ドラゴンは矜持が高い

「飛んでる奴を相手にすんのは滅多にないからなァ、精々楽しませてくれや!」

 そう喜色の声を上げ、イサミは前方の空に舞う白銀のドラゴンに向かって走り出した。頭上より降り注ぐ闇色の刃を避けて、時に切り伏せ、銃弾で打ち砕き、イサミは確実にヴァイツへと迫っていた。
 イサミは、目の前に倒れ伏していた人間を足蹴に、瓦礫の山へと飛び、それから建物の屋根に飛び乗った。屋根伝いにドラゴンへと迫り、そして大剣を一振りした。
 ゴウ、という音と共に炎が舞い、炎を纏った一撃がヴァイツへと放たれた。
 空を舞っていたヴァイツは、その巨体に見合わず器用にその一撃を身軽に避けて見せると、屋根の上の勇者に向かって突進する。
 頑強な後ろ足でイサミを圧し潰そうとするが、イサミは剣の腹でその重たい蹴りを受け止めた。イサミが踏みしめた屋根に罅が走る。
 受け止めたとはいえ、動きの止まったイサミに好機を見て、ヴァイツは鋭い牙をむき出しに、イサミへと噛み付いた。しかし、イサミの頭を食いちぎろうとした牙は空気を噛んだ。イサミが咄嗟に身を屈めたのだ。
 わずかに牙が掠ったのだろう、頬に血を浮かせたイサミは、しかし痛みに顔を歪めることは無かった。
 再び噛み付いてやろうとヴァイツは金の目を眇めたが、かちりと金属音がしたのを聞いて、イサミの大剣を蹴るのをバネにしてその巨体を後ろへと舞い上がらせた。
 2発の銃弾は、ヴァイツの左足を掠めていった。数枚の鱗が剥がれ落ちる。忌々しげにヴァイツが睨みつけた先には、頬を手の甲で拭い笑うイサミがいる。

「デケェ的は当たりやすいな。とは言え、心臓狙ったんだけどなァ」

 そう独り言ちたかと思うと、イサミは大剣を足元に突き刺した。そして、何事か呟きだす。ふわりとイサミの黒髪が風ではない何かによって巻き上がるのを見て、ヴァイツは翼を一度はためかせイサミの近くまで行くと、太く頑丈な尾を振り回した。

「おっと。詠唱全部言わせてくれるほど甘くはねぇか。ま、不完全だがこれでも良いだろ」

 そう言った瞬間には、イサミはヴァイツの目の前に迫っていた。どうやら跳躍したらしいが、それにしては早すぎるし、そもそも空を舞うヴァイツと目線を合わせるほどの高さまで飛ぶなど、普通ではありえない。
 詳しくは分からないが、どうやらさきほどの詠唱は身体強化の為のものだったらしい。

 しかし、速度が上がったとしても、大剣を振り回す速度は先程とはそう変わらない。詠唱が途中中断されたことで、そこまで強化が追い付いていなかったのだろう。
 迫りくる大剣を避けることも考えたが、下手に避けても体のどこかを掠ると瞬時に判断を下したヴァイツは、大剣をその強靭な歯で受け止め、よしんばその大剣を奪ってやることにした。
 大剣が折れそうにないのなら、奴の手から奪ってしまえば良い。シンプルな答えだった。

「ガァアアア!」

 咆哮を上げ、大剣に噛み付いた。そして、首を振りその大剣を奪い取ってしまおうとしたヴァイツは、目と鼻の先で舌なめずりをした勇者を見て、その金と赤の混じった目を見開いた。

 ゾ、と背筋を震わせ、そして震えてしまったことにヴァイツは驚愕する。真っ黒な男の目には、明らかな勝利を悟った輝きが浮かんでいた。

 異母兄二人に対し、恐怖を覚えたことはある。何故なら、彼らはヴァイツよりも強いからだ。本気でやり合えば、きっとあの二人にヴァイツは勝てない。だから、ヴァイツは正当な理由が無い限り彼らに戦いを挑むつもりなど更々無いのだ。
 理性よりも本能が強いヴァイツにとって大事なのは、生きることだ。奇妙な血筋の生まれの為か種の存続や繁栄に本能は働かず、それ故にヴァイツにあるのは強い生への執着だった。

 だから、一瞬判断が遅れた。このままだと負けるかもしれないと、真っ黒な男の顔を見てヴァイツは思ってしまったのだ。このままだと死ぬかもしれないと、ヴァイツはこの時初めて、この戦いを続けることを躊躇した。
 ふっと、ヴァイツの身体の力が抜ける。意志とは反対に及び腰になった身体に、ヴァイツは酷く驚いた。

 このままだと殺される、と本能的に悟ったヴァイツの鋭敏な耳に、微かに誰かの声が聞こえてきた。ヴァイツ、と名を叫んでいる。悲壮なその声は、嫌にヴァイツの癇に障った。
 まるで、ヴァイツが死ぬとでも思っているような、そんな焦りの含まれた湿った声だった。
 ぐらり、とヴァイツの腹の底が煮えたぎる。

「貰ったァ!!」

 そう叫び、イサミは噛み付かれたままの大剣を力任せに下へと振り切った。がくん、とヴァイツの巨体が下がり、そして勢いよく地面へと叩きつけられる。
 元々廃れていた建物の一部へとヴァイツの巨体は沈み込む。
 轟音と共に砂煙が上がり、再び怒声と悲鳴が上がり始めた。

 がらがらと崩れ落ちる建物の隣の屋根に軽やかに降り立ったイサミは、ふーっと息を吐いて首を回した。
 それから、しゃがんでヴァイツが落ちた下へと目線を向けた。

「……もうちっと、楽しめると思ったのによォ。最後、何か戦意喪失してたな、あいつ。つまんねーな」

 そうぶすくれたように呟いたイサミは、あーあ、とかったるそうに声を上げて立ち上がった。
 黒い銃を腰のホルスターにしまい、イサミが大剣を片手に踵を返した、その時。

「なッ……!」

 強烈な殺気にイサミが振り向いたのと、鋭い爪がイサミの首に迫ったのは殆ど同時だった。咄嗟にイサミは後ろに飛んで避けたが、その爪はイサミの喉を鋭く切り裂いた。
 ぱっと自分の喉から鮮血が散る向こう側で、白銀の髪の異形の男が怒りに目を真っ赤に染めているのが、イサミには見えた。

「……殺ス、貴様は、ここで、コロス」

 男の声と、先程の白銀のドラゴンの声が入り混じったような、奇妙な声だった。さほど深くはなかった喉の傷を手で押さえ、イサミは男を見返した。

 ヴァイツの身体はぼろぼろだった。地面に叩き落とされただけでなく、おまけとばかりにイサミが炎と電撃の混じった魔剣の一撃を叩きこんだからだ。
 服はところどころ焼け焦げ、鱗は剥がれ血が滲んでいる。口や右目からは血が流れ落ち、だらりと下げられた右手はどうやら骨が砕けて動かないようだった。腹は鱗と共に肉片がごそりとそぎ落とされており、一部内臓が見えている。
 しかしそれでも、ヴァイツの身体は動いていた。致命傷にも見えるそのぼろぼろの身体で動けているのが不思議で、イサミは乾いた笑いを漏らした。

「は、ハハ……すげーわ、本当。マジかよ。てっきり、負けを認めて尻尾巻いたかと思ったんだけどよォ」

 その言葉に、ヴァイツはぎろりとイサミを睨みつけた。それから、ぐ、とその口角を上げた。
 それは、初めて浮かべたヴァイツの笑みだった。憤怒に満ちた壮絶な笑みだった。

「……貴様が強いのは認めよう、人間。兄らに並び、貴様は俺よりも強いかもしれん。基本的に、俺は、自分より強い相手に意味なく戦いを挑みはしない。何故なら、死よりも生を選ぶのがこの俺の本能だからだ……だが、俺は、ドラゴンだ。矜持が高い。俺自身が貴様に勝てんと思うのも、貴様に勝てないと思われるのにも何も思わん。事実だからだ。だが……俺よりも脆弱で、虚弱で、愚鈍で憐れなものに諦められては、俺の矜持に障るのだ。実に腹立たしい。貴様とこれ以上戦うのは無意味だと思ったが、撤回だ。俺は俺の矜持の為に、貴様を殺す」

 ふら、と一歩踏み出したヴァイツの言葉に耳を傾けていたイサミは、治癒を掛け終え綺麗になった自分の喉を撫でる。それから、ちらりとイサミは視線を横にやった。

「……ヴァイツ、てのが、おまえの名前か」

 それには答えず、ヴァイツはイサミに襲い掛かるべく腰を落とした。イサミもまた、大剣を再び構えた。


「こらこらこら、それ以上はやめだ、やめ!」


 緊迫した二人の間に現れたのは、褐色の肌の端正な顔立ちの魔族の男だった。
 ミルドレーク、とかすれた声で呟いたヴァイツに、男はにこりと笑ったが、その目に笑みは浮かんでいなかった。


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ドラゴンのペット

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2016.10.31〜