞こえた。

「え……?」
「え、って、この素敵でダンディなオジサマが絡まれてる貴方を助けてくれたんじゃない」

 きゃ、といつもより少し高い声ではしゃぐキャサリンは、うっとりと貴族服の男を見ていた。その様子は、先程の異様な状況を全く気にしていないようだった。
 キャサリンと、店内の様子に戸惑っていれば、貴族服の男は小さく溜め息をついた。

「……効きづらくなっている、か」
「は……?」

 貴族服の男の呟きを聞き返すと、彼はじろりと赤い目でアガトルテを見やった。その目は先程のような威圧感は無いが、しかし、不機嫌さが前面に押し出されている。

「おまえは、もう少し危機感を持ちたまえ。己の容姿は分かっているようだが、警戒心を持たなければそれは自覚を持たないと同義だ」
「あら、オジサマ、良いこと言うわね。もっと言ってやってちょうだい!その子ったら、自覚あるのに妙なとこ抜けてんのよ」

 やれやれと肩を竦めるその様は、大袈裟だが、彼によく似合っていた。初対面からおまえと言われたり、説教じみたことを言われてアガトルテは困惑するが、不思議と苛立ちは覚えなかった。

「ところでオジサマ、素敵な格好しているけれど見慣れないわね。最近ここに来たの?」
「……ああ。つい最近、な」
「あら、そう」
「それで、何故おまえはここにいるのだね?」

 首を傾げる男の目は、どこかアガトルテを責めているようにも見えた。アガトルテには、そんな目で見られる意味が分からなかった。

「何故って……飲みに来たんだ」
「オレンジジュースをね!もう、この子ったら、お気に入りの子がいなくなっちゃって意気消沈してたのよ」
「お気に入りの子?」
「ええ、そう。拾った蝙蝠が出て行っちゃって、しょんぼりしてたってわけ」

 改めて他人の口からそう聞くと、何とも情けないことこの上ない。幼い頃からよく知るキャサリンならともかく、初対面の人間に自分の落ち込んでいる理由を聞かれてしまうのは、恥ずかしかった。
 どこか人を小馬鹿にしたような男だ、もしかしたら笑われているかもしれない。そう思って、おそるおそる男を見上げたアガトルテは、動揺した。
 アガトルテを見下ろす赤い目も、その顔にも嘲笑は浮かんでいなかった。軽く目を見張ったその顔は、呆気にとられたかのようなそんな無防備な顔だったのだ。

「……そう、か」

 ふ、と男の目元が緩む。老いながらも怜悧な美貌は威圧感を感じさせるが、その表情一つで威圧感は霧散する。

 く、と喉の奥で笑った男は何かを言おうと口を開きかけたが、はっと我に返ったアガトルテが口を開く方が早かった。

「さっきは、ありがとうございました。貴方にとって俺は見ず知らずの相手だって言うのに、注意もいただいて……これからは気を付けます」

 男の目が丸くなる。冷ややかな表情を浮かべてばかりなイメージがついていたが、どうやら案外、表情は動く方らしい。

「見ず、知らず……」
「……あの、初対面ですよね?もし、違っていたらすみません」
「……」

 黙り込んでしまった男に、アガトルテは一抹の不安を覚える。もしかして、初対面ではないかもしれない。そう思って必死に記憶を辿るが、やはりこの男の顔に見覚えは無い、気がした。

「ええと……ああ、俺はアガトルテ・グランヴァールと言います。失礼でなければ、お名前をお伺いしても?」
「……ガルドレッド、だ」 

 その名を聞いて、アガトルテは「え!」と声を上げた。どうしたのと聞くキャサリンと、男を見て、アガトルテは気まずそうに頬をかく。

「ええと……少し聞き覚えがある名前だったので」
「あら、じゃあこのオジサマとは知り合いなの?」
「いや、初対面……のはず」

 奇しくもあの蝙蝠と同じ名を名乗った男は、無言でアガトルテの隣に腰掛けた。
 何だか立ち去ることもできずに、アガトルテはキャサリンにジュースの追加を頼むのだった。




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2017.4.9〜
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