勇者の邂逅、ドラゴンのお迎え

「あー?ンだこいつ、もしかして俺と一緒に召喚された奴かよ。まだ生きてたのか、わりとしぶてーのな」

 どこか気だるげな男の声が聞こえてきて、ヒムロはうっすらと瞼を開けた。手足を動かせば、じゃらり、と耳に障る嫌な音がする。それは、そう遠くはない過去に嫌でも毎日耳にしていた音だ。
 起き上ろうと手足を動かせば、じゃらじゃらと金属がこすれ合う音が増した。手と足が重い。

「つーか、何でここに連れてきてんだ?」
「彼はどうやら、私の目的の相手のお気に入りのようでね。こうして連れてきたら誘き出されてくれないかなあと思いまして」
「そんなにあっさりと来てくれるとは思えねぇがな。それに、随分と強い相手らしいじゃねーか。おまえ弱ぇのによくやるぜ」
「ふふ、何のために貴方がここにいるのですか?」
「ハッ、結局人任せかよ。ったく、おまえと言い、この世界の人間どもと言い、他人任せの無責任野郎が多いぜ」
「………」
「図星差されたらだんまりか?……まあ、良いけどよ。俺は強い奴とヤれりゃ、それで」

 どうやら、ヒムロがいるのは小さな檻の中のようだった。顔を上げた先の檻の外、一つの椅子に黒髪の男が腰かけていた。椅子の背を抱え込むように座っていた男は、ヒムロを真黒な目でじっと見ていた。
 初めてあった当初から人相の悪い男だと思っていたが、見ない内に増々それに磨きがかかったような気がして、ヒムロは小さく身じろいだ。男は、がりがりと何かを齧っていたが、ペッと横に吐き捨てるとゆったりと椅子から立ち上がった。
 そこで初めて、ヒムロは男の背に大きな剣が下げられているのを見た。真っ黒な鞘に納まったそれは、男の身長以上の大きさだった。
 黒いコートを靡かせ、男は背に持った剣の重さなど感じさせない軽い足取りで、ヒムロのいる檻へと歩み寄って来た。

「よう、役立たず勇者。相変わらず弱っちそうだな、オイ」
「………」
「人間の言葉も忘れたか?ア?随分と悲惨な生活送ってるって聞いたぜ?可哀想になあ」
「……五月蠅い」
「ふん、喋れはするのか」

 男は腕を組み、檻の中で座り込むヒムロをじろじろと見下ろした。それから、頭をかくと、首を傾げた。人相も目つきも悪い男がするには些か可愛らしくちぐはぐなようだが、何故だか違和感と言うほどには感じなかった。

「おまえ、誰だっけ」
「……」
「つーか、俺のこと覚えてンの?ま、おまえに覚えられてようが忘れられてようがどうでも良いけどよ。俺だよ俺、イサミ、だ」

 イサミ。ヒムロはその名前を憶えていたし、勿論檻の外で此方を見ている男のことも憶えていた。
 イサミは、ヒムロとともに勇者として呼ばれた男だ。そして、それだけが、ヒムロの知っていることだ。なにせ、役立たずの烙印を押されたヒムロは召喚後、すぐに城下へと放逐されたのだ。イサミを含め、他の勇者の状況など知るはずもない。
 ただ、こうしてイサミが何不自由なく生きていることから、おそらくイサミは勇者としての素質があったのだろうと分かる。

「で?おまえ、名前は?」

 全く興味の無さそうな顔で、イサミは尋ねてくる。ヒムロは答えたくないという意思で顔を背けたが、低く響く声で「言え」と短く命じられてしまえば、ヒムロは口を開かざるを得なかった。その声を聞いた瞬間、ぞわりと背筋に悪寒が走り、逆らってはいけないと頭の中で警鐘が鳴った。

「……ヒムロ、だ」
「ヒムロ、あー、確かそんな名前だったな?忘れてたわ。まあ、これから覚えてられる自信もねーけど」

 忘れたらワリーな、と全く悪びれもしない顔で言うイサミに、きっと忘れるのだろうなとヒムロは思う。この男は、ヒムロに全く興味がないのだ。
 それが、ヒムロにとってはありがたかった。

「さて、懐かしい同郷同士の会話を中断させるのはとても申し訳ないのですが、私にもお話させてくださいますか?」
「勝手にしろ。おまえが連れてきたんだろ」

 ひらひらと手を振り、イサミは男に譲ったが、その場からは離れなかった。
 男はにこりと笑って、ヒムロのいる檻へと近づいてきた。

「さて、改めまして。お久しぶりです、ヒムロ様」
「…………」
「少々お聞きしたいのですがね。貴方の今の飼い主、彼あるいは彼女、それはいったいどこの誰ですか?」
「…………」
「貴方がいたあの場所、あそこにはとても興味深い魔力の残滓があった。別の魔力もありはしましたが、それはその魔力の残滓によってかき消されてほぼ捉えることはできませんでしたが……おそらく、あの魔力が強すぎて残っていなかったのでしょう。私はあの魔力に興味があるのです。ヒムロ様、貴方を飼っていたのは、何者ですか」

 話している内に興奮してきたのだろう、男は檻を掴み、檻の中のヒムロを一心に見つめる。しかしその爛々と光る目は、ヒムロを通して別の何かを見ているようだ。
 そんな男を、イサミは横目で見てから興味がなさそうに視線を外した。

「……知らない。分からない」
「魔力を持たない貴方には、その強さは判別できないかもしれませんがね、どんな人物、いや、どんな魔族かくらいは分かるでしょう。性別は?見た目は?貴方の前でどんな魔術を使いましたか?配下のようなものはいましたか?」

 矢継ぎ早に飛んで来る言葉に、ヒムロは答える気はなかったし、そもそも答えられるようなことはほぼなかった。
 彼はドラゴンだからきっと魔族ではないのだろう。そもそも性別だって、彼、とヒムロは仮定しているだけで彼女かもしれないのだ。
 黙り込むヒムロに、男は大袈裟に溜め息をついて、呆れた目を向けた。

「貴方、なにも分からないのですか。使えないですね、やはり」

 肩を竦める男に、ここまで黙って見ていたイサミが「なあ」と声をかけた。

「何ですか?今は貴方の相手をしている暇はありません。この役立たずを迎えにくるかもしれない魔族は、いつ来るかも分からないのです。捕らえるためにも、情報は得なければ」
「………随分と焦ってるみてぇだな。おまえ、いったい何が目的だ?いや、違うな。何のために、そんなに必死になって魔族を捕まえようとしてんだ?今まで、おまえらは全部人任せにして優雅に椅子に座ってただろ。それなのによぉ、いきなり出てきやがったな。いや、おまえだけじゃねぇ。俺らを喚んだ奴らが、今になって必死こいて自分で動いてる。なに考えてんだ?」
「……イサミ様、今日は随分と饒舌なようですね。そしてその質問ですが、貴方は気にしなくてよろしい。別に貴方には関係ないでしょう?貴方はただ、強い相手と戦えればそれで良いのですから」
「……ハッ。確かにな。俺ァ、強い奴とヤれりゃ良い、が。おまえら、他の勇者殺しただろ」

 イサミの言葉に、ヒムロははっと顔を上げた。死んだのか?と掠れる声で問うヒムロに、イサミはちらりと視線をよこしただけだった。
 男は、そこで初めて一瞬だけだが、笑顔を消した。しかし、すぐさま微笑むと男は首を傾げた。

「……いったい何の話ですか?」
「まあ、俺にゃ関係ないがな。あいつらも結局弱ぇから死んだんだ。敵討ちなんざするつもりも無い。だがな」

 そこで一度言葉を聞ると、イサミはそれまで怠そうに半眼になっていた目を見開き、嘲笑を浮かべ、傍らの男をじろりと睨みつけた。

「おまえらの勝手な都合で連れてきて、勝手な理由で殺しやがるのは気に入らねぇな。俺ァ、人にナメられんのが一番嫌いなんだよ。良いか、おまえらが何を考えていようが、どうでも良い。が、俺をそう簡単に利用できるとは思うな」

 そう吐き捨てると、イサミはおもむろにその手を背の大剣の柄に伸ばした。大剣を抜くのか、とヒムロが思った瞬間には、一陣の風がヒムロの長い前髪をふわりと揺らし終えていた。いつの間にか、イサミの手には大剣が握られている。

「イサミ様!!いったい何をしてっ……?!」

 ずるりと鉄格子がずれ、そのまま滑るように下へ落ち、金属が床にばらける甲高い音が響く。檻の鉄格子の上半分が、綺麗に切断されていた。

「……困りますよ、イサミ様。まさかその役立たずを逃がすおつもりですか?驚きですね、“人助けをしない勇者様”でも、同郷の仲間はお大事ですか」
「アア?大事とかそういうンじゃねぇよ。おまえらのやり方が気にくわねぇだけだ」
「気に食わないだけで、私の邪魔をしないで頂きたい。……これだから力だけの勇者は」

 ぼそりと呟く男の顔は険しく、イサミを睨みつけている。何が何だか分からずヒムロは二人を静かに見ていたが、床に釘で打ち付けられていた手足の鎖の根本が切断されているのに気づいた。両手両足は鎖で拘束されているものの、この場から離れることはできそうだ。ただし、目の前の二人がいなければ、の話だが。
 ヒムロは、いつでも立ち上がれるように慎重に体制を整えた。そんなヒムロの動きに気づいていないのか、それとも気にならないのか、二人は互いを睨みつけている。

 しかし、ふとイサミは睨みつけていた目を瞬かせ、男から視線を外した、その視線は、彼らの背後に向けられている。その目は、何かを観察するような、探るような鋭さを見せていた。
 それから、男に視線を戻すと、哀れなものを見るように笑った。

「弱い奴は死ぬ。強い奴が守ってなけりゃ、すぐにな」
「はあ?いったい貴方はさっきから何が言いたいんですか?」
「おまえは、強い奴がいりゃ俺がある程度従うと思ってんだろ。確かに強い奴とヤれるってなら、遠慮なくヤるぜ。でもよぉ、俺が強い奴とヤるのと、おまえを守ってやるかどうかは、全く別の話だ」

 二人の背後で、きらりと一度光った気がして、ヒムロはそちらに目を向けた。男はヒムロよりも早く気づいたらしく、頬を紅潮させ、「きた!」と叫ぶ。


 その瞬間、周囲の床や壁、天井に奇妙な青白い光の模様が浮かび上がる。


 目映い光と、衝撃波による突風に晒されて、ヒムロは思わず目を瞑った。

「ぐっ、が、」

 誰かの呻き声が聞こえ、つられて目を開ければ、まず視界に飛び込んできたのはどんよりと曇る灰色がかった空だった。天井が崩れ、ぽっかりと空が見えていたのだ。
 ヒムロの入れられていた檻もほとんどが吹き飛び、跨げば外に出られそうなほど無惨な姿になっている。

「お、おまえ、は、あの魔力のっ、持ち主ではない、ですね……!」

 苦しそうな男の声。そちらへと目を向ければ、ヒムロを召還した男が、宙に浮いていた。否、一人の屈強な男の片腕一本によって、宙に持ち上げられていた。
 ヒムロからは、その顔は見えない。白銀に輝く髪の男の後ろ姿を、ヒムロは何が何だか分からず見つめた。

「でも、なぜ、あの魔法陣からっ……おまえはいったい、何者ですか……!」

「おまえか」

 聞く者を圧倒する、低いうなり声のような声だった。びくりと、持ち上げられた男の体が震えるのが見えた。それから、ガタガタと震え出す。

「俺は、所有物を盗まれるのが一番嫌いだ。あれは俺のものだ。俺のペットだ」

 あ、とヒムロは思わず小さくだが、声を洩らしてしまった。

「ヒッ、や、やめ」
「死ね、愚か者」

 白銀の髪の男が冷めた声音でそう呟いた瞬間、ごきり、と歪な音がした。ヒムロから見えたのは、だらりと四肢を重力に従わせた眼鏡の男の姿。白銀の男が掴むその首は、後ろに九十度以上曲がっていた。

 人が死ぬ様を見てしまったのに、ヒムロはそれよりも気になることがあった。白銀の髪の男。聞き覚えのない声、見覚えのない姿。しかし、何故だろう。ヒムロは彼を知っている気がした。いや、知っている。彼は。

「……ヴァイツ?」

 ちらりと白銀の髪の男が振り返る、瞳孔の長い金色の目がヒムロを見る。その、瞬間だった。

「ああああ、だから言ったのによォ。弱いのに調子乗りやがって。でもまあ、感謝くらいはしてやるぜ。何せ、久しぶりに強い奴とヤれんだからな!!」

 嬉々とした声とともに、その場にいた白銀の髪の男が、瓦礫の中へとけたたましい音を立てて吹き飛んだ。

 げらげらと笑い声が響く。真っ黒な大剣を肩に担いだイサミが、笑って立っていた。


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[17]
ドラゴンのペット

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2016.10.31〜